(16)異世界式デスクワーク
「良かったんですかー? 一緒について行かないで」
「本人が嫌がっているのに、踏み込む気にはならないな」
「ま、そーいう事にしておきますよ」
「なんだその含みのある言い方は……つーか、こっちはそろそろ終わりそうだから帰って良いか?」
「もうちょっと、もうちょっとだけですから! 何が悲しくて、一人で残業をしなければいけないっていうんですか。酔いも冷めちゃいましたよ!」
「知るか!」
ぎゃーぎゃー喚くセフィアには目もくれず、手元の書類を整理し続ける。
内容は、守護者の功績に応じた報酬振り分け――いわゆる、歩合給金の計算などである。
数十枚はある紙には、守護者名、階級、魔魂札換金によるモンスター討伐実績が記されている。
どの守護者が、どんなモンスターをどれだけ討伐したのかを小分けして報酬へと変換するこの作業をなぜ俺がやっているのかと言えば、簡潔に言って巻き込まれた。
酒場から出た後、宿までの道のりにギルドがあり、途中までセフィアと歩こうと思ったことが失態その一。
ギルド前まで来たところで、唐突に話があるからギルド内に来てくれと言ったセフィアの言葉をあっさり信用したことが、失態その二。
その後、案内された倉庫のような部屋の中。実は話があると言うのは嘘で、酒場で飲みたいが為に抜けだし、まだ仕事が残っているので手伝って欲しいとセフィアに懇願され、すぐさま踵を返さなかったのが失態その三。
後はなし崩し的に、本来セフィアのやるべき雑務の一部を任せられてしまったというわけ。
気になることと言えば、書類各種には守護者の個人情報が赤裸々に綴られているが、ギルド員でもない俺が閲覧して大丈夫なのかと言う一点なのだけれども、
「マサヨシさんは今日はお疲れのようですから、今日ここでの出来事は、不思議とギルドを出ると忘れてしまうんですよ。いいですか? いいですよね?」
「お、おう」
目が笑っていないセフィアに気圧され、了承してしまったのは他でもない俺だった。
どうやら個人情報保護法は、異世界でも有効らしい。
良くも悪くも、場の空気に流されるという悪癖。逃げるタイミングは所々にあったはずなのに、行動が遅いからこんなことになる。取りあえず今回は、全面的に俺が悪い。
とまあ、仕方ないので手伝う以上はさっさと終わらせて宿に帰りたいと、気持ちを切り替えたのがつい先ほど。
モンスター討伐の報酬は別紙参照とのことで、それぞれ照らし合わせた金額を記入するだけ。
資料に関しては、ギルドにある守護者の情報が記録されている魔晶石の内容が紙に自動書記されていくというものだが、それを整理して書き込むのは手書きだ。
なにやらハイテクなのかアナログなのかよく分からないが、量もさほど多くないので機械的にやれば、すぐに終わる。
人間、大体の単純作業はルーティン化すれば意外と直ぐに終えられる。
それが出来ない悪い例は、やる気が出ないだの、小腹が減っただの文句をいいつつ手を動かさない背後の小娘が身をもって証明している。手を動かせ、手を。
書類はほとんど同じ量だった筈なのに、なぜまだ半分以上残っているか理解に苦しむ。
「さて、俺の分は終わったぞ。話はないんだったよな、んじゃ、これで――」
椅子から立ち上がり、部屋を出ようとするがセフィアの手によってがっしりと肩を掴まれる。
ギルガの物とは違いその力はさほど強くないのだが、振り向く気になれないほどの悪寒がする。
「何を言っているんですか? まだおかわりもありますよ?」
「いやいやいや、それぐらい自分でやれよ! 俺は一応渡された分を終わらせたぞ!」
「そんなことを言わずに。私の作業効率が悪いのには、拠ん所ない理由があるんです。訳ありってやつです」
「訳って何だよ……まあ、納得できればもう少し手伝ってやるが」
依頼を斡旋してくれた件の事もある。ついでに、これといった用事もない。
「それはですね、月の最終日に五点鐘が鳴るなんて思っていなかったので、身体が拒否反応を示しているのです」
……聞くだけ損した。
「子供かお前はっ!」
「失礼な! マサヨシさんより年上ですっ!」
謎の逆ギレと共に、セフィアは大きく机を叩いた。
「と、年上? 冗談だろ?」
「ふふん、守護者の登録データは大体頭に入っていますからね。マサヨシさんは確か十六。私はそれよりも五年時を重ねているのだーっ!」
割と衝撃的な事実。全然見えなかった。
「あ、ついでに教えちゃいますけど、シロアさんは十八でメイリスさんは十六です」
「――え、シロア年上なの? メイリスと俺が同い年…………嘘だろっ?」
さらに衝撃的な真実。
