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una corda(弱音ペダルを踏んで。1本の弦で)

 

(落ち着け。落ち着けよ……。こいつら皆殺しにしても橋のキリコが止まらないんだ)


 冷や汗が頬を伝う。

 心拍がスピードを上げる。

 あぐらをかいたまま俺はカフーを睨みつける。

 引っ掛けた上着の袖が揺れ、危うく外れそうになる。


 和尚が唾を飲み、梟雲が櫂を操る手を止め、鶚が呼吸を乱す。

 ゴミが浮かんでは沈み、生け簀にぶつかって軽い衝撃を返す。


(忘れるなよ。梟雲は人を殺せない。向こうの連中も俺たちを殺せない)


 かつて橋脚付近には背の高い植物がナイフのような葉を茂らせていた。

 今や辺りは灰色にうねる波に飲み込まれ、長い茎の上部が波間に見えては隠れる。

 死臭と磯の香りが鼻の粘膜にこびりつき、冷たい朝の街の匂いも感じられない。

 斜面となった陸地まではあとほんの5メートルほど。


「さあ、お前ぇら笑いやがれ!! カハハッ!」


 大型クルーザーの舳先にカフーが足を乗せる。

 どっという音を合図に多脚のキリコ人間が二人、多節腕のキリコ人間が三人、甲板を蹴る。

 脚を畳んだ蜘蛛とマジックハンドめいた腕のシルエットが宙を舞う。


「できりゃァ殺したかァねえが、ここまでしつこいなら話は別だなァ。とッ捕まえてゾアのパーツになってもらおうか!!」


 腕キリコは橋脚の凸部に捕まってぶら下がり、脚キリコは太平洋ゴミベルトを想起させる無数の漂流物に着地する。

 下に浮き輪でも仕込んでいるのか、連中は沈みも溺れもしない。


「いいかてめぇら。とッ捕まえる、だぜ? 殺す気でヤんじゃねえぞ!」


 残念ながら俺達を生身の人間と侮る者はいなかった。ホテルで見た顔ばかりだからだろう。

 パーカー姿の若い男が、パンツスーツの若い女が、中学生にもなっていない小さな子供が、呪術に用いる仮面を思わせる不吉な笑みを浮かべる。


 だが俺たちは既に連中の思考と攻撃手段を読んでいた。


(捕獲だよな、やっぱり)


 殺意が反射する体質となったキリコ人間が人間を殺す術。

 それは鴨春のやった『キリコパージ』か、人間を押さえつけて血肉を得ていないイグロゾアに襲わせること。

 予想通りだ。


 ここで俺達は互いに頷く。誰もが指を三本立てた。プランCの合図だ。

 もう作戦会議はできない。

 進むか死ぬか。


(一、二の……)


