165話 性別
「さて、そろそろ上がるか。」
お湯は入っているが、兄妹水入らずの入浴タイムを終えた。臭いもほとんど落ちている。少し残ってしまっているのは妥協するしかない。
「「「こんにちは。」」」
「うわっ、びっくりした。」
「噂の三頭の牡牛さんが依頼に来ているのでござる。」
そういえば、稔が会うのは始めてだったか。この間子供たちを前に、勇者勇斗の冒険を演じていた三人組だ。稔にもその話はしていた。
「どうしたんですか?」
「また劇するの?」
「公演をすることは決定しているんだけどね。」
「だけどまだ脚本が出来ていなくて。」
「遊びついでに何か無いか聞きに来たんだ。」
遊びついでと言われても、遊ぶ要素は無いと思うのだが。何か遊具があるわけでもない。それに、彼らの仕事は良いのだろうか。今は劇で収入を得る代わりに農業を営んでいるはずだが。
「お仕事は大丈夫なのでござるか?」
「ああ、大丈夫だよ。」
「農業と言ったって、四六時中畑にいないといけないわけじゃないんだ。」
「一日くらい休んだって罰は当たらないさ。」
彼らは教会とは違い、畜産には手を出していないらしい。家畜の世話は毎日しなければならないが、畑仕事は毎日でなくても良いのだという。
「それで、何か無いかい?」
「何かと言われましても。」
「この間みたいに、劇の助言でも良いんだ。」
「できれば直接台本に繋がるものが良いけどね。」
「難しいね。」
昔から色々な本を読んできた僕だが、演劇の脚本集のようなものには手を伸ばしていなかった。幕がどう、照明がどうなどと書いてあると、少しばかり興ざめだと思ってしまうのだ。
「何かを思いつこうとしても難しいと思います。世間話でもして、その間に何か出てくるのを待ちましょう。」
「そうでござるな。」
何かを捻り出そうとするから出てこないのだ。自然に出てくるのを待っていれば、そのうち出てくる。待ちというのが大切なのだ。
「そうだね。世間話でもしよう。」
「最近、国王としてはどうだい?」
「昔の税制度が復活したけど、学校の方は進んでいるのかい?」
一般の人達からすれば気になるらしい国王の仕事の話や、税の使われ方がどうなどの話を数時間に渡って行った。
国王の仕事の話などつまらないと思うのだが、依頼がどうのという話で世間の情勢を知ろうとしていたらしい。
「税はやっぱり学校の方で?」
「はい。そうなります。」
「建築が進んでいるのは見たけどね。やっぱり人件費がかかっているんだろうな。」
「そうだね。納められた税はもうすっからかんだよ。」
「建物が出来たら先生も必要だしね。」
終いには話の内容がループしたりもしたが、そんな時間があっても、良いネタは出なかった。というよりは、世間話に熱中してしまったのだ。
「結局、めぼしい話は見つからなかったね。楽しかったから良いんだけど。」
「何か舞台になりそうなものを見つけたら、また教えて欲しい。」
「はい。力になれずすみません。」
「本当に楽しかったから、気にしないでいいよ。それじゃあ、僕達は行くから。」
「うん。じゃあね。」
昔は物語を読み漁っていたという稔でも、劇の脚本となると、丁度良いものはなかなか見つからなかったようだ。斯く言う僕も似たようなものだが。僕の場合は、大抵長くなりすぎてしまうのだ。
「うーん、御伽噺とか良いんじゃないかと思うけどなぁ。」
「だが、子供たちにはありふれすぎてつまらないだろう。」
「そう、ですね。」
あの三人がやってきてから身を隠していたソルプさんが会話に混ざってきた。廊下で聞き耳を立てていたらしい。
「物語はあれど、人数の制限が大きいでござるな。」
「あー、それもそうだな。三人となると、一人二役としても六人分だ。」
「それでも、一度に出られるのは変わらず三人だもんね。」
登場人物がたった三人の話というのはなかなかない。桃太郎ですら、鬼が出てくる前からキャパオーバーなのだ。
「一寸法師なら出来なくはないけど、小さくならなきゃいけないしね。」
「やはり手ずから作るしかないのか。」
そういえば、あの三人が前にしていた劇の台本はオリジナルだったらしいので、どうにか出来そうではあるが、時間が掛かりすぎる。かといって、シンプルなものを引用してもつまらない。
「あっ、そうだ。ソルプちゃんなら、この国で馴染みの無い話でも知ってるんじゃない?」