「加えて言えば年齢はともかく、一番の古豪はメイリスさんですね。守護者に成れるのは成人してから――十五才からですが、ギルガさんの監視の下、守護者登録する以前より各地で実績を上げてますね」
おもむろに書類を手に取り、ぱらぱらと捲りながらセフィアは続けた。
「ウルフベアーに、鉄鬼、ブラッドラビット……あ、すごい。マウントエレファントの討伐経歴もありますね。どれも危険指定モンスターです。ちなみに、マサヨシさんはバジリスクを倒す功績を挙げたらしいですが、魔魂札提出によるギルドでの報告履歴がありませんので、公式における記録はフラワータートルのみです」
「やめろよ、人を比較するのは――その、良くないことだぞっ! 悪いことだ!」
具体的に優劣を断言され、幼児退行する。
異世界では実力主義。
守護者として全般的にメイリスに劣っている事は知っていたが、改めて指摘されると結構厳しい物がある。
「お、俺はまだ本気を出してないだけだから。ほら、このナイフの事は知っているだろ。どんなモンスターも一撃で戦闘不能に出来るんだぜ」
「その後、とどめを仲間に刺して貰うわざるを得ないわけですが」
「だーっ! いいんだよ、報酬さえ貰えれば! それ以上言うなら俺は帰るっ!」
「お、それは黙ればこのまま手伝ってくれるということですね。さっすがマサヨシさん。素敵です」
「……ぐっ」
バックれちまおうか。
と、考えた瞬間、両手にセフィアの分と思わしきき書類が載せられていた。
すさまじい速さ、俺では気が付けなかった。
「残念でした。美少女からは逃げられません」
にっこりと笑顔。美少女という単語のみにならば、否定出来ないところがむかつく。
「はは、ご冗談を。悪いが、飴も貰えずにこれ以上は付き合えないな」
今時鞭だけで働く奴なんぞは、俺の世界にも一部しか……いや、割といるような気がするな。
人間は環境に慣れ、無慈悲な弾圧を日常だと納得させることすら可能だと聞いた覚えが、微かにある。
しかしそれは、是正されねばならない、歪んだ社会の構図。それは異世界に置いても例外ではない。
「ふむ、つまるところ対価が欲しいと申しますか。仕方ありませんね……出来ることならば言いたくはありませんでしたが──」
まずい。
小さくため息をつく、セフィアの思わせぶりな呟き。
言わせてはならない。聞いてはならないと、第六感が警報を鳴らす。
一刻も早く、手元の書類なんぞ無視してこの場を逃げ出さな――――
「――――明日からも、無事に依頼が受けられるといいですね」
「すいませんでした! 犬とお呼び下さいっっっ!」
それは致命的なまでに、そして脳がとろけるような劇薬。
というか、脅しだこれ。
誰を呪えばいいかと言えば、働き口を押さえられている、我が身の不甲斐なさに他ならなかった。
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セフィアの分を任されたと言っても、元々の量はさしたる程でも無い。
そう開き直って黙々とこなしていったのだが、業務放棄を平然と言い放つこの馬鹿を甘く見ていたのはやはり俺の想像力が未熟だったせいか。
ともかく、セフィアは事あるごとに新たな仕事を増やしやがってくださる。
文句の一つや二つでは済まない。
ふざけんな、と怨嗟の念を持って睨み付けてやったのだが、
「そんなに見つめられると、照れちゃいます――分かりました、これが欲しいんですね」
追加される書類の山。
言葉では届かない。行動では通用しない。
俺の怒りが諦めの感情へと変化するのに、そう時間はかからなかった。
――そうして夜になり、窓の外の風景が黒に染められる頃、善意という名の強制労働終了。
機械的に、ただ自動的にセフィアの変わりをこなしたその先には、ようやく解放されたという事実があっただけ。そこには達成感もクソもない。
借りを返すつもりではあったが、利子がかなり付いたように思える。
「言っておく……これっきりだ。もう絶対に、手伝わないからな……」
書類の束を段ボールに詰め込み、断言した。
「あはは、分かってます分かってますー。元々ここまでしてもらうつもりは無かったんですけれど、マサヨシさんが思った以上の働きをしてくれましたのでー、つい甘えちゃいましたー」
てへ、と舌を出していたずらっぽく笑う。殴りたいその笑顔。
「モンスターとの戦闘に比べれば、死ぬ訳っつーわけじゃないんだが……進んでやりたい物じゃねーな。変に吹聴するなよ。お前みたいなのが他にいるかは知らんが、こういうのは好んでやったわけじゃないからな」
「ご安心を。私とて、ばれたら必然大目玉ですのでー、無駄に公言するつもりはありませんー」
