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morendo(絶え入りそうに)

 


「……どうしたの?」


 窓の下へ身を引っ込めた俺を見、鶚が怪訝な顔をする。


「へ、変な奴がいた」


「変な奴、とは?」


 和尚が窓へ首を伸ばそうとするのを見、俺は慌てて止める。


「待てって和尚! 危な」


「! あれは……」


 頭を掴んで伏せさせようとしたが、ハゲ頭でつるんと俺の手は滑る。


「良いものを見つけてくれました、カラス」


「へ?」


「あれを」


 和尚に従い鶚が窓の外を見る。

 俺もそれに倣ったが、どうしてもさっきの奴の姿を目で探してしまう。

 ドクロ仮面に黒い服。


(キリコじゃなかった。あれ、人間だ……)


 海面にはゆらゆらと誰かの死体が揺らめいている。

 一撃で仕留めたように見えたが、実際には数本の矢が生えている。

 背中に一撃食らってもなお倒れず逃げ続け、とうとう窓の外へ飛び出したところで息の根を止められたらしい。


(ひっでえ……)


 残酷だ、という意味じゃない。

 やり方が雑過ぎる。


 緊急避難として人殺しをするにせよ、悪意を以って殺すにせよ、文明社会はまだ生きている。嘘でも周りの目を意識しなければならない。

 人殺しの瞬間を隠しもせず、死体を処理もせず、無造作に殺して立ち去るなんて正気の沙汰じゃない。

 あの『ドクロ仮面』はどうしようもないバカか、もしくは――――


(……見られたよな、俺)


 向かいに見える棟の名前を俺は知らないが、校舎からは渡り廊下一本分の隔たりがある。

 直ちに何かが起こることはないだろうが、早く敷地を出た方が良さそうだ。


「カラス。あれ、見える?」 


 鶚が示したのは『EMERGENCY』とどぎつい赤マジックで書かれた窓だ。

 口蓋から伸びる舌のように板切れが海へ伸びており、それを目で追うと階段の側面に設けられた花壇、更に倒木が目に入る。

 敷地内のどこかに生えていたであろう樹の幹はあまり太くはないが、それゆえに運搬することができたのだろう。

 倒木の根本はこちらの建物に繋がっているようだった。


「あれを伝っていけば向こうの棟に行けるかも」


「向こうの棟か……」


「うん。こっちよりはモノがある。船の代わりになるものが見つかるかも」


 鶚の言う通りだ。

 彼女の「部室」にはいくつかの貴重な物品が残されていたが、所詮は個人の持ち物だ。

 どう知恵を絞っても船にはならないし、武器になるものも限られる。


「……ところでカラス。変な奴、というのは? 先ほど何かが水に落ちる音がしましたが」


 和尚に問われ、俺は端的に状況を伝えた。

 鶚が手で庇を作り、ぷかぷかとうつ伏せで漂う男を見やる。


「あ、ホントだ。死体があるね」


「!!」


 和尚は息を呑み、青ざめた。言葉を失うとはまさにこのことだろう。

 反対に鶚は冷静に死体の様子をつぶさに観察しているようだった。

 そこに死体への恐怖や忌避感は微塵も感じられない。

 既にキリコによる虐殺を目の当たりにしているのだろう。


「ドクロのお面、か。喧嘩した勢いで殺したわけじゃなさそうだね」


 鶚は軽く肩をすくめ、俺に向き直る。


「キリコがうろうろしてるのに人殺しって……だいぶネジ飛んでるね」


「そうだな」


 でかいブーメランにならなければいいけどな、と俺は心の中で付け足す。


「何?」


「別に。……お?」


 がちゃちゃちゃ、と水面を叩く音が聞こえた。

 キリコだ。

 窓からつんのめるようにして人骨の群れが次々に海面へ落下している。

 ばちゃ、ばちゃちゃ、と着水の衝撃でバラバラになった骸骨はすいーっとアメンボのように死体へ集い、また人間の姿へ戻った。


 奴らは死体に取りつくと、我先に腕や脚を毟り取る。

 ぶち、みちみち、と筋繊維のちぎれる嫌な音が聞こえた。

 ぷちゃ、ぱたたたっという音は血しぶきだろう。


(つくづくバケモノじみてるな……) 


