(7)可愛そうな仔猫
人間寝て起きたら大抵の物事は気にならなくなるようで、その日の目覚めには昨日ほどの倦怠感は無かった。
やはり寝るという行為は最高のメンタルリフレッシュだ。
朝食もパン位かと思いきや、何とか鳥の卵を使ったベーコンエッグにスープ、果物まで付いてきた。
非常に旨く、しかもお代わり可。
この宿に泊まれて素直に良かったと思う。
まさしく、捨てる神あらば拾う神ありと満たされた気持ちのまま玄関へと続く通路を歩く。
ゴォン、と町中に響くような鐘の音が一度鳴った。
時報か何かだろうか。
朝食を終えたばかりで少々早いかも知れないが、今日はこのままギルドへ向かおう。
ふと、通路の中ほどで人形のように立っている小柄な少女に目がいった。
腰まで伸びる青い髪が非常に特徴的だが、今更ながらにこの世界の人は様々な色合いのヘアーカラーをしていたため、違和感など無い。
昨夜ヴィルダンスが付けていた物と同じデザインのエプロン。娘か孫か。まあ年齢的に孫だろう。
小さいのに朝から手伝いなんて偉いな、なんて思いつつ横を通り過ぎようとすると、いきなり服の裾を掴まれる。
「ぐぇっ――」
少女の取った予期せぬ行動に、羽織っていたマントが首に食い込む。一体何だと振り返ると、少女と目があった。
「えっと、何?」
思わず尋ねてしまう。
「出かける、の?」
「今日はギルドで体技測定とやらがあるからね。君はここに住んでる子?」
こくり、と少女は頷く。
「…………」
「…………」
そして、無言。困った、呼び止められた以上理由がありそうなのだが、俺には読心術の心得はない。
「あー、えー、なにか用でも?」
「お客さん。困っていること、ない?」
手伝いますよ、ということだろうか。その気持ちは嬉しいが、食事は済ませたしこれから出かけようとしていたので、用というほどのことは特には無い。
「…………」
めっちゃ見られている。これは、俺の言葉を待っているのだろうか。
仕方ないので、何でもいいから少女が求めるであろう何かをひねり出すことにする。
「──じゃ、じゃあ部屋の掃除でも頼んで良いかな」
「ん。任せ、て」
成功。少女は満足そうに頷くと、裾を握っていた手を離して小走りに俺の部屋へと向かっていった。
多分、何かやりたい年頃なんだろう。勝手な想像ではあるがそんな感じがした。
困る物でもないし好きにさせておこうとその姿を見送っていると、少女はおもむろに振り返って、
「いってらしゃ、い」
と、こちらにかろうじて聞こえる声で言った後、そのまま俺の部屋に入っていった。
「良い子だなぁ」
「――ええ、自慢の孫ですから」
「うおっ!」
今度は背後にじじい、もといヴィルダンスが立っていた。心臓に悪い。
「失礼いたしました。リズが嬉しそうにしておりましたので、お客様には悪いと思いながらも見守らせて頂きました」
「リズって……ああ、名前か。と言うか嬉しがってたんだ、あれ」
「ええ、それはもう良い笑顔でした。ところで拝聴させていただきましたが、本日はギルドにて体技測定があるとのことですが……それでしたら少々お時間が早いと思われますが」
聞けば、体技測定は現役守護者が担当するものなのだが、審査側の人数の関係もあってか基本的に昼過ぎから始まることが多いそうだ。
「まだ先ほどの一点鐘が鳴った所ですし、三点鐘まではごゆっくりしていてはいかがですかな?」
この世界には時計は無く、時間は町の中心にある鐘の音で判断するそうだ。
一点鐘は、朝日が上ってしばらくしてから一度。
三点鐘は日にもよるが大体昼過ぎに三度鳴るらしい。
夕方以降は鳴らない理由としては、生活によっては眠りの早い人もいるためである。つまり、一日に二度鳴る鐘がこの世界での大まかな時間の目安を知る方法だとか。
道具屋なども回ってみようかと考えていたのだが、体技測定と言うからには体力を使うのだろう。
なら、ヴィルダンスの言う通り休んでから向かった方が良いかもしれない。
「確かに急いで来いとは言われてないし……あ、でも部屋にはさっきの子が入っちゃたぞ」
