119話 内職
「これでいいのか?」
いつの間にか落ちていた夢の中。新しくなったリビングのテーブルを、母さんと共に囲んでいる。そこで何をしているのかというと。
「いいんじゃない? 十分綺麗だよ。」
「そうか。」
内職と呼ばれる仕事。今はチラシの折り込み作業をしている。というのも、父親が世話になってばかりでは悪いと就労を希望したからだ。
日本語を話せるようになって数年。未だにこの家の敷地から出る勇気は無く、こうして内職という形で働いている。
「もっとちゃんと働けたらいいのに。」
「仕方ないよ。たまに母国語出ちゃうし、その髪は目立つし。」
少し表情に陰りを見せる母さん。それほど父親のことが心配なのだろう。見た目における周囲との違いというのは、やはり差別を生む。
「すまない。」
「クライス君が謝ることじゃないよ。誰だって出生は選べないしね。ここに来たのだって望んで来たわけじゃないんでしょ?」
「ああ。」
既に、父親の過去については母さんと祖父には話してある。母さんは元の集落について調べようとしてくれたが、父親はそれを断ったらしい。
今戻っても、情報を手に入れても、悲しみが増すだけだから、と。それならここで前を向いて生きたほうが良い。それに。
「望んでいたわけではないが、来てよかった。」
「え?」
「ここは居心地が良い。」
それが帰りたくない理由。ここには優しくて面倒見が良い家族と、互いに切磋琢磨し合える素直じゃない家族がいる。二人とも父親のことを対等な人間と判断し、扱ってくれている。
「そう。それはよかったよ。」
母さんは嬉しそうに微笑む。
神の子として敬われていた父親には、その親しさがとても温かかった。
「ツムギ。」
「なぁに?」
「俺は一生ここにいたい。」
「ほへ?」
間抜けな声を上げてチラシを取る手を止めた母さん。その頬はみるみるうちに赤く染まっていく。その目は泳ぎっぱなしでソワソワしているのが丸わかりだ。
「そ、そんな、プロポーズだなんて。私、心の準備がぁ。」
「ぷろぽーず?」
「あ、えっとね、結婚してほしいって言うことだよ。キャー! 言わせないでよぉ!」
父親は日本語を喋ることができるようになったとはいえども、日常生活以外で使う言葉や外来語なんかはまだわからない。結婚という言葉なら、絵本で幾度か学んだようだ。
「え、あ、いや、そういうことじゃなくて。」
「結婚式はどうする? 和風? 洋風?」
頬に手を当ててくねくねと悶えている母さん。子供の目から見ると、少々気持ち悪い。これが四包なら笑って済ますところなのだが。
「でもうちの家計じゃ難しいかなぁ?」
「そ、そういうことじゃなくてっ!」
「わあっ! 大声出して、びっくりするじゃない。」
「話、聞いてくれないから。」
「あ、ごめんね。つい夢中になっちゃって。どうしたの?」
盛り上がっているところ申し訳ないとは思うのだが、勘違いは生むべきではないだろう。父親はそう思って、口を開いた。
「一生ここにいたいっていうのは、結婚じゃなくて。そういうのではなくて、戻りたくないってだけなんだ。」
「あ...そっか。そうだよね。あはは。すっごい勘違いだよ。」
少しだけ残念そうにしながら、笑顔を作る母さん。どうやら母さんは父親のことがこの時点で好きだったらしい。明確な理由などわからないし、知りたくもないが。
父親はこんなにわかりやすい態度を取られているのに、まだ気づいていないらしい。
「でも、ここにいたいのはツムギがいるからだ。ツムギがいるからここは居心地が良い。もちろん親父さんも。」
「クライス君...」
悲しそうな笑顔が、喜色満面の笑みに変わった。くねくねするのは気持ち悪いが、母さんには笑顔が似合う。それは娘である四包も同じこと。
「優しいね、クライス君は。」
ふんわりと微笑む母さん。途端、美しいという感情が父親の思考を支配した。
「俺はその笑顔が好きだ。」
「そう? ありがと。えへへ。」
「ああ。ずっと守ってやりたくなる。」
心からそう思っている。僕が四包の笑顔を守りたいと思うように、父親も母さんの笑顔を守りたいと思っているのだ。
待てよ、ゆくゆくは結婚する二人なのだから、この感情はきっと、恋...?
