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scherzando(諧謔的に)

 

「ほー……そうするのね」


 俺は整形外科屋上の生き残り三人衆の動きに目を凝らしていた。


 彼らは犬か猫の気を引くようにして太い大腿骨を振っている。

 こんこん、こんこん、と建物の各所に骨をぶつけることでキリコをおびき寄せ、両手を伸ばした連中が骨に飛びついたところで至近距離から打撃を加える。

 一つのキリコをバラバラにすると別のキリコを呼び寄せ、またバラバラにする。

 うまい喩えが見つからないが、猛獣をあやして檻にぶち込む調教師のようにも見える。


(で、酒が効くことも承知済み、か)


 連中は効率的だった。

 散開して2~3体のキリコをバラした後は一か所に集まり、酒と思しき液体を撒く。

 地面に散らばったキリコは行動不能に陥り、じわじわと近づいていた連中は氷に素足が張り付いたようにしてその場から動けなくなる。

 そしてまた三人は散開し、得物を振り抜いてキリコをバラバラにする。

 襲撃の波が収まったところで地面に散らばるキリコ目がけて得物を振り下ろし、頭蓋骨を重点的に破砕していく。

 誰一人として足並みを崩さない、見事な連携だった。


 俺は更に三人の姿を注視する。


 一人は和尚並みに長身で深紅のコートを着た白髪の老人。

 一人はアーモンド色に日焼けした肌を持つ、金髪の若い女。

 一人は取り立てて特徴のないチェックシャツの男。

 連中の得物は金属バット、ホッケーのスティック、それに角材と見事にキリコ向きの武器ばかり。


 何とも不揃いな連中だ。

 だがそれぞれが確かな修羅場を経ていることはひと目で分かった。

 ――――挙動に迷いが無い。


 続々とキリコは彼等に襲い掛かっているが、完全に動きを読まれてしまっている。

 骨に誘引される習性、動作の鈍さ、酒で凝固する性質、攻撃部位が手足と頭蓋しかないこと。

 そのすべてを把握した三人組は危なげなくキリコを処理し、屋上に骨の絨毯を敷いていく。


 俺は感嘆すると同時に冷や汗を垂らす。


(やっべえな、あれ。生き残るぞあいつら……)


 生存者はもっと肉体的にも精神的にも疲弊していると思っていた。

 ここまでの精鋭が生き延びているとは予想外だ。


「……がいこつちーむ、まける?」


 ひょこんと梟雲が俺の肩に顎を乗せた。

 そしてかつかつ、と歯を噛み鳴らして俺に振動を与える。


「じゃあ、きょうとからすがいく?」


「んー……そうだな」


 数が減ってからやるつもりだったんだが、仕方ない。

 直接俺達が手を下すしかなさそうだ。


 ――――ただ、やり方はよく考えないといけないだろう。


「梟雲。もうボウガン持ってないんだよな」


「うん。きょう、なくした」


「……」


 目立つ得物は打撃武器ばかりだが、向こうは当然、対人戦も想定しているはずだ。

 おそらく漁夫の利を狙う輩がいることも織り込んでいる。


 武器は限られている。

 あれだけ肝の据わった連中相手に真正面から挑めばさしもの梟雲とて敗北必至だ。

 俺が居ても誤差の範囲だろう。


(んー……)


 俺は手の中で梟雲の油性マジックを弄んだ。

 手持ちの武器で使えそうなのは櫂と包丁ぐらいだ。

 当初予定ではこれらを槍のように組み合わせ、連中の射程外から『さすまた』のように刺し殺すつもりだった。

 だが連中は元気はつらつとしている。

 脳内はアドレナリンがだくだく溢れ出しているだろうから、追い詰める系の戦術では返り討ちだ。


(……)


