139話 加蓮
「襲撃が、起こったの。」
今からざっと二十年前。北の海から大規模な魔法を使う人達が進軍してきた。当時も向日葵区画に住んでいた私たちは、本当は被害に遭わなくて済んだはずなのだけれど。
「本当に、行ってしまうのですか?」
「ああ。他の若いもんが戦ってるってのに、俺だけ逃げるわけにはいかない。」
大樹さんの職業は建築士。五十を過ぎてもその手腕は衰えることを知らず、いまだ現場で活躍していたわ。そして、そんな彼には弟子もついている。その弟子たちが戦いに出るというので、大樹さんも出撃しようとしていた。
「無茶は、しないでください。」
「わかってる。いってきます。」
「いってらっしゃいませ。」
心配で心配でたまらなかった。でも、無理に引き止めることはしなかった。夫の顔を立てるのが妻の役目だと、教えてられていたから。それを知ってか知らずか、大樹さんは笑顔で手を振った。
「どうか、どうかご無事で...!」
ただ祈ることしかできない自分が腹立たしかった。しかし、感情に任せて彼について行っても邪魔になるだけ。それどころか大樹さんは、私を守ることで手一杯になってしまう。
「大樹さんっ!」
襲撃が終わり、無事に残った向日葵区画へ、生存者が帰ってきた。出迎えの人垣の最前列にいた私は、必死で大樹さんの姿を探したわ。でも。
「そんな...」
ついに、生存者の列には姿が見えなかった。それどころか、お弟子さんの姿も無い。
生存者の家族は、目に喜びの涙を溜めて帰っていく。そして、去っていく人々に取り残された人達は、悲しみの涙を浮かべていた。
「もう少しだけ、待ちましょう。」
その中には当然、お弟子さんの家族もいる。私は親方の妻として、気丈に振る舞わなければならなかった。本当は泣きたいのをぐっと堪えて。
「必ず、帰って来てくださいますから。」
そう励ますのが辛かった。本当はそんな可能性が低いことなど分かりきっていたから。でも、夫の顔を立てるために、やらなければならないことだった。
「うっ、ううっ。」
その日の夕方になっても、彼らの姿は現れなかった。悲しみに暮れ、もう、諦めるしかないのかと思われたそのとき。
「ただいま、加蓮。」
「大樹さんっ...!」
お弟子さんに肩を担がれて、ゆっくりと歩いてくる大樹さん。その声は弱々しくて、でも私を立ち直らせるには容易かった。
思わず駆け出して、飛びついた。大樹さんは驚いて体を震わせたけれど、すぐに強く抱きしめ返してくれた。
「遅い...遅いですよぉ!」
「すまない。」
お弟子さんは傷を負いながらも、全員帰ってくることが出来ていた。あちらこちらで涙の再開が繰り広げられている。
「加蓮、言わなくてはならないことがある。」
「どうしたんですか? どこか痛むんですか? 手当が必要ですか?」
「もう、遅いんだ。」
「え? それってどういう...」
「目が、見えなくなった。」
衝撃だった。魔法による爆発で弾けた瓦礫が、運悪く目に直撃したのだという。
「ということは...」
「もう仕事は出来ない。」
「そんな!」
大樹さんは大工という仕事に誇りを持っていた。それこそ、私との時間と同じくらい大切にしていて、だからお弟子さんの教育にいつも頭を抱えていたわ。
「ごめんな。」
「どうして謝るんですか。」
大好きな仕事が出来なくなって、辛いのは貴方のはずなのに。私に謝る理由なんて無いのに。
「夢を、叶えてやれなくて。」
「...! あの時の...覚えて...?」
「当然だ。君との思い出は、いつもこの胸に。」
「そんな、そんなのっ。」
結婚式の前日の夜。同じ布団に並んだ私に、彼はそっと語りかけた。「君の夢は俺がきっと叶える。待っていてくれ。」と。
「馬鹿ですね。私は貴方が帰って来てくださっただけでもう」
「いいや。」
私が言い終わるよりも早く、大樹さんは否定する。その閉じた目から雫を垂らして。そのとき初めて見た。彼の涙を。
「君の夢を叶えると決めた。若かった俺に申し訳が立たないんだ。」
「...」
その表情は、今にも自分を殴ってしまいそうなほど悔しそうで。そんな感情的になる彼は初めてで、声もかけられなかったわ。
