(49)大きな背中
熾烈極めた空中戦は、結果だけを見れば天破の勝利という形で終わった。
紆余曲折あったものの、空路を用いた砂漠の直線横断という当初の目的は無事達成。
口による捕食行動しか取れないランドイーターは、逃げに徹すれば序盤は少々過激なアトラクションに感じる程度。
レオとの悪夢は別格としてバジリスクの口に飛び込んだことやイーファに魔弾を放たれた経験を思えば、単純な恐怖値は低いものだった。
とはいえ、休むことなく追いかけて来るランドイーターは紛う方なき脅威であり一瞬たりとも心休まる瞬間など無い。
勘違いしてはいけないのだが、スピードは天破が上であるからして距離を離せばその差は縮まらない――というのはただの理想論だということ。いくらドラゴンとはいえ天破だって常にフルスピードで飛行できるはずもなく、羽を休めるためか要所要所で速度が落ちる。
天破はその都度最小限の動きで回避を続け、しかし俺たちがいることを考慮してか自分からは攻撃をしかけないため、ランドイーターの数が経ることはなくむしろ時間が経つにつれて徐々に増えていった。
……白状すると最後の方は、既に追いかけているものとは別個体のランドイーターが左右や進行方面からも飛び出てくる始末。
そんなわけで上下左右に振り回され、平衡感覚はおろか周囲の風景すらまともに視認できない状況下でもどうにか堪えきてり――やがて天破は入り口にあったものと同じ石柱の上を危なげなく通り抜け、結界外にある森へと着陸した。
到着後エッジに言われすぐさま外に出たところで、懐かしさすら覚える大地を足で踏みしめるという行為に一息ついた。
そして……それぞれ開放感を感じている中、俺はその場に残る全員にハンドサインで『ちょっと』と告げるとおぼつかない足取りのまま一人無言で森の中へと進んだ。
あまり奥に行ってしまうとモンスターなんかに出会ってしまう可能性もあるが、近場というのも問題――さて、ここまでくれば大丈夫だろうか。
平衡感覚が定まらぬ中ある程度距離をとったことを確認すると、茂みにて盛大にリバース。
ここまで歩けたことと、オリの中で堪えきった事実に対して自分を褒めてやりたい。
男というか、人としての最期の人権を勝ち取った今はそれだけで充分だ。
なぜ俺だけがなどとは、もはや問うまい。認識を正すまでもなく今回のメンバーは俺を除いて一流の集まりというだけ。それか俺以外人外。
朝食だったものを全て地に返し、静かに深呼吸。一、二、三……よし、いける。
魔導符で出した水を使い汚れを落として、トドメとばかりに祝福ハーブを口に含むと汗はいまだ引かないまでも足の震えは収まっていた。
息を整え来た道を戻ると、驚いた顔のイーファと訝しげなメイリスが近寄ってくる。
「マサヨシ、今度は顔が青い! それなんの魔法?」
「エッジ達に待っていろと言われましたが……やはり、何かあったのですか?」
エッジとアメジアは絶賛荷解き中。こちらに目も向けないが、多分俺の未来を予想してメイリス達を引き留めていてくれたのだろう。
「……大丈夫じゃないが、平気だ。なーに、こういうのは慣れよ、慣れ」
一瞬、帰りもこれを経験するのかと嫌な予感が頭をよぎったが、すぐに払拭した。
そういうのは全部終わってからにしよう。頼んだぜ、未来の俺。
「堪え切れただけで充分だ。てっきり途中でへばると思ったがな」
オリの中を空にしたエッジは、オリから出ると同時に従僕によって三匹のホワイ
トガゼルを召還した。
「んー、もうご飯の時間?」
現れたホワイトガゼルに対して即時に食用発言するイーファ。元がモンスターだしいけるのか……いや、でも個体は別かも知れないが、昨夜背中に乗せて貰った立場としてはそういう目では見られない。
「残念だけど、一度魔魂札になった魔力を実体化しているだけだから、食べられないわよ」
アメジアはイーファが初めて従僕を目にしたと思っているのだろう。
あれだけの魔法を見てなおイーファに対する柔らかな姿勢がぶれないアメジアも大物だ。それならば俺は俺の役割を果たすとしよう。
