143話 異動
「計画開始だ。」
橘さんが入社してからおよそ一週間。僕は人事異動を行った。四包だけだが。プリムさんの魔法訓練も終わったことだから、丁度良いところだったのだ。
「じゃあお兄ちゃん、またね。」
「ああ。」
「休みになったら帰ってくるから。絶対無理しちゃだめだよ。」
「わかっている。」
四包の異動先は、向日葵区画の西方。信頼の置ける万穂さんたちの教会を拠点に、国王として働いてもらうことになっている。
前々から効率が悪いと思っていたのだ。折角国王が二人いるのに、この広大な土地を固まって行動するというのは。
「四包こそ、教会で迷惑をかけるなよ。自分のことは自分でするんだ。そのための知識は教えたからな。」
「うん。もちろんだよ。」
当然、反発もあったが、効率化のことを言うと「仕方ないか。」という流れになった。本当は四包の自立を図るためだとは思っていまい。
「お疲れ様です、海胴さん。」
「お疲れ様です。あとただいま。橘さん。」
「おかえりでござる。」
「お水をどうぞ。」
「ありがとうございます。」
四包がいなくなると、料理やお風呂に困るのだが、料理に関しては橘さんが魔法を使えるということで代打を頼み、お風呂に関しては諦めている。稔が魔法を使えれば変わったのだが、僕も使えない以上文句は言えない。
「はい、できましたよ。」
「いただきます。」
「相変わらず美味しそうでござる。」
そして稔と橘さんと三人で晩の食卓を囲む。四包がいないと寂しくなるが、慣れていかなければいけない。
「橘さん、仕事の方はどうですか?」
「順調です。今のところは問題ありません。」
「橘殿の接客は評判でござるよ。胸を張って良いでござる。」
心配は必要なさそうだ。一人で起業し、過酷な状況でありながら、二十年も存続させるだけのことはある。
「では、私はこれで。」
「拙者もお暇するでござる。」
「はい。さようなら。」
晩御飯が終わると、各々自分の家へと帰っていく。するとすぐに、屋敷は静寂に包まれた。話し声は言うまでもなく、物音も無くて、ただ無音。
「屋敷、こんなに広かったっけか。」
僕の声がやけに響く。いつもなら四包がそばにいて、いつでも明るい笑顔を振りまいていた。僕はその贅沢に慣れすぎていたのかもしれない。
「寝よう。」
この静かさにも慣れなければいけないが、すぐにというわけにもいかない。今は目を背けるために、さっさと眠ってしまおう。四包がいないので、点灯消灯の自由が効かず、部屋の明かりはずっと消したままだ。それがまた寂しい。
「お兄ちゃん、おにいちゃーん!」
翌日。思ったよりも堪えていたのか、朝から四包の幻聴が聞こえる。今日は休みで、四包が来ると思った途端にこれだ。この依存性はまずいな。
「お兄ちゃん、朝だよ!」
「うああ。」
鳴り止まない幻聴に呻き声で応えた。もう少しだけ布団の中で惰眠を貪りたい。四包を忘れようと仕事に励み過ぎたせいで、早寝をしていても少し疲れが溜まっているのだ。
「むー、こうなったら、こうだ!」
昨日早く寝たおかげで、トレーニングまでの時間はあるはず。だから二度寝を決め込もうとしていたのだが。その布団が引き剥がされ、僕の体は外の寒い空気に晒された。
「なっ、何事だっ!」
「おはよう、お兄ちゃん。」
「四包?」
「そうだよ。お兄ちゃんの妹、四包だよ。」
「本当に?」
「うん。マジだよ。」
朝の弱い四包が、こんな時間に、この屋敷にいるというのは、さすがにおかしい。もしかするとこれは夢だろうか。二度寝の結果ということか。
「少し頬を抓ってくれないか?」
「え、なんで?」
「これは夢だろう? こんな時間に四包がいるなんて有り得ない。」
「そりゃあそうなんだけど...まあいっか、お兄ちゃんがそれで満足するなら。」
僕の右頬を親指と人差し指で挟む。滑らかな指の感触も妙にリアルだ。だがこの夢は終わる。抓られれば起きざるを得ないだろう。だが。
「いたたたたっ!」
「そりゃそうだよ。現実だもの。」
妙にリアリティのある夢だと思ったが、現実だったか。途中から薄々そんな気がしていた。父親の記憶ならともかく、僕が見る夢がこうも鮮やかなわけがない。
「どうしてこんな時間に?」
「お兄ちゃんに会いたいなーって思ったらびっくりするくらい早く起きちゃって、今ここにいるんだけど。」
「けど?」