 三で。

 俺以外の三人が跳ぶ。

 ――――クルーザーへ。


「ほお?」


 後躍したカフーは即座に俺達の狙いを見抜いた。


「カハハッ!! 船を潰しゃあいいってか!」


「船『も』、だよっ!!」


 和尚の補助を得てデッキに着地した鶚がまず消火器をぶっ放す。

 煙とも液体ともつかぬ白濁が飛び散るも、カフーはキリコ腕を器用に操って船室キャビンに繋がる屋根へ。


「カハハッ! 俺らを海の底に沈めるってか? カハハハッ! 笑わせらァ!!」


 船室に繋がるスライドハッチはその時までは閉じていた。

 蹲ったカフーの骸骨腕が金属製の手すりを掴み、勢いよく開く。


「こいつらも笑えるって、よぉっ!!」


 こりこりこりこり、と一斉にキリコの一個大隊が出現する。

 そいつらはあろうことか黄色のヘルメットで頭部を庇い、分厚い革の鎧で胴体を覆った上に長靴を履いていた。

 まるでゲームに出て来るモンスターだ。

 違いがあるとすれば一撃必殺の腕力と顎を持つこと。

 カンストするまでステータスをSTRに全振りしたスケルトンは船室から続々と湧き出し、デッキを埋め尽くそうとする。


「カハハッ! そーらどうするよ」


「こうする」


 梟雲が難なくスケルトンの群れへ突っ込んだ。

 骸骨腕を纏う彼女にとってキリコは今や敵ではない。

 恐怖に青ざめながらも船室へ吶喊とっかんする彼女は美――――



「どこ見てるんだ?」



 気づけばキリコ脚の男が俺を見下ろしている。


 生け簀に置き去りにされた俺はなおもあぐらをかいていた。

 手元には鶚の残した大ぶりの荷袋が一つきり。

 見回せばキリコ腕の女二人も生け簀に乗り、俺を包囲している。


「せめて逃げる努力ぐらいはしてほしいかな」


「ばーか。ふふっ」


 若い男。パンツスーツの女。小さな子供。

 ホテルでカフーについた連中がおどろおどろしい骸骨の腕や脚で俺を牽制していた。

 ――――まあ、こうなるよな。


「降参しまーす」


 俺はあぐらをかいたままそう言ったが、女二人が野武士と同じ腕を伸ばし、上着越しに肩を掴む。

 リーダー格と思しきキリコ脚の男は腕組みしていた。


「降参は無しだ。このままゾアが来るまで大人しくしてもらう」


「……そういうシーン、子供に見せちゃっていいんデスカネ」


「頭のお肉がぐちゃぐちゃになるところ? 別にいいよ」


 小さな子供は俺に冷笑を浴びせていた。

 彼女の腕に連なる骨は細い。

 おそらく子供の骨を接いでいるのだろう。


「あーそう」


 ところで、と俺は肩を掴む腕をそのままに告げた。

 本物の腕は今も鶚の荷袋に突っ込んだままだ。


「お姉さん、知ってたか? AEDの『A』ってさ、オートマチックのAなんだってさ」


「はあ?」


「ってことは手動の奴はEDって言うのかな? 誰か知らない?」


 動かない人間を動かす装置がED。

 なかなか小粋なジョークだと思わないか。

 そんな口ぶりで若い男、女、少女に目をやる。


 コミュニケーションができるって不便なことだ。

 よく怪談のオチで『人間が一番怖い』なんてフレーズが出て来るが、あれは嘘だ。

 だってほら。

 人間は生き死にの懸かった場面でも相手の言葉を理解して反応しようとしてしまう。


「あー……知らない? そっか」


 俺の挙動に不審を抱いたのか、男がかちゃりとキリコ脚を向ける。


「まーまーまー。待ってって。知らないなら別にいいんだよ」


 俺はちゅちゅちゅ、と舌を鳴らして自分に敵意がないことをアピールし、手品師がネタを見せるようにしてさりげなく荷袋から手を抜く。

 握られていたのは受話器かミニアイロンを思わせるハンドルが二つ。

 キリコ人間が不思議そうに首を傾げる。


「これが『ED』な。知ってるか? これコンセント式にするといざという時に病室まで運べないから独立電源なんだって。『ED』で名前合ってるか分からないから聞きたかったんだよ。でも知らない、か」


 医療従事者でなければ『ED』の取り扱いは難しい。

 だからオートなED、AEDが生まれたのだとか。

 昏倒した人間を目前にこんな器具を扱うのはなるほど確かに難しいだろう。


 ――――だが殺すのは簡単だ。



「じゃ、医者にでも聞いといてくれ。……俺がそっちに行く時までに」



 唯一俺に接触していないキリコ脚に向けて受話器を押し付ける。


 スイッチはとうに入れていた。

 目盛は最大。

 そしてキリコは電気を通す。


 ばづづんっ、と手に衝撃。

 猫背だったキリコ脚の男が石化呪文を食らったかのごとく直立する。

 ぴんと伸びた背。


 やや焦げ臭い匂いを残し、彼はゆっくりと後ろへ倒れていく。

 その刹那、女二人は狼狽した。

 無理もない。彼女達は『攻め手』だった。

 守勢から攻勢へ転じることは誰にでもできるが、攻勢から守勢へ瞬時に切り替えることなど誰にもできやしない。


 だから反応が遅れる。


 俺の肩から多節腕を離し、自らの元へ引っ込めようとするその瞬間、ハンドルを手放した俺は片方の骸骨腕を握った。

 身体が持ち上がり、重力が消える。

 浮遊感が一秒。

 二秒。


 どんな人間も『手を引っ込める』『敵がついてきた』『やっぱりやめる』の思考をコンマ一秒で行うことはできない。

 俺を引っ張り戻したのはパンツスーツじゃなくて子供の方だった。

 ひゅお、と宙を飛んだ俺はポケットにしまっていたハサミを取り出す。


「ぁ」


 恐怖に染まる子供の顔。

 俺は躊躇しない。

 勢いそのままに少女へ組み付き、喉笛に思い切りハサミを突き立てる。

 ぶしゅう、と噴いた真っ赤な水が決して拭えないほどの粘りと臭みを伴って俺を汚した。


「ぁギゃ」


 突き込んだハサミを手で捻り、死体を海へ落とす。


「ヒッ! ぅ、う……」


 キリコ腕の女がゴミを伝って逃げ出す。


 俺は櫂を手に生け簀を接岸させるべく漕ぎに漕ぐ。

 沈降の海流が味方したこともあり生け簀はすぐに岸へと達した。

 一度バウンドしたところで俺は上半身を岸へ乗り出す。


(待て待て。荷袋荷袋。さっきあの子を刺した時に置きっぱ――――)


「やはり来ましたか」



 凛とした声が前から、上から、そして後ろから。

 ボンベのようなボトルを担いだ咲酒鴨春が生け簀に飛び乗り、ぎらつく抜き身を手にしていた。


 そしていともあっさりと。

 俺の荷袋を蹴落とす。


(っ!)


