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Tempo Rubato(自由な速さで)

 


「よお、ここに居たのか」


 脚で障子を開けるがごとき気安さで古雅食火楓こがしきかふうが姿を見せた。


 彼は漁師のように日焼けした上半身とキリコの腕を晒している。

 腰には真っ赤なカエデが百も二百も連なったパレオ。

 水に濡れた様子は無い。


 檻を照らすのは無機質なオフホワイトの光。

 熱さも冷たさも感じない人工灯を見上げ、カフーは皮肉っぽい笑みを見せていた。


「ふん、とぅ、とぅ、とぅ、カフェオーレ」


「待ってカフー。服、着るから」


「おっとと。こいつぁ悪い。……何で服着てねぇんだ?」


「内緒」


 美羽の白い肩が薄手のインナーに隠れる。

 汗ばんだ背中に衣服が張り付いているのか、カーディガンの上からでもホックの形が見て取れた。


 美しい髪をわしわしと少し乱暴に手で梳いて。

 切鴇美羽きりときみはねが元の姿へと戻った。

 元の姿とは言いつつも、残念ながら脚は六本の骸骨だ。


「とぅ、とぅ……おいおい、お前ぇもかい、シュン。何で髪解いてんだ?」


「……」


 咲酒鴨春さきさかおうしゅんは無言のまま檻から外へ歩み出す。

 鶚も何も言わなかった。

 二人がどんな顔をしているのか、俺には分からない。


「とぅ、とぅ、アフォーレ。タ、ラ・ラ・ラ・ラ~」


「前々から思っていたんですが、カフー」


「あん?」


 鴨春はホオズキの髪飾りをぱちんと留め、手錠を指先でくるくると回している。


「その変な歌はどこで覚えたんですか」


「お前ぇが被験体の為にって差し入れてくれたんだろうが、シュン」


「クラシックしか届けさせた覚えはありませんけど」


「映画だ。映画」


「映画? ……ああ」


「俺ァお前ぇに二つばかり感謝してる。一つ目はチャップリンを教えてくれたことだ。二つ目は我らがHDLに投資してくれたことだ」


「……おい、カモ助」


 硬いベッドから身を起こした俺は檻の外へ言葉を放る。

 トランクスを早めに穿いておいて良かった。


「私のことを言っているんですか?」


 鴨春はどこか気だるげに俺へ目を向けた。

 気のせいでなければ先ほどより肌の艶が良くなったように見える。


「……投資したのか、HDLに」


「ええ。もっと言えばイグロゾアの研究開発に」


 あっさりと鴨春はそれを認めた。


咲酒さきさかの家格は十三鷹とみたかに比べかなり落ちますが、研究機関には十分過ぎるほど顔が利きますから。直に投資せずともHDLへ流れるマネーの巡りを良くすることはできます。後で何か調べられても咲酒はクリーンですよ」


「……あ、そ。で、自分をキリコの実験台にしたワケ?」


「そうです」


「何でだよアホなのか」


「脚の一本で済むなら安い話です」


 ――――いや脚だぞ、と俺は小さく悪態をついた。

 俺のすぐ傍で呼吸を整えている美羽に聞かせるには酷な台詞だ。

 だが彼女は特段怒った様子も苛立った様子も見せない。


「必要なことでした。どこかにイグロゾアを装着しておかないと、来たるべき日に私まで襲われてしまいますから」


「……」


 今までの状況を整理しよう。

 ①ものすごい雨が降ってハーバー12が水没しかけた。

 ②キリコが街に解き放たれた。

 ③大勢の人間が死んだ。


 ここに以下の要件を追記する。

 ・咲酒鴨春はキリコの研究に金を回しており、その生態を知っていた。

 ・それどころか、本土にいる頃からキリコを着用していた。

 ・今のこの様子を見るに、カフーとも以前から面識がある。


(……マジか)