 双眼鏡で連中の表情を窺う。

 いや、表情じゃない。

 連中の関係性だ。


 一番強いのはジジイだ。動きが違いすぎる。他の二人がキリコを一体ぶちのめす間に二体をバラし、酒の準備をしている。

 その次は女だ。ちょこまかと動き回って鮮やかにキリコを吹っ飛ばし、隙あらば頭蓋を叩き割っている。

 若い男は討伐数こそ少ないが、その実、視野を広く持ち慎重に立ち回っているのが見て取れる。

 こいつは女に時折指示を飛ばし、うまくコントロールする役目らしい。女がたまに怒鳴り返しているので、指示の仕方に問題があるのだろう。


(ジジイが厄介だな。あいつがいるせいでうまく三人の腰が据わってる)


 若い二人は仲が悪そうに見える。この二人だけなら仲間割れを誘うこともできなくはない。

 だがいよいよ二人の注意がキリコから逸れそうになるとジジイが一喝している。

 これじゃダメだ。仲間割れで自滅させることもできやしない。


 そしてもう一つ、俺にとって不利な要素が見えて来た。

 ――――連中はたぶん、この後「争奪戦」をやるつもりがない。


 あそこまで三人の息が合っているということは、船の利用についても事前に取り決めを交わしているに違いない。

 連中はこのままつつがなくキリコを片付け、脱出手段の現物を目の当たりにする。

 それから互いの意思が変わっていないこと、つまり誰も欲目を出していないことを確認し、当初予定通りに一人が脱出する。

 大方こんなところだろう。

 でなければ、誰か一人ぐらい仲間の背中に嫌らしい視線を送っているはずなのだ。抜け駆けしようとする嫌らしい視線を。


 彼らの信頼関係は盤石だと言えた。


(正面切っても戦えない。搦め手の仲間割れも誘えない。となると――――)


