(37)狐面に託された思い
宿に戻ったところで、玄関にいるカルネさんと鉢合わせた。
「ああっ、マサヨシくん!」
「シロアが王都に連行されたって、どういうことですか?」
「僕にも何が何だか……昼過ぎからシロアに受付を任せて僕は二階の清掃をしていたんだけど、一階に降りた時にはもう話は終わっていたみたいで……」
「そうですか……」
それほど長い会話ではなかったと言うことか。しかし、家族であるカルネさんにもその内容を告げないとはどういう事だろう?
「それで、シロアは数日で戻るからって、そう言って――」
「具体的な理由も知らず……シロアを引き渡したと言うことですか」
「おー、めーりすが怒ってる。かるね、なんかしたの?」
メイリスが責めるような発言をするが、カルネさんに言っても仕方がない。
「やめろ、メイリス。イーファも茶化さない」
「……確か魔導調査局からの使いだと、仰っていました」
ぽつり、とミナが呟く。
「魔導調査局? シロアは固有技能以外の魔法を使えないはずです。どのような用件だと?」
メイリスの疑問に、ミナはただ首を振って答える。
「分かりません。思わず頭が真っ白になってしまい、宿を飛び出してしまいましたから。宿にはカルネ叔父様がおりましたし、マサ兄様達にも一緒に話を聞いていただくべきだと判断しました」
「ミナ、すまない。僕がもう少し引き留めておければ……」
顔を伏せるカルネさん。しかし、いきなり王国兵がやってくればパニックになる気持ちは分かる。
仮に俺がその立場なら、もっとひどいことになっているだろう。
「そ、それよりもカルネさん、シロアが連れて行かれたのはいつ頃ですか?」
「ほんのちょっと前だよ。マサヨシ君達と入れ違いになったみたいだ」
「なら、まだ間に合うか……王都ってことは、転送屋に行けばいいんですよね?」
「いや、確か馬車で来たと言っていたから、転送屋ではなく町の外だと思う」
「馬車で? 十日はかかりますよ?」
カルネさんの言葉に、訝しむかのようにメイリスが呟く。そんな長距離をわざわざ馬車で来るのは不自然だと言いたいようだ。
「王都への直接的な移動魔法が制限されているからじゃないかな? 一ヶ月程前に王都周辺地域で謎の大規模魔法が観測されてからあちらではまだ準警戒態勢が解除されていないみたいだし、飛竜車は運搬専用だ」
一ヶ月程前――――何だろう、何か気にかかる。
「それならば多少離れているとはいえ、王都の近くの町へ移動魔法を使ってから馬車を使えば――
いえ、王都には飛竜車並の速さを持つ移動方法がありましたね」
若干メイリスの言葉が気にはなるが、とにかく今はシロアを追おう。
「イーファ、シロアは今どの辺りにいる?」
「えっとね――あれ? しろあ、あっちにいると思うけど……何か分かりづらいなぁ?」
シロアの魔力を探知するイーファは、正面門のある方向を指さしながらも小首をかしげる。
イーファの感知能力なら曖昧にはならない筈だが、なにやら自信が無さそうだ。
「時間が惜しい。カルネさん、これをお願いできますか?」
「あ、うん。何も出来なかった身で申し訳ないが……シロアのこと、よろしく頼むよ」
木箱を渡すと、カルネさんはすまなさそうに頭を下げた。
「気にしないで下さい。俺たち仲間ですので。じゃあ、ミナ行ってくる」
「はい……お願いいたします。マサ兄様、メイ姉様、イーファ」
「何だか分からないけど、マサヨシとめーりすは無敵だから。イーファもいるし、任されたー!」
無敵かどうかは知らんが、まあいいか。
正面門ならここからそう遠くはない。もう一走りすることにしよう。
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現場にたどり着くと、正面門はそれなりの人だかりでにぎわっていた。
人々の視線は町の外に向けられており、それがなんであるかを理解して俺も息を呑む。
宝石を嫌みなほど散りばめられた豪奢な作り。客車のサイズは一般的な馬車と比べると倍以上で、目算ではあるが普通車と中型トラックほどの差がある様に見える。
正直馬車と言うべき代物では無いが、少なくともフィル=ファガナではお目にかかったことがない。
一番目を引いたのはその客車を牽引する馬であり、大きさもさることながら、どちらも足が八本ある。
「でけえ! それにあれって馬……なのか?」
「スレイプニルですね。確かに、あれならば数日とかかりません」
人混みをかき分けつつ近づいていく中、王都の兵士らしきものに取り囲まれ、今まさに馬車に乗り込もうとしているシロアの姿を見つけた。
依頼を受けるときのものではなく、普段着の着物姿。そして狐の仮面を被っている。
「――ん、待て。危ないから近づくんじゃない」
門の外に出ようとしたところで、衛兵に止められた。
「すいません通して下さい。連れて行かれているの、俺の仲間なんです」
「仲間? いや、しかし――」
どう対応すべきかと口ごもる衛兵を振り切り、シロアの元へと向かう。
「おい、シロア! 王都にって、何があったんだよ!」
残り十メートルほどの距離になったとき、俺たちに気づいたシロアが仮面を外し、こちらに振り向いた。
「ミナが……呼びに行ったんですね」
「詳しい事情は聞いてない。それで、一体何が――」
近づこうとすると、王都の兵がシロアを囲むようにしてそれを阻む。
「どうしますか、マサヨシ? 流石に王都を敵に回すのは得策ではないと思いますが」
「成長してくれたみたいで俺はうれしいぞ。っても、このまま行かせるわけにもいかない……どうすっかな」
考えを巡らせたところで、何も案が浮かんでこない。少なくとも、事情ぐらいは知っておかないと対応しろと言うのが無茶な話だ。
