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ポルックス  作者: リア
へミニス
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176話 懺悔

『お母様...』



 私は再び故郷の島を訪れていた。国王様方が、巫女姫に受け継がれてきた物語を知りたいという軽い理由で危険な航海を決行した。最初は彼らの頭の程を疑っていたが、こうして付いてきて黙祷を捧げられている今、彼らには感謝の念が生まれている。

 四包様はきっと、こんな私の気持ちを察せられていたのだろうけれど。あの方は読心術に長けていらっしゃる。

 お母様が亡くなって、はや二十年。それは、私がここで祈りを捧げるようになってからの年月でもある。前回の供養からもう月単位で時間が流れてしまったけれど、御先祖様は、お母様は許して下さるだろうか。




『お母様!』

『プリム、静かになさい。これから供養を始めるのです。』

『くよう?』



 私が物心ついてから、初めて家の裏にある石碑の前でお母様を見つけたときのことだった。その頃の私は何歳だったろうか。



『そう。御先祖様にお祈りを捧げるのです。』

『それで何があるのですか?』



 私は昔から、利益のある行動を選択するように言われていた。単に利益があるだけでなく、不利益が少なくなるように。そういう教育を受けていたのだ。

 だからこの時私には、お母様がどうしてそのようなことをするのかわからなかった。祈ったところで何も起きないということは、お母様に学んだことだから。



『祈っても、何も起きないのでしょう?』

『...そう。ただ祈るだけで、何の行動も起こさなければ、達成できたはずの最善策も叶わなくなる。』



 お母様は小さな失敗をしたときのように、人差し指で頬をかいた。同時に微笑ましいものを見るような目で私を見て。



『これは祈り。されど、これは誓いでもある。』

『誓い?』

『私が民を守るのだと、今まで守ってくれていた人に誓っているのよ。』



 いつものような厳しい口調ではなく、教え諭すような柔らかい口調で。きっとお母様は、偏った教育をしすぎたことを失敗だと思ったのだろう。



『それともうひとつ。』

『何でしょうか?』

『これはまだ、プリムには早いことよ。』



 そのときのお母様の笑みは儚げで、思わず手を繋いでいた。お母様はそれに驚いたようで、私と目を合わせたけれど、ふっと目元を緩めた。



『プリム。これから供養の作法を教える。きちんと覚えて、あなたも誓いを立てなさい。』

『はい、お母様。』




 お母様が亡くなってからようやくわかった。あのときのもうひとつの意味が。それはお母様への感謝。この石碑には、歴代の巫女姫の名前が連ねられている。そこには当然、私にあらゆることを教えてくれたお母様の名前も。

 礼儀も、魔法も、今の私を形作る全ての物を与えてくれたお母様に、感謝を捧げる場所。それがここ。



『お母様...ごめんなさい...』



 そして、懺悔する場所でもある。

 私はここでの誓いに反し、民たちを危険な目に遭わせた。それだけではない。私の指示で、人が、民が死んだ。たとえお母様が許しても、私自身が許せない。

 あのときの、出撃するという判断は間違っていなかった。切り札である竜は見せていなかったからだ。だが、民たちを矢面に立たせたことに意味は無かったはずだ。

 どうして私は、わざわざ民を先頭に立たせたのだろう。切り札は最後まで隠しておくものだから? そんなことはどうだってよかったはずだ。民の命よりも大切な切り札なんて無いのに。



『ごめんなさい、御先祖様。』



 そんな曖昧な判断で、歴代の巫女姫様が守ってこられた大切な民を、傷つけ、殺してしまった。その懺悔をさせて欲しい。

 当然、それで許されるようなことではない。いくら彼らの供養をしたところで。ただ少し、ほんの少しだけ、楽になりたかった。最後まで浅ましい私は、きっと天国に行ったときにお母様に叱られてしまうのだろうけれど。



「プリムさん...」



 いつまでも礼をし続ける私に、四包様が気遣うような声をかけた。私は心の中で謝罪する。

 ごめんなさい。もう少しだけ。最後に、この地に眠るお母様にだけお別れを言わせてください。



『今までありがとうございました...っ。』



 頬を伝う涙の感覚。私は駄目な巫女姫だ。お母様にも、決して涙を流しては、弱みを見せてはならないと言われていたのに。

 どうして今更涙を流すのだろう。お母様が死んでからもう二十年も経つ。ここ数ヶ月に至ってはこの地を離れていたのに。お母様のことを忘れることが出来ていたからだろうか。

 でも今は、たまらなく悲しい。今までずっと見守ってくれていたお母様に、本当のさよならを告げるのだと、意識してしまうと。これからは、一人で生きていかなくてはならない。お母様に頼ることは許されないことを実感して、深い悲しみを感じている。



『さよう、なら...っ!』



 それでも私は、この悲しみを乗り越えなくてはならない。巫女姫である私が俯いているわけにはいかないから。だからせめて、今だけは涙を流すことを許して欲しい。



『しゃんとなさい。』



 お母様の、本当に最後の言葉が聞こえた気がした。この言葉はお母様が、私が弱っているときにかけてくれた言葉。幻聴だったのかもしれないけれど、それをたしかに受け取って姿勢を正す。もう涙には栓をした。



『お待たせしました、国王様。』

「いえ、問題ありません。」

「気にしないで。...ほんとにもう心残りは無い?」

『ございません。ありがとうございます。』



 やはり四包様は、私の内心を見抜いていた様子だ。そして気遣ってくれている。こんな心優しい人こそが、国王には相応しいのだろう。誰からも憎まれない、懇篤な人柄を持った人が。こんな善人に刃を向ける気にはならない。



