103話 心配
「お兄ちゃんっ!」
四包の声が聞こえる。なんだか久しぶりな気がするな。これが走馬灯というものか。って待て、僕は死んでいないし、死ぬ予定もない。血塗れで、一見死んでいるように見えかねないが。
「お兄ちゃんっ! 起きてお兄ちゃんっ! 稔君もっ!」
至極心配そうな声で、そばに来た四包が叫ぶ。やっぱり本物だったか。来るよなぁ、四包なら。おかしいとは感じていたのだ。万穂さんが、僕だけ行かせて四包は足止め、なんてことをするとは思えない。僕がいては四包を行かせられないことがわかっていたのだろう。
「お兄ちゃんっ! 返事してよ!」
したくない。四包に心配をかけているのを承知で自らの命を危険に晒してきたのだ。怒られるなんてものでは済まないだろう。痛む体にさらに衝撃が加わればどうなるか、想像に難くない。
「お兄ちゃぁんっ! お願いだから目を覚ましてぇ...」
だんだん弱々しくなる四包の声。これは、泣いている? いかん。保身のために妹を泣かせてどうする。早く身を起こして、声をかけて安心させてやらねば。
そう考えたのだが、思うように体が動かせなくなっている。痛みがどうとかいう訳では無い。感覚は使い物にならなくなってしまっているが。さっきまで木刀を振り回していたのだから、疲労で動けないというわけでもないだろう。
「おにぃっ、ちゃぁんっ! ふえぇぇんっ!」
号泣している四包の声に耐えかねて、先に目を開けた。本当は血塗れの自分を見たくなかったのだが、仕方あるまい。怪我をしているところを見ると、余計に痛く感じてしまうのだがな。
見ると、僕の体に対し、机に突っ伏すかのような姿勢で四包が泣きついている。自分の体が僕の血で汚れることすら気にかけずに。感覚がないというのは異常なレベルかもしれない。これに気づかないのは深刻だ。
「四包。」
血が付いていて申し訳ないとは思いつつも、安心させてやれるように、できるだけ優しく、僕は四包の髪を撫でる。
すると、四包は僕の血と彼女の涙で汚れた顔を思い切り上げた。そしてまたさらに、堰を切ったように涙を流す。
「お兄ちゃんっ! よかったぁっ! よかったよぉ!」
「ごめんな。心配かけて。」
「うんっ。...うんっ。ほんとだよぉ。」
涙の中に安堵の笑顔を浮かべ、感覚が薄れている僕でさえ苦しくなるほど、キツく抱きしめてくれた。うっかり死んでしまうほど痛いが、これは愛。そして罰。隣人、ましてや家族に心配をかけた罪は重い。
「四包殿、拙者は?」
「あっ、稔君! おはよう!」
「扱いが雑でござるよ!」
「だって稔君が死ぬなんて思えないし。」
「拙者だって人間でござるよ!」
「何も人外だなんて言ってないだろ。」
そう焦らずとも、軽口を叩いているとはいえ、四包はちゃんと稔君も心配していた。兄である僕なら分かる。嘘じゃない。でなければ、四包は何としてでも僕を行かせてはくれなかったはずだ。
「海胴だけでなく、拙者も心配して欲しいでござるよぉ。」
「だってお兄ちゃん、この間までヒョロヒョロだったんだよ? そんな貧弱極まれりなお兄ちゃんが戦うなんて、心配に決まってるじゃない。」
「そっ、それは...」
言われてみれば、僕はつい1ヶ月ほど前までフライパンより重いものを持ったことがなかったのだ。それが今では、木刀を片手に戦闘まで出来るようになっている。これが稔流トレーニング。結果にコミットしなくては。
「にしても、よくここがわかったな。」
「まあね。これがお兄ちゃんレーダーの実力だよ。」
「レーダー? センサーじゃなかったか?」
「いいの! どっちでも!」
「そうかそうか。」
「...意地悪。」
抗議の目を向けてくるものの、四包の頬はたしかに綻んでいる。僕は不意に、この笑顔をなんとしても守らなければならないなと感じた。
