123話 中庸
『我が国は今、危機的状態なのです。』
そう言って、彼女は国の話を始めた。
彼女たちが住む国は、この大陸からそう遠くない孤島の沿岸にある。規模は僕達がいる国全土の丁度一割程度。これは国土についてで、人口については、今のこの国の半分。おおよそ一万人か。人口密度はこの国より遥かに高い。
『そのため、食さえも危うい状態でございます。』
「海岸にしか住んでいないのであれば、開拓なり何なりできるでしょう。」
『それがよぉ、あの島と周りの海には化け物が大量に住んでいやがるんだ。あれがいなきゃ侵攻なんてしねえよ。』
「化け物?」
『たしか、この国の海岸でも見たな。焚き火にびびって逃げちまうような腑抜けだったが。』
あのスナガニに似たような怪物が大量に。それは絶望的な状況だ。
ちなみに夜の内は化け物も活動を停止するらしい。その間に出国してきたというが、眠っている化け物を起こす危険性を考えると、漁業もできないだろう。そんな場所、魔族と言えどいつ死ぬかわかったものではない。
「であれば、どのように生活を?」
『先祖より巫女姫の家系が使役していた竜によって、なんとか領地だけは守ってこられたのです。』
「それがこの戦争でやられて、と。」
通りで統治を望んでいたわけだ。国の存続には新しく守護者が必要となる。それを僕達にやらせようとしていたと。
「では、今この状態では? 誰も守る者がいないのでは?」
『島の住人だけでどうにか抵抗しております。しかし、犠牲者は増える一方で。』
「お兄ちゃんっ。もういいじゃない。守ってあげたらいいんでしょ?」
僕もそうしたいのは山々なのだが、それではこの国の人達が許さない。たくさんの人が亡くなっているのに、可哀想だから、で許してやるのはどう考えても不可能だ。
「そもそもどのように竜を手懐けていたんですか? 新しく使役する方法はありませんか?」
『先祖代々、巫女姫には竜を召喚する力があるのです。しかし、その竜は一匹限りと聞いております。再び召喚は出来ません。』
「試してみたの?」
『はい。』
「召喚、ですか? 操るのではなく?」
『そのどちらも可能です。召喚であれば、竜を目の前に呼び出します。』
竜を召喚する。これが魔法と同じ原理であるなら、竜をそのまま転移させたことになる。生物を対象とした魔法。夢の中以外で初めて見た。
おっと、感動している場合ではない。現状、この巫女姫さんはお飾りなわけで、竜はもう呼び出せない。
そのため、彼国はいずれ消滅する。
「打つ手無しですね。」
『俺たちがふっかけた戦争の結果だ。受け入れるしかねぇのはわかってる。同情を買ってるみてぇで、こんな話までする気は無かったんだがな。』
『どうかお助け下さい! もう我らに後はないのです!』
『巫女姫様よぉ、それは駄目だ。自分のケツは自分で拭かなきゃなんねぇ。わかるよな。』
悪い人たちではなさそうだ。交渉の場に身の上話を出して、情に訴えかけることが不誠実であるというのを弁えている。
「お兄ちゃん...」
四包はそれに乗せられて、不安そうな眼差しを僕に向けている。ここで彼国を切り捨てるような真似をすれば、四包はどう思うだろうか。信じていた僕に裏切られたと、そう思うだろうか。
心の奥底で僕が叫んだ。それは嫌だと。感情的になってはいけない。そうわかっているのに、四包に不信感を抱かせるのが怖くなった。それに僕自身、彼らを可哀想だと思ってしまった。
「どうしたらいいんだよ...」
国のために感情を捨てるのか、感情のために国の利益を捨て、僕が憎まれ続けるのか。どっちが善でどっちが悪か、僕にはわからない。
『周りを見ろ。』
ふと、そんな声が聞こえた。俯かせていた顔を上げるも、その声の主は見つからない。だが、その声に従ってみることにした。
ぐるりと周りを見る。心配そうな目を向ける四包。頭を下げたままの巫女姫さん。それを諌めるアゴンさん。いまいち場を理解していない稔。そして何事かと首を傾げる実務の人。
「あ...」
そうだ、何も僕一人で考える必要はない。人々と相談して、それで結果を出す。これが最善であるはずだ。
彼らの国についての内容を全て話す。そうすると考え込むような素振りをして、しばらく経った後、こう結論づけた。
「ではこの国の土地を使わせてやれば良いのでは?」
つまり、移民として受け入れようと。この国の土地の多くは瓦礫が散乱し、使われていない。その土地を使わせてやれば。そして、そこで得た収穫の何割かを納めさせれば。
しかし、これでは二つの国の間でいざこざが起きてしまうだろう。そう進言してみると、答えは簡単だった。
壁でも作ればいい、と。そうしたら、関わりすら持つこと無く、問題もないだろうと。
驚いた。少し客観的に見るだけで、こんな良案が出せるとは。やはり大人の知恵、経験は馬鹿にできない。
「これで議会に確認を取りましょう。結果が決まるまで、彼らには滞在してもらって。」
「わかりました。」
通訳として、来訪者の人達に話を告げる。思えば、僕は通訳としてこの交渉に参加していたはずだ。それが一人で考え込むなど、厚かましいにも程がある。だんだん恥ずかしくなってきた。
『本当ですかっ?!』
