106話 国民
「これは、合図など必要無いでござるな。」
天地を揺るがす咆哮が国中に響き渡ったとき。四包は少し離れた場所に瓦礫を集めてスタンバイ。僕はというと。
「うえぇぇんっ!」
「よーしよし、大丈夫ですよ。」
子どもをあやしていた。
どうしてこんなことになっているのか。少しばかり説明が必要だろう。
「みなさん! 聞いてください!」
向日葵区画南部に広く分布している避難民。僕は彼らにそう呼びかけた。そして、注意を喚起する。まもなくドラゴン、もといあの怪物が迫ってくること。それを正確に迎え撃つためになるべく固まっていて欲しいこと。
そう。僕達の作戦は、3分間の足止めではなく、誘導。稔が上手くやって、ドラゴンを制御不可に追い込めば、奴の習性上、人間や動物が多くいる場所に集まる。
「わかったわ。早速、更なる避難を開始しましょう。」
よく信じてくれるなと思ったら、彼女は円さんだった。以前、彼女らの子ども、康樹君と裕樹君の面倒を見たことがある。メロンパンを作ったときだったか。
ドラゴンは今、向日葵区画の北部でこちらの軍の兵士が応戦しているところだ。あそこからここまで10キロは離れている。あの巨体では飛んできたとしても、3分以上はかかることだろう。そこで僕が到着予想を立て、四包が攻撃を開始する手はずだ。
「えっと、その、天恵の...」
「海胴です。」
誰だって忘れてしまうことぐらいある。それをとやかく言ってはいけない。それに、一度しか言っていない以上、覚えていなくて当然だ。当然なのだ。
「ごめんなさい、思い出せなくって。」
「気にしていませんよ。」
「えっと、その、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですって。」
「そうじゃなくて、傷です傷。血だらけじゃないですか。」
「あ。」
言われて見ればそうだった。ところどころ固まって動きにくい。しかし剥がしても痛いだけだろうし、気にしないでおこう。
「大丈夫ですよ。見た目ほど大したことはありません。」
「着替えてはどうですか。上だけですが、一着ありますよ。」
「では、お言葉に甘えて。」
血で濡れた服装というのは、見るだけで気が滅入る。人々の前に立つというのに、この格好というのは失敗だった。今更ではあるが。
「では少しずつ、南中央部へお願いします。」
そうして改めて避難を開始した。囮にするようで申し訳ないが、状況を打破するためにはこれしかないのだ。
しかし、自分たちが狙われることを悟ってか、円さんと一緒にいた裕樹君が泣き出してしまった。
「ほーらほら、大丈夫大丈夫。お兄ちゃんが守ってくれるからね。はい、歩くよー。」
「びええぇぇん!」
それで収まるかと思われたのだが。裕樹君が泣き声を上げたことにより、康樹君がもらい泣きしてしまい、そこから連鎖が始まってしまった。いたるところから少年少女の泣き声が聞こえる。それを宥める親御さんの声も。
「すいません、康樹をお願いできますか。」
「は、はい。」
幸い、まだ合図は来ていない。いくら稔といえど、あの怪我で複数人の兵を相手取るのは時間がかかるだろう。と、思っていたのだが。ここで冒頭に戻る。
突然の耳を劈く咆哮。それは明らかに、あの怪物がコントロール不可能な状態にあることを示していた。当然、子どもたちの泣き声も強くなるが、構っている余裕はもう無い。
「康樹君、君は男だ。男なら、怖がらずに弟を守ってあげられるよな。」
肩を掴み、目を合わせ、心へ届くように呼びかける。それを聞いた康樹君は、涙目ながらも強く頷き、彼の母に向かって走っていった。成功、でいいのだろうか。
「さて、あとは奴の動向だが...?」
目に小さく映っていたはずの怪物へ目を戻した。しかし、視界のどこにもその姿は見えない。見えるのは、奴の爪痕である砂埃だけ。
「どこに行っ...た?」