「...守ってくれてもいいんだよ?」
「何か言ったか?」
「ううん、なんにも。」
「おにいひゃぁん。おはよぉ。」
「おはよう、四包。珍しいな、僕より早いなんて。」
と言っても、今起きたばかりという様相で、まだ眠気が抜けきっていないようだが。
幸せそうな顔で欠伸をする四包。その頭を優しく撫でてやると、ふにゃりと笑う。この笑顔を守りたいと思うこの気持ちは、恋なのか?
「おにいちゃん? どうかした?」
「っ! いや、なんでもない。」
そう意識すると、少しだけ動悸が激しくなった。寝起きの体が温まっていくのを感じる。これはまずい。何かよく分からないがまずい。
「は、離れなさい、四包。」
「えー? いいじゃん。二人っきりなんだし甘えさせてくれてもー。」
「目が覚めたらまた恥ずかしくなるぞっ。」
「気にしない気にしなーい。そーれっ。」
がばりと起き上がって、僕の胸にダイブしようとする四包。一瞬受け止めてやるべきかとも思ったが、それは僕の現在の精神上よろしくない。
「くっ、こうなったら。シーツバリア!」
「にゃっ!? 見えないよー! たすけてー!」
素早くシーツを用意して、ダイブしてきたところを袋詰めにする。頭が働いていない四包は、これでしばらく動けまい。
「はっ、でもお兄ちゃんの匂いが。くんかくんか」
「止めなさい。」
シーツをひっペがして、ベッドから出る。結構なシワがついてしまった。不覚。
ベッドで髪を振り回しながらゴロゴロと転がっている四包を見て、思う。実の妹を一人の女として見るなどありえない。せいぜいペット感覚だ。
「んー、んー?」
「やっとお目覚めか。」
似ていないといえども双子。法律的にもありえない。
そのはずなのだが。どうしても、四包の無邪気な笑顔を見ると胸がときめいてしまう。意識すればするほど体温は上がり、一向に下がる気配がない。
「なあ、四包。明日から別々に寝ないか?」
「えっ、どうして?」
「いや、それはその。もうそんな年でもないだろう?」
誤魔化した。一緒に寝るとドキドキするから、なんて言えるわけが無い。
「...やだ。」
「え?」
「お兄ちゃんと一緒がいい。」
「我儘言うなよ。」
「お兄ちゃんと一緒じゃないと安心して眠れないの。またどこかに行っちゃうんじゃないかって...」
「どこにも行かないから。な?」
心配をかけたのは悪いと思う。だが、だからといって四包をいつまでも甘えさせる訳にも行かない。そう、これは四包の自立のためだ。
素晴らしい言い訳を思いついたと一人で内心ガッツポーズを決めていると、袖をひかれる感触。
「ねえお兄ちゃん...だめ?」
「ぐふっ。」
強烈な攻撃。少し頬を赤くして、涙目になりながらの上目遣いは反則だ。ただでさえ整った顔立ちが、より一層儚げで華奢で可憐に見える。これに勝てる人類はいないのではなかろうか。
「はぁ、仕方ないな。」
「やった!」
僕はとことん妹に甘いらしい。しかし、話を出した以上、現状維持に留まられるわけにはいかない。少しでも引き離そう。
「ただ、引っ付くのはだめだぞ。」
「えー。前はお兄ちゃんから引っ付いてきてたのに。」
「あれは夢のせいだ。」
恥ずかしいことを思い出した。早く忘れてしまいたい。兄としてあれは情けなかった。今更ではあるのだが。
「せめて手だけ! 手だけ繋がせて!」
「そんなに離れるのが嫌か?」
「うん。だってお兄ちゃん、また私の知らないうちにどこか行っちゃうかもしれないし。」
どうせ寝ていたら知らないうちに離しているのに。だが、心配をかけ続けることになるのなら、僕が折れるしかない。手だけというところまで譲歩させたのだし。
「分かった。手だけだぞ。」
「うん! ありがと!」
つくづく僕は四包に甘い。しかし、この笑顔が見られるなら、それでも良いかと思ってしまう。そいうところがやはり。
「甘いな。」
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