表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/39

amabile(愛らしく)

 

 人間が水に浮くためには脱力しなければならない。

 だが脱力したままではキリコを追い払えない。


「はっ……はっ!!」


 ぶおん、ぶおん、と扇状にバットを振るう。

 ストーカーに襲われたOLがめちゃくちゃにカバンを振り回すがごとく、不格好に。


「はあっ!! う、らあっ!!」


 背中を建物に密着させ、梟雲を庇うようにして近づくキリコを追い払う。

 こりり、こり、と連中は俺を嘲笑うかのようにぷかぷかと波に揺られていた。

 近づいたかと思えば遠ざかり、遠ざかったかと思えばすーっと寄って来る。


(潜って逃げるか……? いや)


 キリコが水中の俺たちを探知できたらおしまいだ。

 浮かび上がろうとして水面を見上げたらキリコが手ぐすね引いて待っていた、なんてことになりかねない。

 深く静かに潜水しても建物の中に入れるとは限らない。


 豪雨に見舞われた整形外科一階の窓。

 廊下の窓なら開いているか。診察室はどうだ。

 医者は閉じ込められたのか。それとも脱出したのか。

 看護師はどうだ。

 整形外科に入院ってありえるのか。ありえるならその患者はどうだ。

 誰か窓を開けてくれているのか。

 窓が開いていたとして、空気にたどり着けるのか。天井は高いだろうか。中にキリコは浮いていないだろうか。


 様々な疑問が脳を渦巻く。

 まるで走馬灯のように。


「ハァッ……! ハァッ!!」


 蕎麦に浮く天ぷらを思わせるキリコが手を伸ばす。

 バットを振る。バットを振る。ただもう、めちゃくちゃに振る。

 口内で乾いた唾液が饐えた臭いを放つ。


「ハーッ!! フぅッ!!」


 ぶおん、ぶおん、と振る度に腕から力が抜けていく。

 大して重くもないはずのバットに腕が引っ張られ、どぶんと海に沈みはじめる。


「か、かしてからす! きょうがやる!」


 やってどうするんだ、と俺は絶望的な気分に襲われる。

 いくら骨をバラバラにしても液体生物であるキリコは死なない。

 地上と違ってここは海だ。キリコ本体の逃げ道はいくらでもあるし、骨だってそこら中に沈んでいる。


 俺はキリコを舐めていた。

 和尚が吹っ飛ばし、鴨春が追い払い、ついさっきまで抜角たちが叩き潰していたキリコのことを。


 奴らは単純だ。

 力は強いが、ゾンビのように手を伸ばしてぼんやりと近づいてくるし、ちょっと死体の手足を使えば簡単におびき寄せられる。

 それに奴らは何度もバラバラになり、散らばり、吹っ飛ばされてきた。

 合体しようと分裂しようとキリコは所詮、骨屑だ、と。

 俺はキリコを甘く見ていた。


 だが連中が本当の意味での「死」を迎えたことが一体何度あっただろう。


 抜角が酒をぶっかけた個体は死んでいるのかもしれないが、それ以外の時は?

 動かなくなったのは「骨」であって「キリコ」ではなかったのではないか。

 きっと本体は地を這うアメーバのように逃げ出していたのだ。尾を切り逃げるトカゲのように。

 俺たちは物言わぬ骸骨を前にかりそめの勝利に酔っていたに過ぎない。


 その実感が骨身に染みた瞬間、俺はこれまでの自分の不注意さ、迂闊さを呪いたくなるようだった。

 どうして兄貴と一緒に逃げ出さなかったんだ。

 どうしてもっとたくさんの酒を用意しなかったんだ。

 どうして梟雲なんかを助けてしまったんだ。 


「クソ……! クソ!!」


 骨を操る臆病なアメーバ。

 そいつを海の中で、しかも立ち泳ぎしながら撃退する手段は、無い。

 ――――おそらく兄貴ですら、この状況を打破することはできない。


「からす! からす!」


 梟雲が半泣きで俺の身体を揺さぶる。


「からすにげて! きょうが……きょうがおとり、す――――」


「うるっせえ!! この数が全部お前に取りつくわけないだろ! バカ野郎!」


「! きょう、ばかだもん!」


 ぐすっと梟雲が鼻をすすった。美しい顔がくしゃくしゃに歪むのを見、俺はバットを振る手を止める。


(あー……)