 キリコ達は雉谷の時と同じように肉を噛み、骨から引き剥がしているようだった。


「死体でもお構いなしなんだね」


「だな」


「あ、あ……」


 和尚はぱくぱくと口を開閉させていた。

 キリコが人を殺す現場を目撃するのは初めてらしい。


「吐かない方がいいと思うよ? 胃に負担かかるから」


 鶚は蔑むような冷笑を浮かべ、手の中で空き缶を踊らせた。


「おい。何する気だ」


「せっかくだから確かめてみようよ。キリコが何に反応したのか。……ふっ!」


 鶚の放った空き缶は死体から数メートル離れた場所に着水し、ぷかりと浮かんだ。

 キリコ達は食事を止めず、ただ黙々と肉を食み続けている。


「……反応しないな」


「ってことは『振動』に反応してるわけじゃなさそうだね」


「ああ。で、たぶん『呼吸』でもないよな。あいつ落ちてから息してないみたいだし」


 残るは目、耳、鼻辺りか。

 こうして少しずつ情報を積み上げることは重要だ。

 俺たちはAという情報しか知らなくても、BやCといった情報を持つ人間と協力すればそれは強大な武器となる。


「ふ、二人ともどうしてそんなに平然としていられるんですか……!」


 禿頭の和尚は頭頂部まで青くなっていた。

 頭皮にも血管って通っているんだろうか、なんて考えがちらりと頭を過ぎる。 


「人が食べられているんですよ!?」


「そうだね。ああはなりたくないよね。……他の誰かがああなっちゃったとしても」


「……! 違う! 他の誰かもそうさせないんです!」


「そう。頑張ってね」


 鶚は事も無げにそう告げると、ヒーターのスイッチを切った。

 トランジスタグラマーな体躯を羽毛のジャケットで隠し、彼女は俺達の服を放る。


「服、もう乾いてるよ。キリコがいない内に移動しよう?」



 防火扉を開くことに抵抗はあった。

 だが開かなければ先へは進めない。


 こうした緊急事態において、攻め手に回る奴はきっと死ぬ。

 攻めるということは隙を晒すことでもあるからだ。

 島から逃げ出そうとすれば溺死のリスクが、物資を奪おうとすれば怪我をするリスクが高まる。

 今なら外出するだけでキリコに襲われるリスクが発生する。


 守りに回ることこそが正しい道。俺はそう考える。


 ――――ただし、それは亀のように手足を引っ込めガタガタ震えることじゃない。


 ヌーの大群がサバンナを駆けるように。

 ミツバチの大群がスズメバチに立ち向かうように。

 トリケラトプスがティラノサウルスを前に一歩も退かぬように。


 俺は前進をやめない。

 防御したまま前へと進む。

 それが本当の意味での「守勢」だ。



 ハンドルを回し終えた俺達は互いに頷き合い、ナップザックを背に廊下を駆けた。


「キリコが出た時の対応はそんな感じで」


「分かりました」


 和尚が頷き、鶚が頷く。


 作戦はシンプルだ。

 キリコと出くわしたら和尚が背負うパイプ椅子を広げてぶん殴る。

 俺と鶚が手首を回収して距離を取る。

 キリコが再生する。

 和尚が殴る。

 俺と鶚が足首を回収して以下繰り返し。

 頭蓋骨と手足を奪い取れば奴らは無力化できる。


「捕まえると動きが止まるのは何か……糸のようなもので繋がっているからでしょうか」


「んー……どうだろ」


「それだと説明できないことがある。けど、今はその理解でいい気がする」


 幸い、キリコのこりこりいう音は聞こえない。

 俺たちは数メートルの距離を難なくクリアし、角を曲がった。


「ウッ……」


 その瞬間、和尚が口元を押さえてその場にうずくまる。


「げっ」


 俺もまた凍り付く。

 キリコに喰われるとどうなるか、それを目の当たりにしたからだ。


「……結構、キツいね」


 さすがの鶚も目を背け、激しく嘔吐する和尚の背中をさすってやっている。

 廊下の至る所に堆積した赤黒い肉塊からは、つんと鼻をつく刺激臭が漂う。


