(22)自分なんて
ドアが開いていたのは知っていた。
が、年頃の女子の部屋に無断で侵入できるほどの豪胆さは俺には無い。
ノックを続け、シロア名を呼び続けること、しばし。
「………………開いてますよぉ」
ようやく部屋の主から入室の許可を得られる。助かった。
いくら呼んでも返答が無かったが、勝手に入っていらぬ疑いをかけられるのは勘弁願いたい所なので少し焦っていたところだ。
「入るぞー」
この世界に来て、初めてとも言える異性の部屋にちょっと緊張する。
セフィア? ありゃノーカンだ。
小さな机と椅子。そして反対側にベッドがあるだけで、他の客室と何も変わらないシンプルな部屋模様。シロアのミニマリストな一面を見た。
勝手な妄想で悪いが、もう少し女の子っぽい部屋を想像していたので、ほっとしたと言うべきか、ガッカリしたと言うべきか……微妙に判断に困る。
そんな部屋の張本人とは言えば……制服姿のまま思いっきり寝てた。
え、入って良いって言ったよね?
「寝てるのか?」
呼びかけるが、無反応。
穏やかな表情で眠りにつくその姿を見て、寝かせておいてやったほうが良いのかも知れないと思いつつ、何も告げずに部屋を出るのも躊躇われる為、取りあえず起こしてから考えることにした。
第二案、肩を揺する――反応無し。
「シロア。起きろって」
続いて声をかけてみるが、僅かに身じろぎをするだけで反応は薄い。
「おーい、起きないと襲うぞ」
第三者が聞いていれば品性を疑われる台詞と共に、肩を揺する力を強くする。
「…………」
これも、効果はない。刺激が足りないのかも知れないな。
どうしたもんかと、無防備なシロアの肢体に視線を巡らせる。
着物越しでも分かる、豊満な胸。
スラッとした腰つきに、形の良い臀部。
そして、乱れた裾からちらつく生足。
「…………いかん、落ち着け」
あれか。最近ご無沙汰しているせいなのか。脳内お花畑なほどの低俗っぷりだった。
年の近い美少女が目の前で寝ているというシチュエーションも相まってか、今の俺は普段とは違う方向性の思考に汚染されている。
シロアに対してこんなの感情を抱くことは初めてだが、実際に手を出す勇気なんか無いことは、情けないことに他でもない俺自身がよくわかっている。
そこには鉄の意志などという自制心は無く、極めて保守的な思考だけが俺の最後の砦。そんな度胸も、自信もありゃしない。
「このまま起きるまで待つ、ってわけにもいかねーよな」
言い訳っぽく呟いて、右手をシロアの頬に近づける。
そして、指先でシロアの頬を軽く突いた。これくらいならセーフだろう。
ぷにぷにと、柔らかな肉の感触を感じながら、小さく円を描いてみたり、左右に動かしたりしてみる。
「ん…………ん、ぅ……」
くすぐったそうに身をよじる、シロア。
まあ、結局肉体的な刺激が一番手っ取り早いよな。
こんな所でも性格が出るのか、シロアは俺の指を振り払おうとはせず、逃れようと体勢を変え続ける。
着物風の制服とはいえ、頻繁に動けばそりゃあはだけてくる部分も多くなる。
……このままでは冗談ですまないぞ。
俺の中の良心がそう叫ぶが、俺の指は止まることを知らない。
――早く目覚めろ、シロア。出来ることなら、俺の理性が残っているうちにっ!
