誕生日
『11月 3日(火)
今日はぼくの誕生日である。父はもちろん、梓からの祝いは、やはりなかった。詩織からのメールと、母は好きなチョコケーキを買ってきたが、ごく小さいもので、皆で食べるということもない。11月3日は震災があった日だから、どこのウチもジシュクするのはわかるが、なにも今日じゃなくても良かったじゃないか。なんで今日なんだ? うん……。この、「忘れられてる感」は、なんとも言えないモノがある。
18歳になった。車の免許が取れる様になるらしいので近くの自動車教習所に行ってみたが、冬休みに向けてぼくと同じことを考えている学生たちがウジャウジャいた。そのまま帰ってきた。どんだけ損な月に生まれたんだぼくは。
さっきから台所が血生臭い。ふう、今日は珍しく刺身だった。いいじゃないの。』
帰宅するかしないかという所で、ブッブッ、と、ケータイが2度、小気味良く震える。ロックを解除して開いてみれば、そこはもう無料通信アプリだ。
『 斎藤 詩織 <おめでと! 18歳だね~☆』
ふっと、歩は小さく鼻を鳴らした。詩織に対する愛おしさが急にこみあげてきたからである。「ありがとう 大好きだよ」と返した。すると間を置かず「私も~!」と返ってきた。歩は崩れる様に笑った。長らく忘れていた「誕生日を祝われる喜び」というモノを歩は実感した。
「いやァ、生きてて良かった~」
思わず、ささやかな幸せを天井に発信する。詩織とはもうすぐ4か月になる。
詩織は、同じクラスの、背の低い、「カッコイイ系」よりも「カワイイ系」の娘で、地味だが明るい、一言で言えばキャロッ☆とした女の子だ。向こうの誕生日である7月に、こちらから告白して付き合うことになった。正確に言えばそれよりも1か月前の6月には、お互いの感情は知れていたのだが、どちらも疑り深い――奥手な性格で、ガチガチに緊張したままメールやデートをした。授業が終わるたびに、歩は振り返って、詩織とバッチリ目を合わせるのを繰り返して、心に淡い幸せが広がるのを何度も確かめた。
8月には、歩は念願の童貞を捨てていた。放課後人のいない時間をみて、学校の男子トイレ、銀色のシンクに詩織が座り、脚を開いて、歩を誘惑した。歩は誰か入ってきやしないかと声も出せない。ところが経験のある彼女はゴムまで用意していて、簡単な前戯のあと、「ここに挿れるんだよ……」と、いつになく艶めかしく導かれるままコトに及んだのだが……。
極度の興奮と緊張、手際の悪さもあって、どちらも満足しまいまま結局歩は折れてしまった。詩織は愛おしさでもって「仕方ないよ、初めてだもん」と励ましたが、数日の間残念がっていたのを覚えている。
『 斎藤 詩織 <18になったからって、エロ本とか買うなよ~?』
「はは、買わないよ」
次こそは詩織を満足させる、と自分に誓ったあと、「買わないよ(笑)」と返信した。
「歩、今日誕生日だねェ~」
母は帰ってくるなりガサガサとビニール袋から小ぶりのケーキを取り出した。
「じゃあん、ほら、歩、あんたの好きなチョコレートケーキ! 冷蔵庫に入れとくからね」
「ああ」わざと気のない返事をしながら、いつ食べようかと考えていた。
「ほら、震災があったから、あんまり大きいの買ってこれないケド、18になったんだっけ?」
「おーん」確かに、震災以降、ケーキのサイズは毎年小さいものになっている。しかし神奈川県はなにも被害を受けてないんだし、ケーキが小さいのはただの、母の怠慢だと歩は決め込んでいる。その証拠に、母は母の分のケーキをしっかり買ってきて、夜にツマミとしてこっそり食べているのを歩は知っている。
「そっかー、18かー、詩織ちゃん元気?」
「う、うん……」
「あ! 18だったら、車の免許取れるじゃん! 自動車学校行ってきた?」
「ああ!」なぜこうも脈絡のない話ができるのだろうか? 歩は対応が面倒臭くなって、思い切り強く返事しながら自分の部屋に戻った。後ろで「今日はお刺身だからねー」と、まるで悪びれない声がした。しかし刺身は喜んで歓迎するところである。
向かいの部屋から、父が1階に降りて行って、バシャンバシャンと風呂に入る音が聞こえた。
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