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smorzando(だんだん静まって)

 


 みさごは賢明だった。


「……戻ってカラス」


 低い声。

 俺はもちろん足を止め、檻の方へと後ずさる。


「キリコがいる」


 ああ、とひりつく喉から声を漏らした。


 視界は一面の闇に包まれ、数メートル先すらもおぼつかない。

 靴と靴下を隔てているというのに硬質な床の冷気が足裏に触れている

 暗くて、冷たい。

 こんな場所に二時間もじっとしていたら確かに心変わりの一つや二つ、してしまっていたかも知れない。


 キリコの移動音はまだ遠いようだが、こっちの位置を捕捉されたら最後だ。

 檻の前まで戻った俺達は人工灯の下で額を突き合わせる。


「近づいて来るってことはないよな?」


「と、思う。あいつらが私達を誘っている以上、キリコをけしかける理由は無いはず」


 鶚は少し考え、続けた。


「……二時間待つってカフーは言ってた。あのキリコはたぶん見張り役。こっちからアクションを起こさない限り接触できないようになっているはず」


「なるほど」


 手錠に檻にキリコの看守。

 厳重過ぎて笑えてしまう。

 どうあっても脱出させないつもりらしい。


「スカウトに熱心だな、あいつら」


「バカ言ってないで出る方法考えて。……もしくは、出ずにやり過ごすか」


「出ずにやり過ごす?」


「あのキリコはたぶん、バリケードか何かでこっち側と完全に隔離されてるはず。その少し手前まで探索して、空き部屋か何かがあればそこに身を隠す」


「二時間後に来たカフー達は俺達を見失って、大慌てで探しに出る、か?」


「そう。その隙に――――」


「ナシだな」


 俺はその案を一蹴した。

 鶚も想定済みだったらしく、小さく頷いて続きを促す。


「時代劇の岡っ引きなら見過ごすだろうけど、あいつら三人がそんな下策に引っかかるとは思わない。バリケードが取っ払われていないなら俺たちはそこより手前に居る。虱潰しに捜索されて終了だ」