 船を諦めるか、奇策に打って出るか。

 ――――当然、後者だ。


 船なんてそうそう見つかるものではない。

 これが最後のチャンスかも知れないのだ。


 ペンを弄ぶ手を止めた俺は頬にドクロのペイントをした梟雲を見やる。


「キョウ。しばらく俺の言うこと聞けるか?」


「? うん」


「よし。じゃあ――――」


 作戦を伝えた俺は階下のデザイン事務所で新しい黒マジックを手に入れた。

 それにハサミ、ホッチキス、画鋲にカッターといった物騒な品をかき集めて防水袋に突っ込む。

 黒いビニールテープもあったので拝借する。


 起動したままのタブレット端末をしげしげと眺めていた梟雲に声をかけ、俺は出発した。







 残念ながら整形外科の決戦は「人間チーム」に軍配が上がったらしい。

 既にキリコの移動音は消え、時折ちゃぷりと波の立つ、静かな破滅の風景だけがそこにあった。


 イカダを降り、そろそろと整形外科まで泳いだ俺達は尿検査を思わせる小さな容器の浮かぶフロアを通り抜け、屋上を目指した。

 近づくにつれ、じゃり、べぎぎ、という音が降りて来る。

 おそらく凝固したキリコの手足をすり潰し、砕く音だろう。


「キョウ。大丈夫だ。俺に任せろ」


 俺は屋上の光が見える階段の前で梟雲に囁いた。

 彼女は既に目を血走らせ、ハイエナもかくやの獰猛な笑みを浮かべている。

 素手だというのに怖気を感じずにはいられなかった。


「キョウ。いいな?」


「……うん」


「よし。勝つのは誰だ?」


「がいこつじん」


「そうだ」


 俺は頷き、梟雲の手の甲に自分の手の甲を重ねてやる。

 ドクロのマークを重ねたことで梟雲の顔に無邪気な笑みが広がった。


「きょう、ころす! いっぱいころす!」


「よーしよし。いいぞ。俺がいいって言ったら、な」


「うん!」


 そうだ。

 勝つのは骸骨人。


 ただし逃げ延びるのは――――俺一人。

 さらば梟雲、だ。


「よし行」


「からす、からす」


 梟雲は俺の腕を掴み、自分の頬を指差した。そこにもドクロのマークがある、という意味らしい。

 俺は気勢を削がれたことに鼻白みつつも彼女の頬に手の甲を当ててやる。

 また熱が上がってきたのか、温かい頬だった。

 デフォルメの頭蓋骨と、黒いビニールテープを交差させた大腿骨。


「がいこつじん、かつ」


 俺の手の甲に頬をこすりつけ、梟雲は目を閉じている。

 まるで何かに祈っているかのような仕草だった。


「……からす、まだつめたい」


「そうか?」


「そう。きょう、あったかくする」


 ほんの数秒、彼女は俺の手を温めていた。

 その声音に含まれた理性的な優しさに、俺は梟雲が正気を取り戻したのではないかと錯覚する。

 だがそれは思い過ごしだった。

 ふっと手が離れた時、そこに居たのは気の触れた殺人鬼、「ドクロ仮面」だった。


「行くぞ」







 まず反応したのは赤いコートのジジイだった。


 屋上へ躍り出た俺達二人を見るや、戦闘態勢を取るでもなく、好意的な表情を向けるでもなく、ただただ冷たい視線を投げる。

 背は曲がるどころか棒でも突っ込まれたかのようにぴんと伸びており、短い白髪は剣山のように逆立っていた。

 肌には皴が見て取れるも、コートに包まれた肉体の頑強さは二十メートル離れた位置からでもよく分かる。

 現役を退いたマフィアだと言われても違和感がない。


「……鴛淵おしぶち王子野おうじの


 ジジイは決して声を張り上げたわけではなかった。 

 だがその重低音はじゃりじゃりとすり潰されるキリコの悲鳴をくぐり抜け、俺と梟雲の元へ届いた。


「人だ」


 骨を踏み砕いていた二人がこちらを見る。

 金髪の女は棺桶みたいな機械に入って焼きましたよと言わんばかりの不自然な褐色の肌が特徴的だった。

 頭部にはサングラスを乗せており、目にも唇にもどぎつい化粧をしている。

 だが目鼻立ちはすっきりしていて、その瞳には確かな理性が見え隠れしていた。


 ずいと前に出た若い男は髪をワックスで固めており、険しい顔で俺を見つめていた。

 チェックのシャツといい柄の入っていないデニムといい、本当に「どこにでもいる大学生」といった装いだ。


「誰だアンタ」


