117話 迷子
「「「多那ー!」」」
ようやく僕にも聞こえた。あの教会の四女を呼ぶ声。その主はやはり、教会のメンバーだろう。嫌な予感がしてならない。
「万穂さーんっ!」
「四包! 海胴と稔も。ちょうどよかった。多那を探しているんだけど、手伝ってくれるかい?」
「それはもちろん構いませんが、どうしたんですか?」
「教会まで戻る途中ではぐれてしまったのです。」
「一大事でござるな。」
戻る途中で、ということは、少なくとも戦争が終わった直後には一緒にいたということだ。戦いに巻き込まれたわけではなさそうなので、ただの迷子だと思って相違ないだろう。
「私がちゃんと手を繋いでいれば...」
「気にしなくていいんですよ、香那ちゃん。私の監督不行届でしたから。」
千代さんが慰めるように黄色い服の香那ちゃんの頭を撫でる。涙目だった香那ちゃんはそれで気を持ち直したようで、千代さんの手をギュッと握って涙を堪えている。
その光景が、どこか昔の四包と重なって見えて。
「あ...」
「四包姉ちゃん、どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ、亜那ちゃん。」
橙の服を着た亜那ちゃんの声に僕もハッとして見ると、たしかに四包はボーッとしていた。その表情には少しの焦りが見て取れる。
「四包、何かあったのか?」
「...後で話すよ。」
決まり悪そうに目線を逸らす四包。後で話すということは、切迫した用件でもないのだろうが、四包にとっては大事なことなのだろう。
「多那ー!」
「多那ちゃーん!」
僕達三人も混じって、迷子の青色を探す。街行く人が、振り返り、万穂さんに何事か尋ねている。こうやって捜査の網を拡げることも、呼びかけの目的のうちということか。
「多那は人見知りが激しいからね。人目につかないところも探しはしたんだけど...」
「それに無口な子ですから、自分から助けを求めることも出来ませんしねぇ。」
万穂さんと梓さんが頬に手を当てて悩む。もう粗方探し尽くしたといったところか。人見知りで無口、そんな女の子はどこへ向かうのだろう。
僕はある程度人見知りをするが、対応がよそよそしくなるくらいのものだ。無口というわけでもないし、性別からして違う。
「多那ー...!」
子どもたちにも疲れが見え始めた。それと同時に不安も出てきたようで、皆一様に顔を俯けている。
「お兄ちゃん、こっち。」
「え? あ、おい。」
自信ありげに僕の手を引く四包。目星がついたとでも言うのか。多那ちゃんがいそうな場所はおおよそ探してあると言っていたのに。
「もしかしたら、一緒かもしれない。」
「何が...?」
「私のときと、さ。」
思い出した。そうだ、四包は初めからこんな明るい性格ではなかった。どちらかと言うともっと人見知りで、人を怖がっていた気がする。それがこうなったのは、いつの頃だったか。
そう、確かあれは、四包が、今の多那ちゃんと同じくらいの歳だった頃。その日は、僕と母さんと四包の三人で街に出かけていた。
母さん、僕、四包の順で手を繋ぎ、横に並んでいたはずだ。四包は人とすれ違う度に握った手を震わせていた。そして僕は。
「お母さん! あれ! あれなぁに?」
「あれはね、本屋さんだよ。たくさん本が売ってあるの。」
「えー! 僕、ご本大好き! 行きたい行きたい!」
そう言って、両手に掴んだ手を引き離して、人混みをかき分けかき分け。お目当ての本屋に辿り着いた。
「こらこら! 迷子になるから、手を離しちゃだめ。」
「だってご本が! ご本がー!」
「ご本は逃げないから、ね。はい。おてて繋ごう。」
「はーい。ごめんなさーい。」
母さんに優しく叱られて、反省半分嬉しさ半分で手を繋ぎ直す。ふと、左手にあった感触が無くなっていることに気がついた。
「あれ? お母さん、四包は?」
「え...? 四包ともおてて離しちゃったの?」
「うん...ごめんなさい。」
「急いで探さないと。きっと泣いているわ。」
「おーい! 四包ー!」
雑踏の中に呼び掛けてみるも、反応はおろか、泣き声すら聞こえない。人混みに流されて、どこか狭い場所で蹲っている四包の姿が容易に想像できた。