「まだどうなるかは分かりませんが、結果は追って伝えます。」
『いいのか? 俺たちの戦争の目的が達成されることになっちまうぜ?』
「それで利益が出るのであれば。」
この案が可決されれば、晴れてウィンウィンの関係になるわけだ。さすがに問題は出るだろうが、それは責任を持って僕達がなんとかすれば良い。
「では、今日は解散です。お疲れ様でした。」
交渉を終えて自宅に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。夕食もお風呂も終えて、ベッドに倒れ込んだ。
「はぁ、疲れた。」
「お疲れ様、お兄ちゃん。」
疲労困憊。こんな心労を社会人は連日受けているというのだから尊敬してしまう。
「良かったね、良い案が出て。」
「それも可決されればの話だがな。」
彼国を捨てる。または、四包を使って彼らの国を守るだけで、この国に利益を出さない。この二択しか頭に無かった僕は、本当に未熟なのだと痛感した。
いくら体だけ強くなっても、考えが及ばなければ役には立てないのだ。
「僕は馬鹿だよな。」
「そんなことないよ。」
「いいや、ただ記憶力が良いだけで、賢い訳じゃない。だから今日だって...」
「お兄ちゃんは馬鹿じゃない。私が保証する。」
大の字でベッドを占領する僕の頭を撫でてくれる。それだけのことなのに、不思議と自己嫌悪の感情が消え去った。
「お兄ちゃんは今日、ちゃんと相手のことを考えてたでしょ。自分のことだけじゃなくて。そうやって考えられるなら、もうちょっとだよ。もうちょっと間を取れたらいいだけ。」
「間を取る、か。」
「うん、そう。これからまた頑張ろうよ。」
自己中心的になるのでもなく、相手に傾倒するのでもなく、間を取る。中庸、という言葉が当てはまるだろうか。肝に銘じておこう。
「そうだな。ありがとう、四包。」
「どういたしまして。えへへっ。」
四包が入ることのできるよう、ベッドの端に寄る。そして、二人で手を繋いで眠った。
「ごほっ、ごほっ。」
夢の中で真っ先に襲ってきた感覚。苦しみ。寒いような暑いような独特の感覚に、喉の痛み、喉の奥からこみ上がる吐き気。ひどい風邪だった。
「クライス君、大丈夫?」
「だい、じょうぶ。」
どう考えても大丈夫ではなかった。これまでも数度吐いている。熱も一向に引く気配がない。
それでも父親が大丈夫だと言い切った理由は、母さんを学校に行かせるため。今日は大事な発表があるのだと、数日前から準備していたのを見ていたからだ。
「早く、行け。」
「何言ってるの。クライス君の方が大事に決まってるじゃない。行けないよ。」
「でも、ごほっ、ごほっ。」
言い返す体力も残っていなかった。そればかりか、何かを言おうとすれば喉がヒリヒリと焼けるような痛みを寄越す。
「大丈夫。私がついてるから。だからほら、お休み。」
「あ...」
頭を優しく撫でられた。その手の温もりが、父親に安心感を与え、眠りの世界へと誘っていく。
「おはよう。」
次に目を覚ました時にも、すぐ近くに母さんの顔があった。その手にはお盆。それに乗る器からは、白い湯気が見える。
「お粥作ってきたよ。食べられそう?」
頷きだけ返し、どうにか身を起こす。まだ頭はフラフラとするが、熱は少し下がったようだ。着用している寝間着は汗が染み込んで、ところどころ変色している。
「無理しないで。食べさせてあげるよ。」
スプーンを手に取り、お粥を掬い、息を吹いて冷ましてから、父親の口元へ持っていく。いわゆる「あーん」状態。父親はそれにちっとも臆さず口に含む。
「美味しい? 熱くない?」
コクリと頷くと、母さんは笑顔を浮かべ、次から次へとスプーンを差し出す。あっという間に器は空になった。
「汗かいてるね。着替えよっか。出来そう?」
頷きで返すも、ベッドから立ち上がってすぐに頭痛に襲われ、そのまましゃがみ込んでしまう。
「無理しちゃだめだよ。はい、ばんざーい。」
上半身をテキパキと脱がし、着替えさせることに成功した母さん。さて、問題はズボンだ。立ち上がることができない病人をどのように着替えさせるか、母さんはしばらく考えたあと、手を打った。
「クライス君、ベッドに手をついて、膝立ちになって。頭は下げてていいから。」
ベッドに上半身を預けた四つん這い状態と言ったところか。これなら頭痛は来ないし、片膝ずつ上げれば脱ぐことはできる。
「じゃ、じゃあいくよ。」
母さんはどこか緊張したような頼りない手つきで脱がし始める。ときどき「おぉ」と言うのは何なのだろうか。
「は、はい。できたよ。」
「あり、がと。」
着替え終えた父親はまたベッドに倒れ伏す。チラリと見えた母さんの顔は、真っ赤になっていた。風邪が移ったのかもしれない。
「手を繋いでてあげるから、ゆっくりお休み。」
ベッドの側の椅子に腰かけ、手を握って子守歌を歌う母さん。夢の中にいるのに眠ってしまいそうだ。
父親の意識が途切れるのと同時に、僕の意識は浮上していった。
「可愛い寝顔だな。」
お読みいただきありがとうございます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




