(1)手紙と異世界
拝啓、黒崎将若様。
突然の出来事に困惑していると思いますが、まずは落ち着いてください。
事情により、その詳細を語ることが出来ないのですが、今、この世界は崩壊の危機に貧しております。
十分な説明もなくこのようなことを伝えるのは心苦しいのですが、率直に言って、あなたにはその危機を救ってほしいのです。
無論、世界を救ってくださった恩賞としては、あなたの望むだけの物を用意することを誓います。
言語、文字を含め、単位などは一部を除きあなたのいた世界のものと統一しておりますので、ご安心ください。
その他、一切のことについては現在こちら側からの手助けが出来ない状況となっております。
もし接触が出来れば、何らかの手助けをすることを前向きに考えておりますので、どうか長い目でみてください。では、なにとぞよろしくお願いいたします。
と、まあ以上が俺の持つ手紙の内容だ。
何度も目を通したが、長々と書かれている文章に変わりはない。
辺りを見回した感想としては、だだっ広い草原。空を見上げれば、太陽が一つ。雲一つ無い晴天。
近場には人工物らしきものも無いが、今いる俺の位置から左手側遙か遠くには山々があり、右手方向に小さな城みたいな物が見えるんだが……遠すぎてよく分からない。
加えて、ところどころ地平線が見えるあたり、俺の住んでいたところでは無さ……そうだ。
なんで、俺はここにいるのか。何にも思い出せないのだ。
着ている物は白いワイシャツと黒いスラックス。
持ち物と言えば、ポケットに入っていたボロボロに劣化している学生証のような物体オンリー。
辛うじて読める黒崎将若とは、俺の名前だろう。その横に続く(16)というのは、おそらく年齢。
けれど、思い出せない。
手紙と言う言葉も意味も分かる。
ワイシャツやスラックスといった、名称も分かる。それなのに、
自分が何をしていたのか、何をしてきたのか、その全てが分からない。
記憶喪失……なのだろうか。
目が覚めると草原のまっただ中にいたという程度の記憶はある。
つまり、目覚める前の自分に関する出来事だけがぽっかりと空白になってしまっている。
むう、いったい何がどうなってるのか。
どれだけ思い出そうとしても、まったく何も浮かんでこないのだ。
けれど、手紙を読み返すうちに、一つだけもしかしたら、といった感想が思い浮かんだ。
記憶の無い自分。見知らぬ地。異世界を仄めかす文章。
それを知った契機は思い出せないのに、知識としてはある。
「これって、異世界転移?」
そんな疑問。それは同時に、確信に近い物にと変換された。
座り込んでいた姿勢から、飛び起きる。
夢か、手の込んだドッキリである可能性も考えられる。
頬を撫でる風と、手に持った紙の感触は不十分ながらに夢を否定している。
ドッキリ企画を行うにしては、スケールがでかすぎる。軽く犯罪行為だ。
ということは、ということはである。
「え、てことはあれか、俺は何かの事故で死んだとかで、その後神様的な何かに会って、魔王を倒して無双する世界に来たってことか!」
自分でもドン引きするくらいの大声で叫んだ。ぼんやりした思考は、霧が晴れたように覚醒する。
なんだか、テンションもあがってきた。
「マジか…………ふ、ついに俺も選ばれし者となったわけだ」
誰も聞いていないだろうし、思いっきり痛い発言もしてしまう。
喜べ、覚えもよらぬ過去の俺。
今まで何があったかは知らんが、今の俺は極めてハイだ。
以前の世界で不満とか、不平があったかどうかなんて関係ない。
覚えてないしな。
さて、現実を見よう。
多分ではあるが、平凡な高校生が唐突に異世界に――おそらく――召還されたという事実。
これこそが王道。これこそが冒険世界。
きっと人類に敵対する魔王率いるモンスター達と戦い、パーティメンバーと絆を育みながらどこぞの王様に目を付けてもらい、そのまま王国の姫に見初められハッピーエンド。
異世界にきた人間なら、きっと誰もがが想像する話だ。
そんな世界に、俺は来たのだ。
さらに、さらにである。異世界転生ということは、ある種の決まり事のような出来事が存在する。
異世界に召還された人物は、なんやかんやでその世界の常識を覆すような特別な何かを持っている、というのがお約束だ。
そりゃあ、今まで別の世界で違う文明を生きてきた人物に対し、この世界の人物が出来ないことをやらせようとするんだから、ぶっ壊れた力や武器や魔法の一つくらい渡して然るべきである。
きっとものすごいアイテムやら、魔法やらもあるはずだ。
それを使ってモンスターを倒していけば――――そこまで考えて、気づく。
俺、何も持ってなくね?
待て、俺にだけ扱える特殊空間のようなスキルの中に武器を収納しているという可能性もある。
……念じて見るが、無反応。
待て待て、魔法はどうだ。
……呪文が分からん。それっぽい物を叫んでは見たが、魔法の魔の字も出やしねえ。
待て待て待て、ステータス閲覧機能とかは? 秘められし禁断の力は?
