172話 漁業
「そういうわけだ。」
天恵の開店時間直前。トレーニングを終えた稔に詰め寄られた僕は、今日サボっ...休んだことを問いただされ、口答えをしていた。
「何がそういうわけでござるか。そりゃあ悪い夢ではあったのでござろうが、夢見が悪くて鍛錬を休むなど、子どものようではござらぬか。」
「でもでも、お兄ちゃんの今朝の顔色はすっごく悪かったんだよ。」
「今は回復したがな。」
「むぅ、四包殿がそう言うのであれば...」
四包が味方についてくれたおかげで、とりあえずは稔も矛を収めた。不服そうな表情ではあるが。
「しかし四包殿、何か嬉しそうではござらぬか? 兄の体調を憂う声には聞こえなかったでござるが。」
「そんなことないよ? 今は落ち着いたけど、起きたときはびっくりしたもん。」
「そうだな。布団へ押し込められる程だった。」
「それ、あった、ですか。」
とは言ったが、四包の機嫌が良いのは本当だ。その理由はいまいちわからない。多分、何事か呟いていたあれが原因だろう。詳細は聞き取れなかったが、あのあと少しだけ微笑んでいたのだ。
「まあ良いでござるが。」
「ご主人様、今日、どうする、ますか?」
「今日は少し出かけます。漁業発展の可能性を探しにな。」
家を出て、路地を大通りへと抜けた。その時点で、もう目的地は目と鼻の先である。その目的地とは、最寄りの服屋、和泉だ。
「「いらっしゃいませ。」」
「「こんにちは。」」
美人姉妹の揃った礼に、負けじと僕達兄妹も声を揃えて挨拶を返した。実際には、僕達に血縁関係は無かったわけだが。
「海胴さんに四包さん。」
「どうなさったんですか?」
「少し、明日香さんに聞きたいことがありまして。」
「そうでしたか。」
「明日香さんなら奥にいます。どうぞ。」
僕は以前入ったことがある、和泉の裏側。完成品の服や、素材の布が所狭しと置かれている。日は明るいのに、どこか薄暗い。
「お、坊主じゃねーか。またまふらーでも作りに来たのか? 最近寒いからな。」
「違います。」
「寒くはあるけど、峠は越えたって感じだよね。」
「それもそうだな、嬢ちゃん。こんな時期から作っても遅いか。」
四包と明日香さんの間で、世間話が繰り広げられる。僕はどうも、こういう意味の無い会話を繋げるのが苦手だ。世間話もそこそこに、本題を切り出す。
「それで明日香さん、本題なんですが。」
「あー? 相変わらずせっかちだな。」
「そうだよお兄ちゃん。せかせかしすぎ。もうちょっと待っててよ。女の子はお喋りが好きなんだから。」
「「ねー。」」
無駄に揃った動きと言葉がむかつく。特に明日香さんは、見た目はともかくとして、そんな言動が似合う年齢ではないというのに。
「まあいいか。本題だったね坊主。いいよ。お姉さんになんでも聞いてみな。」
「ありがとうございます。明日香さん、漁業のやり方ってご存知ですか?」
「もう、こういうのは世間話から自然に繋げていくものなのに。」
ふくれっ面の四包。クラスでろくに会話もしたことのない人間にそんなことを求められても困る。どうやって気温から漁業に繋げろと。
「無茶言うなよ。もう二十年も前の、しかも親の技術なんて覚えてるわけねーだろ。」
「そうですか。すみません。」
「二十年前?」
「ああ、嬢ちゃんは初耳だったか。」
明日香さんに尋ねるとは四包に言っていたが、どうしてかについては、言及されても答えなかった。そう簡単に明かして良い過去でもないだろう。
「坊主。言いふらさなかったのは評価点だ。よかったな。」
「何の評価ですか。」
「人としてだな。ちなみに今の得点は三十五点だ。」
「やったねお兄ちゃん、赤点回避だよ。」
「嬉しくない。」
人として及第点というのはいかがなものか。そりゃあ落第点よりは何倍もマシだが。そこまで悪いことをしただろうか。
「嬢ちゃんは五十三万点な。」
「わーい。」
「ここでも出てくるのか。」
元ネタを知らないであろう明日香さんの口からそんな言葉が出るとは思っていなかった。
「話を戻すが、結果的に私は漁業なんざできない。他を当たってくれよ。」
「そっかー。しょうがないね。」
頼みの綱は見事にちぎれ、漁業についてはおじゃん。ということにはならなかった。なぜなら、まだ四包は諦めていないからだ。肉への執念、恐るべし。
「魔法の練習をしてた頃、プリムさんから、自給自足の話を聞いたんだ。海水からお塩を取る方法とか、野生の木の実はどんなのが食べられるとか。」
「ほう。」
「もしかしたら、魚釣りとかにも詳しいかも。魚釣りじゃなくても、効率の良い畜産とかさ。」
