第五幕の一 共同作業
皆が権力欲に取り憑かれずに暮らしていける世界を空想してみる。
それは多分、権力など持たなくても周りから認められ、衣食住が確保され、それなりに頑張ればそれなりに満足な生活を送れるような世界ではないだろうか。
逆に考えれば、それが満たされなければ満たされないほど、人と言うのは自らもしくは自らの属する組織の権力を高めようとするものなのだろう。
そういう点では、この町は条件が整いつつあるように思えた。
過去の繁栄と、取り巻く環境の変化の結果、引き起こされた凋落。
そして、この町に存在する権力図。
この町に権力と言えるものは、警察組織を統括する行政と、術士を統括する神社、そして、その二つを含めた様々なところから仕事を請け、賞金稼ぎとの仲介をする請負人組合。
この中で、どこが権力を持とうと食いっぱぐれないのは組合だけである。
表向きは当然行政が一番権力を持っているのだが、現場にとっては、神社の影響を無視することは出来ない。なにせ、神社は大多数を占める術士に対して強い立場だからだ。
このねじれ問題に対する一般的な対応として、他国が行っているのは政教分離である。
もっとも、他国も完全に出来ている訳ではないし、むしろこの国は、それは可能な限り済ませている方である。
ややこしいのは、神社側の要職が高位の術士である、ということである。
神社においては、術士としての才能が、事実上出世の切符である。
つまり、実力のある術士は神社に集まり、警察には良くても中位の術士しか行かない。
こうなると、人口構成上どうしても多くなる術士の犯罪者は、警察では力不足となり、神社の力を借りざるを得ない。
警察もただ指をくわえて見ている訳ではなく、術士の能力如何で出世への道を広くしようという試みがあるが、どうしても術士としての能力に欠ける「上の世代」が、それを阻もうとしてしまう。
政教分離という観点から見れば、この二つの組織を同化してまとめることはできない。また、神社は別に術士を集めることが主目的ではなく、警察的行動ばかり取っているわけではない。あくまで、神社運営が主体だ。
結果として、この国のあちこちでは、行政と神社は水面下の戦いを繰り広げているのだった。
「特に、こういう寂れて傾きかけた町だと……」
先ほどもらった地図を見ながら、冬夜は独りごちた。
気になっていたのは、先ほどの受付の女性――カナの一言だった。
警察の人手が最近別件で大量に取られている。
それも、自分たちの仕事を別の組織に放り投げなければならない程に。
警察の仕事は、それこそ事件の解決にあると言っていい。
犯罪は下手人を暴き、事故は事態の収拾に努める。それによって、町や地域に治安をもたらすのが仕事だ。
だから、その解決を組合に流すのはどうしても人手が足りないところに限る。
将棋で言う「詰み」までのお膳立てをした上で、組合に依頼するのが一般的だ。
例外も勿論あるが、それは災害など、緊急なものが殆どであって、通常の事件で例外が起こるのは、非常に希だ。
「さっきから何を悩んでるの?」
塗笠をかぶり、これまであまり見ていなかった町中を浮かれながら見回していた八雲が、冬夜の側に寄ってきて話しかけてきた。
八雲は至っていつも通りの服装だが、冬夜は荒事用のまじめな装備だ。
野袴を穿き、革で補強してある脚絆と手甲を着けていて、腰帯には小太刀を差している。
小太刀は切れ味より丈夫さが重視され、頑健になるよう通常より鍛鉄を重ね、更に手入れを欠かしても使えるように防さび加工をしてある。必ずしも戦いばかりではなく、旅暮らしの人間としては、簡易の斧としても使えるこの小太刀は重宝している。その分、長さの割に打刀と同じかそれ以上の重量を誇るが、普段力仕事をしてるだけあって、これを振り回すのに苦は感じない。ただ、その性質から、熊狩りの時は役に立ちようがなかったので村の方に預けていたのだ。
「今回の仕事の裏で、この町に何か大きな事件が起きてるんじゃないかと、ね」
大通りの交差点を右に曲がり、そして道沿いの店の間に幾つか走っている路地のうち、四つ目を左に。
