表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/39

Alla Marcia(行進曲風に)

 

 カーディガン子の言葉はその場の空気にぴきりとひびを入れたように感じられた。

 口を開いていた者は沈黙し、沈黙していた者は緊張する。


「誰が残るのか決める……?」


 和尚が不思議そうに問い返す。その腕の中では幼子が不安げに作務衣を握っていた。

 氷を切り出した像を思わせる少女は短く告げる。


「この季節にクルーザーを複数台アクティブにするほど十三鷹は破廉恥ではありません」


 ピリリと胸の奥をひりつかせる声音。

 俺は飲まれないよう、努めて軽く息ををつく。


「学校がクルーザー持ってるのか。さすがお嬢様」


「学舎に船を寄贈したことはありません。十三鷹は私の家名です」


 言葉の意味を理解するのにしばらく時間がかかった。


 このお嬢様たちが所属するのはトミタカ学園。

 で、この子の名前も十三鷹。

 ――――つまり、こいつは?

 俺の疑問を代弁するように鶚が問うた。


「あなた、トミタカの関係者?」


「はい。十三鷹家の緋匂ひこうです。船は父の私物ですので、誤解なきよう」


 変わった話し方だ。

 古風と言うか、文章語をそのまま口にしているような印象。

 カーディガン子改め緋勾はキリコが集まっている園の前方を見やる。


「船は一つしか手配できていません。定員は限られています」


 ふっと鶚が鼻で笑った。


「娘が死にかけているのに船が一つだけ?」


「!」


 ホオズキ子が敵意に目をぎらつかせる。


「もう何日も前からここに閉じ込められてるって分かってるのに? 救助隊も寄こさずにキャビアでも食べてるの? あなたのご家族は」


「あの大雨を浴びるのがこの土地だけなら、十三鷹は私の救助にあらゆる手を打ったでしょう」


 読点で数秒の時間を置き、白いカーディガンの少女はよくできたスピーチを思わせる抑揚をつけて話す。 


「ですがこの土地を通り過ぎた雨雲が国中に四散することは予期されていました。であれば、私財を投げ打つべきは私ではない。お国の方です」


 緋勾は淡々と言葉を継いだ。

 要するに十三鷹の長は娘の救助に全力を尽くしたりはせず、最低限の資本・人員でそれを為そうとしているらしい。

 だから娘のSOSをキャッチしても手配する船は一つだけ。

 残りの船や金、人間はすべて国の救助活動に寄与させる。

 で、彼女自身もそれを理解している、と。


 ――――何か冷たいな。


 そんな考えが脳裏を過ぎるも、ふっとかき消えた。

 よく考えると俺の家も大して変わらない。


「私の命はこの場のあなた方よりは重い。……ですが数千人、数万人の命に比べれば軽い。それだけのことです。誤解なきよう」


「誤解しているのはあなたです……!」


 和尚は子供たちを下ろし、大気が熱くひりつくほどの怒りを見せた。


「命はすべて等しい!」


「……論ずるに値しません」


 一蹴し、緋勾は続ける。

 彼女の手には白い携帯端末。


「通信環境が悪化しているので確証は得られませんが、じき船が到着するでしょう。ですが、多少水が嵩んだところで道路は道路です。突入・脱出は困難を極める」


 確かに、と俺は海をちらと見る。

 ハーバー12の水没具合はせいぜい1.5メートル。

 もしこの水上で船を走らせようとすれば大量の漂流物はもちろん、乗り捨てられた車がすべて障害物へと変わる。

 慎重に進まなければ即座礁だ。


「一度ここを出たら最後、次に戻ってくるのはいつになるか分かりません」


 緋勾の栗色の髪が潮風に揺れた。


「船に乗れなかった人間はいずれアレに囲まれ、死にます」








 こりり、こりりり、とキリコが集まってくる音。

 屋上の隅に積み上げられ、ブルーシートを被せられた人間の破片をホオズキ子が放擲する。

 ずいぶん膨らんでいるが、水死体だろうか。


 流れ着いた死体を集めて、バラして、使う。


(思いついてもやるか? 普通……)