「おっとと。ちょい待ち」


 俺は慌ててホールドアップする。

 が、三人の視線は一斉に梟雲へ。


「?」


「きょ、キョウ。お前もやるんだって!」


 俺はぽけっとしている梟雲の両手を掴み、慌てて同じ体勢を取らせる。


「薄汚いハイエナ野郎か」


 若い男は神経質そうな目つきをしていた。

 大学の講義には「全部出る」か「全部出ない」かの二択しか選べなさそうな歪さを感じる。

 ノート貸してくれって言ったらキレそうだ。


鴻巣こうのすさん。これ、殺っていいですよね。別に何の取り決めもしてませんし」


「王子野」


「俺はやりますよ。ここまで来たんだ。邪魔する奴はぶっ殺す」


「ややややちょっと待てって!」


 俺はホールドしたまま少しだけ前へ進み、じろりと睨まれて愛想笑いをする。


「降参する。降参するからさ」


「その表現は不適切だ。なぜならお前らは俺達に戦いを挑んだ訳じゃない。日本語は正しく使うといいぞ低能野郎」


 面倒くさい奴だ。


「あー……そっすね」


「何だよ文句があるのか」


 血の付いた角材を向けられ、俺は半分本気で震え上がる。

 こいつは既に殺人童貞を捨てているらしい。


「王子野。やめろ」


 ジジイだ。

 奴は船に傷が無いかを点検していたらしい。

 足元に転がる先人の肉塊をまたぎ、コツコツとこちらへ近づいて来る。

 ざり、ざり、と骸骨の絨毯を踏む間もジジイは無言、無表情のままだ。


「君らは何だ」


 それは疑問文だったが、語尾は上がっていなかった。

 抑揚のない声には有無を言わせぬ響きがある。

 そのただならぬ気配を察してか、両手を上げた梟雲が顔を顰め、拳を握る。


 俺は震える喉からどうにか声を絞り出した。


「か、烏座って言います、大学1年です」


「18? タメじゃん」


 若い女が若干嬉しそうに声を上げた。


「年上かよ。ふっ」


 若い男が鼻で笑った。どうやらこいつは高校生らしい。

 片時も俺から目を逸らさないジジイの迫力に怯えつつ、俺は梟雲の方を顎で示した。


「こいつは――――」


「きょう。きょうはがいこつじん」


「?」


 ジジイ、若い男、女の頭に特大の疑問符が浮かぶ。


「やややや待った今のナシ。こいつは梟雲です。年は20ぐらいで――――」


 俺は慌てて自己紹介の修正を願い入れ、声を低くする。



「――――殺人鬼なんすよ」



 ぴくりと若い男が反応し、女も得物のスティックを構えた。

 が、ジジイは更に俺との距離を詰めることで二人を制する。

 既に俺たちは十メートルと離れていない。


「殺人鬼か。俺たちと同じだ」


 ジジイは特段驚きもせずにそう言い、ちらと梟雲を見た。


「……正気の目じゃないな」


「ちょっと男運が悪かったらしくて」


「そうか。それで、用件は何だ」


 まずい、と俺は微かな焦りを感じる。

 このジジイ、思った以上に曲者だ。俺に考える暇を与えさせまいとしている。


「あー……あの船! あれで逃げられるんですよね? ハーバー12から」


「ああ」


「ご相伴できないかなあ、なんて。ははは」


 露骨に胡散臭そうな顔をする男女をよそに、ジジイはほぼノータイムで答えた。


「いいぞ」


「えっ」


「はああ!?」


 虚を突かれたのが俺で、抗議の声を上げたのは若い男だ。

 ジジイは俺の正面からやや位置をずらし、梟雲の顔をまじまじと見つめている。

 その腰には金属バット。

 血と脂と骨粉の付着したそれを見ただけで俺は血の気が引いた。


「ちょっ、鴻巣さん!? 何勝手なこと言ってるんですか!」


鴻巣こうのすだ。鴻巣抜角こうのすばっかく。そっちの若いのが王子野。王子野雀句おうじのじゃっく。女は可憐。鴛淵可憐おしぶちかれん


 雀句と呼ばれた男が角材を背負い、ずかずかと抜角に迫る。


 可憐は一見すると立ちすくんでいるようでもあったが、どうやら違うらしい。

 彼女の視線はゆっくりと辺りを這っており、伏兵やキリコの再起を警戒している。

 ――――この姉ちゃんも甘くみたらヤバい。

 事前に気づけたことに俺は安堵する。


「……勝手も何もないだろう、王子野」


 抜角の声は肉厚のナイフを思わせた。


「降服を申し出ている相手を殺すわけにも行かない」


