(40)高層地区にて
何気なく町に繰り出した中で、大通りから離れた裏町へと足が向いた。
今や定着した早寝早起きという基本原則に従ったはいいが、まだギルドも開業していないこの時間はいつも手持ちぶさた。カルネさんの手伝いに使う時間も、今は宿自体が臨時休業中ということでやることがない。
そうこうしているうちに辿り着いたのは、守護者としての働きをすっぽかしてカルネさんの宿にて従業員をしていた間に食料関係の買い出し等でよく利用していた、それなりになじみ深い場所。
早朝。加えて一点鐘が鳴る前と言うこともあってか人の気配はそれほどでもなく、開店準備をしているいくつかの露天業者を横目に歩き続ける。
裏通りを行ったり来たりと、端から見れば怪しいことこの上ない挙動をしつつ、そろそろギルドに向かうべきかととぼんやり考えていたとき、後ろから強めの力で誰かに肩を叩かれた。
「よっ。相変わらず覇気がねえ面してるみたいだが、小間使いから不審者に鞍替えか?」
「……ども、お久しぶりで。人聞きの悪いことを言われると困るな」
振り返った先にいたのは、宿で使う祝福ハーブを買うときに利用していた露天の親父だった。
名前は未だ不明。つーか聞いたけど教えてくれなかったし。
「ま、どーでもいいやな。最近はご無沙汰してるみたいだが、カルネのところはクビにでもなったか?」
「どっちかってーと自己都合退社……いや、そんないいものじゃないな。そもそも俺はカルネさんの行為に甘えてただけで、正式な従業員とかじゃないから」
肩に置かれていた手を振り払うと、親父はやれやれと大げさにジェスチャーをとる。
「面倒くせえガキだな、まったく――んで、まだ開店前なんだが、今日は何をお求めで?」
「祝福ハーブなら今のところ問題ないから、客扱いしなくて別に良いよ。ギルドが開くまで暇だったからぶらついていただけ」
「ギルドの方向は真逆だろが。こんな時間帯にわざわざこっちを出歩くってのは、ちぃと健康志向が過ぎるんじゃないか?」
「……む」
完全に心を見透かされ、ありがたいやら情けないやら。
明確に親父を頼ってきたわけではないが、もしかして、という希望的観測は間違いなくあった。
元々ツテは少ない。連日ギルド――というか主にセフィア相手――に通い詰めて、残ったのはここの親父くらいだったのだ。
「……なあ、移動魔法以外で王都に行く方法ってないかな?」
もう何度口にしたか分からない質問を、親父に投げかける。
「――事情はそれなりに知ってるぜ。クロフォードの姉ちゃん、お前のパーティなんだってな」
シロアが王都に連れて行かれたということは、フィル=ファガナではそこそこ広がっている話題だ。
本人達にしか知り得ぬ何かしらの事情や、シロアが自主的同行したという俺の知る事実があったとしても、王都に連行されたという言葉は何も知らない第三者にとっては良い印象を与えるものではない。
シロアの性格上王都に目を付けられることなどあり得ない話とはいえ、本人不在の今悪い意味で噂は噂を呼ぶ。
数日待てばシロアは帰ってくる。そうすればきっと、生まれた誤解など全て解決する。
そう信じて待ち続けているのだが――シロアがフィル=ファガナから去って、二週間が経過しようとしていた。
当然今現在もシロアからの連絡はなく、何度かギルドを通じて王都へ送った手紙は闇の中。
毎朝ギルドに向かって情報を得ようとするも、何の手がかりもない。
ミナやカルネさんからも笑顔が消え、メイリスやイーファも言葉数が減った。
王都による徹底された情報流出の制限。加えて元々怪しんでいたこともあり、一週間を待たず行動に移った。
連絡が取れないなら、直接王都へ赴くしかない――と、考えたのは良いものの、その手段が見あたらない。
移動魔法が使えるイーファは王都に行ったことがないし、フィル=ファガナの転送屋も王都への依頼は頑として引き受けようとしない。そして、馬車の手配も行っては見たものの首を縦にふってくれる業者は一人もいなかった。
八方塞がりの現状の中、商人同士の繋がりや、長年の経験から思いつく解決策があるかもしれないと最後の寄る辺となったのが露天商の親父だった。
藁にもすがるような淡い期待だったのだが―――親父は、目を伏せて静かに首を振る。
「行くだけならば金と時間をかければ……一応手はある。が、お前さんは出来るなら今すぐにでも、って話だろ? そりゃあ難しい話だな」
「そう、か。そうだよな……」
「お前さんが移動専門の業者に声をかけている話も耳にしたが、距離が問題だ。フィル=ファガナから王都に向かおうとすればそれなりの準備ってもんもあるし――まあ、なにも問題が無くても三週間ってところだな」