明日香さんに別れを告げ、花水木区画を目指し北へ歩く。まだ日は高く、凍えるほど寒いわけではない。
さて、プリムさんはたしかに自給自足には詳しいかもしれないが、畜産には無理がある。
湖があるとはいえ、この辺りは荒野なのだ。建国の際に森林が大幅に伐採されたものと聞いている。その環境破壊の影響で、今もこの辺りは自生する緑が少ない。
農業が出来ないというほどではないのだが、何十頭もの家畜を育てるには厳しいのだという。それに、効率も悪い。一頭の牛を育てるだけで、どれだけの水が要ることか。
「ほわぁ、復興早いね。」
そんな思考を巡らせていると、いつの間にか花水木区画に到着していた。明確な境界があるわけではないが、通り行く人の耳元を見ればわかる。
そして、そこは四包の言葉通り、既に何軒もの木造家屋が立ち並んでいた。以前来たときよりもその数は段違いに多くなっている。
「こくおーさま!」
そんな建物と畑が混在する道を、着物スタイルの四包と一緒に歩いていると、子どもっぽい甲高い声に呼び止められた。
「あっ、こくおーさま!」
「せんせー! こくおーさま!」
「しごと?」
その声に振り返ったときには、元気な子どもたちの集団が近づいてきていた。その手には紙と鉛筆が握られている。鉛筆といっても、彼らの持つそれらに統一された形は無く、木炭のような芯を直に持つか、その持ち手に紙切れを使うのみ。
「仕事ではありません。今日はプリムさんに逢いに来ました。」
『珍しいね。いっつも忙しそうなのに。』
『こらっ、ユー君。授業中はこっち使っちゃだめだって。』
『あ、そうだった。』
僕の自動翻訳に、ユー君と呼ばれた少年はつられてしまったようだ。隣の子に怒られて、しょぼくれている姿を見ると、少し申し訳ない気分になる。
「せんせー! ユー君、間違い!」
「そうだね。ユー君、次からは気をつけよう。」
「はーい。」
子どもたちから一足遅れてやってきたのは、良くいえば優しそう、悪く言えば気弱な雰囲気を持つ、先生だった。
「国王様。お久しぶりです。」
「お久しぶりです、満義さん。」
「あ、会議のときにいた人だ。」
彼の名は満義さん。戦後の会議に通訳として参加していた人で、今は花水木区画で教師をしている。
耕司さんとは昔から知り合いらしく、弱みを握られて仕事をさせられているとかいないとか。これは子どもたちから聞いた話なので、信憑性は半々といったところだが。
「今は生活の授業中ですか?」
「はい。植物の写生をしています。」
「せんせ! できた!」
「あーはいはい。ちょっと待ってね。」
幼い子どもたちは、僕と満義さんが話しているのをものともせず、先生に報告に来る。忙しそうなので、早々にプリムさんを見つけてお暇したいところだ。
「こくおーさま! おひめさま?」
「え? 私?」
『こくおーさまのお嫁さん?』
「私がお兄ちゃんの、お嫁さんっ?!」
「あっ、ユー君、また!」
「あ。」
ユー君は相当つられやすいらしい。そして、お姫様と指をさされた四包は、子どもたちにお似合いだなんだと持て囃されて照れている。そこは照れるのではなく否定したらどうだ。
「四包はお姫様ではありません。僕の妹です。」
「お姫様っていうのは、国王様の娘のことで、お嫁さんはお妃様って言うんだよ。」
「おきさきさま?」
「うん、そうだよ。」
柔らかい口調で子どもたちの相手をする四包。五十三万の数字は伊達ではないようだ。それは昔から僕が一番知っていることであるが。
「おきさきさま!」
「こくおーさまと、おきさきさま!」
「あ、いや、そうじゃなくて、私はお兄ちゃんの妹なの。」
『妹でお嫁さんなんでしょ?』
「ユー君!」
懲りないユー君は、また隣の子に叱られていた。そんなことより新事実だ。彼らの文化では、兄妹での結婚はアリらしい。
小さな子とは言っても、それは魔族的に見てなので、生きてきた年月的に、この世界の常識にはある程度精通しているはず。そんな彼らが言うのだからそうなのだろう。
「お兄ちゃんのお嫁さんかぁ。いいかも。」
「いいかもじゃない。満更でも無さそうな顔をするな。兄妹での結婚は法律で禁止されているんだ。」
「でもお兄ちゃん、ここは異世界だよ?」
「それはそうだが...と、そんな冗談は置いておいて、プリムさんを見つけたぞ。」
「むう、冗談じゃないのに。」
ちびっ子たちの誤解を解いてから、畑の向こう側に見えたプリムさんの元へ向かう。
「プリムさん、釣りってできる?」
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