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Largo(悠然と)

 ハーバー12に定住している人間がどれほどいるのか俺には分からない。

 大味な推測だが1万人は切っていると思う。


 内訳はバイオベンチャーやIT関連企業、BPOの支社といった会社勤めのサラリーマンが最も多い。

 繁華街や海浜施設に勤める人々がその次に多く、研修と称して宿泊施設完備の大ホールに送り込まれた社会人も相当数に上る。

 俺達のような大学生は少数派だし、一家で住み着いている連中なんてほとんどいない。


 そんな実務的な住民にとってどれほどの意味を持つのかは分からないが、この島には教会が存在していた。


 その教会には二つの大きな長所がある。

 一つは海辺にぽつんと建っており、存在そのものがあまり知られていないこと。

 もう一つは火事によって半壊していること。


 発泡スチロールのイカダで乗り付けた俺は、この状況下で神様に縋る奴がいなかったことを神様に感謝した。

 キリコは人が大勢いる場所へ集まる。

 ここなら俺一人だ。狙われる可能性は限りなく低い。


 礼拝堂を覗き込むと焼け落ちた壁面から昼過ぎの青い空が見え、波の音が聞こえていた。

 ぐるりとイカダで外周を巡り、小さな扉を見つける。

 洋館を思わせる水浸しの廊下を進み、上階への階段前でイカダを降りる。


 防水袋を担いで上層へ至った俺は狭い廊下に立っていた。

 何だか婆ちゃん家みたいだな、と思いながら一つの小部屋に入る。


 窓の外にはハーバー12の市街地が見えていた。

 俺は燕が確保していた双眼鏡でよくよく状況を確認する。


 こうして見ると事態は深刻だ。

 二メートルを超える浸水によって街は鼠色に染まりつつある。

 家屋の一階部分はほぼ完全に水没しており、見えるのは二階から上だけ。

 そこかしこの屋根に人間が避難している姿も見えるのだが、動いているのはほとんどいない。

 街路を漂うのは無数の瓦礫と、水死体と、それに群がる真っ白なキリコ。


 ちらとオフィスビルの方を見やり、目を細める。

 そこにはアリの大群のようにして壁面を這い上がるキリコが見えていた。

 お気の毒様、とご冥福をお祈りしながら双眼鏡を外す。

 温かいビルに籠ったまま救助が来るほど世の中甘くはないだろう。


(船なんて残ってるか……?)


 兄貴はマリンスポーツに着目し、ホバークラフトを奪取した。

 燕もおそらくそれに近い。ただ、奴が二人分の乗機を確保できなかったということは既に水上バイクや船の類は売り切れか、水没している可能性が高い。

 個人でそういったアイテムを持っている連中はとうに脱出しているだろう。


(造るか……?)


 発泡スチロールのイカダで脱出することは不可能だ。

 だがもう少し手を加えて丈夫にするか、そもそも丈夫な素材で渡海できる道具を造ればいけるんじゃないだろうか。

 丸太をくり抜いた船とか。


(そんな時間があるか、ってのが問題だな)


 兄貴曰く、ハーバー12は沈降しかけているらしい。

 もたもたしていたらキリコや生存者と心中するはめになる。


 ふと、小部屋の入り口に目を向ける。


 そこには悪趣味なドクロの被り物がいくつも打ち棄てられていた。それに缶チューハイの空き缶やコンビニのゴミ袋も転がっている。

 神父がチー鱈とチューハイを片手に例の「カラベラ祭り」とやらに興じるとはとても思えない。

 大方、ハロウィンでテンションの上がった繁華街の兄ちゃん姉ちゃんが遊びに来たのだろう。


「!」


 突然の閃きだった。

 俺はそれをすっぽりと被って窓の外へ顔を出す。


(音が聞こえない……)


