(24)鉄鬼を統べるモノ
さて、俺にとっての初ダンジョンとなるウルズ迷宮なのだが、進行は殊の外スムーズに行われた。
支配主が既にいないことが原因であるのか、道中は安全そのものでモンスターはおろか罠らしきものにも遭遇しなかった。
左へ右へと進むべき方向は変われど、基本的には一本道。
宝箱はおろか分かれ道すら無く、これを迷宮と呼んでいい物かどうか判断に困る。微塵も迷っていない。
おまけに、ダンジョン内は壁そのものがぼんやりと光っているため、地下だというのに視界はそれなり。
実に親切な設計だ。どうなっているのだろうか。
――まあ、そんなわけで、俺たち一行はなんの被害もなくダンジョンの最深部付近までたどり着く。
最深部付近というのは、既にこのダンジョンを踏破したアルフがそう言ったからに他ならず、そこまでに要した正確な時間は不明。
何時間も歩いていたようには思えないが、地下迷宮ということもあり外界と隔離されていることと、シロアが念のためにとかけてくれた活性の効果もあってか、疲れも今のところ感じない為その辺りはあやふやだ。
ともかく、アルフが休憩を提案したその場所は今まで通ってきた通路よりも開けた空間だった。
ところどころに遺跡や、神殿のような雰囲気を醸し出す無数の石柱が立ち並び、洞窟内とは違いそれなりに人の手で加工されたような印象がある。
ゲームで例えるなら、いかにもな休憩地点そのものだ。
アルフに聞いてみたところ、魔王が討伐された後王都からの要請でこういった場所は大体のダンジョンに作られているらしい。
攻略済みのダンジョンを整備してどうするんだと突っ込みたいのだが、今回のようにモンスターが再度拠点とする可能性もあるので、まあ分からなくもない。納得は出来ないが。
「……モンスター、いませんね」
石柱に寄りかかりながら、ぽつりとシロアが呟く。
動きやすさを重視しているのか、いつもの着物姿とは違いどちらかというと民族衣装に近い出で立ちである。かなりの軽装だが、魔力付与が成された装備なので防御面に心配はいらないらしいが……なぜかノースリーブということもあり良くも悪くも視線に困る。
「そうですね。ここを抜ければ最深部ですので、恐らくそこにいると思われますが――これ、美味しいですね」
無頓着であるのかどうかは知らないが、アルフはシロアのきわどい服装には特に触れずにいる。男としてどうなんだ。尊敬も軽蔑もします。
「何にもないならそれが一番なんだけどな。もう一つどうだ?」
「いただきます」
燻製肉をアルフに手渡す。
「でも襲われたって事はそいつらはモンスターの外見とかを見ているはずだろ? どんなモンスターかっていう情報はないのか?」
「そのことですが、一応マサヨシさんに合うまでに聞き込みをしてみたのですが、全員が全員覚えていないというのです」
「覚えていない……?」
「ええ。ひょっとすると、精神干渉系――記憶操作などの魔法を使う可能性もあります。ともかく、皆なにかをやられたことは覚えている物の、肝心のモンスターの姿は思い出せないようなのです」
「モンスターが魔法を使うって、やばくないか?」
「いえ、モンスターだって魔力を持ちますから魔法を使ってもおかしくはありません」
ただ、とアルフは続ける。
「そんなモンスターはこの辺りに――いえ、そんな魔法を使えるモンスターというのは、そう多くはないはずですが……」
「もしかして、残党とか……ですか?」
シロアが声を震わせる。
残党。
元魔王軍の幹部だったと呼ばれるモンスターの呼称。
数こそ少ないものの、各地にはまだ魔王の寵愛を受けた存在がいると言われている。
魔王がいなくなっても、残党の持つ力は変わらない。
恐らく、個々の強さはバジリスクやキマイラなどとは比べものにならないのだろう。
「やっぱ、引き返した方がいいんじゃないか?」
冷や汗と共に、弱気な発現が出てしまう。
「ははは、本気にしないで下さい。もし残党がいたとすれば襲われた守護者は町へと戻って来ていませんよ。魔王を倒した人類に対して憎悪を抱いているであろう残党が、守護者を生かして返すなんて真似はしないでしょうしね」
軽く笑い、アルフが場を和まそうとしてくれる。笑えないんだが。
しかし、疑問は残る。
「でも、そうだとすると皆さんはなぜ記憶を失ってしまったのでしょうか?」
シロアの疑問はもっともだ。
このダンジョンに訪れた守護者が何らかの被害を受けた後、その原因と思わしきモンスターの姿を覚えていないというのは流石に気になる。
「私達がキマイラを倒した後、確かここへ足を踏み入れた守護者は階級が三以下の者ばかりでした
が……一度確認だけしてみましょうか」
アルフは立ち上がり、手のひらに収まるサイズの透明な玉を懐から何かを取り出す。魔晶石の一種か何かだろうか。
