(31)迷宮の支配者
ダンジョン最深部。
少し前に来たはずの場所だというのに、その光景を見て思わず絶句した。
……ダンジョンの構造が、変わっている?
壁や、天井といった鉱石の煌めきはそのままで、しかし、先ほど入った場所とは思えないほど、空間全体の大きさが小さくなっている。
小学校の教室くらいだろうか。いや、もう少し小さい……何にせよ、馬鹿げたサイズ縮小だ。
加えて、イーファやアルフの戦跡やバジリスク、鉄鬼の亡骸が綺麗に消え去っている。
代わりに入り口から一番遠く、そこだけ不自然に壁から出来上がったように存在している石造りの玉座と、そこに座る存在があった。
白いフードをすっぽりと被り、片方の肘掛け部分に寄りかかるようにしていたそいつは、
「……聞きたいことは教えてやるから……さっさとここから出て行ってくれ……」
開口一番、そう言った。
先ほど扉から聞こえてきたものと同じ声。声質はハスキー調で、男にも女にも思える。
存在感が極めて薄く、幽鬼のような気配を纏っていた。
顔が見えないこともあり、今のままでは性別は疎かそもそも人であるかも不明だ。
「先ほど感じた魔力の主ですね。名を聞いても?」
「……ふぅ……ここがどこだか知っているんだろ……俺がウルズだ……」
か細い声。しかし、耳にしっかりと残る抑揚を付けて、ウルズは言葉を並べていく。
「ウルズ? それは、この周辺も確かウルズ平原って名前だったよな?」
「……ウルズ平原……成る程、俺がいるダンジョンではなく……場所にあるダンジョン……ショーコが動いたのか…………どうやら、そうらしい……」
ぼそり、とウルズは呟く。
依然としてその言葉は小さく、しかし耳元にはなぜかしっかりと聞こえてきている。
まるで直接俺の傍で語りかけているようだ。
「……イーファを除けば、直接的な対話など……十二年ぶりか……」
「十二年って、それだけの時間を一人きりで――お前もイーファみたいな魔素具象体とでも言うのか?」
「……違うな……だが、俺は残党などでは無い……魔王とも繋がりは無い……」
レオの言葉によると、確か魔王が討伐されたのは十二年前。
しかし、残党という言葉は魔王が倒された後に作られたはずだ。ウルズはなぜそれを?
「じゃあ、お前は一体何者なんだ?」
その言葉に、深いため息を持ってウルズは応えた。
「……俺は、お前達と関わりたくない……だから、お前達も早く消えてくれ……イーファは、ここを根城にしていたキマイラが倒されて後、やってきた……ダンジョンに入る前から俺の存在に気づいてたから、使命を果たすまで滞在することを許可しただけだ……最低限の知識、そして自らが持つ性質を教授してやった程度……そして使命とは、とある人物に会うこと……マサヨシ、お前だな……イーファはもうお前の味方だ……とっとと連れて行け……今までの守護者の記憶を書き換えたのは俺だが……後遺症など無い……いずれ奴らもそのことを忘れていくだろう……」
矢継ぎ早に、それでいて気だるさを隠す気もなく、淡々とウルズは話す。
「随分と――」
「……随分と口達者か……そうでもない……この場所に籠もる前、お前達みたいなのは何人もいた……誰もが皆、俺に質問を投げかけ……俺はその答えを返す……だが、それでもなお、お前らは壊れたように口を揃えて『なぜ』と言う……もう、うんざりなんだよ……言葉を紡ぎ続けることは出来ても、意味のない問答を繰り返し続けることは俺には苦痛だ……本当に必要とする疑問は何か、その精査を行う努力くらいはやってみせろ……さすれば全知である俺が……回答をくれてやる……」
