118話 多那
「しゃ、しゃべった?」
心底驚いたような表情で、多那ちゃんの肩を掴んだまま硬直する香那ちゃん。それは人間なのだから、喋りもするだろう。
「多那!」
遅れてその他の教会メンバーが追い付いてきた。香那ちゃんが一番乗りで発見し、飛びだしてきたらしい。
「香那? 何してるの?」
「あ、亜那姉ちゃん。い、今ね。多那が、ただいまって。」
「ほんと?! 多那、喋れるようになったの?!」
「ん。」
早那ちゃんが多那ちゃんに飛びついた。返答は相変わらず素っ気ないが、ドヤ顔をしているように見えなくもない。
いまいち状況が飲み込めないのだが、つまりあれか、多那ちゃんは今まで喋りたくても喋ることができなかったということか。
「万穂さん、多那ちゃんは...」
「拾ったときからずっと喋ったことが無かったんだよ。余程辛いことでもあったのかと思っていたけど、こうもあっさり。」
「よかったじゃん! 今日は夕飯を豪華にしよう!」
「狙いが透けて見えてますよ、浩介君。」
梓さんに頭を小突かれた浩介君に、笑いが起きる。その光景は平和そのもので、ついさっきまで泣きながら迷子を捜索していたとは思えない。
「お手柄だな、四包。」
「えっへん! ...てへへ。」
褒められて誇らしそうにした後、すぐに恥ずかしくなって照れる四包が間抜けで愛らしい。ついつい頭を撫でてやりたくなる。
「あんたたち、今夜は泊まっていくだろう?」
「え? あ、そうですね。お言葉に甘えて。」
しまった。なでなでに集中して話を聞いていなかった。四包の反応が良いから駄目なんだ。もっと撫でてやろう。
「海胴兄ちゃんと四包姉ちゃんがいちゃいちゃしてるー!」
「羨ましー。」
「そっ、そんなんじゃないよ! もうお兄ちゃん! 子供扱いはやめてよね!」
宗介君と亜那ちゃんに煽られて、顔を真っ赤にして僕の手を払い除ける四包。実際いちゃいちゃはしていたし、僕はその認識で構わないのだが。
「私は構うの!」
「心を読むな。」
「以心伝心って? 見せつけてくれるね。」
「万穂さんまで!」
頬を膨らませてご立腹。そういう子供っぽい仕草が、僕の庇護欲を掻き立てるのだが。
そうして賑やかに日は暮れ、戦争が終わってすぐとは思えないほどに愉快な夜を過ごした。
「びええええっ! びええええっ!」
泣いている。それが赤子というものだから。
「...うるせぇなぁ。」
親がいる。面倒だというのを隠しもせず。
「びええええっ!」
赤子はまだ泣く。親のうざったそうな視線を無視して。
「うるせぇ...うるせえ!」
親はおもむろに立ち上がり、赤子の首を絞めた。泣き声を出させないように。
「びええっ! ひっく。」
赤子は命の危険を悟ったのか、泣き止んだ。そして二度と泣くことも、笑うことも、話すことすら無くなった。
人が、怖くなった。
「多那ー! 多那ー!」
声が聞こえる。新しい家族から貰った、新しい名。けれど、なぜかその声の姿は見えない。私はひとりぼっちだった。
人の温かさを知った今の私は、孤独に耐えられなかった。でも、助けを求める声も、涙も出せなかった。
「お嬢ちゃん、迷子かい?」
「ん。」
誰かが話しかけてきた。嗄れた声。だけど、なんだか安心する声。その声に応えて、少しだけ声が出た。
「なら、少し儂の話を聞いてくれんか。」
「ん。」
この声ならずっと聞いていられる。ただただ長い話をたらたらと聞かされていたら、少しだけ不安も大人しくなった。
繋いだ手は温かく、まるで、大好きな今の家族のよう。
「多那ちゃーん!」
「お迎えが来たみたいじゃの。」
人というのは案外、良いものなのかもしれない。少なくとも、このおじいさんは。
だから、声を出した。優しくしてくれたおじいさん、私に人の温もりを再び教えてくれたおじいさんに。
「あり、がと。」
上手には言えなかった。だけど、気持ちは込めた。上手く話せるようになったら、また言おう。
「お姉ちゃん。顔。洗って。」
「きゃー! 多那にお願いされちゃったー!」
「亜那姉ちゃんいいなー。多那、私にも言って。」