 途端、火災現場の狂い火のごとく荒ぶっていた俺の心に梟雲の涙という雨が降る。

 ぶすぶすと煙を上げ、闘志が萎えていく。

 頭の片隅で誰かが囁いていた。動きを止めるな、戦え、闘え、と。


 だがもうどうしようもない。


「きょう、ばかだけどっ……からすしぬのいやなのっ!」


 ぐし、ぐしゅ、と二十歳にもなろうという長身の女が手首で涙を拭う。

 立ち泳ぎする力も失いつつあるのか、とぷんと肩まで海に浸かった。

 慌てて引っ張り上げると、キリコが瞬く間に距離を詰めて来る。

 好機を逃さないハイエナのごとき動きを見、俺の心から完全に闘志が抜け落ちた。


「きょうが、きょうがしぬからいいの! からすはいくの!」


「あー……や、もうダメだろこれ」


 泣きじゃくる梟雲を胸に抱き、俺は目を閉じた。

 こりり、と観念した獲物を前にキリコ達はやや不服そうに笑う。


 溺死と惨死。

 どっちがマシな死に方だろうか。


 そんなことを思いながら俺は天を仰ぎ――――




 そいつの姿を見ていた。




「良かったね、私が義理堅~い性格で」




 そいつはバケツを手にしていた。

 青く小さなポリバケツを。


「一人殺してくれた分、それに……あのお爺ちゃんに隙を作ってくれた分。返しておくから」


 ぶわりと宙を舞ったのは不穏な液体だった。

 投網さながらに広がる液体は俺達を、そしてキリコを叩いた。

 土砂降りの雨のような衝撃に呻くと、周囲のガイコツがぴたりと動きを止める。

 一体、また一体と。

 キリコが海中へ消えていく。


 つん、と鼻をつくアルコールの異臭。

 酒を知らない俺はそれが日本酒なのかエタノールなのかすら判別できなかった。

 ただ、屋上の縁に立つそいつの名前は知っていた。


 ショートデニムに黒タイツを合わせ、保温性の高い黒インナーにカーキ色のジャケットを羽織った女。

 身長は小学生。胸のでかさは大学生。

 彼女は不敵な笑みを浮かべ、ポリバケツを投げ捨てるところだった。


みさご……!!」


 崖定鶚。

 俺が初めて出逢った生存者にして、子供から浮き輪を奪う性悪女。

 奴は勝者にふさわしい、悪辣な笑みを浮かべていた。


「生きてたのか、お前」


 がらんがらん、とバケツが間抜けな音を立てる。

 そして俺は異変に気付いた。


 ――――鴻巣抜角の姿が消えている。船はまだ残っているのに、だ。


「……おいロリ。ジジイはどうした」


 ちちち、と鶚は癇に障るようなウインクを寄こす。

 そこには勝者の余裕が透けて見えた。


「『先輩』が抜けてるんじゃない? まだ18歳のカラスくん?」


「おいロリパイ。戦闘ジジイはどうした。……「とう」余り」


「……火ィ点けちゃおっかな」


「すいませんでした鶚先輩」


 ふん、と鶚はゴキブリでも見るような目で俺と梟雲を一瞥すると、バケツの代わりにあるものを取り出した。

 それは赤い筒状の容器だった。子供の水筒ぐらいの大きさで、筒の表面には白っぽいポテトチップスの画像が見える。


(?)


 鶚がライターを操るかのように親指一つで筒に触れると、側面からしゅううっと何かが噴き出した。


(……催涙スプレーか!!)


 にたり、と奴は笑った。

 俺は水の冷たさを思い出し、ガタガタと全身が震えていることにも気づく。

 なぜだか分からないが、さっきよりもずっと寒く、恐ろしい。

 キリコはとうに沈んでいるというのに俺は闇雲に建物を蹴り、梟雲を引っ張って距離を取る。

 細い街灯に捕まり、ようやく立ち泳ぎから解放された。


 そこでようやく、屋上にうずくまった抜角の姿を認める。


「く、ぐぁ……!」


 奴は手で顔を覆い、床を叩き、その場で苦悶を漏らし続けていた。


「お、前っ……カハッ! かっ!」


「騙されちゃった? おじーいちゃん。ふふっ」


 鶚が軽い所作で目元を拭った。

 どうやら嘘泣きでもやっていたらしい。


(あいつ子供の振りしてジジイにスプレーを……!)


