161話 調理
「ご主人様ぁ!」
地獄の森林伐採合宿から、しばらくの休暇をいただいて四包と帰宅すると、ソルプさんが一目散に駆けて飛びついてきた。
「どうかしたの、ソルプちゃん?」
「助ける、ください。野菜、多い、すぎる、です。」
野菜が多すぎる。その言葉に心当たりは無い。四包の荷物は大して多くもなく、その中に野菜も入っていなければ、そもそも場所すら取らないだろう。
「詳しくお願いします。」
「見る、ください。」
そうして、ドアの向こう、ソルプさんの後ろを見ると、玄関ホールに所狭しと並んだ紙袋。それらすべての中に、少量だが野菜が入っているようだ。
「どうしたんですか、これ。」
『たくさん人が来て、言われていた分だと言って置いていかれました。』
「言われていた分? 頼んだ覚えは...」
「お兄ちゃんが話してた、税ってやつ?」
おそらくその通りだ。月に一度、普段の生活をして余った分の半分程を納めて欲しいと言ったのだが、まさか早速してもらえるとは。
最初のうちは戸惑って、だし渋るものかと思っていたのだが。やはり、全員から署名を集めていたからだろうか。もちろん、それだけ学校への期待が高いのもあるだろう。
「名前はとってありますか?」
「はい。あれ、です。」
ソルプさん用にできた、紙袋の間の小さな道の先に、千里さんから渡された紙束が置いてあった。手に取ってみると、名前の横に丸印がついている人といない人がいる。
「ありがとうございます。とても助かります。」
「みんな、勝手、やる、ました。」
自分は出したという証拠のために、自分で署名に丸をつけたのだという。とはいえ、それの不正が無いように見張ってくれていたソルプさんは、やはり有能だ。
「ご主人様、天使様、おかえり、なさい。」
「ただいま。」
「ただいま、ソルプちゃん。」
ふとソルプさんが、はっと思い出したようにお迎えの挨拶。礼儀正しいというか律儀というか。そのお辞儀は一見して旅館の女将のようである。
「四包を連れて帰ってきて正解だったな。」
「そうだね。私がいなかったら大変だよ。」
この野菜を給料として現場へ持っていくのに、徒歩というのはいつまでかかるか分からない。ただでさえ距離があるというのに、野菜の重さまで加わると、その苦労は計り知れないのだ。
「頼めるか、四包。」
「もちろんだよ。」
「現場の人数分で紙袋は固めておく。それに従って飛ばしてくれ。」
「はーい。」
この人数分に分けるという作業が、また面倒くさい。紙袋の一つ一つは、生活の余りで構成されている。それを一人分の給料として集めるには、どれだけ時間がかかることか。
「ただいまでござ...海胴。帰っていたでござるか。」
「ああ。仕事帰りに早速で悪いが、野菜を分けてくれるか。」
「了解でござる。」
稔も手伝って、どうにか選別が終わったときには、すでに日が傾いていた。不便にも程があるだろう。ここまで貨幣経済を羨んだことはない。
「はあ、終わった。」
「みんなお疲れ様。結構余ったね。」
余った分は、僕達の給料に回されるらしい。今までは耕司さんが北で蓄えた分を貰っていたが、それも底をつきかけていたので助かったそうだ。
「さて、昼を抜いてしまいましたし、晩は豪勢にしましょうか。」
「わーい!」
時間が時間なので、凝ったものは作れないが、その分量は増やしたいところだ。僕も空腹が極まっているのである。
「四包、教会で料理はしていたのか?」
「うん。まあね。」
「そうか。怪我は無かっただろうな?」
「子どもじゃないんだから。大丈夫だったよ。」
「なら、少し手伝ってもらおうか。」
量を増やすためには人手が必要だ。いつもはソルプさんが手伝ってくれているが、今日は三人での調理となる。稔は調理場には立たせない。
「豆腐を塩水に浸してくれ。」
「あ、今日は冷凍じゃないんだ。」
「冷凍の方も頼む。」
「やっぱり使うんだね。はいはーい。」
「ソルプさんは人参を食べやすい大きさに切ってください。」
「はい。」
その間に、僕は玉ねぎなど他の野菜を切ったり、枝豆のさやを取ったり。いつもより早く動く。人数が多い分、作業もはかどるのだ。
「四包、火を。」
「はーい。」
「ご主人様、私?」
「もう少し後で出番がありますから、少しだけ待っていてください。」
火にかけたフライパンに、解凍豆腐、人参、玉ねぎ、キノコを入れ、炒める。しんなりしてきたら、水と枝豆を投入。醤油を入れて味を整え、それから水溶き片栗粉を入れてとろみをつける。
「ソルプさん、豆腐に片栗粉をつけて焼いて貰えますか。なるべく形が崩れないように。」
「はい。」
