178話 会話
「喋った...?」
プリムさんの上から影を落とすその生命は、まさしくドラゴン。だがしかし、以前見たものとは決定的な違いがある。まさか人語を喋るなど。
『分を弁えろ、餓鬼。』
その竜は口を開け、その中から火球を打ち出した。その程度の火力では狼の皮膚まで届かないかと思われたが、奴に触れた途端にその火は勢いを増した。
プリムさんを食い殺そうとした狼は、飛びつこうとしていた姿勢を崩し、炎に呑まれ、甲高い断末魔を上げて息絶えた。
『ふむ、少し焦げてしまったか。』
アゴンさんの魔法で少し傷ついただけだった狼。それをたった一発の火球でこんがり焼いてしまったその力は、まさにドラゴンと呼ぶに相応しい。
そのドラゴンは、こんがりと焼けた狼の死体に牙を立て、骨さえもバリバリと音を立てて咀嚼している。
『やはり子の肉は美味いな。』
『あっ、あのっ。』
必死で戦っていた僕達を尻目に、呑気なお食事タイムを始めた竜。以前出会った竜程ではないものの、優にプリムさんの背丈の三倍は超えている。そんな威容を前にして、プリムさんは声をかけた。
『助けて頂いてありがとうございました。』
『なに、我の客人に牙を剥いた者を粛清したまでだ。気にするな。』
それだけ言って、食事を再開させた。動物というものは、食事中は警戒心が強いらしい。よって、今再び話しかけるのは機嫌を損ねかねない。僕達のようなか弱い人間にとって、それは死活問題だ。
『ここに私をお呼びになったのは、貴方なのですか?』
『いかにも。我が貴様を呼び寄せた。』
お食事を終わらせた竜は、舌なめずり。それを合図にして、プリムさんは、僕も気になっていたことを尋ねた。
この竜、人語を操るのみならず、相手に直接届けることができるらしい。というより、先程からの会話は全てそれだ。蜥蜴のような口の構造は、喋るには向いていないらしい。
『貴方はいったい...』
『我はこの地を統べる竜。ここの何よりも力を持った存在。巫女姫、と言ったか。貴様らには母上が手を貸していたそうだな。』
『は、はい。』
母上というのは、この島に住んでいた人々を守っていた竜のことらしい。あの竜は基本的に夜には行動が自由だったようで、子どもがいても不思議ではないのだが、にしても規格外すぎやしないか。
『母上が手を貸す存在というのがどれほどのものかと思っていたが、やはり矮小な存在だった。だからこそ手を貸したのやもしれんが。』
そりゃあ、桁違いの火力に堅牢な鱗、巨大な体を持つドラゴンと比べられては、こちらとしても世話がない。
『やはり我にはまだ、母上の思惑は理解できんな。』
『竜様、どうして私をお呼びになられたのですか。』
『今話しておるだろう。我は母上の考えが知りたい。直接聞こうにも死体ではな。死人に口なしとはよく言ったものよ。』
『では、私はどうすれば?』
圧倒的な力の差がある時点で、僕達に反逆は出来ない。本当に、四包さえいればこの状況を覆せたかもしれないのだが。
『我は会話を望んでいる。そう急くな。』
『...すみません。』
『うむ。そしてだが、我にはもう一つ気になることがある。それは母上を殺した存在だ。矮小な存在共の話を聞いていれば、なんでも対戦国の王が倒したというではないか。』
人間の代名詞は矮小な存在で確定なのか。と、そんなことより、竜の興味は四包にあるらしい。単純な好奇心が故であるようで、母親の恨みだととって食われるようなことはなさそうだが、正直に言って四包を危険に晒すのは違うだろう。
『貴様が王か?』
『いや、俺じゃね...違います。』
『ふむ。この島の獣たちの間では、体の大きな者が群れを統べるものだが、矮小な存在共は特異なようだ。益々興味深い。』
敬語を使うアゴンさんなど初めて見た。プリムさんには敬語を使うように心がけているようだが、いつもプリムさんが許している。
そんなアゴンさんの目が、チラリと僕の方を見た。普段ならどうしてばらすのかと腹を立てるところだが、四包に飛び火がかからないのなら僕でも良い。
『うむ? もしやとは思うが、貴様が?』
「はい。僕が国王です。」
『...』
あからさまに訝しげに目を細めるドラゴン。たしかに、こんな覇気もない、冴えない人間が王などというのは考えにくいだろう。
『ふむ、貴様がそうだと言うのなら、今ここで、母上を殺した力とやらを見せてみよ。』
「出来ません。」
『それは我を殺すからか? それとも別の要因か?』
「あれは、特定の場所で、特定の状況でなければ出来ないことなのです。」
『そうか。』
一応、嘘は言っていない。瓦礫が散乱している場所で、四包がいる状況でなければ、先の戦争で使ったような、竜を倒すほどの技は使えない。
『では決めたぞ。巫女姫よ。』
『はい。どうなさいますか。』
『我もそなたと契約を結ぼう。』
『と、申されますと?』
『貴様に、我を呼び出し、操る権限を与える。』