 気が触れたわけじゃない。

 あのサイコキラー、『ドクロ仮面』がどんな風景を見ているのか確かめてみたかったのだ。


 被ってみた感想は、「よくこんなもの着けていられるな」だ。

 顔に触れるごわごわの感触は最悪だった。

 視界も狭く、ゴムみたいな匂いもきついし、音も聞こえづらい。


 ――――音も聞こえづらい。


「?」


 きし、と。

 妙な音がしたので俺は振り返り、そのまま心臓が口から飛び出すほどの衝撃に飛び上がる。



 ドクロ仮面。

 黒い迷彩服を着て、ごついブーツを履いた奴が、今まさに部屋へ入ってきたところだった。



「! !?」


 ばぐっばぐっと濁った心臓のリズムに合わせて熱い血が全身を巡る。

 口の中はカラカラで、見開いたままの目がひりつく。

 奴の足元にはじわりと汚水が染みを作り、音もなくズボンを滴が伝っていた。


 今頃になって俺は気付く。

 安全圏へ逃げ込むという発想自体、あのビルの連中と同じ「死に至る守勢」であるということに。

 多少の危険を冒してでも俺は前進しなければならなかったのだ。


「ぁ、ぁ……」


 ドクロ仮面は微動だにせず俺を見つめている。

 しゅ、すー、という微かな呼吸音。

 俺自身の激しい拍動に隠れてはいたが、その音は確かに聞こえ続けている。


「ま、待ってくれ。待って……」


 人質を取った銀行強盗に警官がそうするように、俺は両手で制止のポーズを取る。

 ぴくりと奴が動いたのを見、慌ててホールドアップ。


「こ、降参します。降参。お願いします殺さないで。尻でも何でも舐めますから」


 引き攣った喉からは実にシンプルな命乞いが発せられた。

 ちくしょう、と俺は今更になって後悔する。

 兄貴と一緒に脱出していればこんな目には遭わなかったのに。


「……」


 ドクロ仮面が一歩近づくと、びしゃりと海水が床を汚した。


「ヒィッ!?」


 奴は無言だった。

 手にはボウガンすら持っていない。

 このまま飛びかかれば、なんて考えが脳を過ぎるも、腕力で勝てるかどうかは怪しい。

 マスクをしているせいで人体急所もことごとく護られている。目潰し、鼓膜破り、喉笛にガブリといった必殺の一撃は望めない。

 かと言って悠長に防水袋を漁っている暇もない。


 万事休すだ。

 今できるのはただひたすらに命乞いをすることだけ。


「お、お願いします見逃してください!」


 俺は僅か一秒で世界一美しい土下座を披露する。

 ドクロ仮面はじいっと俺を見つめたまま更に一歩近づく。


 びしゃり、と濡れたブーツが目の前に。

 下から見たドクロ仮面は俺より背が高く、180センチに届きそうな程だった。


「お、あの、俺みたいな雑魚殺してもいい事なんて――――うひっ?」


 マスク越しに頭を撫でられる。

 侵略的宇宙人が原住民の頭蓋骨の形を確かめるような動きだった。


「お、あー、はい。頭蓋骨です、かね? いやー……俺より綺麗な形の奴、いるんじゃないかなぁ。崖定鶚って奴とか、特に。乳でかいっすよあいつうひいっ?」


 今度は首の辺りに手が伸びる。

 軍手を嵌めた奴の指が首周りをなぞる様は斬首刑に処す角度を確かめているかのように感じた。


「い、いや……首、自分でもあれですけど自信ない、なあ。はは。あの、俺と一緒にいた坊主とかどうですかね? あの坊さん綺麗な首してましたよ……」


 すっと指を離した奴は俺の肩を掴み、立ち上がらせた。

 逆らうことなく立ち上がった俺は至近距離でドクロ仮面を見つめ合った。

 まるで腹を空かせた熊と相対するかのような絶望。

 ばくばくばくばく、と心拍は既に思春期の女子高生さながらのビートを刻んでいた。


 眼前に迫る死の予兆に顔を逸らした俺はぎゅっと目を閉じる。


「……マ」


 ぼそっと奴が何事かを呟いた。


「……カマ」


「は、はい?」


「なかーま」


 ナカーマ。

 死の呪文だろうか。

 物理ではなく魔法で俺を殺すつもりなのか。


「なか、ま」


 ――――『仲間』?


