151話 憎怖
『助けて...お父さぁん。』
四包が来てくれたおかげで予定より早く終わった仕事の帰り。勢いよく屋敷の扉を開けた四包の胸、というより腹に突進してきた物体。それは、涙をボロボロと零すソルプさんだった。
「わわっ。どうしたのこの子。」
「留学生のソルプさんだ。僕がこの屋敷で面倒を見ている。」
アゴンさんや、彼女の父親と同じ黒い髪を震わせ、しゃくり上げながらものも言わず泣きじゃくるソルプさん。たった一人で留学に来る度胸のある子がこうなるなど、何があったのだろうか。
「よしよし。大丈夫大丈夫。良い子だから泣き止んでー。」
四包はその子を抱きしめ、泣き止むように背中を摩ったが、むしろそれは泣くのを助長させたようで、着物にシミが広がっていく。
「ほーら、大丈夫だよー。お姉さんが守ってあげるからねー。」
どこか夢の中の母さんを思わせるセリフに、一瞬体が堅くなる。だが、単純に考えて、母さんのあやし方を実践されてきた僕達にそれが遺伝するのは当然で、違和感が介在する余地などなかった。
「どうしたんですか、ソルプさん。ゆっくりでいいですから、話してみてください。」
「ううっ、ご主人様ぁ。」
「ご主人様?」
四包が僕に険しい目線をくれたが、稔の入れ知恵だと伝えると納得したようで、続けるよう促した。それに応えて、僕もソルプさんに意識を向ける。
『橘さんが、怖いです。』
「橘さんが?」
「どうして?」
たしかに、留学してきたソルプさんに対して友好的というわけではなかったが、無闇矢鱈と子どもを怖がらせるような人ではないはずだ。
『それが...』
「ごめんなさい。全部私が悪いんです。」
食堂側の廊下から現れた橘さんの声に、四包の服へ顔を埋めていたソルプさんはビクリと体を震わせた。このまま二人を同じ部屋にいさせては、いつまでもソルプさんの話が聞けないだろう。
「四包。」
「わかった。」
アイコンタクトだけで内容を伝え、僕はソルプさんの肩を抱きながら、二階の彼女の部屋まで連れていく。四包はそのまま、橘さんと玄関へ。
「落ち着いてください、ソルプさん。橘さんは来ませんから。」
『...はい。』
まだ鼻を啜りながらも、しゃっくりをするように喋ってくれた。今日、橘さんとの間に、一体何があったのかを。
「なるほど。それで怖くなって逃げ出したと。」
『はい。また、殺されるんじゃないかって。』
「また?」
彼女の口から漏れた不穏な単語に、思わず聞き返してしまった。『また殺される。』その言葉から連想されるのは、僕と同じく蘇生したかもしれないということ。もしそうなのであれば、言質をとりたい。
『あんな目、二度とされないと思ってたのに。』
「落ち着いて、まずは質問にだけ答えてください。ソルプさんは一度、死んだことはありますか?」
『え...? ありません、よ?』
僕の仮説は空振りに終わった。それどころか、キョトンとした顔をされてしまって恥ずかしい。そうそう蘇生者などいては困るので、悪いことではないのだが。
「では、『また』の意味を教えてください。」
『...はい。もう二ヶ月も前のことです。』
「戦争、ですか。でも、女性のあなたが召集されるわけは」
『ついて行って、しまったんです。』
「あの船に忍び込んで?」
『はい。お父さんが心配で。』
皮肉なものだ。子どもから愛されているが故に、愛する子どもを危険に晒す。忍び込むソルプさんもソルプさんだが。
『そこで、この国の人に、見つかって。』
「殺されそうになったと。でも助けられたんですよね。」
『はい。白い髪の天使様に。』
「それは...」
ソルプさんが、大人の男に囲まれて縮こまっている姿は容易に想像できた。今、ソルプさんの人となりを知った僕なら、すぐさま間に入るだろう。
僕でさえこれなのだ。四包などであれば、助けを求められた瞬間に止めに入るだろう。だからきっとその白い髪の天使様というのは。
「お兄ちゃん、こっちは話を聴き終わったけど、そっちは大丈夫?」
「ああ、ちょうど今」
『天使様...』
「え、私?」
自分を指さしながら、僕とソルプさんに交互に視線をやる四包。その腹の辺りには、まだ涙のシミが少しだけ残っている。僕は目で問われたその質問に、首肯で返した。
『天使様っ! 一度ならず二度までもっ!』
「ええ? どういうこと?」
「四包が戦場で助けた少女がこの、ソルプさんだ。」
僕と稔がアゴンさんと死闘を繰り広げた後、四包は僕達の元へ来た。たしかそのときに、女の子を助けていて遅くなったと言っていたはずだ。
