第四幕の二 手ほどき その二
八雲についていった先は、町を離れてすぐの原っぱだった。
「森の方が隠れられるし都合がいいんだけど。本当に赤い力に適性があって、暴発されちゃうと事だからね」
歩きながらの話で聞いたことは、霊術の基礎について。
元々、霊術は術士が「こうしたい」と思ったことが結果的に叶う手段であって、少なくとも術士からすれば、厳密には技術ではない。
例えば同じ結果を得ようとした術士が二人いて、その二人がその結果を叶えたとき、元にした術式も違えば経緯も異なる。
先ほど八雲が「部屋を暖めようとしたら周りの部屋が凍った」というのもその一つだ。
「一点を暖める」という結果に対して、八雲が知っている霊術は「周りを寒くする」という経緯を通っている。
八雲の言い方からすれば、術式は「青い力」に属するものだろう。
そんなことだから、大雑把に「赤い力」「青い力」「白い力」「黒い力」に分けるだけとなっている。
これ自体も、境界線はかなり曖昧だ。
ただ、外部の燃料である御珠を用いる場合は、前述の分類方法とは異なり、行使する霊術によってかなり厳密であるようだ。
御珠は、その性質を光の色で顕している。
そのため、術士は行使する霊術について、色名で識別することが多い。
呼称を決めるのは歴々と続く武術などの流派や、研究心旺盛で色に紐付く霊術が複数あるときなど、必要があるときだけだ。
「格好良さそう、で呼称を決める人もいるけれどね。結局、術を使うに当たって意識するのは色だけだし、頑張って覚えてないと大抵覚えて無いのよね」
「適性っていうのは? 例えば八雲でいう赤や白は、青や黒よりどういう立ち位置なんだ?」
「容量だったり、出力だったり、回復の早さだったり。結果的に、得意か不得意かってことよ。例えばあたしの場合、黒なら出力と回復は大得意だし、容量も大きめだからまず消耗戦で負けはないと思う。青は出力と容量には自信あるけど、回復が遅いから持久戦が苦手。まあ、飽くまでも本人の感覚だから、定性的な評価だけどね。定量的な評価をする人は、あたしが知る限りはいなかったわ」
「……ああ、理論化しようと奮闘する先人の努力がうかがえる」
扱えれば便利だが、主観的過ぎてまとめようがない。
いま巷に存在する数々の術具も、また道半ばの試作品に過ぎないのだろう。
歴史においては、八雲が生まれるよりも前の時代に、こういう話がある。
平凡な能力でありながら、本に書いた文字や幾何学模様を組み合わせることで、高速かつ連続、もしくは組み合わせて行使する技を持つ術士がいた。
しかし、その技を正確に理解できるものはおらず、そのまま失してしまったと云われている。
「まあ、それは今のあなたの管轄外でしょ。汎用的に理論を作ろうとするから大変なのであって、自分に特化するだけならそういうことも可能でしょう」
そういうこと、というのは理論化のことだろう。
冬夜はうなずくと先を促した。
「さて、今話した通り、霊術っていうのは非常に主観的なものなのよ。霊術を行使した結果として甲が乙になるんじゃなくて、甲を乙にしたい、というときに結果的に霊術が行使されるという方が正しい」
「その経路が効率的かどうかは置いておいて、霊力の消費に見合うだけの結果が返ってくるのか」
「まあ、言ってしまえばそうよ。だから何となく行使していって、結果的に自分の実力を知るものなの」
「そういう意味では、この間お前が俺にやってくれた霊術っていうのは非常に合理的なんじゃなかろうか」
「あれね……うまく行ったからいいけど。少なくとも、いま主流の霊術は、他人の霊術を真似するのも難しいのよ」
その「真似」を曲がりなりにも可能にしているのが術具だと。
少なくとも術具というのは、八雲の常識を覆す代物らしかった。
「それで、どうすれば達成できると思う?」
「むぅ」
八雲の反応がどことなく弱気なのは、そもそも八雲はそんな経験をしたことがないからだ。
最初から当たり前の様に使っていた人に聞いても、不毛な答えしか返ってこないのは目に見えている。
「判らない、といえばそれまでだけど。あたしにとっても、一術士としての資質を試されてる気がしてきたわ」
人に教えられない知識は二流の知識である。
それが他の人に代えられない強みであったとしても、知識としては二流である。
八雲が自身を指して「術士」と表現したのは、八雲自身が感覚的なものに頼りすぎていたことへの戒めなのだろう。
長年考えていたけれど答えが出なかったのか、それとも考えるのを放棄していたのかは、冬夜には判らないが。
それにしても、紬と着流しの二人組が悩んでいる姿は他人からどのように映るのだろうか。
冬夜は慣れっこだが、この季節に着流しだけというのも見ていて寒々しい。