「もしかして……仲間になれ、って言ってます?」


 俺は言葉の通じない土人を前にしたかのように、一言一句に力を込めた。


「ちーむ」


「チーム?」


 こく、とドクロ仮面は頷いた。

 そして俺は気付く。


 この声。

 もしかしてこいつ――――


「わたしといっしょのちーむ」


「……」


 ぼぞり、と俺の頭部からマスクが外された。

 冷たい空気が頬に触れる。呼吸を止めていたせいで、鼻から吸いこんだ海水の臭みは濃度を増したかのように感じられた。


 ドクロ仮面は俺の素顔をまじまじと見つめると、自らのマスクに手をかけた。

 ゆっくりと、死神の面が外される。



 ふわっと漂うのは薄い汗の香り。

 水分を含んだ長い黒髪は緩く波打ち、頬や首元に張り付いている。

 眉は弓なり。瞳は切れ長。口元には微かな笑みを浮かべていたが、それがかえって息を呑むほどの凛々しさを強調していた。

 ファッションモデルだと言われても納得せざるをえない、凛々しい黒髪の女。

 それがドクロ仮面の中身だった。


 ――――ただ、残念なことに彼女の目は死んでいた。


 不必要に見開かれた三白眼。血走った瞳。不規則な呼吸。

 鈍い俺にも分かる。彼女はもう人間として「終わって」しまっている。

 これまでの挙動を見る限り、元々知性に欠陥を抱えていたようには思えない。

 おそらくこの緊急事態に際して、精神に異常を来たしてしまったのだろう。それも取り返しのつかないレベルで。

 だから理屈に合わない奇妙な挙動を見せたのだ。



「わたしは、きょう」


 女にしてはやや低い声だった。

 そこには虚ろな温かみを感じる。


「あなたは?」


「か、カラス」


「からす」


 ぼむ、ぼむ、と「きょう」は俺のマスクを叩く。

 ドクロの顔が何度も歪み、笑いや悲しみの表情を作る。


「カラスとキョウはなかま。にんげんちーむも、がいこつちーむも、みんなやっつける」


 にたあっと狂気の笑みを浮かべた「きょう」が俺に倒れ込んできた。

 慌てて彼女を抱き止めた俺は足をふらつかせる。


「きょ、キョウ? あの……うぐっ!」


 抱き止めてすぐに、ずしりと全体重がのしかかった。

 重い。重すぎる。何だこれは。


「キョウ? おい、キョウ? ……」


 彼女は意識を失っていた。道理で重いわけだ。

 そしてよくよく彼女の様子を観察した俺は気付く。

 初めて遭った時と衣服が変わっていない。


 そっと額に手をやった俺はすべてを察した。


 ――――酷い熱だ。


 どうやら濡れた衣服のまま冬の海を徘徊し、ろくに暖も取らなかったらしい。

 風邪を引くのは当然だ。いや、気管支炎や低体温症になっていたとしても不思議じゃない。


(……)


 殺せ、と脳内で冷静な俺が呟いた。

 こいつを排除すれば目下の脅威は取り除かれる。防水袋に入っている包丁で喉をかき切れば終わりだ。


 だが、と脳内で更に冷静な俺が囁いた。

 こいつの命を助けることができれば儲け物だ。何せこいつはキリコに包囲されたあの保育園から脱出している。単純な身体能力なら俺より上だろう。

 今から市街地に出て船や和尚達を探せば、燕や鶯のようなクレイジーと出くわす機会も当然出て来る。

 相手が一人ならどうとでもなるが、複数いる場合俺一人での突破は難しい。その点、キョウがいると迎撃が可能になる。

 あまり考えたくはないが、夜に見張りを立てられる点も見逃せない。


 気の触れたサイコキラー。

 味方にするリスクは大きいが、リターンも大きい。

 さてどうするか。


 すう、すう、と病んだ呼吸が繰り返される。

 俺に触れる彼女の身体は熱く、微かに乱れた鼓動も伝わってきた。


(……恩は売るもの、着せるもの、か)