……沈黙が雄弁に語っている。
いや、それよりも大事なことに気がついた。
モンスターどうこうより、視界は全て草原。
持ち物はぼろぼろの学生証だけ。
試しに走ったりしたが、俺の思い出せる範囲では日本人の平均速度程度。
当然、疲れも出る。
実は超絶的な身体能力を持っていた俺が、一瞬でこの草原を抜ける――なんて芸当は不可能。
草原と言うことは、当然草しか無い。
もし食用の草があったとしても、見極める知識は俺にはない。
何もない草原で一人。
食物も武器も無く、一番近くであろう城っぽい何かか山まで歩いたらいったいどれほどの時間がかかるのか想像も出来ない。
もし仮に、この世界が異世界だとしてゲームや漫画よろしくモンスターがいた場合の対抗手段なんて、当然無い。
素手でモンスターを屠れるほどの身体能力を期待したところで、現在の俺の運動能力はさほど高いようにも思えない。
「………………詰んでね?」
恐らくは待ち望んだであろう、俺の異世界生活一日目。
自分が餓死するか、モンスターの餓死を助けるかの二択。
そんな暗い未来が見えた。
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体感時間で数分ほど悩んだ結果、俺は城のような何かを目指して歩き出すことに決めた。
このままここにいれば百パーセントの死だ。
歩いて疲労した結果餓死なり朽ちるなりしたところで、ここよりはマシであろう。
文句を言いたくとも、そもそも人気が無いのだからそれらは飲み込む他無い。
とはいえ、何が悲しくてこんなハードモードの冒険をしなくてはならないのか、と少し涙が出た。
思考する時間は山ほどある。
なんて言っても、歩けども歩けども目指す目標は一向に近づかないのだから。
人間の視覚情報はあまり当てにならないと聞いたことがある。
どこの誰が言ったのか分からないが、それをありありと実感できる貴重な機会だと良い意味で例えるほか無い。
城に足は無い。
移動しないのだから、現実的にまっすぐに歩き続けてさえいれば目標と俺との距離はゼロになる。
そう思えないのは、あまりにも距離がありすぎて僅かな差の変化が感じ取れないからだろう。
それでもなお目指そうとするのには、少なくとも人工物である以上は人がいるかもしれないという可能性にかけて。
もっと距離を縮めないとはっきりと言えないが、これだけ遠目で黙視できる以上はさぞ巨大な建築物なのであろう。
これで廃城だったりしたときには、違う意味でこの地に骨を埋める覚悟をする必要がありそうだな、なんて冗談でも言えない。
人はそれを、フラグという。
しかし、心で言うだけならばセーフなのだ。きっと。
「せめて、人間がいればなんとかなりそうなんだけどなぁ」
実際に会ってみないと分からないが、少なくとも相当特殊な性格か独特な思想の持ち主でなければ、まあ会話くらいは何とかなるだろう。
自身のコミュニケーション能力については、今まで他人とどう触れあってきたかを思い出せない以上、行き当たりばったりも良いところなので気にしない。
命がかかっている状況でプライドを重視する必要性があるのかはどうかなど、愚問だ。
最悪泣き落としなど土下座などして、どうにかなるようにするつもりだ。
人間生きてさえいれば、なんとかなる。
「……って、死んでこの世界に来たってパターンもありえるから何とも複雑な心境なのであった、まる」
独り言が増える理由なんて、他にやることがないのならある意味自然な動作。
無言で黙々と歩き続けるのもいいのだろうが、体力的にはともかく精神的に耐えられそうにない。
青い空。白い雲。草の生い茂る草原。
後ろ所々に山。前方変わらず城。
歩いても歩いても変わらない景色には、ちょっとゲシュちゃんとタルトちゃんが崩れて壊れてしまう。
せっかくの推定異世界だというのに、やっていることは健康的なウォーキング。
ファンタジー要素のかけらもありゃしない。まあ、自然の豊かさだけならば存分に味わえるのだが。
「? なんだ、あれ?」
突如、視線の先に変化が現れた。
細く、何か輝きを持った物体が城の天辺部分から空に向けて伸びている。
黄色の燐光は遠目にもハッキリと写り、天を貫ぬく柱として輝き続けている。
その光の帯をぼーっと見ていると、数十秒程経過して眼前の数百メートルほど先に、突如同じ物が現れた。
大きさは、どのくらいだろうか。距離と比較対象がないせいもあって、いまいち分からない。
思わず立ち止まり、光を見つめ続ける。
頭の中で数えること十二秒。光は霧散するように消え、その中心部辺りに人影が現れた。
男か女かは分からない。
地面に座り込んでいるのと、立ったままこちらを見ているようなのが、合計二つ。
まだ声が届きそうな距離でもなさそうなので、試しに大きく手を振ってみる。
しばらくそうしていると、こちらに気づいたのか立ったままの人影が同じように手を大きく振り返してくれた。
近づこうかな、近づこう。僅かな脳内会議を経て、人影らしきものに向かい、歩き出した。
願わくば、友好的な人だと思いたい。
人肌寂しいと言うほどでもないが、心細かったのは事実。
こちらのボディランゲージを理解してくれているみたいだし、意思の疎通は出来そうだ。
これで安心だ、と――――独白したのが間違いだったのか。
世界が思考を察知したのか、はたまた条件が既に揃ったのか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいから、変わらないままのあなたでいて欲しかった。
初めに気づいたのは、音だ。
ドドドド。
耳鳴りかな、と思ったそれは、背後から聞こえてくる。
ドドドドドド。
どんどん大きくなる。ついでに、地面も揺れている。
ドドドドドドドドドドド!!!
地震もかくやといった具合の騒音と振動。
冷や汗をかきながら後ろをちらりと見た。
「いや、ほんと、ええ……。そういうの…………いらないからあああああぁぁ!」
叫び、走る。
牛だ。牛ががこちらに向かって来ている。
やたらでかい、それでいて錯覚ではなければ体中が燃えている。
燃えた牛だ。炎を纏っている牛だ。そんな牛は知らない。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!」
全速力。全力で。怪物から逃れるべく走った。
目の前の人影は、変わらず手を振っている。
立っている人は女だ。
黒い長髪を揺らしながら、笑顔で手を振り続けている。
女の目には俺の背後に迫るものが写っていないのだろうか。
動いたことによるものとは別の冷や汗が出てきた。
だが、今はそんなことに気を配れない。
走って走って、目の前が真っ白になるまで走って――――――轟く爆音。
そこで俺の意識は途絶えた。