そうして気まずいまま、幾ばくかの月日が経ったその日。大樹さんは決意を込めた顔つきで、私にこう言った。
「話したいことがある。」
居間の机に向かい合うように座るよう勧められた。勧められるがままに座って待つと、大樹さんは手探りで、戸棚からある紙を取り出した。
「これを見てくれ。」
「これは...設計図?」
大きさも形も細やかに描かれた設計図。大樹さんが襲撃以前、仕事でいつも使っていた。
「これは加蓮の店の設計図なんだ。」
「でも、今は目が...」
「実は、襲撃より前には既に書いていたんだ。これを弟子に頼むことも出来た。」
心底悔しそうに、拳を握り締める大樹さん。
「だが、それでは意味が無かった。俺が君の夢を叶えてやりたかったんだ。醜い見栄だとはわかっていたんだが、どうしても、な。」
大樹さんはそんなにも、あの約束を大事にしてくれていた。それがたまらなく嬉しくて、でも心配だった。
「今からでも弟子に頼もうかと思う。」
「大樹さん...」
大樹さんは、本当はそんなことを望んでいない。だからこそ、襲撃のときには言い出さなかったのだから。
「嫌です。」
「加蓮、遠慮などは」
「遠慮ではありません。私は、貴方が作ってくださった店でしか働きたくありません。」
「加蓮...」
私の夢は、もう一人きりのものではないのだから。大樹さんと私、二人の夢。あの日から続く約束で結ばれた、どうしても叶えたい夢。
「それでも夢を叶えて下さるというのであれば、大樹さんが作ってください。私はいつまでも、待ち続けますから。」
「...ああ。任せてくれ。きっとどうにかしてみせる。」
決して根拠があったわけではないのだと思う。だけれど、やってのけてしまうような気がした。それくらいの気概が見えていたもの。
「加蓮、俺の目になってくれ。」
「はい。喜んで。」
それから何年もかけて少しずつ、私が今、ぬいぐるみを売っているこの店を作っていった。その日々と言ったら、結婚してからの数十年の中で、最も充実して、輝いていた。
そして、二人きりの竣工式。
「加蓮、先に逝って、待っているよ。」
「...ええ。またすぐに会いに行くわ。」
「ゆっくりでいい。せっかく作ったんだ。店を、頼む。」
「わかっているわ。任せてくださいな。」
「愛しているよ、加蓮。」
ボロボロに涙を流した私に微笑みかけて、大樹さんは二度と動かなくなった。
「私もよ。」
そして私は一人きりになった。
「そして今も、二人の夢を守り続けているのよ。」
悲しそうな微笑みを浮かべて、話を締めくくった加蓮さん。私は途中から、裁縫をやめて聞き入ってしまっていた。話が終わっても、少し視界が滲んでいる。
「ありがとうね、最後まで聞いてくれて。」
「こちらこそ、聞かせてくれてありがとう。」
決して楽しい話ではなかったけど、加蓮さんの思いが伝わる良い話だった。でも、やっぱり襲撃って悲惨だったんだなって実感させられたよ。
「加蓮さんはさ、あの人たちと同じ国で暮らすのは嫌?」
「あの人たちって言うと、元敵国の人たちね?」
「うん、そうだよ。」
「そうね。嬉しくはないわね。」
やっぱり。融和政策を取るってことで、色々手伝っちゃってるけど、元々この国に住んでいた人からしたら、嫌なんだよね。
「でも、かといって追い出したいというわけではないわ。」
「そうなの?」
「ええ。また戦争になったって、悲しむことになる人が増えるだけだもの。」
加蓮さんは優しい人だ。自分や自分の大切な人が受けた仕打ちを我慢してでも、他の人のことを思いやることができるんだから。
「それに、知っているかしら?」
「何を?」
「愛っていうのは、障害があるほど燃え上がるものなのよ。」
そう茶目っ気たっぷりに言い放ってから、恥ずかしくなったのか「あらこんな時間。」と呟いて片付けを始めた。結局作業はあんまり進まなかったけど、時間をやりくりしたらどうにか完成しそうだ。
「またいらっしゃい。待っているわ。」
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