 俺は腹を決め、彼女を休ませられる場所を探した。









 墨下梟雲すみしたきょううん


 それが彼女の本名だった。

 驚いたことに俺の一つ上、つまり同じ大学の二年生。しかも法学部。お堅い学部だ。卒論は無いらしいが。

 学生証を財布にしまった俺は眠る梟雲に近づく。


 元々神父が住んでいたのか、それともミッションスクールの生徒が泊まりに来る予定でもあったのか、二階には数組の布団が用意されていた。

 ブロックタイプの栄養調整食品を平らげ、腹が裂けるほど水をがぶ飲みし、最後に風邪薬を飲んだ梟雲はすやすやと子供のような眠りについている。

 穏やかな寝顔を確認した俺は物資の残りを確かめることにした。


 バーベキューなんて野放図なことをやりながらも燕はしっかり鶯のことを考えていたらしい。

 奴の持ち物には子供用の風邪薬と巷で話題の鎮痛薬、それに胃薬と粉末のスポーツドリンクが入っていた。

 内服薬はそれで全部だったが、外傷を見越して包帯やアルコール類が備えられていたのもありがたい。

 奴には良い地獄へ落ちてもらいたいものだ。


 荷物はだいぶ軽くなっていた。

 水がかなり減ったせいでもあるし、燕から拝借した新品のワイシャツとズボンを梟雲に渡したせいでもある。

 下着まですっかり脱ぎ、タオルで体をくまなく拭き、成人男性用の肌着とワイシャツを来た梟雲は無警戒な寝息を立てている。

 彼女が持っていたのは財布と、短い折りたたみナイフ(肥後守というらしい)とスリングショットだけだった。


 西日に顔を照らされながら、俺は一滴の汗が頬を伝うのを感じていた。


(水がヤバいな……)


 分かってはいたが、俺は少しだけこの選択を後悔していた。


 幸い、餓死の危険性は低い。

 栄養調整食品にチョコバー、ミックスナッツにドライフルーツといったカロリーの補給源はたっぷりある。

 だが水だけはどうしようもない。


 夏場でないのが救いだが、人間は日々1~2リットル程度の水を消費すると聞いたことがある。

 俺が持ち運んでいた水は防水袋にギリギリ収まる5リットル程度。

 既に1リットルが梟雲の腹に消えた。病人にはとにかく水を飲ませないといけないから、明日にはもう1リットルが消えるだろう。俺にも1リットル必要だ。

 つまりあと1日で俺たちは水不足に陥る。


 家屋の水道はほぼ使い物にならない。飲食店であれ何であれ、2メートルより高い位置に蛇口があるケースは稀だろう。

 マンションやオフィスビルなら可能性は望めるが、そもそも水道管に海水が侵入していない保証が無い。

 であれば、道中で確保するしかないだろう。


 俺は小さく苦笑した。

 梟雲と行動を共にすれば資源の消費速度は倍だ。

 結婚は喜びを二倍に、悲しみを半分に、そして生活費を四倍にしてくれる、なんて諺が思い起こされる。


 できれば明日には移動を開始したい。

 水を確保しつつ、船を探し、可能であれば和尚達を助ける。


(先に船が見つかれば万事解決なんだけどな……)


 できれば二人乗り以上の船がいい。

 梟雲とカルネアデスの板ごっこはやりたくない。


(ってか、元気になったこいつに殺されたら笑い事だな)


 いやそれ以前に、と俺は窓の外を見やる。

 冬の陽は落ちるのが早い。既に窓の外には灰紫色の幕が下り始めていた。


 潮騒は文字通り騒がしく、海が荒れているのが分かる。

 遠い、遠いどこかで、こりり、こりりというキリコの徘徊する音が聞こえていた。


 もし今夜でハーバー12が沈んだら何もかもおしまいだ。


「はは……」


 崖っぷちだ。

 もしかすると俺はこのまま、殺人鬼と心中するはめになるかも知れない。

 そう考えると梟雲を助けるという選択肢そのものが間違っていたような気もする。

 とにかく街中を駆けずり回って船を探していれば――――


(いや……)