四人分の豆腐となると、結構な消費量だが、豆腐に関しては、備蓄はたくさんある。というのも、小麦の裏作に大豆を育てている人が多いのだ。
「焼き上げた豆腐にあんをかけたら、完成だ。」
「おー!」
大皿へ上げた、こんがりと焼いた豆腐の上に、野菜たっぷりのとろとろあんを流して完成。
「餡掛け豆腐ステーキだ。召し上がれ。」
「「「いただきます!」」」
我先にと大皿に箸を伸ばし、小皿によそっていく。そのままではあんが落ちてしまうので、スプーンも追加。
「うん、美味しい!」
「美味しい、です。」
「さすがでござる。」
好評を博したその味はいかほどか。表面をカリッと焼かれた豆腐に、野菜の旨みが染み込んだあんがねっとりと絡みつく。キノコの歯ごたえや、少しだけ芯の残った人参の歯切れの良さが食事に楽しみを与えてくれる。
「んー、うまい。」
「お兄ちゃん、口にものを入れて喋っちゃだめだよ。」
「そうは言っても四包殿。この美味しさは一度口に出しておかないと済まないものでござるよ。」
「同じ、意見、です。」
そして熱々のそれを飲み込んだ瞬間、奥底から熱されるような、それでいて優しい温かさが体全体に染み渡った。
「改めて、うまいなこれは。」
「うん。会心の出来だね。」
出来たての熱さがあってこそのこの美味さだろう。料理をしていて本当に良かったと思える。
「「「ごちそうさまでした!」」」
お腹に貯まりにくい野菜だが、たくさん量を作ったので、お腹が張っている。食べ過ぎてしまったようだ。
「片付けくらいは私がやるよ。お兄ちゃんは座ってて。」
「私、一緒、やる、ます。」
「悪いな。」
「たまには食べ過ぎることだってあるよ。今日のは特にお兄ちゃんの好きな味だったもんね。」
香辛料をふんだんに使ったような味の濃い料理よりも、僕は塩や醤油といった素朴な味わいが好きなのだ。四包はそれをよく知っている。
懐かしい記憶だ。小学校の中学年か高学年くらいの頃の、初めての調理実習。課題は確か、野菜炒めだった。
「お兄ちゃん、あとで私の班のを味見してね。」
「おう。楽しみにしているよ。」
「あっと驚かせてあげるから!」
野菜炒め程度に、大して差は出ないと思うのだが、気合いが入っているのは良いことだ。ピンクのエプロンに赤いバンダナを巻いた四包は、まさに小学生という感じで可愛らしかった。
「えっと、これを先に炒めて...」
調理を進めていると、隣の班から、呟きが聞こえてきた。見ると、真剣な表情でフライパンとにらめっこをしている四包がいて、とても微笑ましくなる。
「ふうっ、やっとできた。」
調理実習には付き物の、やる気のない男子のせいで時間を食い、四包の班は最後に完成した。慌ただしくバンダナを取って、席につき、それを見計らった先生から「いただきます」の号令。
「高木さん、それ取ってもらえる?」
そして、味付けのソースが高木さんから受け渡されようとしたそのとき。少しだけ、高木さんが手を離すタイミングが早かったようで、ソースの入った小さなお皿は調理台にひっくり返った。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「いいよ。大丈夫。かかってないから。」
「わ、私のと、取り替えるから。」
「ほんとに大丈夫だって。気にしないで。ね?」
そうは言うものの、四包の表情は浮かなかった。チラチラとこちらを見るところから、きっと僕の味見のことを気にしているのだろう。
「四包。食べさせてくれるんだろう?」
「あ...うん。」
控えめに差し出されたお皿に箸を伸ばした。その妹の気合いの結晶は、少しだけ焦げ付いていたけれど、野菜の旨みがしっかりと出ていた。
「美味しいよ。」
「ほんと?」
「おう。このくらいの方が僕は好きだ。四包は料理上手だな。」
「えへへ。」
不安げだった顔が、途端に綻んだ。余程嬉しかったのか、自分でもその野菜炒めを頬張っている。その日は一日中、四包に笑顔が絶えなかった。
「お兄ちゃん、寝るならお部屋で寝なよ?」
「ん、ああ。大丈夫だ。ちゃんと起きている。」
「ほんと?」
「おう。ただぼーっとしていただけだ。」
トリップしていたのが戻ってくると、すぐそばに四包の顔があった。ソルプさんは先にお風呂に入っているらしい。それにしても。
「どうしたの、お兄ちゃん。何かついてる? 食べかすとか?」
「いや。ただ、四包がいる時間が懐かしく思えてな。」
「なにそれ。今までずっと一緒だったじゃん。」
たかだか数週間離れていただけでこんなことを思うようになるとは。年は取りたくないものだ。
「それよりさ、明日のことなんだけど。」
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