 男も、女も、老いも、若きも判別できない。

 骨だけを抜き取られた無残な肉塊は、かつてそれが知性ある人間であったことすら疑わしいほど形を崩している。

 パッケージごとミキサーにかけたチョコレートの堆積物に銀紙と厚紙が混じり合うように。

 肉塊には毛髪と衣服が乱雑に混じり合い、奇妙な色彩を見せていた。


 細部まで直視することはできなかった。

 ただ、血液と消化液と脂とその他諸々の液体が混じり合い、この異臭を放っていることだけは理解できる。


「綺麗に骨だけ抜かれてるみたい。歯もあんまり残ってない」


 うえええ、と和尚が嘔吐する。

 俺も耐えきれず、胃の中身をぶちまけた。


「……二人とも大丈夫?」


 鶚は爪先で肉塊をぶちゅりと蹴り、呟いた。


「骨だけ抜いてるって、何か嫌だね」


「?」


 脱力感と共に立ち上がった俺を見た鶚の表情に不安が過ぎる。


「だってキリコ自身が骨でしょ? 何か、仲間作ってるみたいで嫌だなって」


「……殺された奴の骨もキリコになる、ってか?」


 ゾッとする。

 まるで噛んだ者を仲間に変えてしまうゾンビだ。


「まあ確信はないけど。もしそうだったらその内、島中キリコだらけになるね。そうなる前に逃げないと」



 幸い、キリコは新たな餌に夢中になっているようだった。

 海中に没した樹を渡り、花壇を渡り、板切れを渡るという一連の動作の間、こりこりという音が近づく気配は無かった。




 一歩間違えば自分も肉塊。

 その焦燥は俺達の動きから一切の無駄をこそぎ落とした。

 すばしっこい俺が先頭になってドアを開け、索敵。

 和尚が突入して物資を漁り、窓から見えない高さの鶚が物見に立つ。

 一定時間を過ぎたら収穫がなくとも撤収して次の部屋へ。

 訓練された特殊部隊のごとくアイコンタクトで意思疎通を図り、俺たちは次々に棟内の部屋を捜索した。


「ドクロ仮面のことなんだけど」


 舟に使えそうな道具を探す道すがら鶚が呟いた。

 和尚は巨大なハロウィンのカボチャ飾りを発見し、水に浮かべている。


「カラスはどう対策するつもり?」


「いきなり撃ってくるかな」


「撃ってくるって考えて動いた方がいいと思うけど」


 鶚は辺りに軽く目を配る。

 大学の廊下は隠れる場所が多い。鳩子を襲ったキリコのようにドクロ仮面が突然現れたら確かに対処不能だ。

 彼女の声には焦燥が含まれていた。


「ここから先、護身のことは考えておくべき」


「……護身、ね」


 鶚にしてみればそれこそが死活問題だ。

 何せ彼女は身体能力において俺や和尚に劣る。

 ドクロ仮面に俺たちが殺された場合、それは彼女にとっても死を意味するのだ


「武器がいると思う」


「……いや、防具だな」


 俺はすぐ傍のゼミ室のドアを掴む。

 スライド式のドアなのでレールから脱線させれば容易に取り外せる。

 がこっと外れたドアは思った以上に軽い。


「これでいい」


「そ、そんなのでどうやってドクロ仮面を殺すの」


「別に殺さなくていい。ボウガンの矢には限りがある。バッグを前に担いで背中にこれを括る。で、こうやって――――」


 ひらりと側面、そして正面。

 俺は花笠を繰るようにドアを振り回して我が身を隠す。

 ともすれば畳を背負って運ぶ姿勢にも似ている。


「矢を防ぐ。スイングすればキリコをぶっ飛ばすのにも使えるはず。で、向こうはボウガンしか攻撃手段がないからキリコ相手に手間取る」


「……なるほど」


 小さなドアを渡された鶚はむっとした顔を見せた。


「カラス」


「ん?」


「ちょっと重いんだけどこれ」


「ひっくり返って立ち上がれないとかやめろよ」


 むううう、と頬を膨らませた鶚の頬をぶちゅっと片手で挟み、俺は探索に戻る。



 取り急ぎ、舟の代用品となりうる品は三つ見つかった。

 和尚は大きなカボチャ飾り。

 俺は巨大なポリバケツ。