 ダメだ。俺はあの兄弟との戦闘で思った以上に体力を消費している。

 逆に、キリコは不眠不休で人の肉を食い続ける。

 闇雲に街を駆けずり回った結果、船を見つけられなければ待っているのはキリコの包囲だ。

 こっちは夜目も利かないのだから、陽が傾いただけで絶望的な不利を強いられる。

 休むべき時は休み、エネルギーを温存しなければならない。

 攻め手に回れば死ぬだけだ。


 ふと、梟雲の白い下着が目に入る。


 先ほどこっそり着替えを覗き見たのだが、梟雲の肢体はなかなか筋肉質だった。

 ヨガやピラティスをやっている感じじゃない。陸上とか、ムエタイとか、もっと激しいスポーツをやっている身体だ。


 布団の上でブラを外し、物憂げな表情で乳房を拭く梟雲の横顔にはぞっとするような色気があった。

 その身体には健やかな筋肉が乗っていつつも、腰はきゅっとくびれている。

 胸は鶚と同じぐらい大きく、傷一つない白い肌を見た俺は生唾を飲み込んだものだ。

 できれば正気を保っている頃にお近づきになりたかった。


「あー……」


 むくむくと下半身が熱を帯びた。

 命の危機を感じれば感じるほど、子孫を残そうとする欲求は活発化するらしい。


 幸い、梟雲は眠りに落ちている。

 今ならいける、と本能が吠えるも、俺は冷静にそれを押しとどめた。

 襲ったらたぶん、返り討ちにあって殺される。最悪、噛み切られるかも知れない。


(まあ、オカズがあるだけマシだよな……)


 俺は黙って部屋の隅であぐらをかき、ソロプレイに勤しんだ。

 そしてドアも窓もきっちりと締め切り、布団を被って眠りにつく。


 夢の中では誰かが悲鳴を上げていた。現実と大して変わらなかった。








「船」


「ふね?」


「そう。船が欲しいんだ。どこか知らないか?」


 翌朝、梟雲は驚くべき復活を見せていた。

 肌には明らかに艶と潤いが戻り、顔の血色も良くなっている。

 その代わりに、水はずいぶんと消費されてしまった。


 梟雲は胸が苦しいのかワイシャツのボタンを三つめまで外し、布団の上に座り込んでいた。


「ふねはどうして?」


 小首を傾げる仕草は少女のようだったが、身長180センチを超えるサイコキラーがやると「怖い」以外の感想が出て来ない。

 まあ、気が触れた無垢な仕草には一抹の可愛らしさが無いわけでもなかったが。


「船があったら外に出られるだろ」


「そとはどうして?」


「どうしてって……ここにいたら死ぬぞ。島、沈みかかってるし。キリコもいるし」


「でもふぃーるどのそとにでたらだめ」


「フィールド?」


「ふぃーるど。げーむちゅうはそとにでたらだめ」


(ダメだこいつ……)