「なっ! あれだけ殺しまくったじゃないですか!」


「どれも正当防衛だった。俺は逃げる奴、命乞いをする奴を殺したことはない」


 正しい。

 ジジイの言っていることは正しい。

 ――――つまり、俺の狙い通りだ。


 相手が一人なら雀句は容赦なく俺を殺害することもできただろうが、こっちは二人だ。

 降服を申し出る二人の人間を問答無用で殺すことは確実に不和を呼ぶ。

 もし雀句が俺達を殴殺したら、他の二人は彼を「無抵抗の人間すら平然と殺すサイコパス」とみなすだろう。

 それは巡り巡ってこの三人に破滅をもたらす。


 俺達は確かに極限状況に置かれているが、島内にはまだ結構な数の人間が残っているし、本土には人間社会が待っている。

 周囲の生存者に人間性の欠落を示すことは自殺行為だ。


 降服を申し出た俺達を初手で攻撃しなかった時点で、こいつらは対話のテーブルに乗るしかない。

 で、乗ってしまえばますます殺しにくくなる。

 人は強いものを憎み、殺したがることはあっても、明らかに弱いものは支配したくなる。いつでも殺せるからだ。

 そのドツボに嵌まってしまえばもうこいつらは脱け出せない。

 俺からも。島からも。


 それが分かっているからジジイは早々に話を切り上げたのだ。


「王子野。この二人に危害を加えたら俺は本土でお前を糾弾する」


「ッ」


「待った。ばっちゃん」


 可憐が口を開いた。

 眼科医のように梟雲を見つめていたジジイが、初めてちらりと彼女を見やる。


「ばっちゃんはこれから船で外に出るからいいけど、残される私達にとってはリスクなわけじゃん?」


「……む」


「ん。そゆこと。味方にするのは別にいいけど、ばっちゃんが助けを呼びに行ってる間、誰がこの二人監視するのって話」


 可憐は俺と梟雲を見比べ、言う。


「ばっちゃんに反応したのはそっちの女の子だけだから、何となく私とジャックだけでもこの二人に勝てる気はするのね。ただ、怪我しちゃうかも知れないし、キリコもいる」


「ふむ」


「って感じなんで私はやめといた方がいいと思いまーす」


 もしくは、と可憐は言葉を継ぐ。


「私が船使っていいなら、残るのはばっちゃんと雀句だから普通に大丈夫だと思うけど?」


「ふざけるな鴛淵」


 これに噛みついたのは雀句だ。

 みち、と角材が小さく音を鳴らしたのでどうやら微かに力を込めたらしい。


「お前みたいな奴が助けを呼んで来るとは限らないだろ」


「っへ~そういうこと言っちゃう?」


「自分の姿を鏡で見ろ。痴愚女」


「見てますもーん。毎日毎晩見てますよーだ」


 べいっと舌を出し、可憐は瞳を細める。


「……一応言っとくけど、雀句が外行くのは私、反対だからね?」


 別人のように冷ややかな声で可憐は続けた。


「あんたこそ絶対助けに戻らないでしょ」


「見損なうな。助けを呼ぶに決まってるだろ」


「呼ぶだけ呼んで来ないってオチじゃないの? 警察に電話だけして、それで終わり―。はい、「助けは呼びました」ってね」


 おい、と見かねて抜角が鋭い声を差し挟む。


「やめろ。時間とカロリーの無駄だ。外には俺が出る。お前らは残ってろ」


「……」


「……」


 抜角、雀句、可憐の三人は無言で沈思に耽る。

 さああ、と風が吹き、幾片かの骨が屋上を転がった。


 思った以上に慎重な連中だ。

 事の成り行きを見守っていた俺はこれ以上おかしな方向へ話が流れないよう、さりげなく両手を下ろす。

 そして防水袋を下ろそうとし――――


「おい待て。何動いてる!」


 雀句が目ざとく見つけ、俺に歩み寄ろうとする。

 抜角が手を上げてそれを制止する。


「うかつに近づくな。……おい烏座。その荷物は何だ」


「何って必要物資ですよ。水、食い物、薬にあと……まあ」


「武器か」


 雀句が顔を強張らせた。


「武器なんだな? おい、そいつを寄こせ! 見せろ!」


「わっ、ちょ、待て待て待てって」


 取り上げられた袋からは包丁、カッター、画鋲にハサミといった物騒な品々と食料品が発見される。

 雀句は見る見る内に顔面蒼白となった。

 赤くなったり青くなったり忙しい奴だ。


「ほら見てください!」


「武器ぐらい持ってるだろう。取り乱すな、王子野」