 除細動器と一緒に病院でかき集めたアルコールの半分ほどが収められた荷袋。

 ぶっちゃけて言えば。


 この作戦の生命線だった。







「大人しく逃げていればいいものを」


「しょ、小学生の頃は責任感の強い子だって言われてた」


 ヤバイ。

 アルコール抜きだと橋側のキリコが止められない。


 かと言って和尚達から酒を借りる訳には行かない。

 あっちはあっちで手一杯なのだ。

 キリコを殺すためには酒が不可欠だ。


「嘘をつきなさい」


「ホントだよ失礼だな」


 ヤバイ。

 予想外だ。

 クルーザーに戦力を集中させればキリコ人間はそちらに集まると思っていた。

 和尚。梟雲。

 あの二人の暴威を知る彼ら彼女らは必ずカフーと船を守ろうとするはず。

 脚の負傷も殊更に目立つようにしていたので俺のことはお目こぼし頂けるものと――――


「カラス。あなたは狡賢いから伏兵ぐらい使うと思っていた。正面突破だなんてがっかりです」


「使えないだろ探知されるんだから」


 現に今、生け簀の後方からはキリコの集団がすーっと流れてきている。

 海を漂っていた数体のキリコも俺達に引き寄せられているらしい。


 俺は傷ついた脚を引きずり、必死に生け簀を離れた。


「見せてあげましょう。悪知恵など通じない『強さ』の世界を」


 鴨春は闇夜の辻斬りさながらの足さばきで俺へ近づく。


 ヤバい。

 ヤバいヤバいヤバい。


「おっ、しょう! キョウ!! 作戦変更だ! 鴨春がこっちに」


 死の恐怖が俺の手を急かす。

 斜面へ上半身を預け、数メートル這い上がったまさにその瞬間、右脚がふっと軽くなった。


 ――――それに、先ほどまで感じていたじくじくという疼痛も消えた。


「あっ?」


「ようこそ新時代へ」


 どぶり、と間抜けな音を立てて俺の一部が海へと沈む。

 脚を切り落とされた、と脳が気づいた瞬間、雷にでも打たれたかのような衝撃が全身を貫く。


 脚が死んだ。

 脚が死んだ。

 脚が死んだ脚が死んだ脚が死んだ脚が死んだ。


 脚が――――



「カラス使いなさいッッ!!!」



 和尚が一体のイグロゾアをレスラーのように持ち上げ、俺の方へ放り投げるのが見えた。


 使いなさいと言われてもこんな激痛の中で動けるわけがない。

 涙がぼろぼろこぼれるし、過呼吸を起こす程の激痛で視界は赤く明滅している。

 梟雲もホテルの連中もよくこんな感覚の中で動けたものだ。

 やはり産みの苦しみに耐えられるよう、女は丈夫にできているのだろうか。


 ぶしゅうう、と血管を流れる血が抜けていく喪失感から一転、ぬるりと柔らかくて温かい何かが傷口を塞ぐ。


 生まれて初めて感じたキリコは温かい。

 それにどうしたことか、片脚切断の痛みも和らいでいる。

 全身を繋ぐ神経と血液のパイプラインが復旧し、俺の意思が隅々にまで行き渡るような感覚。


「ハッ……ハッ……!」


 ショック寸前に追い込まれていた俺は急激な痛みと万能感の落差で視界が歪むのを感じていた。

 万能感。

 そう。万能感だ。


「はっ、は……はは」


 右脚を動かす。

 まるで右脚だけが神話の英雄のそれへと変わったかのような躍動感。


 俺は立ち上がるどころか地面を蹴ってバッタのように跳ねていた。

 遠ざかる地面。

 近づく地面。


「おっふ」


 どさっと四つん這いで着地した俺は超人的なパワーを発揮する右脚の存在感に震えた。


(すっげ……)