 つまり事の発端は鴨春なのだ。

 それも恐らく偶然じゃない。

 意図的にやっている。


 冷や汗が背を伝う。

 こちらを睥睨する黒タイツ少女がマフィアの一員のようにも思われ、俺は慄いた。


 これが高校生か。

 これが高校生の目なのか。


 一年前、いや半年前の俺にこんなことができただろうか。


 先進医療に興味を持ち、玉石混交のバイオベンチャーなんて汚泥の中からイグロゾアなんて砂金を見つけ出すことができただろうか。

 あまつさえそれに投資し、被験体と接触して、自らの身体を作り変えて。

 ――――おそらくは親しい家族すら偽って。


(……)


「来たるべき日って、何だよ」


 気づけば俺の口内はカラカラに乾いていた。

 美羽の唾液とそれ以外の液の味が混じり合い、複雑な苦味を感じる。


「カフーが言ったでしょう? 本土にキリコを送り込むその日のことです」


 不意を突いたとは言え梟雲すらあしらう身体能力。

 女だてらに単独でこの環境下を生き抜く決断力と行動力。

 そして俺たちを謀り続けた奸智。


 よくよく考えてみると財力以外のスペックに関してこいつは緋勾ひこうを大きく上回っていた。

 いや、総合力で言えば和尚や鶚ですら敵わないだろう。


「送り込んでどうするんだよ」


「カハハッ! おいおい。俺の話聞いてなかったのか。古い魂はな、死ぬんだよ」


 俺はカフーを無視した。

 こいつと話していると頭がどうにかなりそうだ。


「おいカモ助」


 ちらりと美羽を見やるが、ベッドサイドに腰かけた彼女は俺に背を向けたままだ。


「金持ちは破滅願望でもあるのか? お前、親も友達もいないのか?」


「……すべての生命は最も強靭な精子から生まれている」


「はい?」


 セーシ?

 生死?


 いや、『精子』って言ったのかこいつ。


「生命というものは受精卵となる前から競争を強いられ、命を奪い合う業を背負っている。すなわち生命の本質は『競争』。私たちの手は生まれながらにして何かを掴み取るようにできている」


 金持ちの娘である自分はまだ何者でもない。

 それは彼女自身がかつて吐露した言葉だ。

 あの言葉が鴨春の本音だとは限らないが、そこには真実の一端が潜んでいるような気がしていた。


「人類はあまりにも増え過ぎてしまった。生きることはたやすく、死ぬことはもっとたやすい。命の価値は暴落するばかりで、選び抜かれた精子としての誇りは死に絶えている」


 ちらっと横を見ると美羽は唇を口内にしまい、困ったように頬を赤らめていた。

 大丈夫。それが普通の反応だ。

 願わくば彼女には『写生大会』という単語に動揺し続ける女で居てほしい。


「イグロゾアという災厄の嵐を超えた時、人類は再び種の誇りを『掴み取る』。その過程で、惰弱な命は淘汰されなければならない」


 要するに。

 カフーが「古い奴は死ね」なら、こいつは「弱い奴は死ね」ってことらしい。


 ご高説に拍手喝采は巻き起こらなかった。

 それどころか、俺は失笑してしまう。


 人類?

 生命?