 成人男性や成人女性なら抜角は当然警戒するだろう。

 だが相手は童顔の鶚で、しかも抜角は孫がいてもおかしくない年齢だ。

 爺さん婆さんにとって孫というのは目に入れても痛くないほど可愛く映るという。


(……油断しちまったんだな、ジジイ)


 兄貴は「知恵のある奴は知恵の有無で人を判断する」と言った。

 さしずめ暴力に長ける抜角は暴力の有無で相手を判断してしまった、といったところだろうか。


 俺がキリコ相手にパニくっている最中の出来事だろう。

 粛々と出港の準備を整える抜角にゆらりと鶚が近づき、嘘泣きで油断させ、スプレーを吹き付ける。

 ジジイは背が高く、小柄過ぎる鶚に手が届かない。

 ひらりと抜角の手をかわした鶚は内腿にナイフを突き立て、筋繊維もろとも血管を破壊する。


 この間、僅か数分。


(どこかで見てやがったな、鶚……)


 漁夫の利を狙ったのは俺だけじゃなかった、ということか。


 鶚は手の中でくるくるとナイフを弄んでいた。

 黒ずんだ血に濡れた、無骨なナイフだった。


「防刃用にコートまで着ちゃってご苦労様。でも私背が低いから胴体なんて刺せないの」


 ぴたりと切っ先を抜角に向け、小柄な悪魔がほくそ笑む。


「刺して、切り裂けるのは太腿動脈ぐらい」


「ぅ、く」


(大体動脈? いや、「大腿」動脈か? ……)


 脚の外側にそんなでかい血管があるなんて話は聞かない。

 たぶん内腿だろう。

 内腿。

 抜角は確かに強い。だがボディビルダーじゃない。筋肉の鎧を纏っていない場所だってある。


 そこの「動脈」を断ち切ったということは――――


「すぐに施術しないと失血死するよ? 119番してあげようか?」


 くつくつと笑う鶚はもはや抜角に近づこうとすらしていなかった。

 それどころか妙な動きをすればすぐにでも逃げ出せるよう、軽く足踏みしている。


「このままゆっくり待っててあげるから。お爺ちゃんが死ぬまで、ね」


「く、そ……!!」


 抜角が床を押すようにして立ち上がる。

 その腿から下はどす黒い血に濡れており、がくがくと膝が笑っていた。

 老いてなお精悍な顔から血の気が引き、蝋のような色へ変わりつつあるのが分かる。


「へえ」


 鶚は悠然と佇んでいた。

 だがその目にはぎらついた光が見え隠れしている。


「私を道連れにしてみる?」


「……」


 ふらつきながらも抜角は細長い金属棒を構えていた。

 こおお、と深い息をしたジジイが刺突の体勢を取る。


「往生際が悪いね」


「何とでも言え」


 ピリリとした緊迫感がこちらにまで伝わってくる。

 ほんの少しでも刺激すれば弾けてしまいそうな空気を悟り、梟雲も固唾を呑んで見つめている。


 ほんの少しの刺激。

 それは思いがけない形で訪れた。




 ぱちぱちぱちぱち、と。


 乾いた拍手が聞こえた。




「!」


 ハンターに気づいたインパラのごとく鶚が地を蹴り、僅か数ステップでその場を離れる。

 抜角は突然のことに膝を折り、再びその場に蹲ってしまった。


(な、何だ……?)