「起きたの、ついさっきなんだよね。」
少し困惑を滲ませて、頬をカリカリと掻く四包。まったく意味が分からないが、ここで四包に尋ねても、同じく意味が分かっていないだろう。
「まあ、居るものは仕方ないな。」
「うん。割り切って。こういう世界みたいだから。」
大方、父親が使っていた自らを転移させる魔法でも使ったのだろう。今までできなかったことが出来たのは思いの丈故か。そう考えて、少しこそばゆくなった。
「万穂さんは心配しているんじゃないか?」
「あ、それなら昨日のうちに、早く出ることは言ってあるから大丈夫だよ。」
何にせよ、こんなにも早く四包と会えたことは僥倖だ。これでまた僕の生活に華が戻...いやいやいや、これは四包の自立のためにしていることだったはずだ。僕が音を上げるわけにはいかない。
「少し早いが、トレーニングに行くか。」
「えー、もう少し寝てようよ。」
「寝たいなら勝手に寝ておけ。」
「もう、意地悪だな。ついてくよ。」
僕の半歩後ろをついてくる四包。半身になって振り返ると、目が合った。にこやかに微笑みを返してくる姿が、とても手放し難く思えた。
「...この計画は、あまり僕の精神衛生上よろしくなかったみたいだな。」
「ん、何か言った?」
「いや。」
とはいえ、途中で投げ出して、すぐ帰ってこいというのは違うだろう。兄としてのプライドがそれを許さない。四包から声をかけてくれれば、やぶさかではないのだが。
「ほらほらお兄ちゃん、置いてくよ。」
「あ、おい。こけるなよ。」
赤いマフラーを翻して、少し思考していた僕を追い抜かす四包。その視線はずっと僕に合わせているので、前を向いていない。そうするとやはり。
「おわっと。」
「言わんこっちゃない。」
かかとでつまづいて、後ろ向きに転びかけた四包を支える。お約束であるこの行動だが、いい加減に学習すべきだ。
「何度同じことをしたら気が済むんだ。」
「てへへ。」
「折角作ったんだ。汚さないでくれよ。」
「うん。もちろん。一生大事にするから。」
「そこまでは言っていない。」
肩を支えた至近距離で見つめ合う。久々に会うと、より一層可愛らしく見えてしまうのは、もう病気かもしれない。
「お兄ちゃん、顔近いよ。」
「ああ、すまん。」
「全然、いいんだけどね。」
四包の頬が少し赤みがかって見えたのは、首に巻いているマフラーのせいだろうか。
着物にマフラーというのはおかしな組み合わせのように思えるが、ともあれ、白銀の髪に赤いマフラーというのは映えるものだ。やはり赤を選んで正解だった。
「な、なに?」
「ん?」
「私をじーっと見て。」
「マフラーが似合って良かったと思っていただけだ。」
「まあね。お兄ちゃんが選んでくれたものだから。」
四包はお洒落に関して、僕に全幅の信頼を置いている。昔から四包は大して身なりに興味を持たない子だった。だから雑誌を読んで研究し、四包の魅力を引き出せるよう僕がアシストしていた。そのため、四包のコーディネートは僕の言いなりなのだ。
「たまにはこうしてゆっくり歩くのもいいね。」
「そうだな。」
いつも、鍛錬へ向かう時間というのはランニングで過ごしていた。そうでもしなければ、今日のような早朝に起きることになる。
「こっちの世界って、なんだか空気が美味しいよね。」
「朝で空気が澄んでいるからな。日も登りきらないような時間なら、前の世界でも変わらない。」
「むっ、気分の問題だよ!」
「四包はそんな時間に起きたことがないだけだろう。」
「それはぁ! むぅ!」
むくれる四包。実際、こちらの世界の空気は良いのかもしれないが、それは田舎であった僕達の町も同じことだ。都会とは比べるべくもない。
「もういいもん! お兄ちゃんがこの一週間でどれだけ成長したか、きっちり見せてもらうから!」
「思いっきり話を逸らしたな。」
「うるさいなぁもぉ!」
ぷりぷりと怒って先へ進んでしまう四包。今度は振り返ってくれない。しかし、僕の成長を四包に見せるというのは良い機会だ。
いつもと変わらないたった一週間でも、みるみる上達していくのが分かるのだ。それを誰かに評価してもらえるというのは、実に気分が良い。
『よし、行くぞ!』
お読みいただきありがとうごさいます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