「私たちはこの場を去ります。少なくとも三人分の席は私たちが使う」


「ッそれは――――」


鴨春おうしゅん


 数人の女性保育士が反論を口にしようとするが、人体を投げ捨てたホオズキ子がトンボを軽く振る。

 ぶん、という風切音。


「妙な気を起こさないで」


 ホオズキ子改め鴨春はキリコを見下ろす目とまったく同じ冷ややかさで周囲のすべてをねめつける。


「お嬢に近づいたら突き落とす」


 ぼっちゃん、と人体の一部が海に落ちる。

 こりりり、とキリコが囃すような音を立てていた。

 和尚が身構えるも鴨春はトンボを上段に構え、迎撃の意思を示す。


「彼女は咲酒鴨春さきさかおうしゅん。私の無二の友です」


 緋勾の紹介を受けた鴨春は俺、鶚、和尚に順に寄こした冷たい視線を自己紹介に代えた。

 地の利があるとは言え、死体を餌にキリコを退け続けた彼女の胆力は本物だ。

 園長と保育士たちが何も言えず、動けないのも頷ける。


「和尚やめろって」


 俺は自分でも驚くほど冷たい声でハゲを止めた。


「子供が見てるぞ」 


「……」


 それに、鴨春はともかく緋勾を傷つければ船はおそらく引き返してしまう。


 和尚が苛立たしげに緊張を解くも、彼女は構えを解こうとしなかった。

 ぴんと張った弦を思わせる姿勢のまま、鴨春は告げる。


「恐らく船の定員は十人。多くても十五。全員乗ることは不可能です」


「クルーザーなら客室じゃなくて甲板にも乗せればいいでしょ。インドの電車みたいに」


「船体が沈んで座礁するリスクが増えます。それは見逃せない」


「……!」


 ぎりり、と和尚が歯噛みする。


「あと七人。その中から選んでください」


 子供は二十人弱。

 大人が四人。

 俺たちが三人。


 事実上の椅子取りゲームだった。






「あの」


 おずおずと美羽が割って入る。

 電動の車椅子がういい、と間抜けた音を出す。


「私はここに残るよ、緋勾ちゃん」


「……」


 緋勾は僅かに眉を寄せた。

 そのプレッシャーにたじろぎつつも美羽は言葉を継ぐ。


「だって私、車椅子の分だけ重いでしょ? その分、子供が乗ると思うし」


「……例えばここにいる子供達やそこの庶民が外へ出た時、個人の持つ力以上のことができると思いますか」


「え?」


「できません。彼等には資産がなく、権力もない。社会に対する影響力を持ちえない彼らにできることなどたかが知れている。……でも私たちは違う。今頃あなたの家族も鴨春の家族も、雨に閉じ込められた中で必死に救助の手配を急がせているはず。私たちが生還することでそういった人的、金銭的資源を社会へ向けることができるし、家名を以って独自に命令を下せば社会に対してより肌理きめの細かい貢献が可能となる。それは結果として多くの人間を救うことに繋がる」


