(52)店の名は魚心
土地自体が浮かんでいるとはいえ、王都は全体的になだらかな地面上にある街だ。フィル=ファガナにいたときは高低差が一番の理由で低層地区以外はほとんど足を踏み入れることもなかったが、これならば見て回るのも悪くないのかも知れない――と、そんなことを考えながら一つの宿へと入り込む。
王都での滞在期間が分からないのでいくつかある宿のうち、比較的宿泊代が安いところだ。
そうしてイーファを部屋のベッドに寝かせて安静にしているよう伝えた後、メイリス二人で宿を出てまずは大通りへと足を向けた。
坂道がないとはいえ王都は広く距離的な問題はある。
思っていたよりも時間がかかり、なんとかギルドにたどり着いた俺たちはシロアの事は伏せたまま、ティナリアもしくは魔導調査局の担当者と対談したいこと受付嬢に伝えたのだが――
「申し訳ありませんが、魔導調査局は個人での面会を受け付けておりません。またティナリア=ユークス魔導調査局長は多忙のため本日中の対応は不可能となっております。城内魔導調査局を通して連絡通知は行いましたので、ご足労を掛けますがまた日を改めてお越し下さいませ」
俺達に返ってきたのは形式的で慇懃無礼な返答だった。
ある意味正しい役所仕事で……そこをなんとか出来ないものかと問いつめたものの、『この場での対応できかねます』の一点張り。
結局ティナリア本人や調査局関係者と直接交渉できない状態もあり、やむを得ずギルドを後にした。
大通りを歩き続け、ギルドにたどり着くまでかかったのは王都時間で三十分――つまり俺やエッジの世界で言うところの一時間――ほどでだというのに、受付嬢に問い合わせてギルドを出るまでわずか数分の出来事である。
塩対応もそうだが、ギルド側の返答があまりに早すぎることに疑問を覚え、
「――まさかとは思うけど、俺たちが来ることを予想されたってわけじゃないよな?」
「可能性はありますね。色々と気になる部分も多かったですし」
だよな、と肩を落とす。
そもそも、王都に送った連絡が帰ってこない時点で疑心暗鬼の芽は育ちかけていた。
真実かどうかは知らないが、俺たちとの接触を拒絶するような様は根回しされていたものだと見て正解だとも思う。
それが、魔導調査局そのものかティナリア個人によるものかは分からないが……。
受付嬢は話しかけた瞬間こそ普通だったが、目的を伝え俺の名前を告げた瞬間様子が変わった。
淡々として機械的。まるで手順通りの言葉を喋っているだけ――かのような。
「しかし、こうなると毎日通い続けるしかなさそうだぞ」
「現状はそれしかないでしょうね。あの対応を見れば望み薄ではありますが」
「まいったなぁ……」
メイリスの感は良く当たるし、二人して同意見であることからグレー通り越してほぼ黒いんだが、どのみち仲介役であるギルドの窓口で何度騒いだところで、印象を悪くするだけだろう。
収穫としては、魔導調査局は王城内部にあるという事実を知れたことぐらいだが――コネもないし、難易度も含めてアポ無し突撃はさらに勝算が薄い。
それでも駄目もとで直接城に向かうことを選択肢に入れつつ、これからどうしたものかと頭を悩ませていると、
「あー、見つけたっすよー!」
聞き覚えのある大声。そして、大通りを颯爽と駆けてくるヴァールが目に入った。
メイリスほどでは無いものの中々のスピードで、数十秒も経たぬうちに俺たちの目の前までやってきたヴァールはいつの間に着ている鎧が変わっていた。
先ほどの全身装備の重鎧ではなく上半身を最低限守る程度の軽装。それでいて、腰にはそれぞれ長さの違う三本もの剣を帯刀している。
「旦那に聞いたら多分ギルドにいるって聞いたんで、途中で見失わないようにさっと着替えてから走ってきました! なんすか、依頼でも受けに来たんですか?」
旦那とはエッジの事だろう。少しだけ息を切らしつつもヴァールは軽快にそう聞いてきた。
「ええと、依頼じゃないけどちょっとギルドに用がありまして……ヴァールさんでしたっけ?」
「ヴァールでいっす! 旦那の知り合いにさん付けされるとか、恐れ多いっす! もっと気兼ねなく話してもらって結構ですんで――あ、それよりギルドに用があったんすよね。先に済ませて貰って大丈夫っすよ!」
「いや、もう終わったんで大丈夫なんだけど」
ヴァールの中でのエッジはよほど慕われているのだろう。付き添い程度の俺たちにもこの扱いだ。
結構な距離を走ってきたみたいだがヴァールには元気が有り余っているようで、息切れもせず矢継ぎ早にまくし立てる。
口癖なのか、現代社会だと誤解を生みかねない砕けた後輩口調を連発してくるが、軽佻さは目立たず不思議と嫌な気はしない。人懐っこい振る舞いといい、見ていて元気を貰えるような明るさのヴァールに対して好意すら覚える
「何かご用ですか?」
「あ、先ほどはご迷惑をおかけしたっす! もう少しで大怪我させてしまうところで……本当に申し訳ありませんでした!」
メイリスの問いかけに反応し、謝罪のために深いお辞儀をするヴァール。
頭を下げる前のその表情には悲壮感が漂っていて、自分のミスに対しての後悔がにじみ出ていた。
無関係な場所にいた俺すら誠意を感じさせる姿勢に、悪気があってやったことではないのだと理解させられる。
「いえ、ですからその件はもう気にせずとも……まさか、それを言うためだけにここまで?」
「それもあるんですけど……これを」
言うやいなや、ヴァールが取り出したのは三つの――なにこれ?