 ――――お笑い草だ。


「……主語のでかい奴は頭が悪いっておばあちゃんに習わなかったのか? カモ助」


「私にはそれを語るだけの資格がある」


 あ、と俺は間抜けな声を上げる。


 そうだった。

 こいつは庶民を平然と犠牲にする貴族様だった。


「あー……」


 これは、マズい。

 他人の命を踏みにじる権利があると確信している少女と、それをシンプルな形で実現できるキリコ。


 この組み合わせは、良くない。


「鴨春」


「何ですか、鶚」


 二人は一時、沈黙した。

 それがどういった沈黙なのか分からず、俺とカフーは顔を見合わせる。


「あの雨は何だったの? アメリカの新兵器? それともあなたが雨乞いでもしたの?」


「残念ながらあれは本当に偶然です。……お陰で色々と予定が狂いました。こんなに早くイグロゾアが流出するなんて」


「人生にゃアクシデントが付き物だ、シュン。言ってしまえばよ、俺が生きてるのだって一つのアクシデントだ」


「そういう考え方もあります」


 へへっと笑ったカフーは俺と鶚の檻のちょうど中間辺りで足を止める。

 美羽は既に着替え終えていたが、出ていく素振りは見せない。


「カラスの兄ちゃん、巨乳の姉ちゃん。こっちに来ねえか?」


「嫌だね」


 俺は即答した。


「何でだよ」


「俺はお金様と権力様が大好きなの」


「捨てちまおうぜそんなモン」


「そんなモンの為に必死こいて生きてる奴もいるんだよ。俺の後ろパトロンを殺されたら困るの。なあ鶚?」


 鶚は肩をすくめたようだった。


「災厄、と言い切られちゃね」


「ちぇ」


 カフーは唇を尖らせ、子供のように不満を表明した。


「シュンはああ言ったがな、ゾアは災厄だの何だのっつう悪者じゃねえ」


「何?」


「HDLの賢しら顔共はよぉ、生命をプログラムだとほざきやがった。違うんだよなぁ。大いに違う。信号と受容体が生命の本質じゃねぇ。イグロゾアは暴走したわけでもエラーを起こしたわけでもねぇ。誰よりも忠実に生命の本質に従ってるだけだぜ」


「……生命の本質?」


 精子か。

 精子なのか。


「おおよ。そいつが生き物と機械を分けるんだ」


 鶚が訝しむような声を上げた。


「それは……何?」



「使命感だよ」



 とんとん、とカフーはこめかみを指で叩いた。


「俺ァ、誰よりも長~~~~~く、ここにいた。イグロゾアを一番初めに身に着けたのは俺だ。だからよ、分かるんだ。造血幹細胞ぞうけつかんさいぼうを探知して人の手足の穴を埋めて、神経パルスの信号に従うことを宿命づけられたアメーバ紛い共が、今何を思ってるのかがな」


 奴らはな、とカフーは続ける。


「人を助けたいんだよ。手足を無くした奴を助けてえ。少しでも楽にしてやりてえ。その気持ちが昂じて……昂じ過ぎちまって、まあ、あんなことになってるワケだ。欠けてる骨はねえかい? 足りてねえ歯はねえかい? って聞くつもりが……ちょいと肉を八つ裂きにしちまってるだけで、いい奴なんだよ」