「四包、どいてくれるか。起き上がれない。」
「無理しちゃだめ。そんな傷だらけで起きられるわけないじゃん。」
「そうでござるよ海胴。今は休むときでござる。」
「あれ、稔君。お兄ちゃんの呼び方変わった? 敬称略になってるけど。」
殿は敬称だったのか。言葉だけ聞けば敬称かと思えるが、てっきりキャラ付けのためにわざとしているのかと。
「海胴とは死線をくぐり抜けた仲でござる。そんな相手に敬称を付けたままでは、逆に失礼でござるよ。」
「そうだな、稔。」
「お兄ちゃんまで。」
戦友となった僕と稔の間にはもう壁などない。命を預け合えるほど信頼している。これほどの信頼をかつて家族以外に向けたことがあっただろうか。
「よかったね、お兄ちゃん。やっと友達が出来て。」
「止めてくれ。それだと僕が惨めに聞こえる。」
「違うの?」
「...違わない。違わないんだがなぁ。」
ぐおお。妹の純真な「違うの?」が心に突き刺さる。反論できないからこそ悲しい。
だって、必要があることしか話してこなかったし。暇があれば今日の献立について考えるような生き方をしてきたのだ。クラスメイトと話す話題など持っていない。今どきの学生が献立の話で盛り上がると思うか。
「これから作っていけばいいのでござる。」
「稔ぅ! 心の友よぉ!」
「拙者も海胴が初めての友達でござる故。」
「うわ、悲し。」
「言うな。」
コミュ力お化けの妹には口を出させない。ゲームすら無かった我が家で暮らしながら、いったいどうやって四包が会話を繋げているのか全くわからないのだが。
「あ、そうだ。」
「どうした、四包。」
「さっき敵の子が向日葵区間は危ないって言ってたの。」
「は? 敵の子?」
子どもの敵か。初めて聞いたが、敵は魔法の使用量的に魔族ではないかと思っていた。明日香さんの例から、子どもサイズの敵がいても不思議ではない。
「どうして話すことができたんだ?」
「迷子みたいだったから。普通に話しかけただけだよ。」
お兄ちゃんとしては妹の純粋さが心配です。そこが良いところではあるのだが、この物騒な世の中では不安で仕方がない。僕が守ってやらないとな。
「子どもとはいえ、敵に近づくのは感心しないな。」
「だってその子、何もしてないのに殺されそうになってたんだよ?!」
しかし、敵には子どもサイズの兵が居る可能性だってあるのだ。迂闊に近づいて、寝首をかかれでもしたら後悔では済まない。
「それでも敵は敵なんだ。それこそ危険だぞ。」
「だってその子、「助けてお父さん」って泣いてたし。」
「む? そんなはずは。敵の言語はこちらの言語とは異なるのでござるよ?」
しかし、僕にもあの大男の言っていることが分かった。四包も同様であるのだとすれば、四包はその子の命を救ったことになる。危険を冒すことは褒められたことではない。だが、命を救ったことは褒めて然るべき行為だ。
「そうか。四包、よくやったな。」
「あ...うん。えへへ。やっぱりお兄ちゃんなら信じてくれるよね。」
「そういえば海胴も奴と話していたでござるな。もしかすると、二人には特別な力があるのやも。」
そう言って目を輝かせる稔。怪我をしているというのに相変わらずだ。だが、言っていることもあながち間違いではないかもしれないな。
「しかし、危険というのは何を指すのでござるか?」
「さあ?」
「どうして最後まで聞いてこないんだ。」
「だって、お兄ちゃんが心配だったから...」
思わず抱きしめたくなってしまった。こんな兄思いの良い妹に育ってくれて嬉しい。
しかし、抱きしめることを実行に移すことはできなかった。なぜなら。ふと四包から逸らした目が、不吉なものを捉えたから。
「なんだ、あれ。」
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