などという意味不明な葛藤。
そのうち不快感に耐えられなくなったのか、あるいはたまたまなのか、シロアは薄く目を開けた。
「ふにゃ……マサヨシ、さん……?」
「はい、マサヨシですが。お目覚めでしょうか」
条件反射で敬語になる。こっちには後ろめたいことしかない。
表面上は出来るだけ冷静に、しかし内心冷や汗だらけ。
ゆっくりと身体を起こしたシロアは、着崩れした服装を気にもとめないままこちらを見つめる。
「あれ……どーして、マサヨシさんがぁ、私の部屋に?」
寝起きだからか、若干舌足らずにそう尋ねてくるシロア。あざとい奴。言い意味で。
「あー、とある事情によりちょっと依頼を受けたんで、その報告というか何というか……」
まずい。言葉がうまく纏まらない。
シロアのとろんとした表情はなまめかしく、それが例え無意識であろうともこちらの情欲をかき立てるには十分すぎる効果を持っている。
いや、無論シロアが何かを狙っている訳じゃないことは分かるのだが、正常な男の子している俺にはちと厳しい物がある。つーか、胸元とかやべーんだよ。
「依頼…………ですか?」
「ウルズ迷宮って所の調査らしいんだが、時間があるならシロアも行かないか?」
詳しい部分は省いて、本来の目的であった誘いの言葉を投げかけると、
「――――――――はい?」
途端、シロアは信じられない物で見るかのようして、目を見開いた。
「そ、それは、私も依頼に誘ってくれているということですか?」
「まあ、そうなるかな」
「……からかってたり、しませんよね?」
「意味が分からん。最近守護者っぽい仕事もしてないし、シロアもどうかなと――」
思っているだけなんだが。その言葉は、シロアの頬を流れる涙に気づいたことで声に出せなかった。
「ぅ………………ぐすっ……」
待って。何で泣いているのこの子。
今の会話の中のどこにそんな要素があったというのか。
どうしよう。どうする?
コミュ障を自覚している俺に対して、これは中々にヘヴィな案件ですぞ。
整理しよう。
目の前では、寝起きということもあり、衣服を乱したまま嗚咽と共に涙を流すシロア。
その理由は不明で、この狭い空間の中には俺とシロアしかいないため、第三者に状況打破の協力を要請することも不可能。
何か言葉をかけた方がいいのだろうが、気の利いた台詞なんぞ浮かびやしねえ。
とにかく、この状況を改善するためにも、当たり障りのない言葉を気合いでひねり出す。
頼んだ、脳内の俺っ!
沈思黙考した俺はゆっくりとシロアの肩に手を当て、そして、
「その、嫌なら俺とメイリスで行くから、無理強いしてる訳じゃないぞ」
「ち、違っ、ふぇ…………ぅ、うわぁぁぁぁん!」
結果として、シロアの嗚咽を号泣に変える羽目となりました。
ああ、今すぐ時間を戻したい。
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わんわんと泣き叫ぶシロアを尻目に、どうしたらいいか分からん状態の俺がほぼ不動の構えで見守ること数分。
「……うぐっ……すびま、ぜんっ……お見苦しい所を、見せました」
ようやく落ち着いたのか、シロアはベッドの枕元に置いてあったハンカチ代わりの布でくしゃくしゃになった顔をぬぐう。
こういうときにすっと抱きしめてやったり、頭を撫でられる男様は偉大だ。
俺はといえばおろおろと狼狽え、触れるどころか、黙って見続けることしか出来なかった。
「いや、こっちこそ変な事を言っちまったみたいで、悪い」
正直何が悪かったのかは分からないが、取りあえず謝る。女の涙には勝てません。
「マサヨシさんのせいじゃ、ありません!」
なら、なぜ泣いたし。
「それは……その、マサヨシさんの言葉が信じられなくて、嬉しかったから、です」
ジト目で見つめていると、シロアはその意を汲んだのか慌てながらも答える。
――ああ、なるほど。そう言うことか。
嬉しかった。
その言葉の示す意味は、俺がギルドで盗み見ていた今日のシロアの行動に起因しているのだろう。
恐らくは、シロアも俺と似たもの同士。
自分なんかって考えてしまうんだ。
「お前、馬鹿だよな」
「――へっ?」
突き放されたように思われたのか、捨てられた子犬のような目で見つめてくるシロア。
「常々思っていたんだが、お前は、もっと自信を持ってもいいと思う。シロア=クロフォードは守護者で付与師。俺はかけだしの白騎士。肩書きだけ見ても、どっちが上か分かるだろうが」
「でも、私は付与師と言うだけで、まともな魔法も使えませんし、度胸もありません。今までだって、誰かに迷惑をかけ続けて来て、助けて貰って……だから、マサヨシさんやメイリスちゃんのように魔物に立ち向かっていける強さがある人の方がずっと立派です」
「ただパーティを組んでいたからだとか、知り合いだとかで声をかけたわけじゃないからな。俺はお前に手伝って欲しいから声をかけた。嫌なら断ってくれて構わない。けど、俺はお前をすごいと思っているから依頼に誘ったんだよ。分かるか? 俺が、お前に頼んでるんだ。立場はそっちの方が上で、これは紛れもない事実だ」
「あ……」
まあ、メイリスが参加するからシロアも、といった流れは確かにあったのだが、シロアを認めているのは本心なのでそこは言わない。
礼儀正しくて、常識人で、妹を大事にしていて。
シロアの人物像はそんな程度しか知らなかった。
俺が知ろうとしなかった。
けれど、守護者ということにおいて上級職であり、経歴を積んで来たであろう、その一点に関して卑屈すぎるのは認められない。
「同じ契約者だろうが何だろうが、シロアはすごい奴なんだ。だから、自分を過小評価するのはやめろ」
なぜこういうときに流暢に話せるんだろうか。結構恥ずかしいことを言ってる自覚はある。
これはブーメランになるのか、やはり当事者である俺には分からない。
分からないが、少なくとも俺は間違いなくシロアを認めている。
ならば、今この場に置いては俺の言葉が正論だ。そう思うしかない。
「えっと、その……私は……」
「うっせー! とにかく行くのか? 行かないのか? それだけ答えろ!」
「っ! はい、行きます!」
「ならよし!」
と、多少強引だが言質は取った。
ひとまずはこれで問題ないだろう――――無いよな?