てるてる坊主の様な形で、布で作られた小さな頭部らしき部分には太極図のようなマークが描かれている。引っかけるヒモがついているのだが、王都のマスコット人形かなにかだろうか。
「入国証の形代っす。本来、入国通行税と引き替えに渡す物だったんすけど、その、恥ずかしながらさっきは頭が真っ白になってしまって……」
あんな事があり、ヴァール本人も動揺してしまっていたのだろう。致し方ない事だ。
そうして俺たちは手渡された形代を受け取り――って、入国通行税? 払ってないぞ?
ひょっとするとこれは、不法入国という奴では?
「ははっ、心配せずとも旦那から貰ってるんで大丈夫っすよ。もう一人の子がいないみたいっすけど、後で渡しておいてあげてくださいね」
慌てて全員分のロギンを払おうとしたが、ヴァールは問題ないと手を振る。
エッジという男、どこまでも行動がイケメンである。あまりにも申し訳ないのでこれはフィール=ファガナに戻った返すとしよう。
形代は見える場所にと言われたためズボンのベルトにぶら下げる形で身につけて、イーファの分は腰袋にしまい込む。宿に戻ったときに渡しておこう。
「後は、時間があれば軽く王都を案内してやれって言われてるんですけど、良かったら一緒に飯でもどうすか?」
「そうだな……それはありがたいけど、ヴァールは勤務中じゃないのか?」
「俺、今日はもう待機番なんで気にしないでください。緊急の呼び出しがない限り問題ないっす」
「マサヨシ、ここは厚意に甘えてはいかがでしょう」
「甘えるのは良いが、イーファはどうするんだよ」
「少なくとも今のイーファに食事は難しいと思いますし、何かあれば宿に用意して貰うように言付けているので大丈夫でしょう」
「……いつの間に」
イーファには少し悪い気もするが、腹が減ってきているのも事実。一度落ち着く意味も込めて、ここはヴァールの誘いに乗ることにした。
「少し変わった所にありますけど馴染みがあるんですよ。安いし、味も自信を持って紹介できるっす!」
ぐっと親指を立てて笑顔になるヴァール。サムズアップってこの世界にもあるんだな。
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ヴァールが良く利用する店は王都の一番奥の場所にあるとのこと。今は王国の中央部分ということから徒歩で行くと時間が少し遠い距離であり、ギルド入り口のすぐ傍にある転移床を使用することとなった。
円形二メートルほどの石畳で、地面には俺にも読めない魔法文字的な何かが綴られている。
これは王都内にいくつかある場所へと瞬間移動が出来る代物で、ありがたいことに誰でも無料で利用できるらしい。
全ての転移床は出入り口兼用となっているが、仮に向こう側から誰かが使用している間は侵入できないような設定になっているので事故対策は万全。魔力も必要としない親切設計だ。
「指定――外壁街道、旧市街地前。転移床起動」
ヴァールの言葉と共に俺たちは光に包み込まれ……移動した先は路地が入り組んだ旧市街とやらで、大通りの賑わいとは反面して静けさが目立つ場所。
ひっそりと佇む石造りの建造物を横目に迷うことなく進んでいくヴァールの背中を追っていくと、巨大な鉄柵が現れた。
鉄柵の向こう側には同じく町並みが広がっているのだが……なにやら気配が違うように思える。
「ヴァール。先ほど特区と言ってましたが、ここが?」
「そっす。そんな身構えなくても、日の出ている間は大したことないっすよ」
メイリスにそう返すと、慣れた様子で鉄柵をくぐっていくヴァール。慌ててその後をついて行くが、入り口に立っていた中年男性の目つきがやたらこちらに突き刺さる。
何も言ってこないようだが、歓迎されているとは言い難い感じがした。
「特区って何だ?」
「旧市街地の一部にある隔離区域の事です。王国の法律が適用されない場所だとか」
為政者の目が届かない治外法権的な場所ってことね。
スラム街などと少し違うのは、特区とは王都から隔離されているだけの区域を指す言葉で意味合い的にはに歓楽街に近い。