「イーファは魔力だけでも食べられ――」
「食事は王都につくまで我慢しような。こんな場所で飯って空気じゃないし」
要約すると、さっさとここから離れようという事だ。
俺は両手でイーファの口を閉ざすと、そう諭す。
先ほどからランドイーターが石柱付近を飛び回っているのが視界に入り続けている。結界のおかげかこちらに近寄れないようだが、正直見ていて気分がよいものではないのもまた事実。
「王都は森の切り開かれた所にある、コイツらに乗ればすぐだ。ガキ共で一緒に乗って……マサヨシは俺と乗れ。王都につくまでに話しておくことがある」
エッジの提案でそれぞれ俺とエッジ、メイリスとイーファ、アメジアは荷物を持ってホワイトガゼルに乗るという形となった。
座る場所はエッジが前で俺が後ろだ。スペースは充分なので窮屈と言うほどではないが、快適ともいいづらい。
そんなことを考えながら周囲に視線を巡らせると、アメジアの持つ荷物がオリに積んでいた物よりかなり少ないことに気づいた。
残りの大部分は天破の背に乗せられているみたいだけど――あれ、天破の首に何かがぶら下がっている。
見ればそれは広告板なのか認識票なのか微妙な大きさの金属のプレートで、『天ツ風飛竜便――詳細はフィル=ファガナまで』と書かれていた。
エッジが首で合図するのを見た天破は、オリをそのままにして森へと飛び立っていってしまう。
「あれ、オリは置いておくのか?」
「わざわざこんな所まで来てこんなもん持ち帰る物好きはいりゃしねえだろうし、帰りにでも回収する」
「取りあえずこれに乗り込めばいいのですね。イーファ、乗りますよ」
「じゃあ、イーファ前ー」
理解の早いメイリスは、イーファと共にホワイトガゼルに乗り込む。
「そういうことだ。ついでに入国時の手続きまでは手伝ってやるから、お前らも何か聞かれたらワイバーンに乗ってきたとでも言っておけ。行くぞ」
全員乗ったことを確認したエッジがホワイトガゼルの横腹を軽く蹴り、それに呼応するように三匹のホワイトガゼルは走り出した。
「それなら納得だけど……あ、やっぱり天破って」
魔魂札にすればいいだけでは、とは言わない。薄々気になっていたが、やはりエッジの天破に対する態度から察するに――
「ああ、あいつは従僕じゃねえ。俺がこの世界で一番最初に出会ったモンスターだ。そんときゃ生まれたばっかだったがな」
えーっと……って言うと、あのでかさで今四、五歳くらいか。そんな俺の心を読んだのか、エッジは言葉を続ける。
「ドラゴンの成長は早い。本来は天然のドラゴンなんて個人が持てるわけがないんだが、ちょっとした縁とスレイプニルの前例から、月に一回限りの制限付きで王都に許可された。っても、王都にドラゴンが接近すればちょっとした騒ぎになるし、理由の聴取やらなんやらで無駄に時間をかけられちまう。役所仕事は分かるが、面倒くせえ――それよりも王都に着く前に言っておくことがある」
エッジがそう前置きをするあたり、重要な話なのだろう。
しかし、てっきりイーファの事に関してだと身構えていた俺だが、エッジの口から発せられたのはベルディナス王国についての情報だった。
「お前の事だから、フィル=ファガナ以外の国なんて知らないだろ。国や町にはそれぞれルールがある。知らなかったじゃ済まないから教えといてやる」
どこまでも親身になってくるエッジに、感恩戴徳を抱かざるを得ない。
フィル=ファガナがそうだったように政治ベースは中世に近いものらしく、ベルディナス王を頂点としたよる絶対君主制。
一国の王というからには、貫禄、決断力や強いカリスマ等多くの資質が問われるがその当たりはアルフの父親だからして同じく人格に優れ、目立った悪政や法外な税も無く民衆の信頼は厚い。
王国そのものの武力もさながら、ベルディナス王個人もかつては騎士団を率いて魔王討伐に繰り出すレベルの強者で、少なくとも王が現役である内は何が起ころうとも些細なことだと揶揄されるほど。