 その時初めて、俺はキリコ人間が何を感じていたか知った。

 俺は右脚を『喪った』んじゃない。

 血肉の詰まった古い脚を捨てて、新しい脚を『手に入れた』んだ。


 骸骨の脚は疲労を感じない。それに軽い。きっと何キロだって走れるだろう。

 骸骨の脚は強靭だ。その気になればクルーザーだってひっくり返せる。

 骸骨の脚は替えが利く。傷ついても無限に脚を接ぎ足せるだろう。


 もう片方の脚の重さが不快に感じるほどの万能感に俺は酔う。

 残った脚も切り落としてしまえば、俺はアメコミのヒーロー勢に参加できるほどの脚を手に入れることができるだろう。


「生まれ変わった気分はどう?」


 鴨春はそう問うた。

 俺はどくどくと脈打つ心臓の心地よいリズムを感じながら呟く。


「最高だな」


「そうでしょう?」


 にたりと鴨春が笑った。

 どくっ、どくっと心臓までもが興奮しているようだった。

 その音に耳を傾けると周囲の状況が伝わってくる。


 骸骨の一団を梟雲が蹴散らし、積み木のように崩していく。

 和尚が吠え、カフーが嗤う。

 イグロゾアが次々に破砕され、踏み潰される。

 その隙間で鶚が着実に前科を重ね、キリコ人間の悲鳴が連なる。


「その――――、――――。――――」


 鴨春のご高説は聞こえない。


 急速な感覚の奔流に襲われた俺の脳裏にはいくつもの感情が去来していた。


 俺は和尚のような正義漢にはなれない。

 鶚のような悪漢ピカレスクにもなれない。

 モデルめいた梟雲の外見も、緋勾のような財産もない。


 かと言って賢くもない。

 人生において正しい道を選ぶこともできない。

 選んだ道を無理やり正しい道に捻じ曲げる、兄貴の暴虐さもない。


 俺は凡人として生まれ、育ち、生きそして死んでいく。

 ――――はずだった。


 イグロゾアのもたらす超人的な能力を感じる今なら分かる。

 今、俺の人生は『平凡』を脱した。

 この脚がある限り、俺の人生は『非凡』のそれへと変わる。


 例え周囲の人間がすべてキリコ人間になったとしても、俺のこの万能感は拭い去れない。

 個人としての能力が『人間』を超越したその時、社会における役割だとか承認欲求だとか、そんなものは吹っ飛んでしまうらしい。


 カフーが新時代を見た理由も分かる。

 超人的な身体能力と引き換えに、矮小な感情である『殺意』を封じられた存在。

 これに彼は神聖性を見たのだろう。


 鴨春が人類をふるいに掛けようとした理由もわかる。

 この素晴らしさは選ばれたものにだけ分け与えたい。

 チンピラなんか死ねばいい。

 クソみたいな議員も死ねばいい。

 コンビニで無礼な態度を取る奴、ネットで皮肉っぽい奴、社会で偉そうな奴にはこの充実感を味わわせたくない。


 真に美しい魂だけがこの感覚を知ればいい。

 そしてそれ以外の奴は劣等種として死ねばいい。

 薔薇が咲く時、雑草は抜き去らねばならない。


 美羽が――――自分を育んだすべてに復讐しようとする気持ちも分かる。

 キリコ人間として生まれ変わるのは身体だけじゃ足りない。

 心も超人になりたい。

 だから自分の記憶にこびりついた不快さはすべてこそぎ落としたい。

 それは自然な感情だ。


 俺も叶う事なら過去の恥ずかしい振る舞いを知る奴を殺し尽くしたい。

 何もない真っ白な世界でキリコ人間「烏座万骨からすざばんこつ」として新たな人生を歩みたい。


「――――。聞いていますか、カラス」


「……ああ」


 素晴らしい脚だ。

 最高の感覚だ。


 今の俺には何だってできる。

 何だって。


 首を差し出す罪人のような四つん這いのまま、俺は眩暈がするほどの興奮と恍惚に浸る。


「あなたは敵対者に殺意を抱かないのですね」


「……」


「あえて言いましょう。その心持ちは気高い、と」


 鴨春は血脂のついた刀を振り、俺のすぐ傍に着地する。

 翻る黒いスカート。

 黒いタイツに白い骸骨の脚。


 さあ、と彼女は手を伸ばした。

 俺は顔を上げ、昇り始めた太陽を背負う鴨春を見上げる。


「あなたが来れば美羽さんが喜ぶでしょう。不安に思うことなど何も――――」




「赤か」 




「は?」


「タイプじゃないな」 


 今の俺には何でもできる。

 地を蹴って走ることも。

 ――――そのまま橋へ突っ込むことも。


「なっ!?」


 クラウチングスタートに近い体勢で地面を蹴った俺は瞬く間に鴨春の声を置き去りにした。

 走る。走る。斜面を走る。

 靴裏が硬い地面からコンクリへ。

 鉄線を飛び越える。

 茂みへ突っ込む。


「待ちなさい!! 待て!!」


 待てと言われて待つわけがない。

 これで条件はほぼ互角だ。

 多少運動能力に秀でていても大学生男子と高校生女子とじゃ結構な速度の差がある。

 俺はつるっぱげの勇者も半裸のラスボスも尻目に走り、走る。


「はっ……! はっ!」


 そして頂上付近で彼女が立ち塞がった。


 ピンク色のカーディガン、シルバーのドクロイヤーカフ。

 赤黒のスカート。

 六つの脚持つキリコ人間。


 彼女の周囲にはあちこちでかき集めたらしい衣類が散乱している。

 低い身長越しに見えるのは自動車という形を取った鉄くずで見通しの悪くなったアクアリウム。


 近づくと1km以上に及び海景を割るその威容がよく分かる。

 こんな橋が落ちかけるだなんてどんな雨だったんだよ、と呆れると同時に恐怖する。


 ぴき、みしし、と。