「安心できないんだよな、お前だし」
「そこら辺は信用してもらうしかありませんねー。まー、とにかくお疲れ様ですということで一杯いかがですかー?」
どこから取り出したのか、セフィアの手には一升瓶が。先ほどからテンションがおかしかったが、やはり飲んでやがったか。
「遠慮しておく。酒は苦手だ」
これも生前の記憶か。どうにも、アルコール類に関しては僅かにだが嫌悪感がある。
酒場の雰囲気や、他人が飲む分には抵抗はないが、進んで飲みたいとは思わない。
「まあそう言わずー。これは普通のお酒とは違いますよー。恐らくはこの町はおろかぁ、王都に行っても滅多にお目にかかれないであろう、超高級酒なんですー。店売りのお酒では酔いきれませんのでー、いつも少しずつ飲んでいるんですよー」
「だからいらねーって」
「その名も『神殺し』。飲む人に応じた度数に変化しー、二日酔いの心配もなく良い感じに酩酊できるとゆー、まさしく神の与えたもう一品ですー!」
「なんつー罰当たりなネーミング……っておい、やめろ、瓶を近づけるな。俺は飲まねーってんだろ!」
俺の言葉など、これぽっちも聞いていないであろうセフィアは、瓶そのものを傾けて俺に迫る。
「ふふふふ……口ではそんなことを言っていてもぉ、上のお口は正直ですねー」
もはや脳にまでアルコールが回っているのか。訳の分からないことを言いながら近づいてくるセフィアから、酒瓶を取りあげる。危険飲酒、駄目絶対。
「あぁ……全部取られたぁ……」
一升瓶をふんだくると、悲しそうな表情になるセフィア。
ひょっとすると、泣き上戸もあるのか? 心底面倒くさい。
「これ以上酔うと帰れなくなるぞ。まさか、家まで連れて行けとは言わないだろうな」
「あ。大丈夫でーす。私ギルドに住み込みなのでー、てゆーか、ここが仕事場兼私室でーす」
セフィアはケロッとした顔つきで返答。嘘泣きかよ!
言われて見渡すと、女っ気が欠片も存在しない部屋だが、壁際には確かにベッドのある就寝スペースらしき物もあった。
その周囲は生活圏内を詰め込んだ空間で、整理整頓という言葉とは無縁の魔窟に思える。
確かに、立って半畳寝て一畳と言う言葉はあるが……他人の価値観だ、追求しないでおこう。
たとえセフィアの女子力が壊滅的であろうと、ギルド受付としての公務さえこなしてもらえれば俺からは文句などない。
他人の私生活に苦言を呈せるほど、俺もまともだとは言い難い。
念願叶って……とは、記憶が無いため言い難いのだが、異世界に来たと言う素敵ワードを体験しているいうのに、やっていることと言えば酔っぱらいの話し相手。
そもそもモンスターはともかく、魔王没後のこの世界で俺は何を目的にして生活をするべきなのだろうか。
もし、あの手紙の主に会うことがあるのならば、放任主義きわまりないこの状態に対して一言もの申したいところである。
名指しで指名しておきながら、主人公要素の欠片もないこの立ち位置を与えられて俺に一体どうしろと?
命の危険性が有ることに加えて福利厚生が皆無なこの状況は、下手をすると以前生きていた世界以上に厳しい物のように感じられる。
「何か難しー顔つきですが、どしました? やっぱり一杯いっときます?」
「……お前のその性格が羨ましい」
「?」
はて、と小首をかしげる脳天気娘。
「気にすんな。こっちの話だから――ま、そういう事で俺は帰る。明日からも仕事を探さないといけないしな」
言ってて悲しくなるような、求職者宣言。一応就職している筈なのに、だ。
「そですかー。じゃあ、ちょっと待ってて下さいねー。直ぐに戻りますからー」
言うが否や、セフィアは部屋を出て行く。忙しない奴だ。
「えっとー、どーこーにーやったかなー……あ、これだこれだ――――にゃっ!」
ばたばたと、何かが倒れるような落ちてくるような音が聞こえる。
一瞬見に行こうかとも思ったが、疲れのせいか身体が重く、そのままセフィアを待つことを選ぶ。
面倒だとか、思ってない。多分。
「あたた……やっぱ無理矢理は駄目ですねー」
数分ほどして、頭を押さえたセフィアが部屋へと戻ってきた。
右手には、何やら長方形の小箱を抱えている。
一見するとただの箱なのだが、
「待て、ちょっと近づくな」
「何がです?」
セフィアの持っているティッシュ箱サイズのそれは真っ黒で、見るからにおどろおどろしい。
と言うか、なんか震えてる。怖っ。
「――あ、大丈夫ですよ。ちょっと封印が解けかかっているだけなので、命に別状は無いですし」
「今封印っつった?」
なんだそれは、と問いただすよりも早くセフィアは箱を机に置き、ふたを開ける。