「三週間? そんなにかかるのか? 俺の仲間は十日位って言ってたんだけど」
そう言うと、親父は目を丸くして絶句した。
「――いや、まあ、確かに間違ってはいない、のか? 馬車の速さで直線距離を飛ばせばそれくらいだとは思うが、馬だって不眠不休で走れるわけじゃないし、なにより山越えもしなきゃなんねえわけだからそれは無茶ってもんだぜ」
驚きつつも親切に説明してくれた親父の話を聞き、成る程と内心で納得する。
あの話は、最短距離でただ真っ直ぐに進めばその程度――というメイリス基準での表現だったのか。
常識の齟齬から生じた勘違いをどう説明しようかと考えていると、
「ひょっとしてスレイプニルの事を言っているのか? ありゃ別物だぞ。あいつらは並の馬と比べるのもおこがましい程の特別製の足を持っているからな」
親父は自分で納得がいく理由を探し出してくれたようで、付け加えて説明してくれた。
「フィル=ファガナに限っての話じゃねえが、スレイプニルは、先代ベルディナス王が使役したモンスターと馬を掛け合わせた唯一種だ。他の何処を探してもあんな規格外の速さと強靭さを持つ動物なんぞ、いやしねえ。対抗しようっても、それこそ空でも飛べなきゃ話になら――」
そこで、親父はふと何かに気づいたかのように視線を動かした。
「お前さん、説得力と胆力に自信はあるか?」
「へ? どういうこと?」
「アテ……と言うほどの物じゃないかもしれんが、一つだけスレイプニルによりも速い、王都に行く為の手段がある。ただ提案していて何だがまっとうな方法ではない上に、問題もある」
言いづらそうに言葉を濁した親父の言葉に一瞬だけ不安がよぎったが、それでも俺を思って考え
を巡らせてくれた親父に感謝の気持ちが溢れ、頭を下げる。
「頼む。方法があるなら教えてくれ。俺に出来ることであれば可能な限り協力する」
「礼は全部が解決してからにしろ。お前の望みが叶えられるか否かは、お前さんの努力次第だからな。一応助言しておくと、どうころんでも地獄を見ると思うが――本当に、いいんだな?」
頷く。
シロアを連れ戻す、とまでは言わない。
ただ、せめて一目会って安否確認くらいはしたい。
「その真剣な目……憎たらしいほど変わってねえな――高層地区に入ってすぐの場所にある、ひときわ大きめの建物を知っているか?」
首を横に振る。俺の行動範囲はせいぜい中層地区までだ。高層地区は貴族や領主が住む住宅街がメインであるため、足を踏み入れたこともない。
「そうか。まあ、白い屋根で入り口に竜を象った彫像をが彫り込んである店だから、見ればすぐ分かるかだろう。ちょっと待ってろ、今紹介状をかいてやる」
言うやいなや親父は懐をまさぐり、羊皮紙を一枚取り出すと何かを書き込んでいく。
「詳細はその場で聞け。いいか、お前さんがやることは至って単純だ。ただ、『王都へ速達を頼む』と言えばいい。一応手紙には添えておいてやるがな」
「速達……って、なんだ?」
俺の質問に親父は答えず、黙々と筆を走らせる。何かの配達を頼めと言うことか?
親父の意図を汲めず一人で頭を悩ませていると、しばらくしてようやく何かを書ききったらしい親父は、筆を立ててにやりと笑った。
「覚悟だけはしておけよ。この界隈じゃ有名な偏屈者だからなぁ」
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時間的にそのまま行くのは躊躇われたので、ギルドに向かい情報提供を求め、不発に終わるという日課だけは欠かさず行った。その後、本当の意味で時間つぶしの為の露天巡りをした後、三点鐘の音と共に高層地区へと向かった。
初めて足を踏み入れた高層地区は、それまでの中層地区とは違い言葉で表現できない静謐さに満ちあふれていた。
見渡してみると歩道一つ見てもゴミ一つ落ちておらず、どの建物を見ても壁や屋根などのは汚れやヒビ、経年劣化などをまるで感じさせない。
あまりにも整然としすぎて、逆に不自然さが感じ取れる輝きを見せていた。
下層地区からから見上げても小さな壁に囲われていたのでそこまで意識したことが無かったが、上流階級の人が住む地区としては、文句一つ無い完璧な保全がなされた町並み。なるほどこれは別世界だ。あまりの場違いっぷり。ため息が出た。
「ええと、白い屋根と竜の彫像のある大きい建物……だっけ?」
長居したいとは思えなかったので、親父の言葉に従って周囲を見渡す。
普通の住居もその一つ一つがかなりの大きさだったため戸惑いつつも、ある程度の特徴を伝えられていたためそう時間がかからずに目的の建物を見つけることが出来た。