 俺は音の出所を探った。

 拍手のようだったが、気のせいだろうか。

 生きている人間が今このタイミングで拍手なんかするはずがない。

 助けを求めるなら声を上げるだろう。


 まさかキリコか、と思ったところで肩を引っ張られる。


「! からす、あれ!」


 梟雲が指差す先を目で追う。


 そこは整形外科医から二軒離れた建物だった。

 暖色の看板には小さな双葉のマークが描かれ、いかにもな「癒し」を演出している。

 どうやらリラクゼーションサービスを売りにする店らしい。

 アロマなのか、スパなのか、マッサージなのかは分からない。


 整形外科より一階分背の高い建物の屋上に、彼女が佇んでいた。


 きい、きし、とタイヤが軋む音がする。

 それは本来、ほとんど音を立てない構造のはずだ。

 電気の力で動くのだから。


「すご~い。鶚ちゃん、アサシンみたいだね!」


 おっとりとした声の少女は、屋上から校庭へ向けて声を飛ばすように両手を口に添えていた。

 片側で結んだミディアムロングの黒髪。

 耳には薄紅色のイヤーカフ。

 黄色いリボンが鮮やかな、濃紺のセーラー服。


 取り澄ました緋勾とは対照的な、穏やかで自然体の微笑。

 その顔色はやや赤く、興奮しているのか呼吸を乱しているのが分かる。


「みっ……」


 俺はあまりの驚きに一度むせこんでしまった。

 その間に彼女は俺を見つけたらしく、名前を呼ぶ時には目が合っていた。


美羽みはね!!」


「カーーラーースーーさーーーーん!!!」


 美羽は大声で俺の名を呼び、手を振ってくれた。

 はは、と俺は思わず目頭が熱くなるのを感じつつ笑う。


(生きてたのか……!)