地図を見ていない八雲は、冬夜の体の向きが変わった数瞬後に、慌てて合わせている。ひょこひょこついて来る様子が、どことなくカモの子の様だ。
「大きな事件?」
一泊置いて左隣に追いついた八雲が、話を続ける。
ちょっと歩調が早すぎたかな、と緩めてやると、八雲はほっとしたようにため息をつき、冬夜の袖の端をきゅっと握った。
「普段は、自分の飯の種である事件を、情報確度が低い、なんて状態で他に投げてしまうのはあんまりないんだ。自分たちの存在理由に関わる」
段々と異臭が漂ってくる。
公共の清掃員も、危なくて迂闊に近寄れない場所だと言うことか。
町の発展しか目に入らず、問題解決を先送りにしてきた結果なのだろう。
八雲も違和感として受け取ったのか、警戒した様子で辺りをきょろきょろと見回している。
「なるほど、これで失う体面と、今追ってる獲物で得る体面を比べたら、後者が大きいと踏んだわけね」
ふと、家々の間や屋根の上にも小屋が建っていることに気がついた。
冬夜の向かっている先も小屋でふさがれているため、開けている路地を見つけるしかないだろう。
破壊なしで遂行することの大変さを今から感じてしまい、思わず小さなため息が出た。
「そういう見方でこの仕事に取りかかろうと思ったとき、その裏で人手を使ってる事件がこちらの仕事に影響を及ぼさなければいいが、と思っていたんだ」
「考えても今のところはどうしようもないけれど、気になること、ってことね。まぁ、取り越し苦労だといいけれど」
冬夜が最寄りの家の軒下で足を止め、それに従い八雲も立ち止まった。
腰帯に差した小太刀の鯉口を切る。冬夜の様子から、地図を見ていない八雲も状況を把握したようだ。
ここから先は敵地だ。
敵地に近いところで立ち止まるというのは、目的としては数えるほどしかない。
ぎりぎり逃げられるところからの偵察か、追っ手から逃れて隠れているか。
「で、今回の目的は、調査と、場合によっては襲撃だ。お前の持ってる『青い力』で、それに適したものはあるか?」
冬夜に言われて八雲が指折り数え始めたが、すぐに頭を振った。
「あんまり数そろえてもいざというときに頭が混乱するだけだし、基本的には縄を繰る術と、単純に水を使う非殺傷術、風や音を使った動体検知術くらいかしらね。必要があればそのとき必要な術を使うだろうけど」
限りなく灰色に近い、灰黄緑の淡い光が、八雲の手のひらの上で踊る。
その光は空気に溶けるように消えると、かすかな空気の流れを感じた。これが八雲を中心とした風の流れであれば、ここより離れた人間には殆ど感じられないだろう。
「周囲近距離、人影なし」
いま二人は、家の壁に寄ることで隠れることと相手から攻撃される方向を限定している。
しかし、いま寄っている壁の向こう側に敵がいるかもしれなかったため、わずかな気配も漏らさぬよう冬夜は全神経を警戒に費やしていた。
それが必要でなくなったので、少し警戒を緩めた。
「人が妙に集まっているところ、周りには火の気配を感じさせないが、妙に暖かいところを探してくれ」
「前方に大きく一つ……細かく分けると四つから五つの塊がある。偉い人と下っ端用と考えれば、それの集まりが対象物かしら。それと……人と思われる体温のものが前方といわず広範囲にちらほら。これが、あなたが言ってた『建物を破壊しちゃいけない理由』ね。人型で温度が判らないのは……なにかしら。うーん、人為的にそうされているのか、室温と同じだから判らないのか。対象物とはかなり距離を置いた状態で、かなりの数があるわ」
「温度が判らないやつ、というのは対象物の近くにはないのか?」
「必ず無いとも限らない。ただ、対象物からある程度の距離帯に、特に存在してるみたい。手持ちの地図だけでは判らないけれど、一般人の住む区画かもしれない」
「外観図から見れば、以外と貧民街は広いからな。派手に術が使えない可能性も考えて、有事には抜け出せそうか?」
「たぶんね。最悪土の道に出ちゃえば、空まで上がればいいのよ」
水を推進力にする玩具の噴進砲があったのを思い出した。
あれの要領で人間を打ち上げる?