立ち並ぶ店も体良く良くいえば土地を間借りする形で、王都の政策に頼らず自活を行いたい人たちが営みを行っているそうな。
入り口から少し先にある広場まで歩きながら周囲を見渡すが、建物自体も経年劣化こそ見られるもののむしろ趣を感じるし全体的に異臭もなく水路の水も良質だ。少なくとも衛生管理に関しては問題点は無いといっても良い。
ただ、アンダーグランドなのは間違いなく売っている物も盗品だとか曰く付きだとか、ようするに表向きに出せない商品が並んでいるようだ。
そのへんも引っくるめて、店を利用するのも交渉するのも自己責任ってことだけはよく分かった。
「一応人殺しや過度の暴力なんかは禁止されてますから、言われてるほど危険な場所でも無いんですけどね。色町なんかもここにしかありませんし、ここだけの話俺以外の騎士団もけっこう利用してますよ」
ヴァールは平然とそう語った。
「色町?」
「女の子と夜ごと床遊びする店っす。フィル=ファガナには無いんすか、そういうの?」
「ヴァール……お前すげえよ」
無知ゆえに聞くメイリスもメイリスだが、ヴァールの返しには脱帽だよ。
想像するに、どう考えても遊郭的なそういう店なんだろうけど……仮にも女の子であるメイリスに躊躇いなく即答できるヴァールは中々ぶっ飛んでいる。
ひょっとしてこの世界では、性関連の話題など抵抗無く受け入れられるとでもいうのか。そんな馬鹿な。
「床遊び……よく分かりませんね。それはどういった需要がある店なんですか?」
「主に独り身の男性が良く利用しているっすね。店によって違うんですけど、大体一時間五万ロギンくらいが相場で二回まで――」
「ヴァールそこまでだ。メイリスも、今度教えてやるからそれ以上はやめてくれ」
単純に、ヴァールとしては聞かれたから答えているだけなのかも知れない――が、極度の天然っぷりも触れるべきではない話題というもんがあるのではなかろうか。特区だからとか関係なく。
「?」
メイリスはよく分からないような表情をするが、俺の言葉に応じてくれたのかそこまで興味が無かったのか、それ以上は何も聞いてこなかった。
ヴァールのあまりにオープンすぎる性格に頭を悩ませながら歩き続けると、
「ここっす!」
広場にある飲食店の一つ。店前に置かれた立て看板の横には大きめの水槽があり、中には魚以外のイカやタコ、エビと思わしき生物が泳いでいる……体色は俺の知るものとは少し違うようだが。
ともあれ、ヴァールに連れられ店に入り店員に案内されたカウンター席に三人で座る。
店内は和風の作りになっていて、壁には本日のオススメと銘打った横に手描きイラスト付きの紙が張られていた。
「今日の日替わりは切り身定食っすか。んじゃ、それ三人前頼むっす。マサヨシさん、メイリスさん、ここは俺が出しますんで!」
「いやいや、流石に悪いよ。自分の分は自分で出す」
エッジに出会ってからというもの、金銭関係で何かと人の世話になりっぱなしだ。
ヴァールの申し出はありがたい話ではあるが、これでも一応十万ロギン程は持ち歩いている。
今までちょこちょこ稼いだロギンも便利な守護者腕輪の中に収納していることだし、王都の物価相場は知らぬとはいえ金欠になるということも考えにくい。
一つだけ難点を上げるのならば、魔魂札と違い腕輪に収納したロギンはギルドでなければ引き落とせないということだが……それを考慮しても宿と飯代くらいは余裕で払えるはずだ。
「薄給の身とはいえ、この店は安いから遠慮しないで下さい。一人で食べるものなんですし、さっきの件とは別に付き合っていただいたお礼って事で」
「マサヨシ、奢ってくれるというのだからいいじゃないですか」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えていただくよ」
「うっす。任せて下さい」
どん、と胸を叩くヴァール。
その隣でメイリスが俺を軽く突いてきて、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「……そんなことよりも、マサヨシ。さきほど入り口にあった水の中にモンスターがいましたが、あれは一体?」