中身は、灰色をした……布? いや、包帯と言った表現がしっくりくる、とにかく不気味な物が入っていた。
「神具とゆーことで、マサヨシさんの武器を調べていたんですけれど、それ、どうやら少々強めな魅惑の魔法がも付与されている見たいなんですよね」
仕事モードに移行したのか、真面目に語り出すセフィアの言葉に聞き覚えのない単語が。
「魅惑?」
「有り体に言えば、モンスター……つまり、魔物を呼び寄せる魔法ですね。結構広範囲に影響があるみたいなので、ギルド長と相談したところ、限定的な封印処理をすべきだという結論が出てます。思い当たることありますよね?」
あると言うか、ありすぎるというか。
「それじゃあ何か、このナイフに付与されている魔法のせいでフラワータートルやらなんやらが寄ってきたってことか?」
「補足するとですね、全てがそのナイフのせいと言うわけではありませんが、多分、おそらく、今日の五点鐘騒動もそれが少なからず影響しているかと」
まったく、と少し怒ったような表情でセフィアは続ける。
「マサヨシさんを責めたいわけではないです。ああ、無いですとも。しかーし、緊急業務に狩り出された私はちょっぴりご立腹だったわけで、今日はお手伝いをしてもらいました。苦情は受け付けませーん」
「それは……うん、悪かった」
つまりセフィアは、その対応に動いてくれていたというわけか。
「しかし、他の物を知らないから聞くんだが、神具ってのはこんなのばかりなのか? 個人的に不都合ばかりが目立つ気がするんだが」
「んー。とゆーかですね、そもそも神具というのは、王都がその詳細を把握し切れていない武器や魔道具を名義的にそう名付けているだけなんですよね。ようするに、鑑定等で正しい解析が成されるまでの物全般をそう呼称するだけで、神具そのものが危険だとか、貴重だとか、そう言う意味合いがあるわけじゃ無いんですよ……ま、取りあえず武器をここに入れて下さいな」
言われるがまま、ナイフを箱の中に置いた。包帯の上に直接乗せる感じだ。
包帯は勝手に動き出し、ナイフの刀身を包むようにして巻き付いていく。
「ふと気になったんだが、封印処理ってのは、この武器にある『別の武器を装備不可』っていう物には適応されないのか?」
「あ、それは無理ですね。このギルドにある魔道具では、あくまで魅惑のような付与に近しい魔法にのみ有効なのですよ。近死も含めてその二つはこのナイフの本質みたいな物なので、それこそ制作者にでもお願いするしかありませんね。存在していれば、ですが」
アムカは確かそのへんで拾ったっとか言ってたし、絶望的だな。
その辺で拾った武器が曰く付きの神具とか、どういう確立なんだろうか。
そんな感情を虚空に投げかけていると、封印処理とやらが終わったのかセフィアが手でどうぞ、と箱を指し示す。
真っ黒だった刀身は鈍色となり、巻き付いていた包帯は綺麗さっぱり消え失せていた。
「色が変わった以外に変化が分からないんだが……これで、無差別にモンスターが集まって来ることは無くなるのか?」
「むぅ……一応ギルドでもっとも強力な物を持ってきたんですけれども、完全に封印するのは無理そうです。魔力漏れてますし」
ふむ。俺には分からんが、セフィアにはナイフから出る魔力とやらが見えているらしい。目を細めて、ナイフを見つめている。
とにもかくにも、これでモンスターに襲われるリスクは減ったようらしいし今までのようなわくわく動物パーク的な恐怖には脅かされずに済みそうだ。
「まあ、マシになっただけでも助かる。ありがとうな」
「お礼は結構ですよー。時期的な問題もあって魅惑付きの武器を持ったままのマサヨシさんには可能な限り対処するようにと、ギルド長にも言われておりましたから。個人的に、仕事も手伝って貰いましたしね」
たいした実績も無いかけだし守護者に、ギルドで一番強力な封印魔法を持つアイテムをあっさりと渡す。それが、職務だからという理由だけでないことくらいは分かる。
ギルガの紹介と言う事もあるだろうが、なんだかんだで気にかけてくれているのだ、コイツは。
「いい女だよな、お前って」
「ふふん。惚れましたか?」
ニヤニヤと含み笑いをするセフィアに、
「――まあ、それなりに」
「ふぇっ?」
予想と違った答えが返ってきたのか、素っ頓狂な声を出す。
「……じゃ、じゃあ、また明日も受付頑張ってくれ。出来れば俺の出来そうな仕事も残しておいてくれると助かる」
それだけ言って、逃げるようにして部屋を出た。
「ちょ――マサヨシさん! 今の本気ですか? 素面ですかーっ?」
言うな。俺にも、何でそんなことを口走ったのか分からん。
セフィアの酒に当てられた……と言うことにしておこう。