「だよね。……じゃ、プランB。空っぽの服を細工して、ベッドでまだ私たちが眠っているように見せかける。三人が来たら不意をついて殺す」


「ダメだ。力ずくじゃあいつらに敵わない。……」


 ああ、と俺は鶚の意図に気づいた。


 こいつはきっと俺の「同意」が欲しかったのだろう。

 外はキリコが居て危険だ。だが中に居ればもっと悪い結末が待っている。

 それをさりげなく俺に示し、俺の「同意」を得ようとしている。


 心外だ。俺はそこまで臆病者じゃない。


 ――――いや、今のは嘘だ。

 俺は腰抜けの臆病者なのだから。


 だが負け犬になる気は無い。これっぽっちも。


「攻め手には回らない。けど守りに入ったら死ぬだけだ」


 鶚は無言で続きを促した。

 俺を試すかのように。


「『前へ』守る。守りながら進む」


 俺は闇の奥をちらと見やった。


「バリケードを外すぞ。キリコをくぐって外に出る」


 鶚は小さく頷いた。

 そして俺の手を引き、檻の中へ導く。

 格子扉が閉じないよう簡易便器を動かし、彼女はひょいとベッドへ腰かけた。


「?」


「何してるの。早く来て」


 大工がそうするように羽根飾りを耳に挟み、鶚はぴこぴこと脚を振って俺を待っている。


 ――――なるほど、と俺は思う。

 確かにその儀式は必要だ。

 これから死出の旅に向かうかも知れないのだから。

 でも出るかな。

 さっき結構出し――――


「何やってるの」


 かちゃかちゃとベルトを外し始めると鶚は冷たい目をした。


「え。……え、違うの? 何かこう、親睦を深める儀式的な」


 馬鹿、と鶚は切り捨てた。


「考えるの、キリコのことを。私達は弱いんだから」


「……。だな」


 次にカフーが現れるのは二時間後。

 だが二時間すべてを逃走に充て、結果手足がもげたり致命傷を負っては話にならない。


 建物に入ってからこの地下へ来るまでに一時間も二時間もかかった記憶は無い。

 本当に必要とされる時間は三十分、いや十五分か。


 ならば残る時間を有効に使うべきだ。

 すぐそこで待ち受けるキリコを確実に打ち破るために。







 俺たちの街に現れた骸骨の怪物。


 通称:切子キリコ

 その真名まなはイグロゾア。


 発祥の地はここ、HDLハイ・デザインド・ライフ社。


 学者に言わせると生命は目的を持たないらしいが、人工生命体イグロゾアには目的がある。

 それは四肢欠損者に新たな人生を与えること。

 そして新たな手足を自在に動かせるよう、四肢を動かす信号を読み取り、筋肉に、腱に代わって働くこと。

 限りなく液体に近い肉質虫にくしつちゅうは止血、結合、伸縮といった特徴に加え、造血幹細胞を探知することで正確に人骨の位置を把握する特性も備える。


 暴走の理由は被験体の一人である古雅食火楓こがしきかふう曰く、「使命感」。

 部分欠損した人間を救うはずが五体満足の人間に襲い掛かり、造血幹細胞を探るはずが手足をもいで肉を剥ぐ。

 そしていつ何時なんどき、苦しむ人々に求められても良いよう、骨を腹に蓄える。


 キリコは今も慈悲の心で人を殺め続けている。

 使命感などというふざけた情動に振り回されて。


 カフーはそれを「人間らしさ」だとのたまったが、どうだろう。

 下手に善きこと悪しきことを見分ける知性を得たせいで、無垢でいられなくなった奴らもいなかったか。

 確か、何かの実を食べた一組の男女。

 ――――まあ、それはともかく。



 このイグロゾアに目を付けた奴らがいる。


 一人は被験体の古雅食火楓カフー

 奴はキリコを神聖視しており、本土へこれをばら撒こうとしている。


 一人はHDLの関係者である咲酒鴨春さきさかおうしゅん

 他人に強さを強いる畜生女。


 そして最後の一人はこれまで歩んできた人生を、人間関係をリセットしようとする少女。

 切鴇美羽きりときみはね

 ちなみに処女だった。性感帯は右乳首だそうだが、俺の印象だと耳も弱い。

 肌はすべすべで、少しだけ脇腹がぷにっとしている。

 あと騎乗位は下手だった。

 壁に手をついて尻を突き出した姿勢の時はとても恥ずかしそうだったが一番悦んでいたから、たぶんマゾっ気が――――


「……カラスカラス」


「あん?」


「それ何とかして」


 鶚は微かに頬を赤らめ、俺の下半身を指差す。

 美羽のことを思い出した途端、健康的な十代男子の宿命として俺は大いに昂ぶっていた。


「あー……何とかって言われても俺まだ一年なんで。……あ、そうだ。ぜひ鶚先輩に何とかする方法を教えてもら」


「後で梟雲にチクるぞ」


「ヒィッッ!!」


 改めて。

 最後の一人はこれまで歩んできた人生を、人間関係をリセットしようとする少女。

 切鴇美羽きりときみはね

 ――――バカな子だ。

 自分の人生を否定した奴がどこへ行く気なのか。

 そして何者になれると言うのか。



