第四幕の三 暗雲
娘の風邪が一家を襲い、全員冒されました。
久々に風邪引いた。
暖かい空気が部屋全体から布団の中だけになり、重たく冷たい空気が窓を突き抜けて部屋を満たす頃、冬夜は目を覚ました。
冬夜は周りの明るさと独特の空気から、朝が来たことを理解した。
体を起こしてみたものの、頭がふらつく。昨夜の事を思い出そうとしてもうまくいかなかった。
そんな状態ながらも早朝には起きられるのは、冬夜の体質なのだろう。もしくは賞金稼ぎとしての長年の生活故かもしれない。
隣の布団に目をやると、八雲がすうすうと寝息を立てて寝ていた。やはり寒いのか、顔の下半分まで布団に沈めている。それ以上埋めると息苦しさで眠りを阻害されるので、暖かさと息苦しさを勘案した結果なのだろう。
八雲を改めて見る。
自分がこんな少女と一緒に旅をすることがあると、過去の自分は想像したことがあるだろうか。
もしかしたら、同じ賞金稼ぎの女性との出会いがあるかもしれない、とは考えただろう。しかし、どの業界もその有り様を一概に表せない様に、賞金稼ぎの業界でも人によって専門が異なる。荒事や土方の仕事を主に請けている人間は、女性が多い子守などの仕事を請けている人間とあまり縁が無い。男らしい仕事を請けているだけ、女の比率は低くなる。
当然、冬夜の周りは男余りだった。
「……、」
八雲が何か寝言を言ったようだった。身じろぎをしたときにこぼれ落ちた髪の束が、八雲の顔にかかる。何百年と生きているそうだが、こうして寝ているところなどを見ると、見た目通りの十ばかり年下の娘に見える。
八雲の容姿について話題になるとすれば、顔立ちの他はその長い髪だろうか。働くときに邪魔になりやすいほどの長い髪は、現代でもあまりない。とすれば、八雲が山奥に籠もった時代ならば、特に印象深く記憶されているだろう。
八雲は、特に必要でなければ過去を話すことはない。
気になるのは、黒い力を禁忌とする理由だ。黒い力は他人に知られるべきではないという。
自分に黒い力を見せたのは、深い考えがなかった訳ではなく、もしかしたら自分を試そうとしていたのではないだろうか。
あの時点では、冬夜は八雲に生殺与奪権を握られていた。始末も偽装も容易だった。その上で自分に黒い力を見せ、殺しも束縛もせずにおいているということは、何かしらの理由で自分を信用したということだろう。
「……ぅん?」
軽く体を震わせると、八雲が薄く目を開けた。
すぐに冬夜の視線に気づいたのか、ぱちっと目線が合う。
「……夜這いの逡巡?」
八雲が身構える振りをする。
平然と襦袢姿で寝息を立てながら隣で寝ておいて、今更身構えるも何もないだろう。
「どこをどう考えてそうなった?」
「それ以外にあたしを見つめる理由が?」
八雲がにこっと笑う。
はいはい、とばかりに頭をぐしぐし撫でてやると、くすぐったそうに首をすくめた。
「一つ聞きたいことがあるんだが」
「ん?」
冬夜が撫でるのをやめて口を開くと、無防備な催促の返事がやってきた。
「以前、お前は『黒い力』について、他人に知られては困る、と言ったな。現実問題として、旅を続けて行くに当たって差し障りはあるのか?」
冬夜の言葉を聞いた瞬間、八雲は息が詰まったような様子を見せ、そのまま目を瞑り、何事かを思案し始めた。
話す必要がある情報か、情報を話せるだけ信用を得ているか。
旅に必要な事は話してくれるくらいの信用は得ている、と冬夜は思う。だが、それを判断するのは目の前の八雲だ。
どれほどそうしていただろうか。
上着の着ていない冬夜がそろそろ寒さに耐えがたくなっていた頃だった。
「当時は、あたしも動転していたから正確には言えないんだけれど。過去『黒い力』を見た人は大抵、それを穢れているものと認識したわ。それだけ『黒い力』が及ぼす『結果』は人にとって嫌悪を示すものが多いの。あのときあなたにどう映ったのかは判らないけれど、あたしが『黒い力』で使ったのは『相手の命を強奪すること』よ」
冬夜が言葉を詰まらせたのを見てか、八雲の表情が寂しげに見えた。
「俺には、黒い糸が熊を釣り上げている様に見えた。あれは、結果的にそう見えたってことなのか?」
「終わった後、熊は縄で釣り上げられていたでしょう? あれは、水を媒介に濡れた綱を操作して釣り上げたのよ。つまり、あれは『青い力』の領分」
「それで? それが具体的にどう問題なんだ?」
それまでの話では、問題になるとしても精々風評被害だ。
八雲が引きこもらなければならないほど問題になったということは?