「知る、ない、です。本、無い、ました。」
「本当でござるか?! 物語が無いなど、不幸にも程があるでござる! 人生を損しているでござるよ!」
「紙、少ない、でした。」
そもそも、ソルプさんのいた島では、植物で紙を作るという発想がなかったらしい。木は建材としてしか用いられておらず、布は衣服として。
「ではどのように文字を使ったんですか? この間花水木区画で見た看板に書いてあった文字は向こうの言葉でしたが。」
「石、書く、ました。」
チョークのようなものを使って、地面や黒っぽい石を黒板代わりに文字を書いていたという。文字という同類の文化でも、その発達方法はそれぞれということらしい。カルチャーショックだ。
「文化の違いを感じるね。」
「ああ。」
そんな会話があったものの、劇の台本の方は一向に案が出ないまま、稔は退社し、本日の活動は残すところ寝るのみとなった。
「おやすみー。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ、なさい。」
帰ってきてからというもの、四包はずっとソルプさんの部屋で彼女を抱き枕にして眠っている。四包のいない冷えたベッドに寂しさを感じつつ、これが元の生活だったと思い直して目を閉じた。
「お腹、大きくなってきたね。」
「ああ。」
連日連夜見せつけられる夢の中で、父親と母さんがゆったりと団欒していた。母さんが妊娠してから、順調に時は流れ、腹部には明らかにそれと分かる膨らみができている。
「クライス君、手を当ててみてよ。」
「...紬の体温を感じる。」
「あはは。そりゃそうかもしれないけど、他に何かないの?」
母さんは無事産休を取ることができ、代わりに父親が外へ働きに出ている。この日はたまたま休日だったらしい。
外での父親は、以前までの人見知りが嘘のようにハキハキと喋っている。本人の心境曰く、これが愛の力なのだという。
「あっ、今動いたぞ。」
「そうそれ。そういうの。やっとお決まりの台詞を言ってもらえたよ。」
まるで心臓の鼓動のように、小さく、それでいて強かな感覚が手のひらを打った。新たな生命を感じて、緊張と喜びが綯い交ぜになったような感情が胸をときめかせる。
「きっとパパが触ってくれて喜んでるんだよ。」
「そうだといいな。」
そんな他愛無い会話をしていると、ふと外から我が家のポストに投函される音が聞こえた。四包といい父親といい、桁外れの聴力である。
「少し見てくる。」
「ん? はーい。」
こんな奥地にある家までご苦労なことだと感謝を感じつつ、ポストに手を伸ばした。その中には一通の封筒。差出人は病院だ。
「この間の検査の結果かな?」
「わざわざ行かなくて済んでよかったな。」
「そうだね。ここからだと遠いし。」
リビングの椅子に腰掛け、手際良く封を切る母さんの後ろに回って検査の内容を共に見ようとする父親。
「あー、乙女の秘密を覗こうなんて、いけないクライス君だー。」
「変な冗談はいらない。」
「ちぇー、つれないなぁ。」
「早く見せてくれ。」
父親が子育て雑誌で読んだ情報だが、この時期の検査でようやく赤ん坊の性別が分かるらしい。特にこだわりがある訳では無いが、どちらか気になってしまうものだ。
「結果は...っと、あったよ。」
「どっちなんだ?」
そう、今の父親の心境には「どちらか」という選択肢しかない。母さんがさっきのようにふざけて隠すせいで、生まれてくる子どもが双子だと知らないのだ。
いつ、僕が感覚を共有しているこの顔の表情が、ワクワクから驚きに変わるかと思うと楽しくなってくる。
「女の子だって。」
「そうか。女の子か。」
「可愛い子になるといいな。」
「紬の娘だ。可愛いに決まっている。」
「もう、クライス君ったら。」
そんな言葉を吐きながらも、笑顔で父親の腕を軽く叩く母さん。
しかし、僕の心境はそれどころではなかった。母さんは言った。女の子なのだと。双子でも何でもなく、ただの女の子だと。
「絶対、幸せにしようね。」
「もちろんだ。」
母さんの太陽のような笑顔とは対照的に、僕の心には深い闇が差し込んでいた。
「どうなってるんだよ...」
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