 キリコを制御する方法は分かっているだけで二つ。

 一つは自らの四肢を欠損させ、キリコを受け入れること。

 身体の一部に同種の生物を取り込むことでキリコの救済さつがい対象からは外れる。


 ただしこれには厄介なデメリットが存在する。

 キリコを着用することは思考を奴らに読まれるということであり、四肢の「動き」を前提とした思考は奴らが勝手に実現させてしまう。


 例えば、殺意。

 人が人に心の底からの殺意を抱いた場合、白昼夢の中で首を絞めたりそいつを八つ裂きにするだろう。

 キリコはその思考すら敏感に読み取り、実現しようとする。

 だが奴らは本来一人の人間に着用されることを前提としている。

 すなわち、殺意とそれに端を発する行動はすべて装着者に跳ね返ってくる。

 平たく言えばキリコ装着状態で強烈な殺意を抱くことは本人の死を意味する。



「ん?」


「どうしたの」


 俺が話すのをやめると鶚が怪訝そうな顔をする。


「いや。前、美羽が抜角ばっかくのジジイを殺したことがあっただろ。あれは――――」


「殺意が無かったんでしょ」


「……え、ありえなくないか? 殺したいと思わずに人を殺せるか?」


「あのお爺ちゃんは死にかけてた。私が動脈を裂いたから」


 鶚はそれが大したことではないかのように続ける。


「介錯のつもりだったんじゃないの?」


「介錯?」


「殺すつもりじゃなくて、「楽にしてあげる」って気持ちで殺したってこと」


「……なるほど」


 あの子も地味に頭おかしいのかな。

 そんな感慨を抱きつつ思考を次へ進める。 


 キリコを制するもう一つの方法はアルコール類を塗布すること。

 イグロゾアの原形質は一定濃度を超えたアルコールに接触することで凝固する。

 おそらく液状でも殺処分可能だが、奴らは身の危険を感じると逃げ出してしまう。

 また、何らかの作用で浮力を得ることのできるキリコも凝固することで水没するようになる。



 さて。

 ここからが問題だ。


 骸骨と一体化したイグロゾアは人間を襲う。

 攻撃部位は顎と手足の指。

 動作は緩慢だが、連中は人体をたやすく破壊するほどの握力を誇る。

 掴まれたら最後だ。


 また、何らかのきっかけで合体したり分離することもある。

 この時は手足を使わない代わりに肋骨がトラバサミのように駆動し、人体を破砕する。


 対処法はこちらもキリコになるか、アルコールを使うか。


 残念ながら今の俺達にはどちらの方法も採ることができない。

 手元にアルコールは無いし、人体を切断可能な器具も無い。

 鶚は負傷しているが、指を数本失うぐらいではキリコの慈悲を賜るには足りないらしい。

 これはカフーの発言から推測できる。


「……一番安全なのはキリコになることなんだけどな」


「カラスはそうだろうけど私は安全じゃないよ」


 鶚はシニカルに自嘲する。

 確かにこいつは攻撃的な性格をしているから自滅のリスクが高い。


「一つ、気になったんだけどさ」


 俺の問いに童顔の鶚は細い眉を上げる。


「あいつらの探知範囲ってどれぐらいだ?」


「……分からない。少なくとも縦横20メートルはあると思う」


 20メートル。

 広いような狭いような。 


 ――――いや待て。


「横はともかく『縦』は違うんじゃないか?」


「見てないの? キリコはビルを這い上がったりするんだけど」


「ああ。それは知ってる。けど……」


 けど、何だろう。

 何か気になる。


 ああ、そうだ。


「『上』は確かに探知してる。でも『下』はどうだ?」


 大学。

 保育園。

 インテリアショップ。

 教会。

 整形外科。

 ホテル水中花。


 いずれの場所でも俺はキリコに『上から』襲われたことはなかった。


 キリコが人間を求めてオフィスビルやマンションに這い上がるのなら。

 イカダで移動する俺たちの目の前に突然落下してもおかしくなかったはずだ。


 ――――虫の好い記憶違いだろうか?


 その疑問には鶚が答えてくれた。


「忘れたの? 大学でのこと」


「大学?」


「キリコに襲われたでしょ。私とカラスと和尚が一緒になって車に乗った後、上から降って来て……」


 鶚は言葉を切った。

 その目が焦点を合わせなくなったのは何かを考え込んでいるからだろう。


「ああ。覚えてる。キリコが落ちて来て――――『俺たちの方を向いた』よな」


「……」


「あいつらの『頭』は進行方向を向くだろ? でもあの時は最初から俺達の方を向いてたわけじゃない。水に落ちて、それから初めてこっちを見た」 


「待って。待って……」


 鶚は俺の発言を手で制し、何かを思い出そうとしているようだった。

 額を押さえるようにして傷ついた手を添えた黒インナーは残された指をぎこちなく立てる。


「和尚のボートを奪った奴らはどう説明するの?」


(最初に逃げて行った奴らのことか)