必死で右、左、もう一度右などと探しても見つからなかった。しかしそれは、ふと見上げた時、不意に視界に入った。
遠くの空に映る、黒い影。夕日に片側を染められている奴は、紛れもなく、かのドラゴン。ひとつ翼をはためかせた後、滑空の姿勢に入った。高度をつけてスピードを上げようという作戦か。見た目に反して賢いらしい。
「操作者がいなくなっても、理性はあるのか。」
しかし、それだけしても3分間はかかってしまうだろう。作戦に変化はない。そのはずだった。
「は?」
突如、奴が黒い丸に塗りつぶされるまでは。そして次の瞬間には、僕と稔が戦っていたあたりの上空へと移動していた。そこからここまでは直線距離にして3キロも無い。そして奴は重力による加速を手に入れているのだ。
「四包! 今すぐ魔法を!」
「うっ、うん!」
焦らずにはいられない。何が起こったはひとまず置いておくとして、これから奴が飛行してここへ来るのに3分はかからないだろう。あの巨体でも重力を味方に付けてしまえば、超高速での移動が可能になる。
「来るぞ! 逃げろ!」
「うわあああっ!」
「助けて! 誰かっ!」
口々に叫び、逃げ去っていく人々。それでも指示された方向へ逃げるあたり、まだ希望は持ってくれているらしい。
「まずいまずいまずいまずい。」
ドラゴンはどんどん加速して近づいてくる。迎え撃つか? 馬鹿を言うな。無理に決まっている。こちらは羽ばたき1つで吹き飛ばされるような矮小な存在だぞ。
ならばどうする。四包が魔法を短縮する方法は無い。練習すらしていない状態で転移させる高度を変えることは不可能だろう。なんでも、横と縦では感覚がまるで違うらしい。
「やるしか、ないのか。」
たとえ非力な存在であろうと、無いよりはマシだ。少しでも気を引くことが出来れば御の字。どうせこれが失敗してしまえば全て終わりなのだから、ダメ元でやってみるしかない。僕一人の命で他の全てが救えるのなら、悔いは無い。
「稔にはあんなことを言っておいて、僕は...」
嘘をついた。悔いなどあるに決まっている。稔だって四包だって、僕がいなくなれば悲しむはずだ。四包を一人にするのは僕も耐えられない。
「でも、やるしかない。やらなければ後悔するなら。奇跡なんかに縋っていられない。」
ここで逃げて奇跡を信じても無駄。ならば、挑戦するしかない。一世一代の大勝負。命をかけた挑戦が始まる。
恐怖で震える体を叱咤し、一歩ずつ前へ。
「待ちな。」
僕の背中に、聞き覚えの無い声がかけられた。野太い声は男性のもの。振り返って見ると、声の主は上半身に包帯を巻いた中年の人。その後ろにも、どこかしらに怪我を負った男性、比較的体の大きな女性など、多くの人が並んでいる。
「お前さんは下がってろ。」
「いや、でも。」
「そうよ。今まで頑張ってくれていたもの。あとは任せて。」
「若い者にばかり任せてはおれん。儂も戦うぞ。」
「この国を守るのは俺たち全員の役目だ。たった一人に背負われてたまるか。」
「...」
ああ、そうか。僕は、一人ではなかった。周りに目を向ければこんなに沢山の人がいて。みんな戦う意志を持っている。誰もが生きていて、どんな困難にも立ち向かう気概を持っているのだ。
僕は一人ではない。ただそれだけ、当たり前とも言えることなのに、なぜだか強くなった気分になれる。
「ほら、道を開けろ。」
「嫌です。」
振り返ったままの体を元に戻した。
まったく、母さんの言う通りだった。僕達の周りには、支えてくれる人が沢山いる。僕らはいつも一人じゃない。
「僕も、戦います。」
「よっしゃ、やるぞ!」
「この国は俺たちが守るんだ!」
今なら何だって倒せそうだ。ましてや、今は時間稼ぎだけで良い。
負ける気が、しない。
「「「おおぉぉぉぉぉー!」」」
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