「とある事件が発生して、あたしが疑われたわ。あたしは何も出来ず、そこから逃げ出してしまった」
やおらに起き上がった八雲は、寒い空気に耐えるように両肩を抱いた。思い出して悲しさを堪えている様な姿は、年相応の少女の様だった。
冬夜は、自分に慰める資格があるのか、そもそも慰めていいものなのかの判断がつかなかった。冬夜はまだ、八雲のかけらほどしか生きていないのだ。
「つまり、何百年も前だがお尋ね者になっている可能性がある、と」
「ええ」
事件とやらに触れるのはやめた。
扱いにくい話題だというのもあったし、何より冬夜に自信が無かった。
「その問題になった村は近いのか?」
「そこまで遠くはない。当時から人払いが出来たのと、あそこまで便利な地形はそうそうないから」
八雲の言葉の意図は当然冬夜の懸念を汲んでいるだろうから、手配が回り得る距離だということだろう。
しかし、この町に来て一週間と少し経っている。
来てすぐに仲介所にも顔を出しているから、もし未だに追われているとしたら、既に手が回っている筈だ。
「それだけ『黒い力』が危険視されているなら、神社本庁の管轄で時効なしってところか。しかし、それにしたって管轄の神社にはもう連絡が行ってるだろうから、ここまで安穏としていられないと思うんだが」
霊術や御珠に関することは、それが土着神と結びつけられることが多いことから、神社と警察が連携して管理を行っている。こと霊術や御珠については、神社の方が詳しいどころか、警察に対して暗黙的に優位な権限を持っている。
それだけ神社は術士世界の秩序維持に真剣で、神社から危険視されたものは、陰に陽に管理または駆逐されることになる。
「そもそも通報されていないか、それとも通報されたとしても信じられず相手にされていないか?」
「あるいは裏を取るために陰から観察されているか」
「いずれにせよ、あたしたちは、ね」
八雲が言葉を切ると、冬夜に抱きついてきた。
意図が読めない冬夜が動揺するのをよそに、八雲は半分顔をうずめたまま抗議の目線を向けていた。
「……温かさが足りない。やっぱりあたしたちが先にすべきは暖を取ることだと思うんだけど」
その抗議の目線の意味が前者にかかっているのか後者にかかっているのかは判らないが、言いたいことは冬夜にも十二分に理解出来た。
「いくら体温が高くても、寒いところにずっと居ては表面温度はどうしたって低くなる。白湯もらってくるから待ってろ」
冬夜は八雲を引きはがして、上着を着込んだ。
肌を合わせて少し暖まった反動で逆に寒くなったのか、八雲が身震いをした。
「うう」
「そもそも冬の森でどうやって暖を取ってたんだ」
部屋の扉に手をかけながら、八雲の方に振り向いて尋ねる。
八雲はしっしと手を振って冬夜を急かしながら、冬夜の質問に答えた。
「木の中はそれなりに狭い事と適度な湿度があることから、ちゃんと乾いた布団を敷いておけばそれなりに暖かいのよ。昼過ぎに起きればいいし。はい、早く行った行った」
八雲は冬夜に放り投げられた上着を手を伸ばし、冷たさに引っ込めかけ、また伸ばして羽織った。極めつけに「さむっ」と声を上げられると、冬夜も寒さを身にしみて感じてしまう。
この寒さを何とか出来るのは、自分で動くしかない。
電灯はあるんだから空調や電熱器具くらい用意してくれればいいのに、と八雲に聞こえないところで独りごちながら、冬夜は階段を下りていった。
数百年前の事を確実に何代も言い伝え、それをわずかな痕跡からすぐに思い出せる人など、滅多にいないだろう。
あるいは、八雲の根城の人払いが弱くなり、そこに入り込んだ人が「黒い力」の痕跡を発見し、かつそれを八雲と結びつけられる可能性もまた殆どないだろう。
何はともあれ、金は稼がなきゃ得られない。
暫く八雲が顔を出していなかったので、冬夜は八雲を連れて仲介所に来た。
露出しすぎるのも問題だが、隠れすぎるのもまた要らぬ関心を集めてしまう。
「具合はもうよろしいんですか?」
いつもの受付の女性――カナが、八雲に親しげに話しかける。
冬夜がカナの名前を知ったのは、先日仕事終わりの報告に来たとき、机と椅子を共有している酒場で既に出来上がっている連中が彼女の名前を呼んでいたからだ。
「ええ、元々、多少怪我をしただけなのですが。いざというときに全力を出せないのは恐いですから、引きこもっていました。その間、良い機会だからだと本を色々買って勉強していたら思ったより散財してしまって、早めに仕事を探しに」