 緋勾は少しだけ語尾を強めた。


「資産があり、地位があるとはそういうことです。私達は社会に対して大きな責任を負っている。感情に流されることは許されません。誤解なきように」


 美羽が黙り込むことで金持ち達の結論は決まったらしい。

 ――――だが俺達庶民は椅子取りゲームをする運命から逃れられない。


「カラス。和尚」


 鶚が口火を切った。


「悪いけど私は乗る。どんな手を使っても」


「鶚……あなたという人は……!」


「和尚は子供を護ってここで死ぬ?」


「ッ。それは」


「……私はいいんです。もう」


 ふと見ればその場にへたり込んだ園長が諦めきった言葉を発するところだった。


 もうだいぶ髪に白いものの混じり始めた彼女は見るからに憔悴している。

 よその子供を預かり、我が子の元に駆け付けられず、ただただ年長者としての役割を求められ続けたのだから当然だ。


「お願い皆さん。一人でも多くの子供達を助けてあげてください」


「園長!」


「園長ぉ……!」


 若い保育士達の間には悲壮感が漂っている。

 彼女達は善意でここに残ったのだろう。今さら子供たちを見捨てることはできないらしい。

 が、その子供たちも椅子取りゲームの当事者だ。

 子供二人を大人一人分と仮定しても溢れてしまう子供が出る。


(……)