「十分悪者だろ」


「まあ物ァ考えようだな。実際、始まりの骸骨プロトゼロワンに手足と顎を使うモーションを仕込んだのは俺だからな。あ、俺が悪者だな。カハハッ!」


 あー、と笑い終えたカフーは微かに暗い表情を見せた。


「……来ちゃくれねえのかい」


「イヤだよ。俺は平穏な生活が似合う男なの」


「そうかい。寂しいねえ。人がいねえと俺ァ寂しいよ」


 目元の涙を拭い、ぐしゅ、とカフーは鼻を啜った。

 感動癖でもあるのだろう。


「鶚」


 鴨春は一言だけ呟く。


「来てくれませんか。私と一緒に。私とあなたのように強い人間だけの世界を創りましょう」


 崖定鶚がけさだみさごはしばし黙した。

 十秒。

 二十秒。

 三十秒。


 鴨春の提案を検討しているわけではない。

 その証拠に彼女は溜息をついた。


 彼女は言葉の掛けようのないアホのため、慎重に言葉を選んだらしい。


「鴨春」


「はい」


「生きる為なら私は何十人でも何百人でも殺す」


 でも、と彼女は続けた。


「思想で人を殺すつもりはないの。ごめんね?」


「残念です」


 鴨春は強がりではなく、本当にショックを受けているように見えた。


「二時間だ。二時間後にまた来るぜ」


 カフーはピースサインを作り、俺達に交互に見せつけた。


「そン時ダメなら、あばよだ。悪いね。……まあ、時代に取り残される奴ァ、あの世でブラウン管テレビでも見てろってことだ」


 カフーはばしばしと鴨春の背中を叩き、そのまま彼女と共に通路へ消えた。








 鴨春の足音が聞こえなくなるまで待ってから切鴇美羽きりときみはねが立ち上がる。


「美羽ッ!!」


 俺はほとんど無我夢中で鉄格子に突っ込んでいた。


「お前っ! お前も鴨春みたいなこと考えてるんじゃないよな?」


「……」


 美羽は振り返り、悲しそうな顔で俺を見た。


「私がこの脚を無くした時、どう思ったか分かる?」


「ぅ。……そりゃ、殺してやるとか、その」


 ううん、と彼女は首を振った。



「ざまあみろ、って思ったの」



 予想外の言葉を聞き、俺は呆気に取られた。


「はい……?」


「私の夢、バレリーナになることだよって言ったよね? あれ、実は本当なの」


 俺はたじろいだが、畳みかけるように美羽は続ける。


「ピアニストにもなることも、パティシエになることも、ソムリエになることも、小説家になることも、画家になることも夢なの」


「それは……またご大層な」


「でもね、お仕着せなの」


「お仕着せ?」


「ぜんぶ、お母さんの夢なの」


 言葉の意味を理解できずにまごついていると、彼女は「あははっ」と歯を出して笑った。

 それまでの彼女には見られない、庶民的で下品な笑い方だった。


「惨めだとは思わない? 自分がバレリーナになれなかったから、娘の私にその夢を託そうとしてるの。ピアニストも、小説家も、ぜんぶ!」


 鉄格子に顔を押し付けた美羽は、骸骨の脚でそれを握りしめた。

 ともすれば引っ張って破壊してしまいそうな勢いで。


「お母さんはね、自分の人生が失敗だったって認めたくないんだよ。自分の人生はこんなものじゃない。もっともっと輝けたはずだっていまだに思ってるの。私を通して夢を叶えれば自分の人生が完成するって、本気でそう思ってるの」


 あははははっっっ、と。

 真っ赤に口を割いて、目をぎょろつかせ、美羽は信じられないほど悪辣な哄笑を響かせる。


 ひとしきり笑い終えた後、美羽は虚無的な表情となった。

 だが毒々しい怨嗟はいまだに煙っており、格子越しに俺の頬を撫でている。


「だから私、生まれ変わることにしたの」


「う、生まれ変わる?」


 そう、と美羽は頷いた。


「私、『転生』するの」


 転生。

 つまり輪廻転生のことか。

 死んで、生まれ変わる。


「でも死ぬのは私じゃないよ。これから死ぬのは――――世界の方」


 がしゃ、がしゃがしゃ、と。

 骸骨の四本脚が一斉に格子を掴んだ。

 そのあまりの勢いに俺は後ずさる。


「お父さん! お母さん! お婆ちゃんもお爺ちゃんも従妹も執事もガードもコックもメイドも全部! 学校の皆も! 切鴇の皆も! 血の繋がってる十三鷹も! 私を取り巻く人間関係ぜんぶが死ぬの! そしたら私、生まれ変われるから!」


 高笑いを上げた美羽はひと言吐き捨てた。


「……新しいとか古いとか、掴み取るとか、っど~でもいいよ」


 ああ、と俺は気付いた。


 この赤と黒のミニスカートも。

 露悪的なドクロのアクセサリーも。

 行きずりの男と体を重ねたのも。


 ――――こいつなりの反抗の証なのか、と。




「私の人生は私だけのものだから。……絡みついて邪魔する人なんか、みんないなくなればいい」




 奴は鶚には目もくれず、よろよろと出口へ向かっていく。

 俺は鉄格子から鼻を突き出し、「美羽」と彼女の名を呼んだ。


 六足歩行する少女は病人のようにやつれた表情で俺を振り返る。


「誕生日、いつだ」


 五月四日、と自動音声を思わせる冷淡さで彼女は答えた。


「今の台詞、覚えたからな。毎年お前の携帯に送り付けてやる」


「……」


「大人になった時、毎年枕に顔突っ込んで足バタバタさせろ」








 キリコ人間達が去った後、俺は沈思に耽っていた。


 幸か不幸か、俺は童貞ではなかった。

 美羽にどっぷり溺れずに済んだことで二時間のほとんどを思考に費やすことができていた。


 その二時間の成果は――――


 ――――特に無い。


 この檻を開ける方法が見つからない。

 見つからなければ何もできない。

 何もできなければ、死ぬのを待つだけだ。


 カラス、と鶚が俺の名を呼んだ。


「あなたはどうするつもり?」


「家に帰る。帰って十三鷹様々の楽勝人生を歩む」


「あいつらは?」


「止める」


 言い切ると、鶚は鼻を鳴らした。


「で、お前は?」


「家に帰る。色々、やることあるし。卒論書いたり、十三鷹を脅す材料集めたり」


 後半を聞き流し、俺は続けた。


「あいつらは?」


「止める」


 どうやら意見が一致したらしい。

 俺は歴史的和解の当事者となったことに感激すら覚えたが、目下の問題は解消されていない。


 この手錠と檻をどうするか、だ。


(……キリコが来れば……いや)