つまり、プリムさんの以前の力が復活するということだ。竜を失ったことについて、散々悩んでいたプリムさんには良い知らせだろう。
『呼び出すことは、母上と同じようにせよ。操る場合は口に出すことだ。母上もそれを聞いて従っていた。』
『分かりました。』
『頻繁に呼び出しても構わぬ。我は退屈だ。矮小な存在の生活程度であっても、退屈しのぎにはなろう。』
終始威圧感を撒き散らして、不遜な態度であった竜との対話もひと段落ついた。爬虫類に類似しているとは思えないほどの知性と能力である。というより、このテレパシーはどうやって送っているのだろう。
『我の用は済んだ。帰ってよい。』
「護衛はして下さらないのですか。」
『必要あるまい。母上の血が染み込んだ物を纏っておるだろう。この島の脳ある獣共は近づこうとはせぬ。』
通りでプリムさんに奴らが近づかなかったわけだ。どうせ短い滞在だからと、着替えを持ってこなくて助かった。帰りは僕達もプリムさんの近くを歩けば良い。
『またな、人間。』
僕達の背中に向かって、ドラゴンはそう言葉を投げた。きちんと覚えているなら、矮小な存在などという不名誉な名は止めてほしかった。
「お兄ちゃんっ!」
「おっと。」
竜の巣から、海岸に戻ると、四包が駆けてきた。結構な時間が経っていたようで、見張りの交代だと起きてきたらしい。あの狼もかくやという速度で突っ込んできた。
そこで僕達が居なくなっていることに気づき、慌てふためいたものの、あてもなく探す訳にもいかず待っていたらしい。
「どこ行ってたの! 心配したんだから!」
「すまない。緊急事態でな。」
『申し訳ございません。』
「何があったの?」
僕はこれまでの経緯を話した。プリムさんが謎の声を聞き、この島の奥地まで走っていったこと。それを追いかけた先で少しだけ戦闘があったこと。それから、呼び出した張本人が竜で、プリムさんと契約を結んだこと。
『私の勝手な行動で、申し訳ございません。』
「いや、呼ばれたのなら仕方ないよ。どたばたしてたんだね...」
『まあな。無事で良かったけどよ。』
「そうですね。」
「って、二人とも怪我はない? おっきな狼さんと戦ったんでしょ?」
『俺は大丈夫だ。』
「僕も概ね。」
アゴンさんは、パターン的な動きではなく、一度受けるごとに受け方を変えていた。最適化していたのだ。それに対して僕は、相手の動きがワンパターンだからと、固定的な対応になってしまっていた。
その違いが原因で、僕には浅い切り傷が出来ていた。これがもう少し深ければどうなっていたか。その上、押し倒されたときの擦り傷もある。やはりまだまだ精進が足りない。
「アゴンさんは大丈夫そうだけど、お兄ちゃんは怪我したでしょ。」
「何故バレた。」
「無いって言いきらずに、ちょっと考えてたもん。小さいのはあるってことだよね?」
妹様には全てお見通しだった。つくづく、僕は四包に嘘がつけないらしい。
ただ、傷の具合は本当に大したことはない。少なくとも、わざわざ報告するほどでは。それを四包もわかっているようで、だからどうするといった言葉は出なかった。
「とりあえずお兄ちゃん、傷口洗うから、見せてみて。」
「ああ、ありがとう。」
「結構血が出てるけど、本当に浅そうだね。清水。」
四包の手のひらから、蛇口を緩く捻ったような水が現れた。相変わらず、違和感満載な光景である。父親はどこからこれを転移だと定義づけたのだろう。
『さて、交代の時間も過ぎたことだ。俺は寝るぞ。』
『私も休ませていただきます。』
「うん。おやすみなさーい。」
「おやすみなさい。」
僕もこの事件で、精神的にも身体的にも疲れてしまった。この疲労感であれば、たとえこれだけ日が明るかろうと、眠ることは容易いだろう。
「四包、僕も眠ることにする。」
「うん、わかった。おやすみ。」
「おやすみ。」
船内に入り、決して良いとはいえない寝床の上で横になった。全身の力を抜くと、心地よい睡魔が僕を優しく包み込んだ。
眠りに落ちようか否かというまどろみの中、船室の扉を開ける音と、足音が聞こえた。もう交代の時間か。これで四包も眠ることができるだろう。
「お兄ちゃん...」
思考が完全に旅立ってしまう寸前、左半身にかかってきた心地よい体温と重さで目が覚めた。いや、覚めたというほどではないが、眠るには早いと感じた。
「四包?」
「お願いだから、あんまり心配かけないで...」
「すまない。」
声が震えていた。また過度な心配をかけてしまっていたようだ。この世界にいる限り、彼女の気苦労は絶えないだろう。謝罪と労りの意味を込めて、彼女を強く抱きしめた。
「...すぅ、すぅ。」
「はは。やっぱり早いな。」
四包の落ち着いた寝息を子守唄に、僕は静かに目を閉じた。
『起きろ。国王さん。』
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