 今も確かに橋は悲鳴を上げているのだ。

 もうあとほんの少し。

 ともすれば強風に煽られただけでも橋は崩落してしまうのかも知れない。


「はっ、はっ」


 久しぶりの全力疾走。

 心地よい疲労感を覚えながら俺は両膝に手を置いた。


「ごめん。待たせたかな?」


 イケメン風の笑顔を向けると、美羽もまた笑みを返す。


「ううん。今来たところ」


 切鴇美羽は嘘をつき、かちゃかちゃ、と多脚を動かす。


「仲間になったんですね、その脚」


「なってない。全部終わったら捨てる」


 俺はキリコ脚を持ち上げ、ひらひらと足首から先だけを動かす。


「……何で?」


 詰問するような響きと共に美羽は赤い口を開いた。


「これからの人生、片脚で生きていく気なの?」


「ああ」


「そんなのバカバカしいじゃないですか……! 私と一緒に――――」


「バカバカしくねーよ」


 自分でも驚くほど強い声が出た。

 そして思ってもいない程の強い目で俺は彼女を睨む。


「何もバカバカしくねえ。強くなくても正しくなくても、脚が一本や二本無くても、何もバカバカしくねえ」


 俺は一歩踏み出す。

 血肉の纏わりついた不便な脚で。


「カフーも鴨春も、誰も言ってくれなかったんなら俺が言ってやる」


 一歩前へ。


「バカは」


 更に一歩前へ。

 美羽が後ずさる。


「お前だ」


「……!!」


 多脚を広げた美羽の動きは素早い。

 獲物を飲み込むタコのごとき動きで真正面から俺に絡みつく。

 キリコ人間になりたてで、彼女のような情熱も敵愾心も持たない俺は為す術もなく捉えられた。


「私はバカじゃないっっ!! バカなんかじゃないっっ!!」


 白磁の肌を赤く染め、美羽はぎりぎりと俺を締め上げた。

 上半身が軋む。

 内臓を護る肋骨までもが悲鳴を上げる。

 殺意すら抱きかねない勢い。


「くっ! ……いいやバカだよ」


 俺は強く念じた。


 ――――『外れろ』と。


 かちゃ、かちゃり、と俺のイグロゾアが名も無き誰かの大腿骨を手放す。

 失血を止める液体生物は次の指示を待つように切断面で蠢いた。

 なので次なる指示を出す。



 ――――『美羽のすべてを奪い尽くせ』と。



「えっ? えっ、えっ、あ、あああっっ!?」


 貪欲なる俺のイグロゾアは美羽の脚に生えた六本脚をすべて奪い取った。

 美羽のイグロゾアはそれを拒もうとしたが、できなかった。


 なぜなら脚を欠いた俺の方が彼らにとって優先度の高い保護対象だからだ。


「ごちそうさま」


 片脚に余る六本脚をうまく折りたたみ、俺は姿勢を保つ。

 これでは却って邪魔になりそうだ。


「ええっ?! 何で?! 何で何でっ!?」


 下半身だけで俺に取りついていた美羽は逆に俺に抱きかかえられていた。

 大腿から下を持たない彼女は両腕を俺の首に回し、必死に短い脚で俺にしがみつく。

 俺の首にキスするほど密着し、胸も腰もすべて押し付けた美羽は半泣きになっていた。


「は、放して!! 下ろしてください!!」


 短い脚をじたばたさせるが無駄だ。

 また奪われたら奪い返すだけだ。

 イグロゾアは強靭な筋繊維だから殺すことはできないがそれでも――――


(! 待て。待て待て待て)


 目に見えるのは橋。

 それに山ほどの車とキリコ。

 ぴこん、と俺の頭頂部にカラスマークの豆電球が灯る。


 ――――やれる。


 酒が無くてもキリコを殺せる。





「美羽さんっっ!?」


 鴨春だ。

 奴は余程美羽を買っていたのか、今ごろになって現れた。

 俺がキリコの脚を一本手にしたぐらいで美羽を制圧することなどできるはずがない。

 きっとそう思っていたのだろう。


 彼女はセックスで言う駅弁の体勢となった俺と美羽を目撃し、珍しく狼狽する。


「な、なぜ今ここでそんなことをっ!? それは船に戻ってからでも――――」


「違うの鴨春っっ!! キリコが奪」


 俺は無言で走り出す。

 一歩踏み出す度に美羽の身体が上下に揺れ、その体温が押し付けられる。

 エロい感触だがこのままでは生身の脚にガタが来る。

 なので俺は血の通う脚をキリコ脚に絡ませ、骸骨脚一本で地面を蹴った。


 走り幅跳びのような緩やかな弧を描き、着地する。


「きゃああっっ!?」


 ひと蹴りで数メートルの跳躍を果たした俺は振動に一度呻いたが、この移動方法を採用する。

 間違いなく走るより早く、余計な体力を使わない。


「美羽さんっ!!」


 鴨春が気づいて駆け出そうとするが、それを遮る声があった。



「シュン!! シュン、戻れ! この姉ちゃんゾアを盗りやがるぞ!!」



 カフーだ。

 その声には焦燥が滲んでいる。


 キリコ人間の骨を奪取するというアイデアは梟雲がもたらしたものだから当然だ。

 ――――まさか自分がそれを使うことになるとは思っていなかったが。


 キリコを纏うことで得られる力は絶大だが、絶大ゆえに頼りやすい。

 頼れば頼るほどいざという時の反応が鈍くなる。

 おそらく俺もあと一時間もキリコの脚を使っていれば元の脚の鈍重さに苛立ったことだろう。


「イグロゾアを……奪う?! ……! そうかそれでっ」


 鴨春はカラクリに気づいたらしいが、もう遅い。


 俺と橋か。

 カフーと船か。


「くっ」


 鴨春は躊躇した末、カフーを選んだ。

 まあそれが正しいのだろう。

 俺一人でキリコの軍勢相手に何ができるのか。そう考えるのが自然だ。


(行くか……)