「で、カラスはどうするの?」


 俺に水を向けた鶚は唇の端を持ち上げる。


「私と一緒に来る?」


 カラス、と和尚が割って入った。


「後生です。どうかこの通り」


 和尚はつるつるのハゲ頭を下げた。


「席を子供に譲り、私と共に残ってください。園長たちも護らなければならない。男手が……必要なんです」


 鶚と共に行くのなら半ば力ずくで子供たちを押しのける必要がある。

 和尚と共に残るのなら死すら覚悟しなければならない。



 俺は――――


 当然、俺の利益のために動く。



「あー。ちょ~っといいかな」




 俺が挙手をすると緋勾、鴨春、それに美羽がこちらを見やった。

 俺はへこへこと商売人を思わせる卑屈な笑みを浮かべる。


「クルーザーってさ、がっつり最大船速で突っ走るわけじゃないよな?」


「当然です。障害物をかわさなければならないのですから」


「! キリコはどうするつもりですか!?」


「私が見た限り、あれは船に追いつけるほど速くない」


 この場の誰よりも多く、長くキリコと対峙した鴨春の言葉には重みがあった。


「まあちょっと黙ってろって和尚。……つまりさ、クルーザーって割とゆっくり進むわけだよな? もちろん、直角に曲がるのはリスキーだから最短距離の直線で海に出る」


「……ええ」


 緋勾は俺の意図が読めないのか、不安そうな顔をしていた。


「ってことは、だ」


 俺は親指を鉄扉に向けた。



「ロープで繋げても平気だよな、俺たちの『船』を」



 俺はクルーザーなんてものに乗ったことがない。

 見たことすらない。

 何だか高級な個人用の船、ぐらいの認識しかない。


 だがその形状をイメージすることはできる。

 船というものはほぼ例外なく、ロープで繋留できるようになっている。


「!」


「あ」


 この場合、重さは座礁に関係ないはずだ。真上に乗るのではなく、並列に水に浮くのだから。

 牽引するパワーはエンジンに負担してもらうが、おそらく足りないことはないはず。

 そしてエンジンを吹かして道路を突っ走るわけでもないのなら、カーブした時に遠心力で吹き飛ばされるリスクも少ない。


「保育士さん一人と子供二人をセットにして一つの小舟に乗せる。で、結婚式の空き缶ガラガラ車みたいにクルーザーの後ろに結ぶ。これなら全員脱出できる」


「そんな机上の空論を――――」


「見殺しにした方が楽しいのか?」


「いえ、助かるのなら助けたいです。ですが」


「ノブレスなんとかはどうした。どうせお前らはリスクを負わないんだから、博打ぐらい好きにさせろよ」


 俺が自分でも思いがけず鋭い言葉を差し込むと、緋勾は静かに目を閉じる。


「……それもそうですね」


 そこに感心やリスペクトの情は感じられなかった。

 元より、緋勾や鴨春が心動かされるとは思っていない。


 だが美羽がいる。

 彼女は子供たちを助けたいと思っているし、(格好だけかも知れないが)己が身を差し出してまで船に席を設けようとした。

 ここで子供をしっかり救助することができれば彼女の中で俺の株はぐんと上がる。


 鶚と共に行ってもこの金持ち達に恩は売れない。

 和尚と共に残ってもこの金持ち達は礼など言わない。

 わが身を助けるのも大事だし、子供を助けるヒロイズムも分からなくもない。


 だが俺が見ているのは最も金になる道だけだ。

 今、俺にそれをもたらしてくれるのは優しい優しい美羽だけ。


「カラスさん……」


 美羽の瞳は不安と期待に揺れていた。

 実にいい。俺にグッと来ている目だ。


「大丈夫だ。任せろ」


 これはピンチじゃない。

 ――――チャンスだ。


 きっちり恩を売り、将来的に回収させてもらう。

 そう考えると俺は舌に滲む唾液を抑えられなかった。


 水を差したのは十三鷹緋勾だ。


「……確かに都市計画上、ハーバー12には水に浮く物品が少なくありません。ポリエチレンなのかポリプロピレンなのかは知りませんが、あなた達が乗ってきた身の回り品もそう」


「……」


 鶚が微かに怪訝そうな顔をした。

 が、緋勾はそれに気づかず更に続ける。


「ですが一般に、水に浮く物質というものは限られます。園の周辺にそんなものがあるとは思えません」


「あ、ありますよ!」


 叫んだのは園長だ。

 彼女も今や生気を取り戻し、目を爛々と輝かせている。


「倉庫に使っていないビニールプールがあります! ロープも!」


 それを受け、別の保育士が俺に声を投げた。


「あの、そこ、ウォーターサーバーのボトルもあるんです。空っぽにしたらイカダになりませんか?」


「……いいな。使えそうだ」


 俄かに屋上をざわめきが包んだ。

 キリコのこりこりいう音が聞こえなくなるほどの騒ぎだ。

 鴨春が大慌てで屋上の縁へ飛び、危うく庇を登りかけていた一体をトンボで叩き落す。


「鴨春!」


 俺は彼女の名を呼んだ。


「え、は、はい」


「さっきみたいに人間を投げて、キリコを近づけさせないでくれ」


「! 分かりました」


 ビニールシートを被った肉塊は多くない。

 それにクルーザーが到着すれば早々に逃走劇が始まってしまう。

 時間の猶予はあまりない。


「和尚!」

「カラス!」


 俺達の声はうまい具合に重なった。

 和尚の目には今や希望の灯が光っているようにも見える。


「手伝わせてください。二人でやればすぐに」


「ああ。助かる」


 俺たちは激励の言葉を浴びながら鉄扉を開いた。

 背後で鶚が肩をすくめる様が目に浮かぶようだった。




 階段を下り、暗く冷たい園内へ。


 ぼっちゃん、と遥か遠くに人体のパーツが落ちる。

 ああやって鴨春が引きつけてくれている間、キリコが俺達を襲ってくるリスクは最小限に抑えられる。


 水没した保育園一階はさながら海底遺跡のようだった。

 首をかろうじて水面に出した俺は、磯臭い匂いを肺一杯に吸い込むはめになる。


「和尚。ロープを探してくれ。俺は浮袋を」


「分かりました。キリコに気を付けてください」


 分かってる、と俺はドアの盾を示した。

 が、首から下は水の中だ。正直、この状況で襲われたら一巻の終わりだろう。



 そろそろと水中歩行をしつつ、俺は倉庫を目指した。

 時折身体を撫でるのは魚か、漂流物か、それ以外の何かか。

 骸骨の化け物が動くこりこり音が聞こえないか耳を澄ましつつ、俺は短い廊下を曲がる。



 鴨春の言葉は正しかった。

 餌に夢中のキリコは生身の人間を襲わない。



 ――――たとえそれがドクロ仮面の侵入者でも。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  個人の利益のみを追求し、どう見ても善人ではない主人公が最も善良な選択を見せる爽快感。 [気になる点]  単純な生科学的な問題で言えば愛も情動もただの生物学的アルゴリズムでしかなく、快不快…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