「…………私、マサヨシさんやメイリスちゃんに出会えて良かったです」
柔らかく微笑むシロア。その目尻にはうっすらと涙がにじんでいる。
それが、悲しみの物でないことを祈りたい――のだが、先ほどまで自分を卑下していたのに今は笑顔を浮かべている姿を見て『チョロイン』という言葉が浮かぶ。
いや、そう感じる俺がチョロいのか? 分からん。
「と、取りあえず準備だけでもすませろよ。そのままで依頼を受けるのか?」
急に気恥ずかしくなり、話題を変えようとそう進言すると、
「はい。すぐに着替えますので、ちょっと待って下さい!」
シロアは元気よく返事をして……今、何かおかしくなかったか?
「んしょ……と」
「ちょ、ちょっと待てぇーっ!」
疑問はすぐに解決する。
簡潔に言おう。
俺の前で立ち上がったシロアは、おもむろに着ていた物を脱ぎだした。
「はい?」
いや、何で不思議そうな顔をする。
「俺、ここにいる。シロア服脱ぐ。俺、見える」
片言のように、現状を説明するのだが、シロアはピンと来ないのか首をかしげる。
「それが何か――――あぁっ!」
そう、客室と同じスペースしかないシロアの部屋は狭い。着替えようとすれば、必然的に室内にいる俺がそれを見てしまうということだ。
美少女の生着替え。
見たいよ、見たいともさ。
けれど、そういうイベントは現実的に禍根を残すリスクが伴う。
これからダンジョンに潜るっていうのに、パーティ内でギクシャクするのはリスクが高いと言えよう。
残念な気持ちもあるが、何にせよ、シロアがその事実に気づいてくれて良かった。
「ごめんなさい。マサヨシさんがいるのに、私ったら……ちょっと廊下で着替えてきますね」
「いや、そうじゃねー! 今廊下って言ったか? 何言ってるの? 痴女なの? 露出狂?」
「ちじょ? ろしゅつ……はい?」
だからなぜそこで疑問符が出るんだ。
「シロア……お前には、羞恥心ってものが無いのか?」
「ええと、羞恥心というと、恥ずかしい気持ちってことですか?」
頷く。
「どうして、私が恥ずかしがる必要があるんですか?」
あかん。これ、駄目な奴だわ。
「質問。今まで部屋以外で着替えたことは?」
「無いですね」
「質問。着替えたりするところを誰かに見られたことは?」
「公衆浴場では色々な人がいますし、見られていたかどうかまでは分かりませんけれど」
いや、それは男女別々だから問題無いだろう。
突如判明した、シロアの純真さ……そんな良い物でもねーな。
公衆浴場に限らず、トイレや更衣室といった概念が男女で分けられていることから、まず間違いなくおかしいのはシロアの価値観だ。カルネさん、どういうことですか?