「モンスター……ああ、俺の知る情報と相違がなければ一応食べ物だと思う」
その言葉に、メイリスは両目を見開いた。
「……あれを、ですか……確かにここは飲食店のようですが、冗談ですよね?」
「おっ、マサヨシさんは知っているんですね」
「ああ。頭に多分がつくけれども」
「なるほど。んで、メイリスさん初めてっすか。大丈夫っす。見た目はああだけどクセになりますよ」
「食べる前に、見たことが無い生き物ですよ……やはりモンスターでは」
フィル=ファガナの近隣には海も湖もなく、メイリスは魚を口にしたことが無いと言っていたし……やはり水生生物は未知の領域なのだろう。
あるいは鑑賞用という可能性もあったが、注文を聞いた目の前の店主らしき人物は悠々と外に足を運び、タモ網の様な物で水槽からイカとエビを取り出して戻ってきた。食用確定だ。
知識として知っているし、ヴァールが絶賛するに色違いだろうが何だろうか俺は食べられる。しかし、口にすることはおろか初めて見るあれらに対してメイリスが苦手意識を持っているのも事実だ。
「無理そうならやめておいて、別の物を頼むか?」
「……マサヨシが食べられるというのならば、信じます。気は進みませんが何事も体験に勝ることはありませんし、食事を残すというのは許されません。この勝負、受けて立ちます」
「勝負って、そんな大げさな」
謎の気迫と共にメイリスが待ち受ける中、それほど時間も掛からず俺たちのテーブルには三つの膳が並べられた。
ご飯類はないものの大きめの皿に目一杯乗せられた薄切りのタコとイカの刺身、お椀に入った汁物にそして黒い液体の入った小皿だ。
やっぱり切り身って刺身のことか。それよりも、小皿に入っているのが少し塩味がきつめながらも俺の知る醤油だったことに安心した。
そのまま食べるというのは流石に……などと思っていると、メイリスが今までに無い表情で絶句していた。
「……こ、これは……生、ですか?」
ただでさえ見た目グロテスクな生物を事もあろうか生食するとは、メイリスにとっては衝撃が重なる事例のようだ。
「自分もそうでしたけど、初めて食べるときはみんな同じ様な反応しますよね。でも、これをこのショーユにつけて食べると――うまいっす! おやっさん流石っす!」
ヴァールの賞賛を受け、店主が照れくさそうにそっぽ向いた。
「火を通していないない食べ物は危ないって言われてますけど、この店はしっかり対策しているらしいんで安全っす。ただ、間違っても自分でやろうとしちゃ駄目っすからね。そもそも特区以外では厳罰対象っす」
あー、なるほど。そういう問題もあるからこそ特区に店を構えているということか。
元々生食は寄生虫等の関係から危険性があることだし、王都では推奨されていないどころか罰則があるってことか。
下処理や調理方法など、ある程度造詣が深い人物が扱うなら平気なんだろうが……確かにいくら美味しくてもこういった料理は大通りでは出せないだろうな。
「ここに来ないと食べられないってのが難点っすけどねー」
「分厚いわけでもないのに歯ごたえもあるし、臭みもない……これはすごいな」
パクパク食べながら解説するヴァールと、同じように箸を進める俺を交互に見つめ、
「――――っ!」
やがて、意を決したのかフォークを手に取りタコの刺身を醤油につけて口に運ぶメイリス。
咀嚼し、飲み込み、沈黙のまま次は同じようにしてイカを食べ始める。
「……思っていたのと違いますが、弾力があり、深みのある味わい……これはいいものです」
懸念していた味に関しても問題なかったようで、ヴァールが『うまいっすよね』と相槌を打った。
緊張感が解けたのか、黙々と食べ続けるメイリスを見て俺も食事を再開する。
まさか異世界で刺身を食えるとは思っていなかったが、これなら魚料理もなんとかなりそうだなと頭の隅で考える。
こうして王都での食事はつつがなく過ごせ、同時のメイリスの初挑戦も事なきを得たのだが……しかしヴァールよ。いくら旨いとはいえ、初対面の相手に刺身定食を勧めるのはどうなのだろうか。