そして、呟く。
「……ザ・和風って感じだな。ちょっと配色はあれだけど」
建物とは言われていたのでビル的な物を想像していたのだが、縦ではなく横に広い、いっそ武家屋敷と言っても良いほどの佇まいを見せる代物がそこにあった。
屋敷そのものは壁や屋根瓦、柱にいたるまで白に統一されていてここまでくると不気味さの方が先行する。
唯一、茶褐色に染められた入り口と思わしき門の横には俺と同じ大きさくらいの竜の彫像がはめ込まれており、その左右には屋敷そのものを取り囲むようにし漆喰造りで出来た純白食の外壁が延々と続いている。
不法侵入をするつもりなどないが、一応その気になれば乗り越えられそうな高さではある。
一切の不純物を含まない真っ白な壁は屋敷と外界との接触を強く拒んでいるようにも感じて、無言の威圧感からなる荘厳さに、今更ながら二の足を踏んでしまう。
さりとて、このまま萎縮していても話が進まないので意を決して門前へと足を進めた。
当たり前と言うべきか、インターフォンなどという時代錯誤の物は無く取りあえず門を叩こうとすると、絶妙なタイミングで内側から門が開いた。
「看板が出てないのが見えねーか? 今は休業中だ」
まさか、俺の来訪に気づいたと言うわけではあるまい。人の気配は感じなかったのだが、チラリと敷地内部が門の隙間から見えたのだが、屋敷の玄関口から門まではそこそこ距離がある。
門を開けた人物は、年上に見受けられる精悍な顔つきの青年だった。
偏屈者という前情報があったため、その一挙手一投足に思わず身構えてしまう。
和装の上に黒い陣羽織を着込んでいる姿をしていて、右胸に部分には五枚の花びらと、中心に唐花のようなものが刺繍されている。
着物姿は見慣れたものだが、シロア達と違いどちらかと言えば戦国的なニュアンスが強い。
あれは確か木瓜紋――それも戦国時代に名を馳せる、俺でも知っているくらい超有名な、さるお方の家紋だった気がするが、まさか本人とは言わないよな?
流石に刀は帯びていないようだが、不機嫌さを隠すことなく全身から滲ませており、油断するとバッサリやられてしまいそうな……そんな勘違いすら覚える。
一瞬ここが異世界だと言うことを忘れ、何か言わねばと言葉を探すもののツッコミどころが多すぎてうまく声が出てこない。
「あ、えーと、その、紹介状を貰った者なんですけど」
「紹介状? ……ちっ、めんどくせーな」
取り出した羊皮紙をぞんざいな動作で奪った青年は、気だるげに目を走らせる。
やることがないため待っている間青年の顔を観察していると、どうにも身に覚えがある。
こんな場所に住んでいる雲上人とは面識は無いはずだが、ここ以外で会った記憶――うーむ、思い出せん。
「……なあ、ここに書いてあるシロア=クロフォードって、もしかして狐の面を被ってる着物姿の女だったりするか?」
自分の記憶力と格闘していると、親父の手紙を読み終わったらしい青年から声をかけられた。
「はい。被っていたり、持ち歩いていたりはしますね」
フィル=ファガナは広いが、まさかシロアと同じ印象を持つ人間がもう一人いるとは考えにくい。
肯定すると、青年はあごに手を当てて考え込む動作をする。
数十秒ほどそうしていた青年は、おもむろに俺を見つめてきた。
「よくよく見れば、アンタも身に覚えがある……確か、マサヨシだっけか?」
「そうですけど、どこかでお会いしましたっけ?」
「…………」
申し訳なく思うものの、名前まで知っていながら眼前の青年の記憶が出てこない。
青年が黙り込んでしまったため、内心唸りながらも記憶を辿り続ける。
どこだ。どこで会った?
高層地区は初めて訪れたし、中層地区はヴィルダンスの店に寄って以来ほとんど近づいてもいない。
ならば、必然的に低層地区か――あるいは、ギルド?
「………………あ」
ようやく思い出した。俺はこの青年の顔を三度見ている。
一度目は、セフィアの手伝いで守護者の活動履歴に関しての書類製作をしていたとき。
二度目は、ミナに連れて行かれたギルドでシロアと短い間ではあるが会話をしている瞬間。
三度目は、ウルズ迷宮でイーファの元へと向かっていた時。
女性の守護者と行動を共にしていた、名前は確か――エッジ、だっけか。
服装が違っていることと、直接会話をしていないことが主な原因で今まで思い出せなかった。
「あの、確かウルズ迷宮で――」
会いましたよね、と口を開こうとすると青年は右手の平を目の前に出し、俺の言葉を遮る。
そして、
「入れ……茶ぐらいは、出す」
ばつが悪そうに、そう言った。