 間違いなく鉄橋であるはずのそれが俺の目の前で微かに揺れていた。

 きし、ぎし、という音。

 ぴきき、みちち、という音。


(頼むぞ。頼む頼む頼む……!)


 ゆっくりと。


 一歩。


 ぴし、とまた橋が軋んだ。

 俺はこわごわ体重計に乗る中学生女子のように、ゆっくりと体重を乗せていく。


「……」


「……」


 橋はかろうじて俺たちの体重を受け止めていた。

 成人一人分と考えると大したことがないように思えるが、その実、キリコ数十体分の重量が増えたことになる。


「ふう……マジでヤバいなこの橋」


「は、橋っ……どうする気なの? まさか」


「――――落とす」


 俺は短く答えたが、ただ落とすだけではダメだ。

 理由は二つ。


 一つ。キリコが崩落の衝撃で死ぬとは限らない。

 一つ。すべてのキリコが落ちるとは限らない。


 前者はそのままの意味だ。

 橋は海面から20m程の高さに存在しているが、着水の衝撃でキリコが死ぬとは限らない。

 連中は海水に浮くことができる。もし死ななければキリコはそのまま本土へ向かいかねない。

 後者は橋長1kmを超える『アクアリウム』の問題だ。

 橋を落とすとは言いつつも、1kmに及ぶコンクリ塊すべてを海中に叩き落すことはできない。

 落とせるのはごく限定的なエリアだけだ。 

 そして崩落するエリアが本土側なら壊滅も狙えるが、ハーバー12側が崩壊すれば橋に残ったキリコは本土へ容赦なく突撃してしまう。


 勝利条件はたった一つ。

 この橋にいるキリコを『皆殺し』にすること。


 本来ならクルーザーのカフーを仕留めて、その勢いで誰かが橋へ突っ込む予定だった。

 最も可能性が高かったのは梟雲だ。

 彼女にアルコールを持たせ、橋のキリコを各個撃破するのが当初のプランだった。


 だが状況によって柔軟に対応できるよう、俺達は幾つかの可能性を考えていた。

 例えば相対するより先に水中から奇襲を受ける可能性。

 例えば既にカフーがいなくなっている可能性。

 例えば血迷ったカフー達がキリコと共に橋を渡っている可能性。


 いずれもキリコを行動不能にし、確実に殺すことのできるアルコールの使用を前提としている。

 当然ながら今の俺では――――


「お、落とせるわけない!!」


 美羽はなぜか悲痛な声を上げた。


「ああ無理だ。で、そこに無理が一つ追加」


「?」


「キリコも全部殺す」


「! そんなっ……だってカラスさん、手ぶらなんでしょ?」


「しーっ! ちょっと静かに」


 そっ、と橋を歩く。

 乗り捨てられた車からは異様な程濃い鉄の匂いが漂っていた。


 そして潮風に乗って血と肉の匂いも届いて来る。 

 橋を進めば進むほどそれらは濃くなり、乗用車のあちこちに骨を毟り取られた肉塊が打ち捨てられているのが見える。

 毛髪のミックスされたおぞましい肉塊は点々と橋の奥へと続く。


 俺は慎重に、しかし迅速に進んだ。

 余った五本の脚をじゃらじゃらと鎖のように引きずると、美羽がぴくぴくとそちらを窺う様子が伝わる。

 彼女の脚にはまだイグロゾアが残っている。

 俺の脚を奪い取りたくて仕方がないのだろう。


 それに駅弁みたいな体位も色々と気恥ずかしいに決まっている。

 携帯があれば記念写真を撮りたい絵面だが。


「……」


 遥か20m下では梟雲がカフーを追い詰めていた。

 連結した骸骨腕を持つ二人が鞭のようにそれをしならせ、互いを掴もうとする。

 和尚は無限に湧き出すイグロゾアを足止めし、鶚がより狡猾なキリコ人間に向けて照明弾やら消火器をぶっ放している。


 すべて遠い、遠い場所の話だ。


 距離にして数百mほど走る間、俺はその光景を何度か振り返っていた。


 乗り散らかされた車を。

 糞尿のような肉塊を。

 座り込んでみちみちと肉を噛み切るキリコを。

 そこら中の水たまりを。


 すべてを追い越し、俺は走る。






 そして俺達はたどり着く。

 ハーバー12側から見て3分の1程の地点。


 キリコの先頭集団は車中の死体を引きずり出し、その首をもぎ取っているところだった。

 テレビで流せばモザイク不可避の死体は老人だった。

 長いこと車に座っていたのが効いたのか。それとも脱水症状だろうか。


「……ここか」


 その場所より先にキリコは見当たらない。

 激しい潮風に煽られ、俺の髪がばたついた。


(真水……)