八雲もごく自然に、カナと笑って会話している。
相変わらず、数百年引きこもっていたとは思えないほどの社交性だ。
女だからという訳ではあるまい、人と会話をするのが元々好きであり、得意なのだろう。
冬夜に対しても妙に親密な理由は、この辺りにあるのだろうか。
「仕事ですか……そうですね、ではこの仕事はいかがでしょう」
カナは、受付台の下から一枚の紙を取り出した。
「特殊案件ですか」
「ええ」
普段の仕事が公募制であるのに対して、仲介所が種々の理由で特定の人に依頼する仕事がある。
それは依頼者からの請負者への条件が内密であったり、そもそも内容が公表したくないものだったり、仲介所が特に信用のある人に依頼したい仕事だったり、理由は様々である。
依頼者ないし仲介所が請負者を選定するため、請負者は仕事を選べる「強い立場」に立てる。また、そこまでの信用を築いた証でもあり、一請負者としては光栄なことだ。
「選定の理由は?」
理由如何で、何故自分に白羽の矢が立ったのか、そしてその達成難度を推し量ることができる。
八雲の言葉に、カナは紙を見ながら答えた。
「霊術に長け、一定以上の霊力がありつつもそれを制御下においている人と、多少の体力がありその人と十二分に連携が取れる人、です」
「その条件だけを聞くと、市街地に近いところの何かの拠点に対して攻撃を仕掛ける、というような仕事みたいですね」
冬夜がそう言うと、カナが目を丸くして冬夜を見た。
「よ、よくわかりましたね」
「霊術に長けている人ということは、単純に人数を増やして事に当たれないということ、あるいは相手に霊術に長けている者がいるということ。制御する必要があるということは、周りになるべく戦いの余波を与えられないということ。最後に力仕事があるということは制圧や奪還などの目的を達成するために拘束や運搬が必要な仕事だということ。それくらいは、予想がつきます」
長年この仕事をしていれば、公募でも同じような条件のつく仕事が一つはある。
自分には届かない仕事だとしても、目を通しておくことに意義はあった。
理由の一つは、今回の様に相棒ができる場合があるからだ。
他にも、業界の相場だったり、常識だったりを知ることが出来るので、後学のために調べておくに越したことはない。
「という訳で、先日の盗賊の残党狩りなのです」
先日、というのは八雲が退治したあれだろうか。
それならば、まさに自分たちは適役といったところだ。
「……元々、条件を多少恣意的に解釈してでもこっちに仕事を回すつもりでしたね?」
「まぁ、彼らの戦力を八雲さんは直に見ている訳ですし、こちらとしてもその方が依頼しやすいですね」
そういう流れなら、冬夜としては断る理由はない。
しかし、この仕事の主体は当然八雲にある。
「だ、そうだが……八雲、どうする?」
冬夜は自分で請けることはせず、八雲にお伺いを立てる。
八雲は暫く考えた風な仕草をした後、冬夜の方を一瞥し、カナの方を見た。
「彼らのお陰で一週間近くお勉強出来た訳ですからね、これはもうお礼参りに行かないと」
思わず「遣い方間違ってるだろ」と言いそうになったが、八雲は敢えてそういう言い方をしたのだろう。
「今回は追撃ではなく襲撃になります。ご存じかとは思いますが、若干勝手は違うので注意してくださいね」
相手は逃げるばかりではなく、出迎えられる可能性があるということだ。
おそらくカナはあまり心配していないのだろうが、一応新参である八雲を慮って忠告してくれたのだろう。
一瞬の気の緩みが取り返しのつかないことになることだって、少なくないのだから。
「相手の歓迎で周りに被害が出たときはあたしたちの責任になるんですか?」
「ふふ。そんなこともありますから、意図的にやってないなら大抵問題ありません」
カナの言葉に、大げさにほっとした仕草をする八雲。
上っ面を取り繕っているというよりは、軽口で話の種にして笑い合うのが目的のようだ。
「じゃあ、請けるということでいいのか? 俺はあんまり戦力にはならないが」
以前にも、術士とやりあったときは何度かある。
そのときの感想としては、熊とは違う絶望感、だ。とてもじゃないが、あれには付き合っていられない。
冬夜の言葉を聞いた八雲は、冬夜が言外に込めたものをちゃんと受け取りつつも、しれっとこう言ったのだ。
「あなたはあたしに何かあったときに慰めてくれる役。そうでしょう?」
八雲はこう言っているのだ。戦闘が起こるとしても自分が全部引き受けるから、冬夜は気に病む必要はないのだと。