「探知の魔道具です。魔力を通せば、周辺にいるモンスターを識別できる効果があります――ふむ、やはり反応は無いみたいですね。色の有無でその危険度などを知らせてくれる物なのですが」
モンスター探知機である魔道具は、色を変えることなくアルフの手に乗っている。
所有者であるアルフ基準での判定らしいので、俺やシロアからすれば危険なモンスターがいる可能性はあるらしいが、その程度ならば問題ないとのこと。
「何にせよ、最深部はもう目の前ですし、実際に見る方が――」
突如、アルフは剣を構え進行方向の先へと視線を飛ばす。
手に持っていた魔道具が重力によって引きつけられ、石畳の上と落下。乾いた音が周囲に響く。
何事かとアルフの視線を追ってみるが、特に変化もない通路が続いている景色しか見えない。
「アルフレッド、さん……今の……」
アルフが感じたらしき何かを、シロアもまた感じたのか。
蒼白になった表情でアルフと同じ方向へと視線を向けるシロア。その身体は、小刻みに震えている。
「え……何? どうしたんだ?」
一人だけ場違いな事を言っているのを承知で、二人に問いただす。
「魔力――いえ、違いますね。それだけではない何かです」
「マ、マサヨシさんは、何も感じなかったんですか?」
別に、と言いそうになる言葉を飲み込む。
二人の表情は真剣そのもので、俺には気づかない何かがこの先にいることを明確に告げていた。
しばらくして、ようやく構えを解いたアルフは魔道具を拾い上げ、
「先ほどの言葉を撤回いたします。どうやら、この先にいるのはただのモンスターでは無さそうです」
自嘲気味に笑うアルフ。
その手に再び乗せられた魔道具は、どういう仕組みなのか不吉なほど真っ赤に輝いていた。
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「今更ではありますが、お二人は帰還の魔道具をお持ちですか?」
アルフの問いに、二人で頷く。
帰還とは、ダンジョン等でのみ使用できる、出口まで瞬時に脱出できるという魔法。
転送や転移等の移動魔法と違う点は、あくまで内部から外部への移動手段という限定的な魔法であると言うこと。
とはいえ複数人に対して発動できるという利点があり、その効果が込められた魔道具はそこそこ高価なアイテムだ。少なくとも以前ヴィルダンスに貰っていなければ、今の俺では軽々に購入するのは難しい。
便利な反面衝撃に弱いというデメリットもあるため、本来はシロアのような後衛が持つべき物だが、念には念を入れて俺も持ってきている。
「では最悪の場合は、マサヨシさん達だけでも逃げて下さい」
「いやいや、そんなことしないで今すぐ全員で逃げようぜ。アルフの階級って確か六だったよな? それで危険だって言うんなら、なおさら町に戻ってギルドに報告するべきだと思うぞ」
「そうですよ。いくらアルフレッドさんでも、危険です」
「先ほどの異質な力を放つ存在を、放置するわけにはいきません。少しでも情報を得る必要があります」
用心深く歩を進め、さらに奥へと進んでいく俺たち一同。
というより、引き留めるのも聞かずに進んでいくアルフに俺たちがついて行く形だ
状況は変わった。
アルフですら危機を感じるほどのモンスターが、この先にいるのだ。
撤退。それ以外は考えられない。
「私の浅はかさが招いた事態です。ギルドには、お二人で報告をお願いします」
だというのに、コイツは。
責任感か、あるいは正義感が強すぎるのか、モンスターの正体を見るまでは逃げないとかのたまいやがる。
自分の命が大事な俺でもここでアルフを置いて逃げるというのは、どうにも抵抗がある。
無事逃げ出したとして、もしアルフが死んでみろ。一生もののトラウマ完成だ。
「幸いと言っては何ですが、魔道具の色は赤でした。私一人でも逃げ切ることはできるでしょう」
アルフの持っていた探知用魔道具は、使用者の魔力や戦闘能力を基準にして範囲内のモンスターがどれほど危険かを赤か黒に光って教えてくれるという物。
赤は同等、あるいは格上。
黒は次元の異なる存在――と言った具合に、漠然としてはいるが行動の指針とするには十分なわかりやすさらしい。
つまり、黒ではなく赤だから進むだとかどうとか。
……いや、やばいことには変わんねーだろ。
いっそ、無理矢理アルフの手を握って脱出してやろうかとも思ったが、戻った後速攻でダンジョンに潜っていくアルフの姿が容易に想像できたので思いとどまる。無意味だ。
出来うる限りでアルフに着いて行き、やばいと思ったら強硬手段にでるしかないか。
その時はメイリスや金ぴかにも協力して貰おう。あれ、金ぴかって名前なんだっけ?