『はい。覚えていらっしゃいませんか?』
「んぅ?」
『二ヶ月も前のことです。』
上手く思い出せないようなので、ソルプさんが、僕にしたように戦争の話を持ちかけた。対する四包は目をつぶり、時々頷きながら思い出している。
「あっ、あの子?」
「思い出したみたいだな。」
『あなた様とあの方にお礼を言うために、私はこの国へ留学に来たのです。』
お礼を言いたい人というのは、四包のことだったのか。しかし、命の恩人とはいえ、人に会うためだけに留学という一大事を決心するという行動力には舌を巻く。
そしてもう一人というのは、おそらく祐介さんだ。四包はあのとき、祐介さんに丸投げしたとも言っていた。
「そうですか。四包には言葉は伝わりますが、祐介さんには伝わらない。だから言葉を学んでいるんですね。」
『はい。その祐介様にお礼を申し上げるためにも。』
「なるほどね。でもお礼なんていいんだよ。助けを求めている子を助けるのは当たり前のことなんだから。」
四包は平気でそんなことを言ってしまうが、これがどれだけのことかわかっていない。
たった一人、見知らぬ少女を助けるために、大勢の男の前に立ちはだかることができる人間が何人いるだろうか。きっとそれは、四包に与えられた勇気という名の才能だ。
『私を助けてくれて、本当にありがとうございました。』
「いいんだってば。それよりも、お父さんにはちゃんと謝ったんだよね?」
『え?』
「勝手に忍び込んで、それで殺されかけて。もし本当に死んじゃったら、お父さんがどれだけ悲しむかわかってる?」
『それは...』
「だから、正直に話して、ちゃんと叱ってもらって。怖いかもしれないけど、二度と無茶しないようにするためだよ。そして、お父さんに心配をかけないため。」
『...はい。』
「決心がついた時でいいからさ。」
気づけば、ソルプさんの涙はすっかり引っ込んでいた。お説教に心を打たれたらしく、反省の様子も見て取れる。
「それよりお兄ちゃん、橘さんには帰ってもらったけど、いいよね?」
ソルプさんの様子に耐えきれなくなった四包が、強引に話を逸らし、僕へと視線を移す。
「辛い話をさせちゃったみたいだし、怒鳴ったことで自分を責めてるみたいだったから。」
「ああ。そんな心境のまま仕事なんて出来ないだろうからな。」
「それで、橘さんの話なんだけど。」
「私は、戦争で両親を失っています。」
「うん。...それで魔族が嫌いになったの?」
「嫌い、というよりも...何と言えば良いのでしょうか。」
目をつぶって、最適な言葉を熟考する橘さん。私はそれをただ待っているだけ。
「憎いとも、怖いとも、どちらもあるのです。この気持ちを表現することは難しいですね。」
「それで、ソルプちゃんが近づいたから?」
「はい。つい、怒鳴ってしまって...」
バツの悪そうな表情をする橘さん。このときだけは、それを隠そうともしなかった。
「ソルプさんは全く悪くないというのに、私は...」
「あんまり自分を責めないで。誰にだって乗り越えられない過去はあるよ。」
私がお母さんの死を乗り越えきっていないのと同じように。
「お店のことだってあるのに、立て続けに不安になったら尚更ね。」
「...気づいていましたか。駄目ですね。上手く隠せていたつもりだったのに。」
「観察眼はお兄ちゃんに鍛えられてるから。」
見られている当人は、他人を見るのがからっきしだけど。それでいてなおかつ鈍感だから困るよね。
「そうとも知らずにお兄ちゃんは何も考えずに。」
「いえ、彼なりにこの国の未来を考えての」
「それよりも、一緒に生活する橘さんを優先するべきでしょ。お兄ちゃんにはきつく言っておかないと。」
「...ふふ。羨ましいですね。互いに言いたいことが言える、仲の良い兄妹というのは。」
「そうかな? 橘さんにも...あ、ごめん。」
「構いませんよ。」
危うくデリカシーの無い発言をしちゃうところだった。お兄ちゃんと同じ扱いになっちゃうのだけは避けないと。
「よし。私はこれを伝えてくるよ。橘さんはどうする?」
「...今日は帰らせてもらいます。一人になりたくて。」
「わかった。伝えておくね。」
そして橘さんは屋敷を出ていった。一言だけ、独り言を呟いて。
「蜜柑。」
お読みいただきありがとうごさいます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




