dal segno al fine(印へ戻って最後まで演奏を)
当然ながら、俺の犯した殺しの罪はいずれ司法の場で裁かれることになる。
思いつく限りで四人殺したが、うち一人、抜角のジジイにくっついていた奴は正当防衛が適用されない。
俺は殺意を以って彼を排除した。
それは犯罪であり、この法治主義社会においては罰せられるべきことなのだ。
――――立件されたら。
ハーバー12は俺達の脱出から僅か一時間後に水没した。
残ったのは海にぽつんと佇むアクアリウムと沈降し損ねた僅かな建物の残骸のみ。
死体も証拠も何もかも今では海の底だ。
諸々の調査には年単位の時間が必要になると聞いた。
果たして俺が司法の場で引っ張り出されるのはいつのことになるのか。
それは緋勾にも分からないらしい。
一年後か、二年後か。
いずれにせよ俺は彼女に正直に罪状を告白し、大いに同情を買うことに成功した。
鶚は正当防衛で押し通すつもりらしい。まあ妥当だろう。
梟雲は両腕の治療が済んだら即施設送りなのでそれどころじゃない。
和尚は――――本当に殺人を犯していなかったらしい。
咲酒鴨春の一件は洗いざらい緋勾の耳に入れた。
和尚、鶚、そして梟雲の証言を得た緋勾は事の重大さを認識するや瞬く間に人員を手配した。
その後どうなったかは知らないが、数日に渡って緋勾は顔色を悪くしていた。
たまに療養中の俺のところへ来ては、人払いをしてスキンシップを繰り返すようになった。
あの「誤解なきよう」を連呼する鉄面皮の緋勾が、だ。それほどまでに鴨春の抱える闇は深かった。
鴨春が秘匿していたイグロゾアの存在は箝口令を敷かざるを得ないほどの機密となり、WEB上に山ほど投稿されていたデータ群は根こそぎ消し飛ばされた。
何でも映像データの持ち主は女性研究員で、ハーバー12のホストに馬鹿みたいに入れ込んだあげく自分の研究成果をひけらかしていたのだとか。
彼女は現在も本土で逃亡中らしい。
だが十三鷹の箝口令など本当は必要なかったのかも知れない。
イグロゾアと言う単語もキリコという単語も、もちろんHDL社なんて単語もそもそも世間を賑やかすことはなかった。
あの大豪雨による最終的な死者は日本国内だけで400万人を超える。
その事実を緋勾は事務的に告げた。
日本史上類を見ない天災は未だに首都圏の機能を麻痺させており、世の中は毎日お通夜状態だ。
だがそれも他国に同じ惨劇が訪れるまでのことだった。
ハーバー12を襲った豪雨の雲は今や世界に散っている。
ノアの箱舟だとか龍が来たとか、まあ反応は色々だ。
日本と同じように大勢の人間が死に、上を下への大混乱が起きている。
ぶっちゃけ、俺たちの凶行が可愛らしく見えるほどの略奪と暴行が後を絶たない国もある。
こんなに世の中が荒れることはもう当分ないだろう。
そうした雨音に紛れたお陰で要らぬ知恵を得た化け物、キリコの演奏は世界に届かなかった。
もちろん鴨春も、火楓も、そして美羽も。
誰一人、世界に何を叫ぶこともなく海の底へ沈んだ。
悲劇なのか喜劇なのか分からない惨劇の幕は下りた。
「……」
俺は調子の悪いPCを適当につつき、新着ニュースをチェックする。
ホテルのように豪華な部屋にも慣れ、今や我が家だと思えるほどに深く安らげる。
十三鷹の持つ別荘地に逗留した俺達は日々快適に過ごしていた。
軟禁なんじゃないかという疑問も過ぎるが、まあ気にしてはいけない。
大学は海の底だし、国の機能も回復しきっていない。
庶民は庶民らしく金持ちの言う事を聞いていよう。
「お」
窓の外を見ると和尚が出かけていくところだった。
目的地は土砂崩れの頻発するエリアだろう。
彼は目の手当てを受けて以来、一日たりとも休まずに豪雨に見舞われた本土を駆け回っている。
海を漂うイグロゾアの捕獲会議にも積極的に参加しており、いつ休んでいるのか分かりもしない。
輝かしき正義のヒーローは今日も往く。
彼が輝けば輝くほど、行動を共にしていた俺の株も上がる。
その和尚もこっそり親と連絡を取り、口論になっているのを見かけた。
あれほど善人然とした和尚にも悩みがあり、社会との軋轢があり、両親との齟齬があるらしい。
――――美羽に教えてやりたかった。
「ん」
鶚からショートメッセージが来た。
何だかやたらかっこいい鳥のマークが彼女のアイコンだ。
『カラス。お昼買いに行くけど何か要る?』
食事は十三鷹が用意してくれるのだが、健全な大学生である俺たちはコンビニの食い物が恋しくなってきていた。
なので、流通の復旧を確かめるなどと適当な嘘をつき、怪我の程度の軽い鶚がしょっちゅうジャンクフードを買ってくる。
『コロッケが食いたい』
『おっけ。買う。他には?』
『和尚がジュースばっかりだから何かタンパク質を』
『豆乳とかでいいかな?』
『いいんじゃないか』
俺が返信すると別のショートメッセージが割って入る。
フクロウのマークだ。
『万骨。コロッケならわたし作れる』
『マジか』
梟雲はたまに漢字を使うようになった。
不思議な感覚だが、話し言葉にも漢字が混じっている。
今までのような茫洋とした話し方に僅かな理性が混じり始めているのだ。