こちらの問いかけに対し、必要以上の情報を流暢に喋っていくその様はただただ不気味だ。
そこまで言って、ふぅ、とウルズは嘆息する。
「全知――ウルズ、その言葉の真贋を証明できるものはありますか?」
「……同じ質問が続くようなら、すぐさまお前達二人をこのダンジョンから追い出す……真贋など愚問だ……信じて貰う必要は……無い……俺は真実しか語らぬ……少なくともこの部屋だけではなく、このダンジョンにおいて、全ては……俺の監視下だ……作り替えるも、移動させるも移動するも自由……名など造作もなく知り得てしまう……上にいるアルフレッド=ベルディナス、そしてシロア=クロフォードも無事だ……今外にいた二人、ヴァイツ=ヴァレンタイン、リースティアと共にここを目指しているようだが、俺が許可しない限り、たどり着くことなど出来ない……」
全知であるとウルズは言ったが、どうやら疑う余地はないようだ。
このダンジョンの主であることも、ありとあらゆる情報を先読み、知り得ることも。
口調や、態度から敵対してくる可能性は少ないと見ていい。しかし、油断できないこともまた事実だ。
「……メイリス、力づくというのはやめておいた方が良い……俺には勝てない……お前だけではなく……仮に相手が魔王であっても、このダンジョンでは何よりも俺が優先される……強襲するつもりだったろうが、身体が動かないことで理解できたはずだ……」
「確かに……ここはそういう場所のようですね」
横目で見ると、確かにメイリスは何かに堪えるようにして冷や汗を流している。
動きを封じられているということだろうが、メイリスの武力を持ってしても不可能なところを見ると、結界みたいなものだろうか。
もしもウルズが好戦的な存在だったら、この場で詰みだ。末恐ろしい気配が全身をひしひしとなで回す。
「……ほんの僅かだが……興味深くはある……これほどの純粋な強さは久方ぶりだな……ここ以外でならば、俺は一秒とかからず組み伏せられていただろう……希望であり、悲哀の象徴……流石は混ざりモノの姫と言ったところか……」
「――っ!」
ウルズの呟きに対してメイリスが息を呑んだと同時、バキリ、と何かが砕ける音がした。
同時に、空間内に言い表せない圧力のようなものが満ちていき、その感覚に身震いする。
「……死圧……それも、拳撃士には持ち得ぬ天性の資質……類似したものだが、イーファも魔力を使い、同じ効果を持つ鎧を換装出来るようになっている……それこそ、お前達のような数少ない『死線越え』で無くては動くこともままならぬ程度には……だが、俺には無意味だ……メイリス、方向性は違えど、俺たちに近しい存在……やはりお前は……」
「黙り、な、さい……っ!」
メイリスの口から、底冷えするかのような殺意が漏れ出た。
震えるその口元からは一筋の血が流れている。
「お、おい、血が! ウルズ、お前メイリスに何しやがった!」
「……動けぬ身体で、抗うか……詫びよう……触れられたくない過去というものもある、か……俺はメイリスに何もしていない……案ずるな、傷など癒える……憤りを感じることもまた、異なる束縛も、未知なる屈辱も……いずれ糧となる……それはお前の問題だ……俺はこのことについてはもう語らない……」
「…………好き放題、言ってくれますね」
舌戦では勝てないと判断したか、あるいはウルズと会話することそのものを放棄したのか、メイリスは目を閉じ、黙り込んでしまった。
――俺とメイリスの呼吸音だけが、静かに聞こえてくる。
「……マサヨシ……お前は何を問う……」
ウルズが言葉は放つ言葉で我に返る。
何秒、いや何分か?