「早那は放っておいて。多那、おいでー。」
「ん。」
朝。早くに起きて、日課のトレーニングが終わると、ちょうど子どもたちが起きてきたところだった。そして、多那ちゃんの声を巡って大騒ぎ。昨日の晩もこんな調子だった。
というのも、多那ちゃんの声は、小さいながらも綺麗なのだ。表情は相変わらずだが、それを補って余りあるほどに。
「それでお歌を歌ってくれたらなー。」
「無理。」
「そうですよ、浩介。喋り始めたばかりで歌は難しいです。成長を気長に待ちましょう。」
そんなこんなで、時間は掛かったが当初の目的である、全員の無事を確認することはできた。長居しても悪いし、その上仕事をしなければならないので、早々にお暇しよう。
「では、また。」
「またいつでも帰っておいで。」
「「「またねー!」」」
「...ばいばい。」
見送られて旅立つ。やはりこの教会はいつ来ても楽しい。そして、いつも稔が空気になる。帰る時まで存在を忘れていた。
「置いていかないで欲しいでござる!」
「ごめんね、稔君。わざとじゃないんだよ。」
「それはそれで傷つくのでござるよ...」
そんな帰り道は、教会の温かい雰囲気とは打って変わって、気候も雰囲気も寒々しい。いくら敵軍が態勢を立て直すのに時間がかかるとはいえ、こんな状態で戦うことができるのだろうか。
「屋敷まではもう半分だな。」
「早く帰ってお兄ちゃんのご飯が食べたいよぉ。」
「この飲み物では腹が膨れぬでござる。」
栄養面ではある程度稼ぐことが出来るのだとしても、やはりユーグレナドリンクは味気ない上に稔の言う通り空腹に効かない。
「文書が届いたぞ!」
ふと、休憩していた広場にそんな怒声が上がる。たちまち人々は、その情報をもたらした者に注目した。
「その内容はこうだ! 「話がしたい。明後日の正午、再びこの国を訪れる。そのとき、この国で最も強い人間と対話させろ。」とな。」
それを聞いた人々は、即座にざわめきだした。
この国で最も強い人間は誰か、国王だ。
国王は今回の襲撃で死んだ。
なら誰か。
名乗り出るような命知らずがいるものか。
そんな内容が飛び交う。そもそも前提がおかしいというのに。目の前の情報を鵜呑みにしてしまっている。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ん? どうしたんだ少年。」
「どうやって文書を解読したんですか?」
僕の声を聞いて、周りの人たち数人がハッとする。異世界人、騙され易すぎるだろう。それとも、情報化が進んだ現代社会の波が僕を疑り深くしたのか。
「二十年もあれば、文字の解読も進むってもんよ。手がかりが少ないってのが難点だがな。」
「それだけで正確な解読まで?」
「何でも、前王...今は前々王か。その人があっさり進めちまったらしい。それに従ったもんだから、間違っていても俺のせいじゃねえよ。」
なんという責任転嫁。間違っていると決まったわけではないが。
「そういうわけで、代表者たちが話し合っている。情報は以上だ。各々広めてくれよ。」
何はともあれ、通りすがりに良い情報を聞いた。特に関係があるとも思えないが、無知でいるよりよっぽど良い。
「最も強い...もしかして拙者でござるか?!」
「自惚れはやめてくれ。見苦しい。」
「辛辣っ!」
自信過剰はトラブルの元だ。特に子どもたちの間では。ナルシストがどうたら、というのは小学校の頃によく聞いたものだ。高校に入ってからはめっきり聞かなくなったが。
そうして帰宅した頃には、もう夕方。ここまでの街並みとは違い、屋敷の辺りまで来ると雰囲気が明るい。演説の効果はまだ続いているようだ。
一晩あけて帰ってきた街に、ほんの少しだけ懐かしさを覚えながらも、一応聞いた情報を流しておく。
そんなことをしていると、すぐに日は暮れた。ご飯を食べて、お風呂に入って、眠る。何ら変わりない生活。
「これでいいのか?」
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