 キリコを殺すもう一つの手段に「真水」というものがある。

 それは病院で発見した新たな弱点だったが、残念ながら今回は使えそうにない。


 なぜなら――――


「水、たまり……?」


 俺の肩越しに背後を見ていた美羽が呟く。

 彼女の目にも橋のあちこちにできた水たまりが見えているのだろう。


 鶚は橋の水はけの悪さを指摘していたが、実際のところ、それは有効に機能していた。

 排水口にゴミやら雑草が詰まっている箇所はさて置き、それ以外の場所に彼女の言う「水たまり」なんてものはほとんどできていない。

 豪雨が過ぎて数日も経ったのだから当然と言えば当然だ。

 カフーの着せた衣服はどちらかというと橋越えの装備ではなく、豪雨の爪痕も生々しい本土での活動を見越したものと察せられる。


 だが一部には足首まで浸かりそうな雨水の溜まり場ができている。

 ちょうど、道路にできるぬかるみのような形で。


「何で――――」


「『何で部分的に水たまりになってるのか』?」


 俺が疑問を引き継ぐと美羽は素直に頷いた。


「橋が歪んでるからだろ」


「ッ!!」


「ものすごーーーく引き延ばした横向きの『S』字みたいに橋そのものが歪んでるんだよ。だから真水が溜まってる」


 残念ながらこれらの真水でキリコを一網打尽にすることはできない。

 水たまりは数こそ多いが濃度と深度にムラがあるため、キリコを順番に浸していくのは現実的ではない。

 第一、車が密集しているこの場所では水たまりもほとんどが車体に隠れてしまっている。


 それにしてもおぞましいことだ。

 普通、そこまで橋は歪みも軋みもしない。

 橋桁にヒビが入っているのではなく、橋脚にひずみが生まれているのかも知れない。


 だとしたら崩落は時間の問題。

 今こうして立っていることすら命がけだ。


 さああっと美羽の顔から血の気が引いた。

 ブルーブラッドなんて言葉あるが、実際に青白い肌を間近で見ると気の毒過ぎて高貴さの欠片も感じられない。


「あ、か、帰ろ。も、戻ろう……?」


「ダメ」


「ね、ねえって! やだ! やだっ! 死ぬの嫌だっ!」


 美羽はここに来て怖気づいたらしく、嫌々と首を振っている。

 頼むから漏らすのだけは勘弁――――いや、それもいいか。


「ねえ! 何でもするっ、するから帰してっ!」


「ダメだっての」


「無理だって! だってカラスさん、アルコールは?」


「持ってない」


「す、素手で橋を落としてイグロゾアを殺すなんてムリだよ! ゾアは――――カフーが制御できないぐらい凄い生き物なの!」



 そう。

 イグロゾアは不眠不休で。

 アルコールか真水でのみ殺すことができて。

 臆病で見えづらく。

 造血幹細胞を正確に探知して。

 よく伸び、縮んで。

 本物の人間より絶大なパワーを発揮する。


 生殖や栄養摂取など部分的に不明点はあるものの、数日に渡って自活しているところを見るに特殊な薬剤で生き永らえているわけではないようだ。

 つまりHDL社のバックアップもフォローも不要で、自ら生きる術を獲得している。


 ――――まさに完璧な生命体。

 骸骨に寄生している・いないに関わらず、アルコールを持たない人間による殺害は不可能だ。



「知ってる」


「じゃあ」


「だからやるのは俺じゃない」


「……?」


 俺は先頭のキリコへ近づいた。

 そいつは警察官の制服を着せられており、無心で手骨の肉をむしっている。


 みちみち、と死後硬直した筋繊維が噛み千切られる。


「こいつらは丈夫だし、ちぎれないよな」


 美羽は俺に抱き付いたまま困惑したように頷く。


「だからいいんだ。最低でも100キロまでは耐えるってところもいい」


「?」


 俺は美羽を抱き付かせたまま、すっかり敵意を忘れたイグロゾアへ手を伸ばす。


 にゅるん、と透明の液体が伸びる。

 絶対にちぎれない弾性を獲得したアメーバを引っ張ると骸骨が僅かに身じろぎした。

 だが俺に引っ張られて骨が崩れたり動きを止めることはない。

 和尚に殴られる瞬間など、危険を感じるとあっさり骨を手放すこいつらも基本的にはしっかりと骨に絡みついている。


 俺はもう片方の手ですぐ近くのナースキリコの液体筋肉にも手を伸ばした。

 にゅるう、とこちらもよく伸びる。

 よく伸びて、なおちぎれない。

 和尚が言った通りだ。

 少なくとも頭部から脚に達する長さまでは容易に伸びるし、ちぎれることがない。


「ちぎれないってことは、さ」



 俺はロープ状になった二人分のイグロゾアを――――


 ――――『結ぶ』。