時間の感覚が分からず、真っ白な思考に染められていた。
「お、俺?」
不動を保っていたウルズが体勢を変え、玉座に座り直すと俺に言葉を投げつけた。
先ほどより口元だけが窺えたが、目深すぎるフードはその視線を隠していて表情はよく分からない。
だが、はっきりとこちら側を見ている事だけは漠然と理解した。
「……イーファがなぜマサヨシを求めていたか……それは、イーファに定められた宿命……あいつはまだ未熟ゆえ、時間がかかり、理解に苦しむかもしれないが……断言しよう……イーファは、お前達を絶対に裏切る存在ではない……いや、それよりも……」
続く言葉を待つが、ウルズは身じろぎ一つせず黙り込む。
「それよりも、なんだよ。いきなり黙りか?」
「……マサヨシ……既に言ったことだが、俺は全知だ……見たモノ、俺の範囲で感じたモノ全ての過去も、未来も見える……ただ、お前だけは、その過去が見えない……未来も、薄霧に覆われているかのように曖昧だ……牙を持ち、爪を得て、さらには翼をも携えている……さりとて、それが本当に何をもたらすのかは……」
人形に言われたことと同じ。俺の過去については、ウルズにも分からないという。
だが牙や爪、翼だと? 一体何を言っているのか皆目見当がつかない。
「……ははっ、俺がドラゴンにでもなるっていうのか?」
苦笑しながら、そんな馬鹿げた問いをしてみる。
しかし、ウルズは先ほどよりは短いながらも僅かな時を有すると、
「……さてな、お前に限らず、未来とは確定しない……過程を経て、結果となっても、それらは瞬きの間に過ぎ去る……全てを見通すことが出来てなお、変化の可能性を持つこと……少なくともお前にとっての未来がそう呼ばれるものならば……それについては俺の出る幕ではない……」
おおよそ全知とは思えない答えが返ってきた。
再度、沈黙が続く。
「……お前は、この世界の存在では……無いのだな……」
「な――――っ!」
正鵠を得るその台詞に、言葉が出てこなかった。俺の過去を見ることが出来ないと言っていたウルズではあったが、少なくともこの世界に来てからの出来事は理解したらしい。
「……俺は全知なれど、全能にあらず……ならばこそ、天啓を授かったお前には、俺の言葉など必要ないだろう……全知とは、この世界の法則を読み取る力……理から外れた力には、意味は無い……神域へと至る回答を、俺は持ちあわせてはいない……言う資格が無い……なるほど……こういう事も、あるのだな……」
天啓、そして神域。
恐らくウルズは、知っている。夢で見た人形のことも、俺が何者かによってこの世界に来たことも。
その上で、暗に『言えない』と語ったのだ。
この世界に関する事ならば、答えられるのだろう。
魔王とは? 強い装備は? 守護者として俺はどの上級職を選ぶべきなのか?
だが、思い浮かべる全てが、今この瞬間だけはどうでもよく思えた。
全てに答えを出せるウルズが、俺の過去、そして未来を話すことを拒否した。
これ以上は、踏み込んではならない。少なくとも、この場所では。
なぜだか、そう理解してしまった。
「……ここで俺に会ったことは、他言しないほうが無難だろう……お前達の今後を考えるならだな……ただ、町へ戻った時は……ショーコの元へイーファを連れていき、事のあらましを伝えるがいい……付け加えて、俺が感謝していたとも……それで、全ては滞りなく収まる……そしてもう、俺は誰かと会うこともないだろう……このまま……全てが終わるまで、一人にさせてくれ……」
その言葉と共に、俺とメイリスの足下に青い光を伴った魔法陣のようなものが浮かび上がる。
詠唱もなく。動作もなく。静かに現れたのは、イーファがシロアに使ったものと同じ。
「――なっ、魔法陣?」
「帰還……ですか。私はまだ聞きたいことがあるのですが?」
いとも簡単に二人分の帰還を発動させたウルズに対し、メイリスは敵意を隠さず言い放つ。
「……メイリス、思ってもいないことを口にするべきではない……それは無駄でしかない……お前にできる事は結局の所、一つだけだ……過去と向き合い、そして今を見つめること……流れ続ける大河に小石を投げこむように、それはお前の思っているほど大それた事では、無い……」
「戯れ言、を……っ!」
「……こればかりは何度でも言おう……俺は嘘を語らない……そして言ったはずだ……信じる必要は無い、と……どうするかは……結局自分次第なのだから……」
ウルズは左手をゆっくりと上げ、緩慢な動作で開く。その動きに合わせるかのように、俺たちを囲む魔法陣が強く、強く光り出した。
答えて貰えないと知ってなお、最後にこれだけは聞く必要があった。
聞かざるをえなかった
「待ってくれ、結局俺って――」
「マサヨシ……すべからく福音に拒まれし、持たざる者……可能であればこの先に邂逅無きことを、俺は強く願う……」
そうしてウルズは、掌を振るう。
――俺は、一体何者なのか。そんな一つの疑問を残したまま。
最後に全知らしからぬウルズの言葉だけを耳に残して、俺は転送と同じ浮遊感に包まれた。