いつか元の彼女に戻るのだろうか。
『指使わないで寝てなさいよ』
『ねてる。からすのよこで』
『fuck』
『ごめんよこじゃなくてうえだった』
『聞き捨てなりませんね』
鷹のマークだ。
ヤバイ。緋勾だ。
『カラス。応答しなさい』
『万骨』
『カラスさん』
『すまん電池切れだ』
『電源に挿しなさい』
『挿せ』
『挿せ』
「ヒっ!」
俺は無言でアプリを落とした。
ふう、とため息。
兄貴は義姉さんのところへ帰って行った。
あの人がハーバー12で犯した罪は俺や鶚ほど重くはなく、本人も申告するつもりはないらしい。
十三鷹も鴨春の捜索を任せた手前、迂闊には手を出さないようだ。
まあせいぜい他人を踏み台に幸せになってほしい。
俺は小狡く兄貴を利用する方法を探すだけだ。
――――それから、美羽。
彼女の家族には会えずじまいだった。
緋勾は美羽の反抗期についてひどく心を痛めているようだった。
それに両親も。
十三鷹の所有する土地には未だに美羽と鴨春の遺体を探すための作業員が出入りしており、たまに美羽の両親も見かける。
彼らの深い憂いの表情を見れば鈍い俺だって察しがつく。
切鴇美羽は確かに愛されていたのだということが。
愛されて生まれて、育って、それでもなおあんなに自由だの社会だの親だの夢だのに悩む。
それは俺にしてみれば贅沢極まりないことだが、彼女にとってはやはり一生ものの問題だったのだろう。
俺はもっと彼女を理解してやるべきだった。
諭したり諌めるのではなく、ぎゅっと抱きしめてやるべきだった。
気づいた時にはもう遅い。
俺はいつもこうして何もかもが終わった後に、本当に正しい振る舞いを知る。
自分が採るべきだった最良の選択を知る。
情けない話だ。
俺は何度かに分けて美羽の両親と面会した。
そして彼女の遺した言葉を、表情を、できるだけ仔細に伝えている。
携帯端末を失った俺は多くの友人と連絡がつかなくなっていた。
だが彼らと連絡を取る必要性も感じなくなっていた。
きっと人間はそういうものなのだ。
薔薇は枯れても香りは残るが、死んだ人間の記憶はあっという間に風化する。
それはたぶん家族でも変わらない。
だから俺は少しだけ露悪的に美羽の行為を両親に伝えてやった。
それは彼女が為し得なかった理由なき反抗の一助でもあったし、単に彼女の記憶が風化しないことを願っての行為でもあった。
両親は美羽の話を聞く度に泣いた。
俺もつられて何度か泣いて、慰められた。
笑ってください、と言われた俺はどうしたらいいか分からず、泣いた。
「……」
ぼうっとしていた俺はメールを起動する。
美羽のアドレスは既に手元にあった。
緋勾が探し出してくれたのだ。
だから気持ちの整理がついた今、やっておきたい。
「えーっと。何だっけ。確か――――」
親の夢がどうとか。
自分を知る人間が死ねばどうとか。
生まれ変われるからどうとか。
俺は彼女の言葉を、声を、表情を思い出しながら一言一句正確にメール本文に入力していく。
多少の記憶違いはあってもいい。
重要なのはこの恥ずかしい思い出を彼女に毎年送り付けてやること。
俺は彼女の期待には応えられなかった。
社会の軛から解放されることはなかったし、イグロゾアも棄てている。
その選択に後悔はない。
俺は俺のままでいい。
分不相応な誰かになんてならなくていい。
「良し、と」
メールを打ち終えた俺は瞼を揉んだ。
(……大人になって恥ずかしがれ、か)
地獄にいる彼女が大人になるのかは知らないが。
まあせいぜい恥ずかしい思いをしてもらおう。
それから照れくさそうに笑ってくれればいい。
笑って、俺を叩いてくれればいい。
あの頃は私もやんちゃしてたんです、とか。そんな軽口を叩いて、笑ってくれればいい。
――――せめて俺の記憶の中では。
「送、信と」
取り消し猶予の数十秒を過ぎた後、気づく。
「やっべ。即時送信しちまった」
毎年誕生日に送る予定だった。
わざわざそういう設定ができるソフトを立ち上げたのに何てザマだ。
俺は送信ボックスをクリックし、受信のポップアップに気づく。
(エラー、か)
まあそんなこともあるだろう。
未だに通信が回復していない土地もあるし、何より死人のアドレスだ。
もしかすると両親が凍結して――――
『 Re:美羽へ』
(?)
何だ。Re:って。
まるで――――
メール本分はたった一文字。
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Re:美羽へ
☠
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可愛らしい絵文字の骸骨が一つ。
「あ……」
その骸骨はPCの中で笑った。
こりこりじゃなくて、カタカタと歯を開閉して。
楽しそうに。
「あ、あ……」
湧き上がる様々な感情に俺は立ち上がる。
片脚しかないことを忘れていた俺はそのままベッドへ倒れ込んでしまった。
「へっ。何笑ってるんだよ」
俺は頭を抱えて。
「笑えねえよ!!」
――――笑った。
<了>




