17話 親子
「...」
万穂さんは、はっとして口を噤んだ。桜介君が言葉を失う。
暫くの沈黙。先に口を開いたのは桜介君だった。
「なんだよそれ。陽介兄ちゃんも自分の子どもだったって言うのか。ちゃんと成人してたっていうのに。」
「ちがうよ。陽介じゃない。」
静かな声で万穂さんは否定する。陽介さんはたしか、梓さんの彼氏だった人か。
「あたしにはね、本当の息子がいたんだよ。」
25年くらい前だったかね。ずっと想いを寄せていた人と結婚して、子どもを授かった。海胴、四包と同じ双子で、その頃あたしたちは向日葵区画に隣接する中央の区画、薔薇区画に住んでいた。
約20年前のある日、突然家の扉を激しく打つ音が聞こえてきた。あのときはびっくりして腰を抜かしそうになったもんだ。窓から扉を見ると、お隣さんが必死の形相で扉を叩いている。
「どうしたんですか、そんなに慌てて。」
「早く逃げろ!もうすぐこっちにも攻められる!」
何を言っているのかわからなかった。だが、尋常ならざる様子からして、ただ事ではないのは確か。無下にも出来ず、理由を聞くことにした。
「何が起こっているんですか?」
「北からよくわからん奴らが攻めてきてるんだ!早く逃げろ!」
「誰が。」
「そんなもの知るか!いいから逃げるんだ!」
話が通じず、わけがわからなかったあたしは、すぐに行動できなかった。愛するあの人と、愛する子どもたちの帰りを待つのが当時のあたしの仕事だったから。
「なに、あれ。」
お隣さんが北を指さして、あーだこーだと怒鳴り散らすので、思わずその先に目を向けた。その結果見えたのは、銀の装備を身に纏い、両手にその小さな身長と同じくらいの火球を携えた兵士。
途端に恐怖に襲われたあたしだったが、それでも動かなかった。家族が心配でたまらなかったのだ。幸いなことに、あいつはまだこちらに気づいていなかったし、距離も近くない。
「何してる!さっさと逃げろ!もう見えてるんだろう!」
「でも、息子たちが」
「ここであんたが殺られちまったら子どもたちの面倒は誰が見るんだ!こんな状況で他人の子どもに構ってられる奴がいると思ってるのか!そいつらのために逃げろ!」
「...! そうだね、ありがとう。」
そうしてあたしは元いた薔薇区画を離れ、向日葵区画へと身を移した。お隣さんには感謝するしかない。でも、それと同時に恨むこともあった。
奴らは何故か向日葵区画まで侵攻して来ず、結果的にあたしは救われた。しかし、愛した夫は魔法が巧みであったため戦いに出たが戦死し、焼け跡に遺体が発見された。
悲しみに心を打たれたけれど、一縷の望みにかけて、子どもたちの情報をかき集めた。
「残念ですが、幼稚園のお子様たちは...」
ある日、あの頃子どもたちを通わせていた幼稚園の職員からの謝罪文が人伝に届いた。主だった要因は、園長の判断。襲撃の中、建物は安全だろうと、南への避難をさせなかったという。
怒りがあたしの心を支配した。でも、この怒りをぶつけるべき人も、もうこの世にはいない。結果、愛していたものを全て奪われた怒りが、絶望に変わる。
「もう生きている意味も無い。いっそ瓦礫に埋もれて死んでしまおうか。」
倒壊しかけの建物へ近寄っていくあたしの肩を叩く人がいた。まだこの世に未練があったのかもしれない。無視したら良いものを、思わず振り向いてしまった。
四包に似た銀色に輝く髪。絶望の淵から見た彼は、天使の翼を携えているようにも見えた。
「この区画には使われていない教会がある。そこを孤児院として使うといい。そうしたら、また笑えるようになる。」
当然信じられるわけもなかったが、今すぐ瓦礫に押し潰されるよりかは可能性に賭けてみようと判断した。そうして進路を西に取る。
「それで今、子どもたちに囲まれてるわけなのさ。」
話し終えた万穂さんに対し、桜介君は少し考えるような素振りを見せた。
「なるほど、つまり俺たちは子どもの代わりなわけだ。」
一瞬、まるで時が止まったように、辺りを静寂が包んだ。
「そんなわけないだろう!あんたたちがあの子たちの代わりだって?!笑わせるんじゃないよ!あの子たちの代わりなんているわけない!」
「でも、今は俺に執着してるじゃないか。」
「あたしの知らないところで誰かが死ぬなんて、もう嫌なんだよ!」
1度失ったことのある者にしかわからない、どうしようもない思い。それを聞いても尚、桜介君は口を開く。
「あんたがどう思おうと関係ない。俺は親の元へ帰る。」
「教会の子どもたちの親は、子どもを捨てて何とも思わないようなクズばかりだ!あたしは子どもを失って、こんなにも苦しんでいるのに!そんな奴らのところへ行くだって?!冗談じゃない!」
桜介君だけでなく、他の子どもたちも親に捨てられていたのか。年齢を考えれば、皆戦後に生まれている。戦争孤児というなら納得ができていたが、なるほど時期が合わない。
というか、僕が完全に空気なんですが。
「海胴の親だってそうだろう!」
「え?僕?」
唐突な指名に戸惑う。たしかに父親は僕達と母さんを置き去りにした。顔すら見たことがないのだ。祖父だって、母さんが亡くなってから、僕達の面倒なんて見ようともせず、毎日のようにパチンコへ行っているらしい。もう数年会っていない。
「父親は僕達を置き去りにしました。祖母は生まれる前に亡くなりましたし、祖父もろくな人間じゃない。」
僕が話し始めると、万穂さんも桜介君も不思議と静かになった。
「でも、母さんだけは違う。母さんは一緒に居られなかった。一緒に居たかったのに居られなかったのは、万穂さんと同じです。それでも絶望に暮れることなく、笑顔でお別れを言ったんです。」
母さんが倒れるまで、よく言い聞かされた言葉。それは今でも僕の支えになっている。
「「たとえ私達がいなくたって、周りの人が助けてくれる。大人はみんな、子どもたちの幸せを願っている。」万穂さんは、子どもたちの幸せは大人に守られることだと考えているようですが、本当にそうでしょうか? 少なくとも桜介君にとっては、そうじゃない。一人一人、幸せの形は違うんです。」
母さんの言葉が届くように、ゆっくり、はっきり話す。
「大人がすべきことは幸せを押し付けることじゃない。子どもたちが幸せを掴む後押しをすることです。」
話し終えてしばらく、穏やかな風の音だけしか聞こえなくなる。
「そう、か。そうなんだね。あたしは間違っていたかもしれない。桜介にもやりたいことがあるんだ。それを無理やり止めちゃいけなかった。」
「じゃあ、俺の自立を認めてくれるのか?」
「待ちな。自立するためには教えなきゃいけないことが沢山ある。まずはあたしたちの目が届くところで頼むよ。」
「そうだな。俺だっていきなりっていうのはちょっと不安だったし。」
万穂さんと桜介君が微笑み合う。これで万事解決か。なんだかあまり身体に力が入らない。二人の思いにあてられて、精神的に疲れてしまったのだろうか。
どうやら祭りもお開きのようで、ただでさえ暗い教会の裏も、光が届かず、さらに暗くなっている。
月明かりが照らす下で、伸びをする。
「やるか、片付け。」
お読みいただきありがとうございます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