「ご安心下さい。リズには、こちらから説明いたしますので」
「いや、いいよ。こっちこそ迷惑じゃなきゃ何かかやらせてあげてくれ」
「ご配慮に感謝いたします。では、あちらの広間にて休憩なされてはいかがですかな? 後でお紅茶などお持ちしますので」
座ることが出来るものならば何でも良かったのでその提案に頷くと、ヴィルダンスは会釈してその場を去った。
良い意味だけど、つくづく宿屋の主人っぽい風格の無い人だ。
どちらかと言えば仕える側って感じ。
「……前職はやっぱり執事だろうな」
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テレビは勿論、漫画も無いので広間にて寛ごうとするもすぐに手持ち無沙汰になってしまう。
こういうとき守護者なら武器の手入れでもするものだろうが、仕様上というか何というか、返り血の付かない相棒は黒い輝きをそのままに刃こぼれ一つ無い。
そもそも昨日が初めての戦闘だったのだから新品同然だった。
そんな中、紅茶と共にヴィルダンスが持ってきた魔道具を用いて今は暇をつぶしている。
割と真剣に。
「むぅ、また負けた。あんた引退したって嘘だろ」
「恐縮です」
ギジャ盤と呼ばれるそれは、この世界の娯楽の一つらしい。
使用する物は、マンホールのような円形のボードと、駒と呼ばれる小さな人形。
ボードは勿論持ち運びが可能なくらいに軽量だが、その表面にはびっしりと読めない文字が書き込まれている。魔導文字と言うんだとか。
遊び方は色々あるのだが、基本的には最初に駒を一つ手に持つ。そうして持ち主の魔力を覚えさせると準備完了。
後は、ボードの上に置くだけで駒が持ち主の分身となって相手の分身と戦うことや、ボードに作り出されたダンジョンなどの探索を行うことが出来る。
いわば、守護者の仮想実践を行うことが出来る遊技魔道具。
これの凄い所は、ただ単にボード上で駒が動くだけではなく、目を閉じ駒と精神感応することで実際に戦ったりダンジョンに潜ったりと言った擬似体験ができることである。
フィードバックなども無いため子供でも遊べる安全仕様。
現在、そのギジャ盤を使って元守護者だというヴィルダンスと模擬戦のような物をやっていたのだが情けないというべきかヴィルダンスがおかしいというべきか、十連敗目である。
驚嘆すべき部分は、この駒の分身は魔力を与えた人物の現在の強さとまったく同じという点。
つまり、もし本当に戦ったところで俺はヴィルダンスに手も足も出ないままボコボコにされるということの証明でもある。
単に経験量の差と言いたいが、本人の分身である駒の動きが老人のそれじゃない。
装備も投影するらしいので当てればチャンスのあるはずなのに、その一撃を当てられないままひたすらに黒星を重ね続けてしまった。
せめて一矢報いたい。
「もう一回頼む!」
「ええ、構いません――と、言いたいところですが失礼ながらもう三点鐘が鳴ってしまいました。そろそろ向かった方がよろしいかと思います」
チラリ、とヴィルダンスは窓の外を見やる。日は完全に昇りきっていた。
「げ、全然気が付かなかった」
どうやら思ったよりも熱中してしまっていたそうだ。まあ、完全にゲーム感覚でやっていたからな。
「手が空いている時であれば、いつでもお付き合い致しますので」
ヴィルダンスはにこやかに笑いボードを片付けていく。その所作は手早く、それでいて優雅に見える。
「付き合わせて悪かったな。まだ仕事が残っているんじゃないのか?」
「ここの経営自体も趣味でやっているようなものですので、お気になさらず」
「引退後の趣味が宿屋って、中々特殊だな」
「ゆったりとするのも老後の嗜みというやつです。では、いってらっしゃいませ」
そんな言葉で見送られて、宿を出た。
「もうちょっと戦略みたいなものも考えたほうが良さそうだな……」
次こそはまともに善戦してみせる、と小さく決意。
脳内で一人反省会を行いながら、ギルドへと足を向けた。
……や、せっかく異世界に来たと言うのに冒険活動をせずゲームに真剣になっているとか、そこんとこどうなの、って感じだが。