「こうやって堅結びにしちゃってもちぎれないってことだ」


「う、うん?」


 何が起きているのか分からないのか、美羽がおろおろと首を振って背後を見ようとする。


 二体のキリコは俺の動作を気にする様子はない。

 運命の赤い糸よろしく結ばれた二体はみちみちと筋繊維を骨から引き剥がそうとしている。

 なので俺は、結ばれた箇所を長縄のように引っ張って伸ばし、一台の乗用車のフロントガラスの上を通過した。


 そしてそっと手を離す。

 イグロゾアの長縄はバンパーを掠め、タイヤの目の前にぺたりと落ちた。

 自動車一台を囲い、二体のキリコが『U』字を作る格好だ。


「もちろん――――」


 俺は背後を振り返る。

 そこには山ほどのキリコが死肉を漁り、もたもたと探知範囲をうろつく姿。


 俺が美羽のあんよにくっついたイグロゾアを引っぺがすと、そいつらはぴたりと動きを止める。

 そして一斉にこちらを向いた。

 背後の二体も同様に。


 こりり、こりこり、と。

 不眠不休の怪物が俺達へと迫る。

 十分に引きつけたところで俺はイグロゾアをぺとりと美羽の脚へ戻した。

 途端、一斉に奴らは美羽から興味を無くし、それぞれの最も近い死肉へ這い寄る。


 だが行き遅れた二体を引っ掴み、俺は液体筋肉をロープ状に伸ばす。

 真ん中で結び、放す。


「何十体結んでもちぎれない」


 真ん中で結び、放す。

 真ん中で結び、放す。

 真ん中で結び、放す。


 それをどんどん連ねていく。

 どんどんどんどん連ねていく。


 二体一組となったキリコ達は尾を繋がれたトンボのようによろよろと不自由を強いられていた。

 片方が遠くまで歩けば片方が引きずられる。

 片方が居座れば片方が動けない。




「よし。十分だな」




 乗り捨てられた車の上で、俺は再度美羽のイグロゾアを引っぺがした。

 途端、二体一対の骸骨がよろよろとこちらへ近づいて来る。

 二体を結ぶ長縄のような筋繊維。

 それは丈夫で、ちぎれない。


 例え――――ロープ状になった繊維の間に自動車という異物が挟まっていても。


 まっすぐこちらへ向かってくる二体一組のキリコ。

 その丈夫な筋繊維は車のタイヤに引っかかり、上から見ると『U』字になっている。

 徐々に徐々に、車の重さが奴らの歩みを遅くする。

 前へ進めば進むほど自動車の重さが奴らの動きを止める。

 それでもキリコは歩みを止めない。


「っ!!」


 そろそろ重くなってきた美羽がようやく気づく。



 そうだ。

 今、キリコ達は『自動車を引っ張っている』。



 キリコはたった一体で100kgに迫る重量を支える。

 ならば二体で200kgは動かせるだろう。

 十体集まれば1トンの車だって動かせるに違いない。

 そして1トンを超える車がいくつもいくつも橋の上で動き、全体の荷重均衡が崩れたら――――



 ぞりぞり、ぞりり、と。

 俺達へ向けて手を伸ばす骸骨の群れが乗用車を引っ張る。


 遠目に先頭の四体が軽自動車を引っ張るのが見える。

 その手前で四体が一台を。

 更にその手前で四体が一台を。

 更にその手前で四体が一台を。


「俺には橋を落とせないし、キリコも殺せない。だから――――キリコ自身にやってもらう」


 渋滞していた車の列が少しずつこちらへ迫ってくる。

 先頭のキリコはもう遠いが、探知範囲には入ったままだ。


 俺は美羽のイグロゾアをくっつけては外し、ハーバー12側のキリコを集める。

 集めては結び、繊維の縄を自動車に引っ掛ける。 

 少しずつ数を集め、ハーバー側へと荷重を傾けていく。


 二体一組に結ばれたキリコは海へ落ちても自由には動けない。

 互いの存在が邪魔をして会場を彷徨うただの骸骨となる。

 まして四体でチームを組ませているのだから落下時に絡みつく可能性は高い。

 もつれればもつれる程、キリコは脱出不能に陥る。



 ぴし、ぴしし、と。

 橋が明確な悲鳴を上げ始めた。


 ぎぎぎぎ、と何かが歪む音まで聞こえ始める。


「っ!!」


 美羽が俺の胸にしがみつき、恐怖を押し殺す。



 キリコに車を引かせて橋の荷重を傾ける。

 即席で思いついたにしては悪くない策だ。


 ただこの作戦、一つだけ問題がある。


 キリコに車を引かせる為には奴らを誘引する『エサ』が必要だ。

 エサの居る場所へキリコが集まる以上、車も自動的にそこへ集まってくる。



 ――――つまり、『エサ』も崩落に巻き込まれる。



 

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