「四包ー! どこへいったのー!」
「四包ー! お返事してー!」
母さんと二人、はぐれた書店前で必死に叫ぶ。何事かと出てきた本屋の店員さんや、道行く人にまで協力を仰ぎ、大切な妹の捜索を続けた。
しかし、そのまま見つかることはなく、時刻は夕暮れ。もうすぐ暗くなってしまうところ。手を離した罪悪感と焦りで押し潰されそうになっていた。
「四包ぉ。出てきてぇ。」
「あの、それらしき女の子を見かけたんですが。」
「ほんと?!」
協力してくれていたお兄さんから情報が入ってきた。書店からは少し離れた広場にいるらしい。人見知りが激しく、人混みが苦手な四包がどうしてわざわざ。そんな疑問を抱えつつ現場へ向かった。
「この女の子の親御さんはいらっしゃいませんかね。」
「四包っ!」
「お兄ちゃんっ!」
「おや、お迎えが来たみたいじゃの。」
四包は広場の真ん中で、まさしく好々爺という表現が相応しいご老人と手を繋いでいた。呼びかけると、涙目で駆け寄ってくる。
「ごめんなさい、四包。」
「いいよ。もうしないでね。」
「うん。絶対離さない。」
そうして抱き合うように再会を喜ぶ僕達を微笑みながら見つめているご老人に、母さんが感謝を述べた。
「四包の面倒を見て頂いて、ありがとうございます。」
「いいんじゃよ。困ったときはお互い様じゃ。それにこの子にも、爺の長話に付き合ってもらったしのぅ。」
ペコペコと頭を下げる母さんに、余裕を持った返しをするご老人。子どもだった僕の目には、その飄々とした態度が少しだけ格好良いものに映った。
「儂にもこのくらいの孫がおっての。泣いているこの子がどうしても気になって声を掛けたんじゃ。気にせんでくれ。」
そう言って、手をひらひらとさせて去っていくご老人。四包は、見返りを求めないその姿勢に心を打たれた様子だった。
「ありがとう! おじいちゃん!」
その日から、四包は明るく振る舞うようになった。人を怖がることなく、むしろ好み、積極的に関わっていくように。それも、困っている人には特にだ。
かの御仁の真似事だったのだろうが、それは次第に彼女の行動に染み付いていった。
「この子の親御さんはおりませんか?」
「あっ、多那ちゃん! やっぱり!」
回想に耽っていると、四包の考えた通り、多那ちゃんは広場にて発見された。その手の先には、またしても好々爺。これではまるで、過去をそのまま写し取ったかのようだ。
ただ一つ違うところと言えば、多那ちゃんが泣いていないところか。しかし、いつも通りの無表情ではあるのだが、どこか寂しげな雰囲気を出している。
「ありがとうございます。ちょうど探していたんです。」
「よかったねぇ。見つかって。ほら、帰んな。迎えに来てくれたよ。」
「ん。」
「多那ちゃん、お礼言わないと。ね?」
ご老人の手を離れ、新たに四包と手を繋いでから、またご老人に向き直る多那ちゃん。そういえば、彼女の声を聞くのは初めてかもしれない。
「あり、がと。」
蚊の鳴くような小ささではあるが、女の子らしく実に可愛い声だ。もっと話せばいいものを、と思うのは勝手か。
「どういたしまして。こちらこそ、長話に付き合ってくれてありがとねぇ。」
柔和な笑みを浮かべながら、手を振って去っていくご老人。この狭い国の中だ。また会うこともあるだろう。
前の世界で出会ったご老人とはもう会うことはない。もう一度あのときのお礼を言うことは叶わぬ願いとなったが、彼が元気で長生きできるよう、祈っておこう。
「戻りましょう。万穂さんたちも心配しています。」
「んっ。」
四包と手を繋ぎ、夕日に照らされた多那ちゃんの口角が少し上がった気がした。僕も表情を読み取るのが上手になったのかもしれない。
「多那ぁ! よかったぁ! ごめんねぇ!」
駆けてきた香那ちゃんに、多那ちゃんが抱きしめられた。余程心配だったのだろう、目尻に涙が溜まっている。
「ん。ただいま。」
そう多那ちゃんが呟いた瞬間。香那ちゃんが即座に抱きしめていた腕を解き、目をパチクリとさせた。
「しゃ、しゃべった?」
お読みいただきありがとうございます。
アドバイスなどいただけると幸いです。