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ギルドに入ると、昼過ぎだからか守護者と思わしき人が何人か見受けられた。
受付まで歩いていく途中、全員が示し合わせたかのようにある一点を見つめていることに気づく。
何見てるんだ、と視線を追うと受付横のカウンターに見知った顔があった。
ギルガとメイリスの二人だ。
しばし観察してみると、皆ひそひそと何かを呟いていた。
怪訝に思いながら首をかしげていると、いつの間にかこちらを見ていたギルガと、ばっちり目があってしまった。
なんか手招きもしてる。嫌な予感。
直感的に逃げ出そうとするが、既に気づかれているので手遅れだ。
無視するのもあれなので諦めてギルガたちのところへ歩み寄ることにした。
「何かあったのか?」
「座ってくれ。それも説明したい」
昨日出会った同一人物とは思えないくらいに、ギルガの声は疲れていた。
左から俺、ギルガ、メイリスと三人並ぶ。
遠くから複数視線を感じつつも、周囲には誰も寄ってこない。
なにやら神妙な雰囲気であり、こちらから質問することが憚られたのでおとなしくギルガが口を開くのを待つ。
横目で見ると、メイリスは表情こそ見えないまでも、まるで泣いているかのように俯いたまま肩を震わせていた。
一体何だってんだよ、本当。
空気に耐えられなくなり、体技測定に来たことだけでも伝えようとセフィアの姿を探していると、おもむろに肩に手を置かれた。
何だよ、と見るとギルガはこっちに視線を合わさずに正面を見たまま、静かに言った。
「……例えばだ、マサヨシ。お前が町を歩いていて、捨てられ可愛そうな子猫がいたとするだろう。お前はそいつをどうする?」
「そうですね。強く生きろよ、と言って自分の用事をすませますいでででで! やめろ、お前の馬鹿力は洒落になってねえんだよっ!」
「捨て置けないよな。そんな可愛そうな子猫を見ちまったら」
「見捨てるっつってんだろうが、ぎぃあああぁぁっっっ! 今折れた! 絶対折れたって!」
「守護者やってりゃこれくらいは日常茶飯事だ、気にするな」
日本語がおかしい。気にしないといけないのは俺じゃなくてギルガの方だ。
「そういうわけで、マサヨシ、頼んだ」
「人の話を聞けよ!」
「昨日の話なんだがな、俺とメイリスはとある宿に泊まった。そして、俺が目を話していた隙にメイリスが別の守護者と一悶着あったらしくてな。まあ、それで泊まっていた宿を半壊させた挙句守護者に重症を負わせちまったんだ」
「あの、ギルガ……そろそろ何か食べてもいいでしょうか。もう、限界なんですけれども」
もうどこに突っ込んだらいいのか分からない。
この男は真顔で何を言ってるんだとか。
俺を痛める必要性がどこにあるのかだとか。
今気がついたが別にメイリスは泣いてなどいなく、単に空腹に耐えていただけだとか。
「俺さ、今日は体技測定のためにここに来たんだよ。経緯はどうあれ宿を追い出されたのはまあ……それなりに同情するけど、手を出したのは素直にメイリスが悪い。別の宿を探せばいいじゃねえか」
「代わりの宿は何とでもできる。お前に頼みたいのは、こいつとパーティを組んでやってくれってことだ」
「はい?」
どうしてそうなる。
「宿を壊した部分に関しては謝罪と弁償金を払って、出入り禁止になることで話をつけた。だが、ぶっ飛ばした相手が面倒なことで貴族だったらしく、素行不良が問題視されてこの馬鹿は今朝付けでギルドから短期間、単独での依頼受注謹慎処分を受けちまったんだ」
はぁ、と深いため息をつくギルガだが、思っていたよりも軽い罰のように思える。
この世界の時代構成は明確ではないが、仮にも貴族といえる存在に手を、あまつさえ重症を負わせるとか普通なら死罪とかになってもおかしくないのではないか。
短期間がどの程度を表すのかは知らないが、その間依頼を受けられなくなる位の処分なら甘んじて受けるべきだ。
要するに、お偉いさんに大怪我させて宿泊施設を破壊したら国家機関から自粛しろって命令を下されたんだろ。