 完全にサバイバルゲームか何かと混同している。

 思えばこいつは迷彩服とボウガンなどという、一般には考えられない格好をしていた。

 元々サバゲー部にでも所属していたのだろうか。


「あのな、梟雲。ゲームはもう終わったんだ」


「おわってない」


 ワイシャツに黒ズボンという男子学生のような格好の梟雲は四つん這いで迷彩服の元へ這い寄った。

 持ち物はすべて検めたつもりだったが、見落としがあったらしい。

 じゃらりと彼女が見せつけたのは銀色のドッグタグの束だった。


 梟雲はそれまでとは打って変わって真剣な表情になっていた。

 戦乙女とでも表現できそうな凛々しい表情に、不覚にも胸が高鳴る。


「きょうがいきてる。みんなしんだけどおわってない。きょうがいきてるからげーむはおわりじゃない」


「……それ、友達のか?」


 うん、と梟雲は深く頷いた。


「みんな、みんなしんだ。にんげんちーむとがいこつちーむにころされた」


「待て。骸骨チームはともかく、人間チーム?」


 骸骨チームは間違いなくキリコだろう。

 だが人間チームってどういうことだ。


「にんげんちーむがいちばんわるい。みんなをうみにしずめる。るーるいはん」


「海に?」


「すみかもあやなもはだかにする。はだかにならないとうみにしずめる。しずめてはだかにする。るーるいはんする」


 梟雲は淡々と語った。

 スミカ。アヤナ。おそらく女の名前だ。


「あー……なるほど」


 キリコのせいで忘れがちだが、そもそも俺たちは人死にが出るほどの豪雨で数日間、大学の敷地内に閉じ込められた。

 俺が居た大講義室は出てすぐのところに自販機があったから餓死も脱水症状も起こさずに済んだ。

 鶴宮や鳩子といった元々つるんでいた連中と一緒だったことも幸いした。


 だが見ず知らずの連中と一緒に、それも栄養補給もままならない状況下に置かれたらさぞストレスが溜まるだろう。

 水は雨水があるのだろうが、それにしたって不快な代物であることに違いはない。

 いつ助けが来るとも分からない状況。

 携帯端末の充電ができなければ娯楽も絶える。

 そうなった時、たちの悪い男が良からぬことを考えたとしても不思議はない。


 絞殺や刺殺と違い、溺死なら足がつきにくい。

 溺死をちらつかせて女に娯楽を求める。梟雲は不幸にしてそんな連中と一緒に閉じ込められてしまったらしい。


 だが昨夜オカズにした限りでは彼女の下着に乱暴された形跡はないようだった。着衣にも乱れがない。


「梟雲もヤられたのか?」


 ふるふる、と緩くウェーブした黒髪が左右に揺れる。


「きょうのばんになった。たくさんのにんげんちーむにてとあしをつかまれてはだかにされた。でもがいこつちーむがきた」


「……」


「がいこつちーむはみんなころした。きょうは……んっ」


 側頭部を押さえ、梟雲が苦しげな顔をした。


 肉塊に変わる人間を見てガタガタ震えていた丸裸の女子大生。

 レイプ魔も、そいつらにヤられた女達も片っ端から骨を抜かれて食われて死んだ。

 顎を血で濡らした骸骨が落ち窪んだ眼窩で自分を見つめる。

 閉じ切った肋骨の中で、こりり、こりりと友達の骨が鳴る。

 まるで「次はあなたの番だよ梟雲」と呼んでいるかのように。


 どうやらその辺りで理性のヒューズが吹っ飛んだらしい。

 人間でもキリコでもない。

 すべて終わった後に立っていたのは、ドクロの被り物をした一人の怪物。

 たった一人の「チーム梟雲」。


 俺は彼女の背をさすり、胃薬と痛み止めを渡す。


「もういいよ。……ごめんな」


 へへ、えへへ、えへへへへ、と。

 口角から涎を垂らしながら梟雲が笑った。


「きょうとからすは『がいこつじん』」


「『がいこつじん』?」


「がいこつじんはいちばんつよい」


 梟雲はドクロ仮面のマスクを被った。

 彼女が仰いだ天にはただ無骨な天井板があるだけだ。


「げーむにかつのはがいこつじん」


 そういうことか、と俺は理解する。

 要するに梟雲にとっては人間もキリコも等しく敵で、同じ装いをしていた俺だけが味方だと。


(まあ、別にそれでもいいか)


 むしろ好都合だ。

 これから先誰と出くわすにせよ、救助する人間は厳選に厳選を重ねるつもりだった。

 和尚のようにあれもこれもと助け出すのは困りものだし、鶚のように隙あらば誰彼構わず蹴落とそうとするのも良くない。

 ある意味、梟雲はバランスが取れている。

 俺と彼女以外はすべて敵という、ひどく歪なバランス感覚ではあったが。


 俺は窓の外を見た。

 そろそろ日が昇る。

 行動指針を定めなければならない。


 梟雲が船の在り処に心当たりがないのなら――――


「カラス。カラス」


 四つん這いになった梟雲が胸を左右に揺らしながらくいくいと俺の袖を引っ張る。

 俺は艶めかしい胸の谷間を見つめながら問い返した。


「どうした? トイレか?」


「ふね、ある」


 ぎょっとした俺は思わず彼女の肩を掴んでいた。


「ど、どこに!?」


「にんげんちーむがとりあってる」


 けたけたけたと不気味に笑いながら、梟雲は大きな賃貸マンションを指差していた。

 俺は目を細めたが、内部で争いが起きているようには見えない。

 むしろしんと静まり返っている。


「でもしぬ。みんなしぬ。がいこつちーむがきてみんなしぬ」


 ぶくっ、ぷふふっと風船が萎むような音の後、梟雲は顔を伏せた。

 その声は震えている。


「でもかつのはきょうとからす。がいこつじんがみんなをころす」


 だらりと舌を垂らした梟雲は今度こそ肩を上下させて笑い始めた。

 あの保育園で遠ざかる俺を見逃した時と同じように。

 文字通り、ゲーム感覚で。


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