 現金な話だが、俺は神様と仏様の存在を信じてしまいそうになっていた。


 太腿から先を失い、電動車椅子での生活を強いられる少女が。

 きつく握った俺の手を離れ、濁流に飲み込まれたはずの少女が。

 今こうして、元気な姿で俺の目の前に姿を現したのだから当然だ。


 美羽は金持ちだ、なんて考えが一分ほど遅れて俺の脳みそに浮かぶほど俺は手放しで彼女の生存を喜んでいた。


「か、らす。あれ、なに?」


 梟雲は鋭い目つきで美羽を睨んでいた。


「ああ。あの子はその……俺の知り合いだ」


「あし、どうしたの」


「脚? ああ、事故で失くしたんだってさ」


 今、車椅子に座る美羽の下半身には桜色の毛布が掛けられている。

 ああ、と俺は梟雲の性質を思い出した。

 こいつにとっては障害者も人間チームでひとくくりか。


「心配するな。あの子もがいこ」


「ちがう」


 梟雲は声音を低くし、そこに浮かんでいた細い小枝を掴む。

 武器になるものなら何でもほしい、とでも言わんばかりの仕草だ。


「あし、なくしたならどうやってあそこにのぼるの」


「ぇ」


 しん、と。

 辺りが静まり返ったかのように感じた。


 波の音も風の音も消えた世界に鶚の鋭い声が飛ぶ。


「美羽ちゃん」


「なあに?」


 美羽はもう大声を出してはいなかった。

 そんなことをするまでもなく、彼女の声はよく通る。

 それにキリコも人も大勢消えた世界はとても静かだった。


「生きていてくれたのは嬉しい」


 いけしゃあしゃあと鶚が言う。


「……うん!」


「それで聞きたいんだけど、どうやってそこに登ったの?」


「どうやって?」


 不思議そうに美羽が小首を傾げる。

 彼女持ちの男ですら保護欲をかき立てられる仕草だ。


「どうやってって……こうやったに決まってるじゃない」


 うっそりとそう告げ、美羽が『立ち上がる』。

 はらりと滑り落ちた毛布は花弁のようで、現れた「ソレ」もまたミルキークォーツに見紛う。




 スカートから覗いた脚は。

 真っ白な骸骨だった。




「ほら、もう私……自分の力で立てるんだよ?」


 骨の二本脚で立ち上がり、彼女は莞爾と微笑んだ。


 それは奇跡なんかじゃないし、天才外科医が施した治療なんかでも断じてない。

 だったら答えは一つしかない。


「キリコ……!!?」


「う、そだろ」


 俺はそう呻きつつも冷静に状況を理解していた。


 途絶えた腿から伸びるガイコツ。

 その正体はキリコに他ならない。

 美羽は欠けた両脚をキリコで補ったのだ。


「はじめまして、皆さん。切鴇美羽きりときみはねです」


 制服のスカートをちょいと持ち上げ、美羽は貴婦人のごとく会釈する。

 白い骸骨と化した脚が太腿の中ごろから突き出しているのが見えた。


「がいこつ、じん?」


 梟雲は数十分前まで自らの旗として掲げていた言葉を、畏れと共に口にした。

 おそらくはもう二度と彼女はその言葉を使うまい。

 そう直感するほどの恐怖が滲んでいた。


 俺は完全に言葉を失い、ただただ美羽を見上げる。

 スカートを下ろした美羽は小学生のように両腕を元気よく前後に振り、走り始めた。

 骸骨の、キリコの脚で走り始めた。


 一歩踏み込み、地を蹴る。



 その跳躍は。

 俺の想像を遥かに超えていた。



 風に暴れるサイドポニー。

 セーラー服の首元がばたばたとはためき、黄色いリボンも風に煽られている。

 スカートは危ういところまで翻っており、中空を舞う美羽が驚いたように片手で小股を抑えつけた。


 宙に弧を描いた女子高生は、かちゃん、と軽やかに着地した。

 そして美羽は勢いそのままに走り出し、二つ目の屋上からも跳躍した。

 着地点、つまり整形外科医の屋上にあったのは――――



 誰もが望んだ、船。



 かちゃん、と骨の脚で着地した美羽は片方のキリコ脚で船体を掴み上げた。

 手も脚も関係ないキリコが無造作に物を持ち上げる時のように。

 V字バランスを決める体操選手さながらに船を掴み上げた美羽は片手でスカートを押さえつつ、少しだけ力むような顔を見せた。


「えいっ!」


 ばぎゃん、と。

 想像以上に軽く惨めな音を立て、船体に穴が開いた。


「あっ!」


「!」


「ちょっ」


 むふ、と満足げな笑みを見せた美羽は己に迫る抜角の姿に気づいた。

 ジジイは今や血だらけの脚を引きずっており、前が見えているのかも怪しいほどの突進を見せていた。


 ぴょいん、とイナゴのごとく跳ねた美羽が抜角の両肩に着地する。

 否、彼女の脚は止まり木に佇む鳥類の爪のごとく、しっかりとジジイの肩を掴んでいた。

 真上に人間を乗せた抜角はよろめき、ぐらつき、真上を見上げてしまう。

 ――――美羽のスカートの中を。


「きゃっ!」


 片方のキリコ脚が動いた。

 その五指はインコの爪よりも精密な動作でジジイの頭部をがっしと掴む。


 ごきり、と。

 鴻巣抜角の首がへし折られた。


 一瞬の出来事だった。


「もう……!」


 美羽は恥ずかしそうに抜角の死体から飛び降りた。

 そして絶句する俺と、俺を庇うようにして前へ出る梟雲、大きな水鉄砲を構える鶚を交互に見やる。


「あれ? どうしたの?」


 きょろきょろと俺達の顔を見比べた美羽は、不思議そうに小首を傾げた。

 だがややあって、彼女の視線は俺へ向く。


「あ。その人、女の人?」


 俺は言葉を発することもままならず、陸に打ち揚げられた魚のようにぱくぱくと口を動かす。

 代わりに吠えたのは梟雲だった。


「きょうは、きょう。からすをまもる」


「ふー……ん」


 美羽は屋上の縁までかちゃかちゃと歩み寄ると、膝を丸めて蹲踞そんきょの姿勢を取った。

 ぷうう、と頬が膨らむのが見える。


「カラスさん、私以外の女の子にも優しいこと、したんですね」


 美羽は咎めるかのような視線を俺へ向ける。

 状況が状況なら俺はにへーっとだらしなく笑っていたかもしれない。


「軽い男の人ってキライです……」


 んしょ、とスカートの尻を叩いて美羽が立ち上がる。


「どうしたんですか、カラスさん? 私、生きてたんですよ? 笑ってください」


「ぁ……ぁ」


 そんなバカな。

 美羽の脚がキリコになっている。

 そして抜角を殺しやがった。


 たった今起きた出来事をリフレインすることで俺の脳はどうにかパニックに陥ることを防いでいた。

 考えるな、考えるな、と本能が警鐘を鳴らしている。

 考えたら恐怖を抱く。

 俺はきっと恐怖を抱いてしまう。


「ねえ、どうして?」


 少しだけ哀しそうに、だがどこか興奮した面持ちで美羽が微笑んだ。


「どうして笑って……くれないの?」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