『アゴン、始めましょう。』

『行くぞ野郎共!』

『『『了解。』』』



 ここへ訪れた目的。それは何も、物語収集と私の自己満足のためだけではない。今は花水木区画に住んでいる私たちが、この地に置いてきてしまったもの。それを取りに来たのだ。

 家という箱が完成したため、そこへ入れる家財道具を持ち帰ることもできるし、残してきてしまった遺品や、保存食ですら運ぶことができる。それらを船に詰め込めるだけ詰め込み、あとは四包様の魔法に委ねる。



「これだけでいいの?」

『はい、希望はこれだけと聞いておりますので。』

「わかったよ。転移。」



 四包様が手を触れ、そう呟いただけで、山のようだったそれらが瞬時に消え去った。四包様に刃を向けられないもう一つの理由がこの力。圧倒的すぎる。静止している物体のみにしか及ばないらしいのだが、それでも超高度から落とすだけで兵器となる。

 本当に羨ましい力だ。荒事のために使うつもりは無いが、単純に技能として。私の魔法では、せいぜい視界内の物を引き寄せるだけ。それでも十分に有用ではあるのだけれど、四包様のもの程ではない。せめて、視界外のものまで取り寄せられたらと思う。



「さて、これで目的は果たしました。帰りたいところですが、もうすぐ夜が明けますね。」

『交代で番をしながら仮眠を取りましょう。』

「何かあったら私を起こしてくれたら、どうにかするよ。」

『随分と曖昧だな。頼りにしてるけどよ。』



 最初の番は私と海胴様。妹である四包様とは対称的に、表情が変わらないのでまったく心が読めない。偏見を抱くのは悪いことだと思ってはいるのだが、どうしても気味が悪く感じる。まさかそれを表に出すわけにもいかないが。



『海胴様、番であれば私一人で十分ですので、お眠りいただいても構いませんよ。』

「気にしないでください。日が出ている内に眠るのは慣れないだけですから。」



 やはりわからない。この人がいったい何を考えているのか。まさか、本当に眠くないから起きているという訳では無いだろう。

 初めの会議でもそうだった。言質さえ取れば勝ちだという私の思惑を読みきり、とんでもない要求をふっかけてきたかと思えば、なんだかんだでこうして平和に過ごさせて。

 普段の生活でもそうだ。以前は私に魔法の手ほどきをするよう四包様に働きかけていた。そして、彼自身は魔法を使えないながらも熱心に働いてばかり。

 よく考えれば、ただ悪い人ではないではないか。きちんと四包様と同じ血が流れている比較的優しい人だ。見た目に騙されて、警戒する必要は無かったのかもしれない。



『海胴様。』

「どうかしましたか?」

『あなた様と四包様は、どうしてこうも優しいのでしょうか?』

「と言いますと?」

『私や、元々敵だった者たちのために、こんな危険な旅を計画されるような、無謀な優しさです。どうしてこんなことが出来るのですか?』



 その秘訣が知りたい。私はお母様から、常に優しく、そして厳しくあるように言われてきた。この世界は甘くない以上、厳しさだって必要なはずなのだ。だというのに、どうして彼らは、優しさ一辺倒でも生きていけるのか。

 その理由を知り、願わくば、私もそう生きたい。怪物たちがいない、争いも起こらないあの国に移動して、もう厳しさの必要性は少なくなっている。それに従って私も、少しずつ優しさを磨きたい。

 今まで民を守るために、他の大切なものを切り捨てる非情な命令をいくつもしてきた。今更だが、それを改めたいのだ。



「これを優しさと言うのであれば、そうですね...あまり殊勝な、というより、参考になる理由ではありませんよ。」

『構いません。どうか教えてください。』

「四包がそれを望んでいるからです。そして、四包がそれを望む理由は、誰かがそれを望んでいるから。」



 それでは何か、海胴様は、彼女のために行動をしていると。それはまだわからないではない。人を愛するということは、その人のために全てを捧げることなのだと昔お母様も言っていた。

 しかし、肝心の四包様はどうか。誰かのために、自分が多少危険になろうと省みず、その人を助けたいと願う。まさかそんな考えが出来る人間がいるとは思わなかった。



「凄いでしょう、四包は。」

『はい。それではまるで、仁徳を体現したような人物ではありませんか。』

「その通りだと思います。それが四包で、そんな四包だからこそ僕は助けたいと思うんです。」

『しかし、そんな綺麗事がいつでも通用するとは思えません。』

「そうですね。そんなときに現実を教えるのも僕の役目です。ですが、四包は決してめげません。いつだって、誰かのために行動を起こします。」

『どうにもならない現実を知っていて、どうしてそんなことが出来るのですか。』

「それは僕にはわかりません。もし四包に聞いても「私がそうしたいと思うから。」という答えしか返ってこないでしょうね。良くも悪くも、感情に素直な人間なんです。」



 たしかに、これは参考になりそうにない。そんな感情を抱けることも、それを可能にしかねない能力も、出鱈目ではないか。いや、そんな美しい心を持つ彼女だからこそ、と言ったほうが正しいだろうか。



『巫女姫様、そろそろ交代の時間だ。』

『分かりました。海胴様、お話ありがとうございました。』

「いえいえ。また何でも言ってください。プリムさんとは仲良くなりたいですから。」



 そんな陳腐な発言でさえ、四包様の心を聞いた後では真実に聞こえてしまうのだから、つくづくあの少女は不思議だ。



『誰か起きているのですか?』



 そして私が船に入り、眠りにつこうとしたとき。か弱い声が私を呼んだ。その声のみに実体があるはずはないのに、誰かが助けを求めて手を伸ばしているような感覚が私の脳を打った。



「プリムさんっ?」

お読みいただきありがとうごさいます。

アドバイスなどいただけると幸いです。

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