冬夜の感覚では滝のように水を使いそうなのだが、平然とその選択肢を口に出来るということは、いま二人が持っている竹筒に入ってる水でどうにかするのだろう。
「この役回りで今後も仕事をするなら、やはり俺にも防御か移動か索敵ができなきゃならんな」
「このままだと仕事ないもんねぇ」
「言うな」
冬夜があからさまにそっけなく言うと、八雲がくすくすと笑う。
「まあ、あたしはこういうのは門外漢だったから。指揮は信頼してるわよ」
冬夜だって荒事に慣れている訳ではないが、そう言われたら努力せざるを得ない。
「規模から見て、それだけ熱源があれば事前情報くらいの人数はいるだろう。夜になって『仕事』をされても困る。このまま制圧しよう。お前は逐次周囲を調査して、近距離に近づいてくる場合教えてくれ」
少人数の場合、作戦はそんなに難しくない。
機動性と隠密性を維持し、強襲戦を続けている間は有利だが、総力戦になった時点で負けだ。
今回は八雲が請けた前回とは違い、今回は「生け捕り」は要件に入っていない。前回は、この本拠地を探るための生け捕りだったようだ。
「こっちの命の方が優先だ。術士などで無力化が難しければ口を封じろ。こいつは戦闘だ、狩りと同じで、相手の心配をしている余裕はこっちにはない」
「同じ生き物同士が殺し合うのって、なんだかねぇ」
「世の中には共食いする生き物だっている。人間はこういう生き物だってだけだよ」
冬夜が先に歩き出す。
八雲は荷物から竹筒を取り出すと、冬夜に追いついて静かに歩いた。
そのまま暫く。
昼間で、周りを人工物に囲まれているのに、異様な静けさだった。
冬夜からすれば、人が住んでいるようには見えないが、八雲の話からすると、目の前に見えている建物か、その奥には人の集団がいるという。
間合いが離れている間に、静かに刀を抜く。
こいつで人を斬るのはそんなに多くはない。だが、仕事上やむを得まい。先ほどの話は、冬夜が自分のために言っているものでもあった。
正面のあばら屋にたどりついたので八雲の方を振り向くが、八雲は首を横に振った。ここが入り口だとすると、対象物からはちょっと遠すぎる、ということか。
脇に獣道の様な狭い路地があったので、八雲を先に行かせて後を付ける。女々しいが、何かあったときに自分が盾になるどころか邪魔にしかならない。
道の両脇に建っている家とは段違いに拙い作りのあばら屋は、触れると崩れてしまうんじゃないかというほど微妙に傾いたり、ずれたりしている。地震が起きればあっさり崩れるのではないだろうか。
身をよじらせながら抜けていった先には、細い丁字路になっていた。つまり、先ほど止まっていた場所から見れば手前に一件、奥に一件が連続で存在していて、お互いが背を向けるように建てられている。
勝手口をぶち抜けば、実質両方に正面がある家ということになるだろう。一見両方から攻められて不利な様に見えるが、それだけ事前調査されずに急襲された場合は両方の出入り口から逃げやすくなる。
財産や大将を守るのではなく、個々人が自己責任で逃げるのに適している。ごろつきにはよっぽど信頼の置ける家だろう。
八雲が冬夜の耳に口を寄せる。
「一階に数人。二階に同じような集団が数個。途中で休憩する時間はないんでしょう?」
八雲の言葉に、そのとおりだと頷く。
おそらく全員確実に捕まえようとすると包囲が必要だが、そんなことをすると包囲が完成する前に逃げられかねない。暫くは活動できないように、力を大きく削ぐのが精一杯だ。
「扉は、閂か南京錠がかけられていると思った方がいい。お前の水は、そういったものは斬れるか?」
「ものを切るのは日常生活に必要不可欠です」
鉄や真鍮を切るような日常生活は冬夜には縁が無かったが、とりあえず頷いておく。
「俺はお前の援護に回る。お前は見えた奴を片っ端から無力化してくれ」
「りょーかいです隊長」
これから人傷沙汰だっていうのに、八雲は妙に楽しそうである。
冬夜は自分が持っていた竹筒を八雲に渡した。八雲だって何本も持てないし、もし何らかが原因で八雲が水を全て失ってしまうかも知れないので、何本かは予備に冬夜自身が持っておく。
「行動開始は任せる」
冬夜の言葉に八雲は頷くと、勝手口の近くに寄る。
少しずつ八雲も緊張してきたのか、小さく深呼吸する。
一度。
二度。
三度。
「それでは、行くね」