 さすがにそんな間抜けな事態は起こらないだろう。

 カフーも鴨春も注意しているはず。


(? 注意して……どうにかなるのか? それってキリコの……)


 まあいい、と俺は考え直した。

 とにかく、鉄格子を破壊することは不可能だ。

 なら数十センチの隙間をどうにかして潜るしかない。


「あー鶚クン」


「何?」


「こう、この、檻を脱出するドラマとか、見たことないか?」


 俺は肩を鉄格子の隙間に突っ込み、無理やり身体を通そうとしていた。

 鉄格子の隙間に身体を突っ込むと超痛い、という予想通りの事実を体感したこと以外の収穫は無い。


「あるよ」


「ま、マジか。うぼっ」


 俺は危うく嵌まりかけた肩を抜く。


「じゃそれ、実践してくれない……かな!」


 今度は脚だ。

 鉄格子の隙間に脚を突っ込むと超痛い、という事実を体感できそうな気配がある。


「どうして?」


「どうしてってお前……そうすれば! ここを! 出られ――――」




 目の前に。

 髪を垂らした崖定鶚が立っていた。




「はあああっっっ!!?」


「うるっっっさい!!!」


 素っ頓狂な声を上げると、鶚ががしゃんと鉄格子を蹴った。

 その片手には包帯が巻き付けられており、苦い薬剤の臭いが漂う。


「か、鍵……盗んだの?」


「そんなことしたらバレるに決まってるでしょ」


 じゃあ、じゃあ、と俺は思惟を巡らす。


「適当に鍵の形作って、開けた?」


「無理に決まってる」


 はっと俺は気付いた。

 鶚は片手に羽根飾りを握っている。

 そのせいで髪を下ろしているのだ。


 大きな、大きな羽根飾りには。

 太い針金のようなものが突き出している。


「それ、え? まさかそれで……? いや、でもそんな短時間で。ってか手錠! 手錠は?」


「手錠は外してくれた。服、掴めないよおって言ったら普通に」


完全にハニートラップだ。


 鶚は自らの手の平を突き出す。

 そこにはくっきりと赤い凹凸が刻まれていた。


「手を押し付けて鍵の形を取ったの。鴨春がその……夢中になってる間に。服を掴んで感じてるフリして」


 何を思い出したのか、鶚はもぞもぞと身じろぎした。

 黒インナー越しの双丘に小さな突起が膨らんでいるのを俺は見逃さない。


「感じてるフリ、ねえ……」


「そう。フリだから。キスしかしてませんし」


「嘘だろ。雌の顔してるもんお前。肌、ツヤッツヤだし」


「……置いていこうか? 次はカフーに掘ってもらえるかもね?」


 俺は世界一美しい土下座を決める。


「何でもしますから助けてください鶚先輩」


「よろしい」


 とは言え、鍵が同一であるかどうかは賭けだった。

 鶚は針金入りの髪飾りをそっと鍵穴に差し入れ――――



 ――――無事、俺を救出する。




「時間、無いからね」


「分かってる」


 火楓。鴨春。美羽。

 誰に出くわしてもゲームオーバーだ。

 制限時間である二時間を迎えてもまたゲームオーバー。

 何かの拍子でハーバー12がそれより早く沈んでもゲームオーバー。


 ――――イージーモードがデフォルトの俺には厳しい難易度設定だ。


 ほら、と俺は手を差し出した。

 鶚は少し躊躇っていたが、やがて諦めたように手を重ねる。


「初めての共同作業だな」


「できれば最後にしたいんですけど」



 前を見る。

 進路は、闇。


 そして通路の向こうでは。

 こりり、こりりと。


 奴らが笑い続けていた。


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