混乱しつつ歩みを止めないアルフの背を追っていると、アルフが手で制する。
「……奥から、何か来ます」
シロアが声を顰めると同時、アルフは剣を手に構える。
何かを引きずるような音。
それを確認するため、両目に魔力を集中する。
肉体強化。
紫電以外に使えるもう一つの魔法だが、俺の場合短時間しか使えない上に目に限定されている。
当然、見えていても身体の動きがついて行かないという欠点だらけ。使えるだけマシ、と言ったところか。
距離にして五十メートルほど。
「あれは……守護者、か?」
「そのようですね」
こちらへとやってくる存在の正体は、男女の二人組。
アルフも同意してくれたように、実はモンスターの擬態でした、なんてことではないようだが……二人組は、明らかに満身創痍だった。
特に女性の方は深い傷を負っているようで、男に肩を貸して貰いなんとか歩いているといった姿は、今にも崩れ落ちそうなほどの状態だ。
出血の後を残しながらこちらに近づいてくる姿は、見ていて痛々しい。
「あの人達は……」
お互いが確認できるほどの距離に近づいたとき、シロアが何かに気づいたように声を出す。
「悪いがアンタ達、治癒薬を持っていたら譲ってくれないか?」
顔に安堵の表情を浮かべ、叫びながらこちらにやってくる男。
少し遅れて、俺もその顔に見覚えがあることに気づく。
ここに来る前、ギルドでシロアが話しかけていた守護者。どうやらこのダンジョンに来ていたようだ。
「お前は六階級守護者の――」
「それよりも、これを使って下さい。流石に全てお渡しするわけにはいきませんが」
「っ、すまない。恩に着る」
アルフに手渡された治癒薬を、男は女性の傷跡に直接かける。
「直接的な面識はありませんが、貴方は確かフィル=ファガナの守護者ですね? 一体何があったんですか?」
「エッジだ。こいつはアメジア――しくじった。あんなモンスターがいやがったなんて……」
「モンスター……この奥にいるんですね?」
確認するように、アルフがエッジに問う。
「ああ、奴は――」
と、そこまで言ってエッジの言葉が止まる。
「奴…………そう、俺たちを襲ったのは確かにモンスターだったんだ! だが、奴は――――くそっ! 何でだっ! 確かに目の前にいたのに、思い出せねえ!」
エッジは頭を抱え、苛つきをぶつけるかのように叫ぶ。
「やはり精神干渉系の魔法みたいですね。記憶の改竄……いえ、消去でしょうか。エッジさん、帰還は扱えますか?」
「アメジアが使えるんだが、この状態じゃ……俺達は召還師と詠唱師で戦闘は従僕を主軸にした後方支援のパーティなんだ。ここはそこまで深いダンジョンじゃねえし、念を入れて町に戻る為の魔道具はあるんだが……」
アルフほどではないだろうが、エッジと呼ばれた守護者も階級が高いのだろう。
守護者失格だな、とエッジは己の失態を嘆く。
治癒薬すら持ち込まなかったことを後悔しているようで、アメジアと呼ばれた女性は、傷こそマシになったもののまだ意識を失っているのか気絶しているままだ。
「アルフレッドさん、マサヨシさん、私のこれを差し上げちゃ駄目ですか?」
おずおずと、シロアがアルフに手渡された魔道具を差し出す。
「シロアさん?」
「おいおい……」
シロアの考えは分かるが、それはやりすぎじゃないのか。
助け合うことは正しいかも知れないが、先ほどエッジが言ったとおりこのダンジョンに入る用意を怠ったのは向こうだ。アルフが治癒薬をわけたやっただけでも十分過ぎると思う。
守護者は、まず自らを守らねばならないというのは鉄則だ。
それはシロアが一番知っている筈なんだが、
「ごめんなさい……でも、私、もうミナの時のように諦めたくないんです! どれだけ弱い私でも、目の前で助けられる人がいるのに、見て見ぬふりなんてできません!」
なんだが――忘れていたけど、これがシロアなんだよな。
自己保身に走る俺と違い、他人を思いやることが出来る。
それを偽善と呼ぼうが、きっとシロアは曲がらないんだろう。
結果的に助けることが出来たとはいえ、妹を見捨てかけた自分を繰り返したくないのではないだろうか。
アルフと、そして俺に頭を下げ続けるシロアを見るとそう感じる。