だが、現在ベルディナス王は国際平定の為に多忙を極め国を開けることが多く、現状は補佐役である元老院が代理として様々な国内組織と連携することによって運営を維持している状態。
国内組織の主は、すでに話題となった魔導調査局や王国騎士団以外にも法令裁定所、交易協同組合、異端査問会等があり、後は表には出ないが諜報機関や密却隊のようなものもある。
「……諜報機関は分かるけど、密却隊って何?」
「要人警護の要だ。昔は暗殺を生業にしていたが、今は王族を守り影ながら同業を葬るのが仕事だ」
耳朶を叩く風と、ホワイトガゼルが踏みしめる木々の音に混じってエッジの声が届く。
「ようするに、アサシン的な感じか」
「ベルディナス王国は今でこそ世界一の大国だが、それを良く思わん国もある。当然の処置だ」
「俺みたいな庶民には縁のない話だけど、やっぱ王族も大変なんだな」
「そういうこった。特に密却隊の長は厄介で、ありゃあはっきり言ってムリゲーだ。勝てる気がしねえ。かくいう俺も、ベルディナス王の制止がなければ今頃墓の中だったろうな」
さらりと笑いながらカミングアウトするエッジ。
「ちょ――っ! い、命を狙われたってことか?」
「天破の一件でベルディナス王に謁見する機会があったんだが、そんときゃ普通に玉座の横にいた。ただ突っ立っているだけなのにこっちが動けなくなるほどの威圧感で、なおかつ感情のない人形みたいな不気味な存在……そういやこれ、箝口令だったな。ばれたら今度こそ消されるかもなぁ」
意趣返しか、知らなくて良い情報の共有をされてしまった。
カリギュラ効果とでもいうのか、こうして情報の漏出は行われるんだろうな。
「俺も言わないけどさ――なんだろう。その、正直すまんかった」
「何の事だ?」
「いや、俺もシロアの魔法について話しちゃったけど……情報秘匿の重要性を軽んじてた。もうちょっと頭を使って話すべきだったな、と」
「――気にするなと言いたいが、お前が望むのはそういうのでもねえな」
エッジの声は心なしか楽しそうに弾んでいる。
「互いの泣き所を握り合うってのは核抑止に似た部分がある。けどな、自分だけじゃ抱えきれないものは、例え誰に禁じられようと押さえきれないモンだ。大事なのは隠し通す方法なんかじゃなくて、言い出す相手を選ぶ力だと俺は思っている――お前は抜けているところはあるが、悪人になれる度胸は無さそうだから教えた。それだけだ」
嘘だと分かった。俺が抜けてるのは否定しないが、エッジはそんな曖昧な印象で自分だけが知る秘密を告白するようなタイプじゃない。
恩返しのつもりだとしても、自らの命に直結する弱みを語る必要はないだろう。
ひょっとして、とは自惚れが過ぎるだろうか。しかし例え違っていたとしてもそうだといいなと思った。
同じ出身。同じ成り立ち。直接言葉には出さないがエッジもまた俺を信用してくれたんだと感じた。
エッジは相手を選ぶ力が大事と言ったが、それが経験で培うものだとすれば俺はまだ未熟だ。けれど、出会って一日に満たない期間でもそう思わせてくれた魅力がエッジにはあった。
「……さんきゅ」
「勘違いするなよ。お前が考え無しなのは事実だ。俺だから良かったものの、言うなと言われた事は軽々に口に出すべきじゃない。今度からは充分に注意しろ」
「へい。しかし、本当にエッジって優しいのな」
「……蹴り落とすぞ、テメエ」
木瓜紋が語る中ホワイトガゼルは走り続ける。
元の世界を語り合える人物を見つけたことによって、感傷的になっているのだろうか。
この世界に来て、一人きりだった。
そこに、シロアやメイリスの仲間を得た。
満たされている中、初めから心の底に深く沈んでいた――孤独感。
異世界人であるのは俺だけで、今まで誰にも言えずにいた大きな秘密を共有できたということから、エッジの存在には安らぎすらを感じる。
言葉を交わし安心感を与えてくれる、例えるなら兄のような……馬鹿な考えだ。
感謝の気持ちは言葉や行動に出すもの。しかし、今だけは胸に秘め、甘えさせてもらうことにしよう。