八雲の言葉に合わせて、冬夜もしゃがんだ状態から中腰の状態になると、脚の血行が変わり肌寒く感じた。
その寒さが、冬夜の緊張をはっきりと際立たせる。
八雲が先ほどから軽い調子だったのは、つい考え込んで動けなくなってしまわないようにだと、今更気づいた。
露草色の光が、八雲の左手の上で踊る。
右手に持った竹筒の口から、水が柔らかい粘土の様に絞り出され、薄い膜の様になったかと思うと、勝手口の扉の隙間をさっと撫でた。
冬夜は引き戸になっている扉の手をかける場所に刀の鞘を押し込み、扉を押し開いた。
罠があるかと思ったが、特に何もない。扉の向こうには、男が三人、土間で食料を漁っていた。こちらを見ながら既に半分抜いている者もいる。
「調理中失礼」
八雲が手をやり、水の玉が男共の口の中に突っ込むと、男共は喉を押さえて悶絶する。声が出ていないところを見ると、水の玉で喉をふさいだようだ。
そのまま、男共は八雲の手から放たれた蛇のような縄に手足を縛られ、めざしのようにくくられた。
予想通り冬夜のやる仕事はなかった。
「ほれ、次の縄」
否、冬夜の仕事は補給係だった。
主力が無駄な荷物を持たないように、攻撃に差し障りのない程度に供給するのが、いま冬夜にできる一番の仕事だった。
二人は無遠慮に上がり込むと、上への階段を目指す。
どのようにしているか判らないが、八雲は紬姿のまま、ほぼ脚を開かない一足飛びで高速に移動していた。床だけでなく、時には壁も足場となっている。
荒事でも着崩さず華麗に舞う、といえば格好良いが、見方によっては唐傘お化けが必死に走っているようにも見える。
「……、ごめんよ!」
曲がり角を曲がった瞬間、たまたま出歩いている敵と出くわした。
冬夜はそのまま敵の鳩尾に蹴り込み、刀身を重くした小太刀の峰で延髄を打った。死にはしないだろうが、後遺症が残るかどうかはこっちの知るところではない。
一手遅れた八雲が、とっさに敵を縛り上げる。
「やはりはぐれの奴はいるよなぁ」
「敵がいると判ったときには出くわしてたわ……」
どれだけ性能の良いものでも、過信は禁物である。警戒を怠らないことに越したことはない。
とはいえ、もう突入した手前ある程度数を確保するまでは止まれない。
廊下を曲がる度、階段の踊り場の度に八雲が索敵した以外は、始終止まらずに走っていた。
「敵の動きは?」
「残り二組、一組は完全に気づいてないわね。だけど、もう一組はなんか変、全く動いていないみたいなんだけど、待ち構えているのか、逃げる機会を伺っているのか……」
「なら気づいていない方を落とすぞ。相手の数が多いときは、弱点を突くのが定石だ」
数で劣る方が数で勝る方に勝つには、局地戦を繰り返して相手の数を減らすのが何よりも重要だ。
そして、いつ総力戦になるとも判らない状況においては、弱い相手を先に狙うことで戦闘時間を減らし、強い相手とも局地戦で戦えるようにすることが重要になる。強い相手と先に戦い長引いてしまっては、弱い相手が相手の援軍として現れ、総力戦となってしまう。そうなってはもう勝ち目はない。
その定石通り、警戒されていなかった組を早々に落とし、残り一組のところまで忍び寄る。
冬夜が考えていたよりも、遙かに効率の良い進め方だ。
なにせ、戦闘時間より移動時間の方が長い。
八雲の急襲能力が非常に高いのだ。
狩りで同じようなことをしていたのか、手慣れた様子で気絶させ、捕縛して行くのは感嘆の言葉しか出ない。
冬夜と八雲は目配せをして、最後の扉を開けた。
大したがたつきもなく、綺麗に開く。その音から、ここが大将の部屋だと理解した。
扉が開いた瞬間、扉の奥から真っ正面に何かが飛び出してきた。
身を引いていた冬夜と、冬夜に首根っこを引っ張られた八雲は間一髪でかわす。
「仕掛け矢だ。気をつけて行け」
「はいはいっ」
動かない、ということは寝ているか、罠を張って待ち構えているか。あるいは完全に気づいておらずゆったりと過ごしていたか。
ならば開けた瞬間は回避一択だ。気づかれていないならそのくらいの猶予は確実にある。
そして罠の説明は言葉より見せる方が手っ取り早い。
最後に戦う組なら、多少音がしてもなんら問題が無い。
さっさと押し込まない理由がなかった。
「終わったか?」
「うん」
誰がこの中で一番偉いのかは知らないが、とりあえず片付いた様だった。