 鶚はセメントを練るのに使っていたと思しき長方形の箱。もしかすると亀の水槽かも知れない。


 それぞれに浅く水を注ぐことでバランスを保ち、俺たちは出港の準備を整えていた。


「……できればもう一つか二つほしいのですが、カラス」


「やめとけって和尚。背中にそれ担いで二個も三個もは無理だって」


 船を吟味している余裕も追加の物資を補充する暇もなかった。

 なぜならキリコの動くこりこりという音が聞こえ始めていたからだ。


 薪を背負う銅像のようにドアを担いだ俺たちは櫂代わりのモップを操り、ぎこちなく出発した。

 気分はさながら茶碗で旅する一寸法師だ。


 建物のあちこちでキリコが音を立てる大学の敷地を進み、ほぼ水没した裏門の守衛所を出た俺たちはようやく一息ついた。

 もちろん敷地の外が安全なわけじゃない。

 バラバラになったキリコが音もなく水面を近づいて来る可能性もある。


「!」


 海上を行く鶚が息を止め、さっと姿勢を低くした。


「どうした!」


「今何か聞こえた!」


「何……?」


 カボチャから身を乗り出した和尚が左右を見回す。



 ハーバー12の当初の目玉は安価な海浜リゾートと大型商業施設だったが、近年、終末医療やメンタル系の病に関係する企業群も誘致されている。

 要するにボケ始めた老人やうつ病のオッサンオバサンを隔離するにはうってつけの場所、ということだろう。

 最近は静謐な環境に目を付けたバイオベンチャーやBPOを主体とする企業群の進出も目ざましい。


 島の周縁部は景観の為に高さを制限されたビルが丸太のように並ぶ。

 中央には城が立つほど広い公園と、色素の薄い林が続く。

 公園の芝生は立ち入り禁止で、しばしば老人や療養中の精神病患者等が散策している。

 住民の誰もが幸せになれるよう徹底した配慮の元に建造された人工島は、レストランの食品サンプルじみて見目麗しく、無味無臭だ。


 人工島である以上、人間が住む建造物は賃貸マンションがほとんどだ。

 大学の周辺も学生向けの安アパート(それでも本土よりかなり新築の)が大半を占めている。


 普段なら昼夜を問わず騒がしいのだが――――



「……静かだな」


 道路沿いの学生寮や雀荘に人のいる気配はない。

 ちゃぷ、とぷ、と海水が建造物を叩く音は聞こえているが、それだけだ。

 息を殺しているのか、逃げ出してしまったのか。


「鶚。音が聞こえたと言いましたが一体」




 ええ。



 ぇぇぇぇ。




 何だろう。猫だろうか。

 和尚と俺が首をかしげると鶚が呆れたように告げた。


「子供の泣き声だと思う」


「! そっか。こっち側の出口には保育園があったな……」


「なっ」


 和尚が血相を変えた。

 危うくオールを落としてしまいそうな勢いだ。


「保育園!? どうしてそれを早く言わないんですか!」


「いやそんなこと言われても」


「行きましょう! どっちですか?」


「こっち」


 鶚の先導に従い、俺達三人は川を流れる桃のようにふらふらと進んだ。




 ややあって。

 保育園の敷地が見えて来た。


 そして子供達の泣き声が聞こえて来る。

 びえええ、とか、うえええ、という声はひどく耳障りだ。

 ヒーローショーで怪人に捕まった子供達を思わせる大げさな声に俺は辟易した。


 が、和尚はほっと胸を撫で下ろしている。


「良かった……」


「いや和尚。何が良いんだよ。泣いてるんだぞ」


「泣く元気が残っているということです。ショッピングモールの子供達は憔悴し切って食事すら喉を――――」



 こりり。

 こりりりり。



 さああっと全身の血が引いた。



「……早く行かないと、保育園じゃなくて墓地になっちゃうかもね」


 鶚は煽るでもなく、ただ淡々と事実を呟く。 



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