「俺がこういうことを教えるのもなんだけど、普通は人前で裸になろうとはしない。特に女の子
は」
「裸にはなりませんよ?」
「下着を見せるのも一緒だ!」
「でも、下着も服みたいな物ですし、恥ずかしいというのは変じゃないですか?」
いやまー、見せパンというのもあるし、それはそれで一理ありそうなんだが、何か違う。
「とにかく、だ。人前で着替えるのはやめろ。これはお前の為でもある」
治安は安定しているとはいえ、誘い受けってレベルじゃないシロアの羞恥心の無さは致命的だ。
チョロいとかそういう概念を超えている。
そういや、目覚めたときから気にしていないようなシロアの態度には、こういう理由があったのか。
「分かりました……けれど、それだと私どこで着替えたらいいんでしょうか?」
「いや、俺が出るから。それから着替えろ」
「ええっ! そんな、私が着替えるだけでマサヨシさんを追い出すみたいで、悪いですよ!」
「……なら、俺が見ているところでお前は服を脱げるのか? ちなみに、俺は不快でも何でもないぞ」
むしろ役得です。
「マサヨシさんが、それでいいと言うなら私は助かりますけれど」
何がそれでいいの? 何が助かるの? 分けが分からないが……そこまで言うなら、ガン見させてもらおう。
こめかみを押さえつつ、それならばどうぞ、と右手で指し示すと、
「ありがとうございます。じゃあ、手早く終わらせますね」
まぶしい笑顔でそう言った。罪悪感で胸が痛い。
元々乱れた状態の着物。シロアは、慣れた手つきで帯を外し、あっさりと着物を脱いだ。
心臓が高鳴る。
下着替わりなのか真っ白な長襦袢が鮮明に映る。そういや、この世界にブラジャーとかはあるのだろうか。
元々着物──和装とは、全身をすっきりと見せる着こなしが正しいとされていたはずだが、シロアの場合は胸の膨らみを抑えつけようとしていないため、嫌でもその部分に目が行ってしまう。
異世界人という事が理由なのか、ほとんどスタイルが崩れぬまま着こなしていたことを実感し、少し感動してしまう。
そして、そんな想像だけでは終わらない、これからの光景を考えると頭痛すらする。
「昔はサラシを巻いていたんですけれで、胸が苦しくなってきてからやめちゃいました」
欲情の眼差しを向けられてなお、恥ずかしがるポイントが大きくずれている。
やはりシロアは着やせするタイプのようで、帯による圧迫感がない今、その豊かな胸が立派に自己主張しているのが確認できる。
「……見られていると分かると、その、照れますね」
言いながらも、体を隠したりしない。
羞恥と照れはほとんど同じということに、はたしてシロアは気づいているのだろうか。
少なくとも、俺の方に限界が近いということには感づいていないようだが。
衣擦れの音と共にシロアは躊躇無く長襦袢に手をかけ、着物と同じようにはだけさせ――――
「すいません、なんか色々ともう無理です」
本日二度目の土下座。
粋がってみたはいいが、やはり俺にはレベルが高すぎた。
許容量を大きく超えた刺激に負け、大人しく頭を垂れ視界を地面で染めることにする。
俺にはもう地面しか見えない。見られない。
「わっ、急にどうしたんですか? マサヨシさん」
「俺は今、俺を許せないみたいで、その、本気でごめん」
頭上から投げかけられる、シロアの声。
「謝られても意味が分かりませんよぉ! か、顔を上げて下さい!」
「いや、無理だって!」
「な、なんでですかぁ!」
何でもクソもねーよ! なぜ素直に部屋を出なかった、数分前の俺っ!
調子に乗った自分が蒔いた種とはいえ、今は一刻も早くシロアが着替えきるのを待つ。土下座で。
そういうキャラじゃないくせに、下手に調子に乗ってしまったばかりの結果がこの様だ。慚愧の念に堪えない。
「マサヨシさんー!」
「なんと言われようとも、お前が着替えるまでは頭を上げん! ってか、勘弁して下さい!」
もはや、俺本人にも意味不明なこの現場。
身から出た錆とはこのことか。
まあ、まだこの状態ならば軽傷で済むと言えよう。
最悪なのは――――と、思考するよりも先にドアが開く音が聞こえた。公開処刑の合図だ。
「お待たせしました。こちらは用意が出来まし――――」
予感的中。
いやね、アルフはともかくもう一人は同じ宿にいるわけだし、こうなる可能性を考慮しなかった俺がアホだった。死んでしまっていいほどに。
せめてノックくらいはしてほしかったな、と諦めた心境の中、
「すいません……これは、どういう状況ですか?」
メイリスの、何ともいえない呟きが部屋の中に響いた。