やがて、困惑顔だったアルフがゆっくりと口を開く。
「……シロアさんは、思っていたよりも大胆なんですね。わかりました、ただ、一つだけ条件があります。絶対に、魔道具を持っているマサヨシさんから離れないで下さい」
「あ、ありがとうございます!」
「マサヨシさん、先ほども言いましたが、危険だと感じたらすぐにシロアさんと共に逃げて下さい」
「そりゃ言われるまでもないけど……言葉を返すが、俺は今すぐにでもアルフも連れてダンジョンを出たいんだが」
「それは出来ません」
きっぱりと言い切るアルフ。お前も充分に強情だよ。
「あの、どうぞ使って下さい」
シロアはエッジに魔道具を手渡す。
「俺たちは助かるんだが……いいのか? 俺たちはお前に暴言を吐いちまってんだぞ?」
「今はそんなことより、その人を町まで連れて行く方が大事です」
「――感謝する」
エッジはシロアから受け取った魔道具をしっかりと握り、頭を下げる。
「出口に私たちのパーティが待機していますので、思い出せる範囲でこのダンジョンで起きたことを説明して、ギルドにも伝達をお願いします」
「ああ、任せてくれ。この礼は必ず」
もう一度深く頭を下げ、魔道具の力によってエッジ達は目の前から消えた。
二人がいなくなった後、アルフは一つ深呼吸して再び歩き始めた。
それを追い、俺たちもダンジョンを進む。
「自分の身を守るというのは、守護者である以上もっとも重要な要素です」
ギルド長と同じ言葉を、アルフもまた当然のように語る。
「はい」
「しかし、誰かを救おうという気持ちを否定できるはずもありません。シロアさんは優しい心を持っているんですね」
「……でも、実力以上の物を望むのはいけないことだと思っています」
「ならば研鑽し、強くなればいい、それだけですよ」
アルフも、きっとここまでの強さを得るために努力をしたのだろう。その言葉にはそんな重みがあった。
「しかし精神干渉の魔法……だったか? 本当にそうだとしたら、どんなモンスターがいるんだろうな」
「先ほど、アメジアさんの傷跡を拝見させて貰いましたが、風属性の魔法による物でした。恐らくは攻撃魔法も使えるモンスターだと思うのですが――この先ですね」
アメジアの物と思わしき血痕が途切れ、ダンジョンに似つかない鉄製の扉の前でアルフが足を止める。
「扉の向こうが最深部です。確か広い空間になっていた筈ですが……何があるか分かりません。よろしいですか?」
「任せろ。いつでも逃げる準備は出来てる」
後ろ向きな発言に、けれどアルフは真剣な表情で頷く。
アルフがゆっくりと、そして慎重に扉を開け中を窺う。
徐々に開いていく扉の向こう側。
眼前の先には、鉱石で出来たような壁で四方を囲まれ、中央部分には闘技場とも呼べる場所。
壁が水晶のような何かで彩られ、洞窟内とは思えないほど高い天井と広さを持つ空間内は、これまでと一線を画すかのような別世界に思えた。
舞台の中心部には、複数のモンスター。
「なっ――――?」
アルフが息を呑む。
俺もまた絶句し、手が強く握られシロアの恐怖が伝わってくる。
「鉄鬼……いえ、それよりもあれは……」
モンスターの多くは、シロアが鉄鬼と呼ぶ黒い甲冑姿をしており……数は九体。
確か、メイリスがそこそこ戦えるモンスターだとか言ってたっけ。
思いながら、俺の視線を釘付けにしたのはその向こう側。
忘れもしない恐竜型の巨大モンスター。そのあり得ない光景から目が離せない。
「――参ったな。どうやら幻覚が見えているみたいだ」
「信じがたいですが、事実ですマサヨシさん。それに、あの上にいるのはエッジさんが言っていた『奴』でしょうか……どうやらあの瞬間から気づかれていたみたいですね」
肉体強化。
アルフに流れる魔力の量が増した理由は、完全な戦闘態勢に入ったからだろう。
それに引きずられるように、シロアの手を離してナイフを構えた。
帰還の魔道具を使うだとか、そんな器用な真似ではない。
ただ抗おうとする、原始的な反射。
決して目を離せないその正体――死んだように地面に横たわったバジリスクの上にいたそいつは、こちらに手を振りとびきりの笑顔で笑っていた。
「待ちくたびれたよー。ところで、お兄さん達の中にはマサヨシっていう人はいたりする?」