冬夜の矜持がそれを許す筈ないが、そもそも冬夜一人ならばこのような仕事は請けないはずだ。
その点をもって受け入れられる広量を、八雲は冬夜に求めているのだ。
だから、冬夜はこう言うしかなかった。
「そういう役回りだと認めるのは男として苦しいんだが、まあ認めざるを得ないだろうな」
「ふむ、人間が出来てらっしゃる」
満足げに笑う八雲の頭を、言わせたんだろうが、と軽く小突く。
「それでは、地図をお渡ししますね」
カナに地図を手渡され、その場で確認する。
横から八雲がのぞき込んでいたが、特に邪魔ではなかったので何も言わなかった。
地図は二部に分かれていた。
一つが家の形まで判る詳細な地図。もう一つが、道と方角だけが記載された、簡単な地図だ。
目標は、位置的には町外れ。詳細な地図に「本町」とあるから、時代の流れに伴って町の中心がこちら側に移ってきたのだろうと推測できる。
「区画整理もままならない、古い町並みですか」
「ええ。元は立派な商家などで一杯だったんだけれど、町の機能が新町に移るに従い寂れていって、中の人が出て行った廃墟に貧困層の人が住み着き、大通りだったところにはあばら屋が建ち。区画の整理をしようにも住み着いちゃってる人の対処に苦慮しているそうよ」
廃墟だから即座につぶしていいかというと、難しい問題だ。中に住んでいる人間を虐殺でもしなければ、無法者な彼らが向かう先は、いま一般人が住んでいる町だ。治安が悪くなるのは回避できない。
だから、盗賊の制圧とはいえ、無駄に住居を破壊してもらっては困るのだ。
「こう言ってはなんですが、警察にはもっと頑張って欲しいものですね」
「うーん、警察に頑張られちゃうと私たちのお仕事が減っちゃうんですけどね」
犯罪者の逮捕といった警察の手伝いとなる仕事をさほど請けたことない冬夜は、一瞬反応が遅れた。
「ああ、そういえばそうですよね。世の中ままならないもんです」
「それだけ、世の中は万人が暮らしやすいように出来てるってことです」
うまく行かないことがある、ということは、うまく出来る余地がある、ということか。
「弱者でも何とか生きていける世の中であってほしいものです」
「ええ、それは私も思いますよ」
適度に話が落ち着いたので、冬夜は帰ろうと踵を返す。
と、一つ聞き忘れたことを思い出したので、カナの方に向き直った。
「それで、これの期限は?」
「明日までには行動してほしいと。若干余裕があるのは、情報確度が若干低いからかもしれません」
「低い?」
「ええ、気になるほどではないのですが。最近別件で人手が奪われているらしく、一件一件に手間をかけていられないことからの免罪符ではないでしょうか」
「……余裕がある、というより自分でも十二分に調査をして当たってくれ、という方が正しいですか」
「そうかもしれません。命は一つしかありませんから」
「危うく重要な情報を聞き逃すところでした」
「鼻の下を伸ばして女性と会話してるからだ、と隣の奥さんに言われてしまいますよ」
一瞬冬夜が固まったのは、「別に鼻の下なんか伸ばしてない」と抗議することでも隣の連れを「奥さん」と呼ばれたことでもない。「悪かった。俺は未だに、一人旅のつもりでいるようだ」
対する八雲は、怒っているでも意地悪く笑っているでもなく、言うなれば「どう表現すればいいか判らない」表情をしていた。
その上で更に何事かをためらっていたが、冬夜とは目線を合わせずに、口を開いた。
「あたしは賞金稼ぎの何たるかも知らずに、旅や宿での暮らしもあなたに頼りっぱなしだもの。今もあなたがどういう会話をしてどのような情報を得るか、勉強していただけよ」
おそらくいたずらめいた冗談などで煙に巻くのは簡単だっただろう。
それでも、敢えてこんな冬夜を持ち上げるような発言をしたのは、ここが人前だからだ。
単純に冬夜の株を落としっぱなしというのもあるし、ひいてはそれを連れだと認識される自分の矜持に関わるのかも知れなかった。
「まったくお前にはかなわないよ」
「こんなとき、ごちそうさまです、と言えばいいのでしょうか」
話の落ちまで人に取られ、自分の小ささをつくづく実感させられる冬夜だった。
アクセス解析が付いてる事にようやく気づいて、のぞいてみたらユニーク数が210になってました。
中学校の一学級の最大人数が40人だから、およそ6クラスある学年の全員に読まれた計算になります。
……そう考えると恥ずかしいな