「シロア=クロフォードには王都に来て頂きます。これは、調査局の決定事項です」
御者席から、声高な女性の声が投げつけられた。
見たところ武器は持たず、胸の部分にのみ儀礼用の軽甲冑を纏い、頭部には紺色のシスターベールを被っている。王国兵には見えないのだが、年の頃は四十代、五十代ほどだろうか。
お世辞にも妙齢とは言い難いが、左目に付けられた片眼鏡の奥から強い眼光を光らせ、毅然とした振る舞いからはなぜか年齢を感じさせない。
女は柳眉を逆立たせ、内から滲む不満を隠す気もないといった表情でこちらを見つめている。
「……理解出来ませんか? 疾く立ち去れ、と言いました」
威圧感は感じるが、ここで引くことは出来ない。
「シロアが王都に連れて行かれる理由を教えて下さい。俺たち、パーティを組んでる仲間なんです」
「パーティ? それは、互いの利益のために徒党を組んでいるだけでしょう――まあ、知りたいと言うのならばこちらとしては隠す必要はありませんが――」
「や、やめて下さい!」
女の言葉を制したのは、シロアだった。
「仲間には、私の口で説明します。ですから、この場では……」
「と、言うことです。安心して下さい、ベルディナス王国の名の下において彼女に危害は加えないことは保証いたします――シロア=クロフォード、どうぞご搭乗を」
「……あの、少しだけ時間を下さい」
「こちらは協力を願い出ている身――異論はありません。総員、今の内に帰還準備を続けて下さい!」
数十人の王国兵はシロアの横に二人だけが残り、馬車に乗り込んでいった。
その中で、シロアがゆっくりとこちらに歩んでくる。
「今は何も答えられません。身勝手な言い分で、ごめんなさい」
「あ……え……と」
それになぜ、と問うことも憚れた。
言えないのか、言いたくないのか、あるいは言わないと決めているのか。
辛そうに声を震わせつつも、シロアの目には強い意志が宿っていた。そう感じてしまったから。
「マサヨシさん、ウルズ迷宮で私が言っていたこと……覚えていますか?」
「あの、俺が鉄鬼にやられた時のこと、か?」
「はい。本当は戻ってすぐにでも言いたかったですけど……いえ、今更ですね。ごめんなさい、ミナとカルネ叔父さんには心配しないでと、伝えて下さい」
「シロア、貴方のその言い方では、もう戻らないと言っているように聞こえます。何か弱みを握られているというのなら、言って下さい」
「なんだか、しろあ、苦しそう」
メイリスとイーファに対し、シロアは小さく首を振る。
「ありがとう。でも、本当に大丈夫。王都の人が来たことにはびっくりしたけど、これは私がなんとかしないといけない問題なんだ」
「…………」
誰もが、口を開けない。
「マサヨシさん、これを預かっていてくれませんか。大切な物なんです」
取り外した仮面を、そっと俺に手渡してきた。
「なんでだ? シロア、人前に出るときはこれが無いと困るって言ってたじゃないか。それに、さっきだって――」
「一方的な約束をさせてください。それを取りに、必ずみんなの元に帰ってきます」
お願いします、とシロアは深く頭を下げた。
別れを告げるような、シロアの態度。聞きたいことはあるはずなのに、シロアは頑として口を開こうとしない。まるで、聞いてしまえば俺たちにとっても不都合が起こると言わんばかりに。
「どれぐらい、なんだ?」
「……詳しくは分かりませんが、あの方は長くはかからないと言っていました。私の力次第だと」
「それはシロアにしか出来ないことなんだよな?」
シロアは、無言で頷く。
「なら待つよ。ただし、シロアが戻るまでの間に受けた依頼の達成報酬はちゃんと別途で置いておくから、それを受け取りに戻って来いよ。遅くなればなるほど、増えていくんだからな」
「あ……」
「けれど、宿の方はどうしますか? シロアが抜けた分の人手の問題もあります」
メイリスの言葉に、大きく首を振る。
「当然、両方やる。この際だからイーファにも手伝って貰うぞ」
「おー。イーファ、しろあの分も頑張るー」
「では、シロアが戻るまでは、手早く終えられそうな依頼をセフィアに頼みましょうか」
「みんな……ありがとう」
三人揃って意気込むと、シロアはぎこちなく笑顔を作ってくれた。
オホン、とわざとらしい咳払いが兵士の一人から聞こえる。
「――話は纏まったみたいだな。そろそろ君も馬車に乗りなさい……ここだけの話、そのティナリア様もあまり気は長くはない方だから」
含み笑いをしながら兵士はそう言う。ティナリア、とは女性の名前だろうか。
「あ……す、すいません。今行きます」
兵士に感謝するとシロアは馬車へと向かっていった。
「う、む……君たちの目に私たちがどう見えているか理解しているつもりだ。王国兵として、あの少女は丁重に扱うことを誓う――それでは、失礼する」
ミナの話を聞き始めは色眼鏡で見てしまったが俺たちの話に横入りすることもなく、黙って見ていてくれた気配りといい、立派な騎士道精神を持った人だった。
「当然です」
一礼し去りゆく兵士達に対し、メイリスが凛とした態度で口を開く。
「とはいえ、シロアに手荒な真似をすればその時は私たちも黙っていませ――」
「メイリス、それ以上はいけない」
同感ではあるが、いくらなんでも直接王国兵の前での脅迫行為はまずい。
そうしている内に、シロアを乗せた馬車は激しい土煙を上げ俺たちの前から走り去っていった。
僅かな胸騒ぎを覚えながらも、消えゆくその姿を見つめ立ちつくす。
「本当……変わらないな、俺は」
信じて、待つ。
それしか出来なかった自分に、ため息だけが漏れた。