ぐうの音も出ないほどの正論どころか温情じゃねえか。従えよ。
「いや、普通に考えて意図的に誰かに怪我をさせてしまったって言うなら、その罰は受けるべきだろ。ちなみにこれ、ギルガにも言っているからな?」
「あん? 俺はお前を傷つけるつもりなんかまったく無いぞ?」
不思議そうにこっちを見るギルガ。その頭、取り替えてもらえ。
「お前と話すと疲れる……で、なんだ。つまり一人で依頼を受けられないから俺と一緒にパーティを組んで依頼を受けさせてやって欲しいと、そう言いたいのか?」
「そう言いたいんだな、実際」
「お断りだ!」
確かに俺は、武器のせいで必然的にパーティ編成を余儀なくされている。
だからと言って、誰でもいいと言うわけではない。
スキンシップのように暴力を振るってくる男の知り合いであり、貴族をぶっ飛ばしてギルドから処分を受けつつも平然と空腹を気にするような少女と、何が悲しくてパーティを組まなきゃならんのか。
どうせならもう少し常識的な守護者とパーティを組む。
ギルガには守護者になるための推薦をして貰った恩があるが、死活問題となるなら話は別だ。
「俺だって生活があるんだよ。非常識な奴と一緒に依頼を受けるなんてリスキーなことはしたくないね」
流石に言い過ぎたか、とメイリスに目を向けたが。メイリスはカウンターに突っ伏したまま、
「丸焼き……から揚げ……蒸し焼き……」
と、うわ言を繰り返していた。やっぱこいつに気を使うとか無いわ。
「前にも言ったけど、メイリスの実力はお前の想像以上だぞ?」
「強けりゃいいってもんじゃねーよ。モラルの問題だ。それなりに大それたことをやったっつー本人に反省の色が見えていないって事実が、既に不安なんだよ。具体的に言えばパーティを組んだ後とやらでだ」
「……それについては、俺にも問題があるからな」
珍しいことに、ギルガは悄然とした面持ちで呟いた。
おい前触れもなくそういう表情になるのはやめろ。俺が悪いみたいじゃないか。
「そもそも俺がこの町に来た理由は、メイリスを自立させるつもりだったんだがな。こいつは来て早々依頼に関して制限を掛けられる羽目になっちまった。こうなりゃ、俺はお前に任せるしかない」
「うん、最後がおかしいね。というかな、俺達だって昨日初めて出会った所だぞ。お互いのことも良く知らないのでなんでその結論に辿り着くんだよ。おい、いいのか、お前知らない男とパーティを組めと言われているぞ」
「構いませんよ。私はどうせ依頼が受けられませんし、誰と組みたいとかいう願望もありませんから」
微妙に上から目線な発言は地なのか? そうじゃなければ引っ叩きたいんだが。
……つーか埒が明かねえ。ギルガは引き下がりそうにないし、メイリスはまるで他人事だ。
もう無理難題でも突きつけて断るしかねえか。
「よし、絶対服従するって言うなら一緒に依頼を受けてもいいぞ。俺の言うことは何でも聞くことが条件だ――」
「決まりだな。メイリス、マサヨシが一緒にパーティを組んでくれるそうだぞ。こいつの言うことは何でも聞けよ」
「分かりました。それでは、これからよろしくお願いしますね」
即断っ?
オーケー、言葉のすれ違いってやつだな。俺には今メイリスが『分かった』って言った気がしたんだが、流石に幻聴だろう。そうだと言ってくれ。
「冗談じゃないんだぞ? 本気だぞ? 何でもするって言ったんだぞ?」
思っていたのと違う展開に、なぜかこっちが取り乱す羽目になる。
「面倒くせえやつだな、お互いに納得してるんだからもう話は終わったじゃねえか」
「終わってない。始まってもねえ。頼むから俺と会話をしよう!」
「じゃあどうすりゃ納得するって言うんだ?」
納得するの前提かよ。
最初から仄めかすまでもなく断っているはずなんだが。
意地でも押し通そうとするギルガの発言に、だんだんと心が折れかかってきた。
結局その後も話は永遠とループし、先に根負けした俺が処分期間が過ぎるまでと言う約束の下、メイリスとパーティを組むことを承諾することで解放された。
教訓。ギルガには言葉が通用しない。