 大学の敷地内に現れた和尚を認めるや窓から飛び降り、ラフティングボートを奪った一団。

 校舎内で彼等を追っていたキリコは窓から海へ落ち、そのまま追跡していった。


「……二つ、可能性があると思う」


「一つは勢いがついていたから『落ちた』だけで、『追いかけていた』わけではない可能性?」


 先回りした鶚に俺は「ああ」と頷き、続ける。


「もう一つは『斜め下』は探知できる可能性」


「ちょっと待った。前提がおかしい。キリコは嗅覚で人を探知してるはず」


「違う。人間の五感に当てはめた時にそれ以外の答えがなかったから暫定的にそう判断してただけだ」


 カフーはイグロゾアが造血幹細胞を探知すると言った。

 造血幹細胞とやらがどんな匂いをしているのか知らないが、名前からして「造血」、つまり血を造る細胞であることは間違いない。

 造血と言えば骨髄の仕事だ。

 血液そのものではなく、それを製造する骨髄を探知しているとなると『キリコの有する感覚器官は嗅覚』という前提がまず崩れる。

 骨に詰まった物体の匂いをどうやって嗅ぎ分けると言うのか。


「キリコの感覚器官は360度を覆うレーダーみたいなものなんだろ、たぶん」


 俺はそう推察した。


「それは20メートル四方を完全にカバーして、骨の奥に詰まってる造血幹細胞まで完全に捕捉する。……魚群探知機ソナーみたいなものかも知れない」


「そのレーダーに死角がある、ってこと?」


 俺はすぐに頷いたりはしなかった。

 ほんの少しでも何かを見落としていたらそれは死に直結する。


「可能性の話だ」


 検証して、吟味して。

 それから結論を出さなければならない。

 ――――そんな時間はないけれど。


「もしかしたらキリコは真下あるいはそれに近い角度の物体を感知できていないのかも知れない。それだけ」



 本当に「それだけ」だった。

 更に数十分、俺たちはあらゆる角度からキリコを検証したが、撃退の画期的なアイデアなんて湧き出して来なかった。


 俺達に分かったことは敵の強大さと、手元にある武器の覚束なさだけ。

 それでも前へ進まなければならない。

 惨死か、溺死か。

 いずれにせよタイムリミットは刻一刻と迫っている。







 暗闇に包まれた通路を進み、曲がり角に至ったところで。

 俺たちは「バリケード」と仮称したものの正体を知った。


 俺達とキリコ看守を隔てていたもの。

 それは防火扉だった。


 否、防水扉と呼ぶ方が正確だろうか。

 鉄電気石ショール色の分厚い扉の中央には舵輪にも似た形状の器具がはめ込まれている。

 センサーでも内蔵しているのか、闇の中を手探りで進む俺たちが5メートルまで近づくと真っ赤な非常灯が点灯した。

 照明弾を連想させる不吉な赤の光に照らされた廊下はどこまでも無機質だ。


 振り返って確認してみたが、脇道や小部屋なんて都合の良いものはない。

 ここは進むか戻るかの二択しか無い。


 こりり、こりり、というキリコ看守の声はその向こうから聞こえている。

 時折かりかりと扉を引っかくような音がするので既に俺達に気づいているようだ。


「行くぞ」


 俺は冷たいカートを握っていた。

 鶚はジャケットを手に巻き付け、ゆっくりと舵輪を回す。


 俺たちはもう手を離していた。

 握るべきは武器だ。互いの手じゃない。


「作戦通りな。頼むぞ」


「分かってる」


 舵輪を回し終えた鶚がバックステップで俺の後ろへ。

 ごおお、と洞穴に吹く風のような音と共に重い扉が開いていく。


 俺が足を止めると、鶚は不思議そうにこちらを見上げる。


「……いや、やっぱりレディファーストかな~って」


「……」


 鶚のこめかみに青筋が浮くのを認め、紳士たる俺は当然の務めとして彼女の前へ出た。

 ――――背中を蹴っ飛ばされないよう、細心の注意を払いながら。



 地獄の釜の蓋が開く。



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