 唇を噛んだ雀句は俺を睨みつける。


「他にも持ってるだろ! 全部出せ!」


「や、それで全部だって」


「持ち物を見せろ! 脱げ!」


「う……」


「何やってる。早くしろ」


 俺は渋々上着を脱ぎ、ズボンを脱いだ。

 パンツ一丁となった俺を見ても抜角と可憐は表情一つ変えなかったが、雀句は口元を歪めて笑う。


「全っ然鍛えてないな」


「悪かったな」


「握力は?」


「……40」


「中学生かよ。俺6……70だぞ」


 それは大したもんだな、とでも言えばいいのだろうか。

 俺はいささか返答に困ったが、雀句はそれを怯えの挙動だと理解したらしい。


「じゃあいつでも殺れるな」


「すーぐ油断する」


 可憐が棘のある言葉を放ったが雀句は鼻で笑う。


「ハーバー12の大学とかド底辺だろ。頭悪い上に喧嘩もできないとか終わってる」


 奴は俺の衣服をじろじろ見ていたが、何もないことを察したらしい。

 そのまま雀句は梟雲へと視線を滑らせ――――


「梟雲は脱がせない」


「……何?」


「女にストリップさせるつもりなら今の話、ナシでいい」


 俺は打って変わって冷ややかな表情で雀句を見やった。

 そこにはいくらかの本音が混じっていた。


「男も女も関係あるか。脱がせろ」


「ジャック。やめなって。女の子じゃん?」


「黙れ可憐。頭の悪い事を言うな。……実際問題、こいつの方が危ないんでしょう、鴻巣さん」


「ああ。だが丸裸にすることはない。俺が見ている。ほんの少しでもおかしな真似をすれば――――」


 ゆらりと抜角が金属バット――――ではなく。

 コートの内側に吊るしていた細長い金属の棒をちらつかせた。

 どうやらレイピアに見立てているらしい。


「いつでも心臓を射抜く」


「……」


 梟雲の口元に怒りのようなものが見えた。

 ヘラヘラしながらキリコや人間を狩っていた彼女がここまでの感情を見せるということは、それだけの相手なのだろう。


「ですが鴻巣さん」


「二度言わせるな。梟雲脱がせるつもりなら俺は帰る」


 俺は両手を下ろし、踵を返すような挙動を見せた。


 むしろそうしてくれた方がありがたい、というのが抜角の本音だろう。

 俺達が「降服している」という状態さえリセットしてしまえば互いの関係性はゼロに戻る。

 正当防衛なり何なりの名目を得て、俺たちを殺す機会も生まれる。


 だが雀句はそれを許さなかった。


「ダメです。ここまで来たら逃がした方が危険だ」


 違う。

 お前は知性を発揮したいだけなんだよ、と俺は心の中で囁いた。


 マッチョがパワーを抑えて生活することはできても、インテリが頭脳を隠して生活することはできない。

 知性は常に披歴される機会を窺い、脳みその中でジタバタしている。

 自分の事を賢いと思っている奴の脳みその中では、特に。


 雀句は順調に知性を発揮してくれた。そして俺に関する幾つかの事実に気づいてくれた。


 実は俺は弱い。

 実は俺は荷物に手を掛けた。

 実は俺は武器を持っていた。

 実は俺は女を大事にしている。


 自分で気づいた事実は何よりも尊い。

 雀句が俺が隠している「何か」に気づけば気づくほど奴の知性は刺激され、くすぐられ、興奮する。

 奴はもっともっと賢いことをやりたがっている。

 知性で戦いたがっている。


「そのペンは?」


 雀句は俺が耳に挟んだ油性マジックを見た。

 学生が持ち物に名前を記す時に使うタイプの品だ。「太」ですら微妙に細く、「極細」のペン先は新品でも潰れそうな程細い。


「あー……これは……」


 俺はわざとらしく言い淀む。

 が、賢い雀句くんは俺がさりげなく角度を変えたホールドアップを見て目を見開く。


「その手! 手の甲! 何だそれ!」


 奴はずかずかと近づき、俺の手を取る。

 さすがにパンツ一丁の俺にできることはないと高を括っているらしい。

 実際、武器なんて持ってないわけだが。


「ちょ、離れろって!」


 ここですかさず拒絶の仕草を見せる。

 さもなくばジジイか可憐が警告を発していただろう。

 俺が先に接近を嫌がったことで二人は雀句の迂闊な行動を咎めなかった。


「うるさい! 見せろ!」