八雲が使った縄は、よく水が染み込んでいて、縛ったものは中々ほどけない。捕り逃しがあったとしても、勢力を回復するのは難しいだろう。もし束縛を解かれたらおそらく逃げる。
「なんだかあっさりとしてるな。あまりに簡単に終わりすぎて、拍子抜けだ」
「あたしがいるからでしょうね」
「じゃあ、お前の霊力の在庫が尽きる前に集めて撤退するか」
「うん」
八雲がにこにこしながら寄ってきたので、頭を撫でてやる。
とりあえずのねぎらいとして、満足したようだ。
「嫌な予感がしているんだが、取り越し苦労だったか……」
冬夜は懸念を言葉にする。
この間から漠然と冬夜を蝕んでいるこの腑に落ちない違和感は、病に倒れたときや悪夢を見たときの様に、全身に纏わり付いて離れなかった。
警察が手を抜いたにしろ、いくら何でもこの盗賊共は弱すぎる。
八雲が使っていた術自体は、そんな高尚なものじゃない。少し力があれば出来るようなものの筈だ。
しかも、前回の様な捜索および逮捕ならまだしも、拠点が判っている襲撃戦だ。
なぜこんな仕事を組合に回したのかが判らない。
これでは、まるで、……。
「さて、後片付けして帰りますよ」
めざし状態の荷物を引きずりながら、八雲が冬夜に話しかけてきた。
「待て、八雲。この周りに人はいないか?」
「うん? 何人かはいるけれど、元々ここの住民って話じゃなかったかしら? それとも、ここの住民全部盗賊だって言うの?」
「違う。お前、後どれくらい術を使える?」
なんで、そんなこと――。
八雲が、口を開こうとした瞬間だった。
冬夜が急に、八雲を引き倒した。
「なっ」
「俺たちが見える位置に誰かいないか?」
突然のことで目を白黒させている八雲に、冬夜は静かに尋ねる。
何のことか訳が判らないと言わんばかりの八雲だったが、改めて索敵して、首を傾げる。
「この部屋を見ることが出来そうな人が二人。最初に入った部屋を見ることが出来そうな人が一人。それと……あれ? なんだか前より近くにいる人が多いような」
「……俺は今、俺たちが嵌められたんじゃないかと考えている」
「え? 誰に?」
「……警察だ」
「なに、それ」
八雲が訝しげな目で冬夜を見つめる。
しかし、熊の時にも活躍した、冬夜の生存のための勘が、これはまずいと警鐘をがんがんに鳴らしている。
「やはり通報されていた。そう考えなきゃ納得いかない」
人が集まる集落には、最低二つの勢力が存在している。
すなわち、行政下の警察と神社である。
政教分離の縛りと神社側の術士の囲い込みによって成されるこの二つの権力闘争は、むしろ小さな町の方が激化する。大きな町では折衝などでうまく住み分けできるが、小さい町では少し譲るだけで確固とした権力を保持できなくなる。構成員である人が一人より小さく分解できないのと同じで、ある程度小さくなってしまえば、それ以上は分解できないのだ。
かつて大きな町だったところが落ちぶれて小さくなっていくに従い、急激に「自分が潰されてしまわない程度の権力」の確保が難しくなったとき、各組織は「手柄」を求めて奔走する。
事件が発生した、どこが助けてくれる、となったときに、どの組織が一番最初に思い浮かべられるか、が今後の各組織の権力に直結する。古くからのその土地ならではの民間信仰があるように、「警察派」「神社派」という権威が、小さな町では強く影響するのだ。
それがどれほど大きな事かは、本来大切な実務を「餌」として撒いてしまうことからも判る。
「いま周りにいる奴は、おそらく警察の回し者だ。お前に黒い力があると疑っていて、それを確認次第、逮捕するつもりだ。死にかけだろうと、手足が二本三本なくても奴らは気にしない。『黒い力』を持つ魔女を捕まえられればいいんだ」
八雲と黒い力の話は、本来神社側で処理される事件のはずが、偶然警察側が先に知ってしまった。どのように話が伝わったかは分からない。最寄りの村が元々熊や猪の被害が多いため、警察の権威が強く、伝承に気づいた村人から最初に相談された可能性。また、この町での八雲の働きから、運悪く警察内の誰かの興味を引いて、たまたま結びついてしまった可能性。可能性は沢山あるし、いま考えることじゃない。
とにかく警察は、神社が勘付く前に逮捕まで済ませてしまって、自らの権威の補強を行うつもりだ。
「じゃあ、あたしたちはそいつらの罠の中にまんまと入っていったってこと?」
盗賊共を縛った縄を自律稼働させて、最初に進入した部屋に集めるようにしながら、八雲は冬夜の話を聞いていた。