 奴は無理やり俺の手を掴み、ドクロのマークに気づいた。

 そしてぎろりと梟雲を見やり、その頬と手の甲に視線を走らせる。

 手の甲にはマジックのドクロ。

 頬にはマジックの頭蓋骨と黒いビニールテープの×印。


 俺は観念したかのように溜息をつき、ドクロのマークを示す。


「このマークがないと梟雲は相手を敵とみなす。人間でも、骸骨でも」


「……」


 梟雲は怪訝な表情で俺を見つめていた。

 気が触れた者は触れた者なりに、二人だけの秘密を話されることに不快感を抱いているらしい。


「なあ、キョウ?」


「そう。がいこつじんはなかま。にんげんちーむもがいこつちーむも、てき」


 著しく知性を欠いた話しぶりに抜角と可憐は微かな哀れみを、雀句は露骨な嫌悪と軽蔑の情を見せた。

 なぜだか分からないが、俺は苛立ちを覚えていた。


「! だからそのペンが必要なのか」


「そうだよ。あんた達が俺達を受け入れるんならマーク書かないと危ないって思ったわけ。ってか、ジャック、梟雲に近づき過ぎだぞ?」


「ジャックと呼ぶな! 俺は王子野だ!」


 へいへい、と俺はマジックのキャップを外す。


「まあとりあえず書かせてくれよ。それ以上近づくつもりなら普通に危ないからさ」


 俺は落胆したかのように肩を落とし、雀句の手を取る。

 年の割にごつごつした手だった。テニスかバスケでもやっているのだろうか。


「あ」


 ふと、俺は呟く。

 ちょうど雲が過ぎり、陽光が隠れた瞬間のことだった。


「何だ」


「上のアレ、気づいてたか?」


「上?」


 奴は当然のように真上を向き、白い喉仏を晒してくれた。

 ジジイも、可憐ですらも真上を見ていた。



 ありがとう賢い人よ。


 ――――さようなら。



「ぶぐっ……!」


 人を殺すのに暴力は要らない。

 武器すらも要らない。

 ちょっと硬くて細いペンが一本あればいい。

 このマジックの「極細」はシャープペンの先端のように尖っている。

 手を振り上げる勢いを乗せ、それを思い切り喉笛に突き刺してやれば十分だ。


 ぶびゅる、と思った以上に下品な音がした。


「ぁぐぶ、ぶぐ……」


 ぼこぼこぼこ、と血の泡が雀句の口と喉に膨らみ、消える。

 沸騰した湯のようだ。


 ――――今だ。

 俺は梟雲に目配せした。

 獰猛な笑みを浮かべた彼女は既に頬に手をやり、黒いビニールテープをぴっと外すところだった。

 そこには人差し指程の長さのカッターナイフが貼り付けてある。


 繰り返すが、喉だ。

 喉さえ潰せば人は死ぬ。喉は誰にも鍛えられない。


 俺は雀句の体を盾にしてジジイに――――


「カラス!!」


 梟雲の悲鳴。


 俺は雀句を掴んだまま振り返りかけ、すんでのところで踏みとどまった。

 それは梟雲が警告を発すると言う異常事態に対する反射的な行動だった。

 雀句の身体から離れ、飛び退く。


 尻もちをつくようにして退避した俺の視界には、ばたつく脚。

 それがすううっと上方へ連れ去られて行き――――


 べちゃっ、とペンキのように赤い血が落ちる。



 映画のように誰かが彼の名を呼ぶことはなかった。



 見上げれば阿修羅を思わせる三つの頭蓋骨が周囲を睥睨している。

 数十本もの脊椎と数百本もの肋骨が連結した胴体は細長く、上部からがちがちがちがち、と順番に噛み合う。

 六本脚でどうにか胴体の下半分を支えたそいつは、残る二本脚を人間でいう胸の辺りに所在無げにぶら下げていた。

 真横から見ればアルファベットの「L」字に近い。


 まるでアシダカグモの脚を備えたムカデのような物体は、吠えも唸りもしなかった。

 ただ、カチカチカチ、と首から尾までを伝う肋骨の咀嚼音にごりゅりゅ、という湿った肉の潰れる音が混じる。

 そいつの首元へ放り込まれた人間は肋骨の通路を伝い、無限の咀嚼刑に処されるらしい。


 ごりゅりゅ、ぶちゅ、と肉塊が少しずつ尾の方へ向かっていく。

 飛び出した骨がからからと零れ落ち、鮮やかな血が飛散する。


 こりり、こりり、と。


 王子野雀句だった肉塊を肋骨で咀嚼しながら、巨大なキリコはいつものように笑った。


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