ごとりごとりと盗賊を引きずりながら階段を下りていく様は、どことなく現実離れしていた。
「やつらはこちらが消耗するように、隠れながらこちらの道を塞ぎ、逃げられない程度に追い回すはずだ。八雲、あとどれくらい保つ?」
昼過ぎに仲介所を出て、そこから徒歩で結構歩いてここまで来た。
既に夕刻で、夜になってしまえば更に分が悪くなる。
単純に見通しが悪くなり、攻められる側は数の暴力に負けやすいからだ。
「難しいだろうけど、夜になる前に抜け出せればなんとか。それにしても、この仕事をあたし達が請けなかったらどうするつもりだったのかしらね」
「たまたま盗賊狩りをしたのがお前だったから、そのとき思いついたんだろう。請けてもらえなかったら、また違うことを考えていただろうさ」
外を警戒しながら、冬夜は無造作に頭を掻く。
八雲は以前、青い力についてこう言った。「消耗戦は苦手」だと。まさにこういう状況の事だ。
もう索敵だって、無駄に行えない。
「策は二択。一つは一点強行突破。もう一つは、逃げ隠れつつ追っ手を撒くことだ。盗賊共は組合に応援を要請して、引き取ってもらえばいい。戦闘の危険が低ければ、組合も応援を出しやすい。どうやって『黒い力』の事を誤魔化すか……」
冬夜は必死に頭を巡らせるが、最善の案が出てこない。
「殲滅するとか?」
「最悪はそうだが、それをすると、この場にはいないであろう作戦の立案者も始末しなきゃ確信されてしまう。相手がうまいこと『間違いだった』と認識してくれればいいんだがな」
如何せん、時間が足りない。
冬夜は、そろそろ刻限が近づいていることを感じていた。自分が相手なら、じっくりと包囲網を狭めているだろうからだ。
「必要に応じて地面に降りられる、一つ下の二階に行こう」
冬夜がそう言うと、八雲は曖昧に頷いた。
おそらく八雲は、冬夜が明確な方針を立てられていないことに気づいている。だが、自分も良い案が浮かばないのだろう、特に批判も無かった。
冬夜としては心苦しいことこの上ないのだが、次善の策に頼るしかない。
竹筒は残り三本。
事前に持って行く竹筒の量を相談したとき、返ってきたのがこの量だ。だから、八雲が繰ることが出来る限界も、その辺りのはず。索敵の分を考えると、もう少し少なくても不思議ではない。
「強行突破は相手も想定済みのはず。水で囮を作れるか? 一度行方を眩ませて機会を待とう」
「判った、まかせて」
竹筒を渡すと、八雲は栓を抜き、水を一気にばらまいた。
舞った水から次々にシャボン玉が生まれ、一度二人を包んでから勢いよく窓を伝って向こうの家の中へ消えていった。
そのまま敵を探っていた八雲が、閉じていたまぶたを開く。
冬夜の手を取って逆の家に飛び乗ると、一気に一階まで降りる。なにやらつむじ風が辺りに渦巻いているが、おそらく相手の索敵に対する撹乱だろう。
畳を剥がし、その下の床板を抜き、床下へ。
床下に降りると、その下は外から隔離された空間だった。
「……隠し倉庫か」
「ここだけ何か違和感があったんだけれど。こんな事になってるとはね」
畳を被せ、冬夜が小道具として持っている鉤状の釘で畳をきっちり閉める。
すると、完全に真っ暗な空間になった。
隙間も殆どないので、少し息苦しい。
「ここにいてばれたら逃げ場がない。少し考えをまとめたら出よう」
「ええ」
全く何も見えないが、心なしか暖かいのは助かった。
八雲が落ち着いたのか、ふーとため息をついている。
「休んでも、お前の『青い力』はさほど回復しないんだろう?」
「ええ。一休みというくらいじゃ、大差ないわね」
赤や白の力を使わないのだから、普段の移動などにも「青い力」を使っているのだろう。
つまり、「青い力」が尽きたところが命運の尽きたところだろう。
「とにかく、八雲が何とか見つけてくれた休憩所だ、少しでも休んでおこう」
「……ええ」
八雲の返事を聞いて安心した後は、考える作業だ。
最悪逃げるだけでも。
二人が話さなくなった隠し倉庫の中には、重く苦しい沈黙が鎮座していた。
もうすぐ、ここにも劣らない夜がやってくる。
此処さえ抜ければ、後はその暗闇が却ってこちらの味方になるはずだ。
冬夜は、思考の海に沈んでいった。
たとえそれが役に立たないとしても、そうせざるを得なかった。
一ヶ月に書ける量って、以外と多くないことに書いてみて気がついた。
小説家ってすごい。