「……そうだ。まさにこの間のあれをやった時のことを思い出すのよ。あたしの生きながら感じてきた事が確かなら、もう既に道はできてるはずよ」
「どういうことだ?」
「あの時、あなたは新しい何かを感じたはず。それを思い出せれば、後は目的地を作ってあげるだけ。後は勝手に道を歩いてくれるわ」
道、と聞いて冬夜は思い出した。
八雲と手のひらを合わせているとき、引っ張られるような感じがした糸のような何かを。
あの時に、自分は何かを理解したはずなのだ。
冬夜は左の手のひらを見つめた。
酒の匂いと、八雲の手のひらの感触と、そして、手のひらから体の中心のどこかへ繋がる「何か」。
冬夜は再び、それを見つけた。
「目的、目的……」
大抵、単純なものほど良いものだ。
しかし、「暴走」という単語を八雲が使ったのを見るに、制限をかける必要があるということか。
「地点の大きさは指一本分。そこからそこまでの草を焼く。草が炭になったら終了」
冬夜が頭の中でまとめた「目的」を言葉にして呟く。
目的の定義の方法はこれで正しかったのだろうか。
そんなことを感じた刹那、左腕に痺れが走る。
冬夜は、左腕が熱く爆発するような感覚を得た。
それが正確にどういう状況かを説明しようとしても、今までの経験にない感覚だった。
冬夜が指定した部分から熱い蒸気があふれ、そこにある草が墨色に染まっていく。
これが霊術、と冬夜は呟いたつもりだった。
気がつけば冬夜は地面に頭をはたかれていた。
「あ……?」
倒れ込んだということに気づかないまま、冬夜の意識は飛んだ。
初めて酒を飲まされたとき、こんな感じだった気がする。
前と後ろどころか、上と下も判らずぐるぐると体が回り続けているような感覚。
そのうち、体ごと回っているのか、あり得ないが頭だけ回っているのかすらも判らなくなり、無理に感覚を合わせると違和感で気分が悪くなる。
どうしようもないと流れに身を任せていると、本当に自分がどこにいて、どうなっているのかがどんどん希薄になっていく。
右を向いても左を向いても、苦痛だった。
そんな悪夢を見続けて、どれくらい経っただろうか。
急に体がどこかに引き揚げられ、体の部分毎に異なっていた回転は一つに束ねられた。
「っ」
冬夜は目をかっと開いた。
指の先までちりちりとした痺れが走り、総毛立っていた。
暑い中にも寒さを感じているのは、体が火照っていて、汗をかいているからだと直感的に理解した。
次に視覚が機能した。
周りに見えるのは木々の葉、そして中心に陰。
いや、違う。
陰に見えたのは、こちらを見下ろす八雲の姿だった。
「きがついた?」
目は開いたが、まだ頭は働かず、四肢に力も入らない。
喉も息をするのが精々で、小さいうめきしか出なかった。
視点も時折ぼやけたり、ぶれたりする。
八雲の口が動いているのは判るし、声が耳に届いているのも判る。
だが、その意味が理解出来ていなかった。
八雲はそれを察したのか、笑顔で冬夜の頭をゆっくりと撫でた。
冬夜は、とりあえず呼吸が出来ているので、落ち着いて深呼吸をする。
与太話だったか、物の本だったか。
変な拍子に目が覚めると、頭は起きているが体が動かないことがあるという。
昔は金縛りと言われて恐れられたものだ。
深呼吸をしながら、少しずつ体に力が入るか試していく。
置物のようだった体に、足に、手に力が入るのを確認する。
「……ぁ、っ、どうなった?」
「それはあと。からだ、動く?」
「……」
冬夜は何とか体を起こそうと腕で体を支える。
どうやら八雲に膝枕をされていたらしい。
顔が正面を向くのに従って、ここが近くの雑木林の中だと気づいた。
先ほどの原っぱからすぐのところに見える林だった。
全身が異様に湿っぽい。
雨の降った後の林の中だからだろうか。
「あなた、全身汗だらけだったのよ。あたしの術で大体除いたけれど、まだ汗が残ってたらごめんね」
八雲に言われて、冬夜はさっき寒かったのを思い出した。
今も確かに寒いが、さっき感じたものとは異質だった。
「一旦宿に戻るわよ。本当はすぐにでも連れて帰りたかったんだけど、他人に怪しまれて嗅ぎ回られるのも困るし」
「……ああ、助かる」
普通に出て行った人間がいきなり急病人として運び込まれたら、すぐに噂が立ってしまうだろう。
力なんて無かったとしても、八雲は頼れる相棒と言えるだろう。
八雲に手を借りて立ち上がると、冬夜は素直に宿屋へ戻った。
宿屋へ戻る頃には、何とか自分一人で歩ける様になっていた。
「先に部屋に戻ってて」
宿屋に入ってすぐ、八雲はそう言うと受付の方に向かっていった。
どういうつもりかは判らなかったが、宿屋の中で手を借りる訳にもいかなかったので、そのまま部屋を目指した。
ぎしぎしと音を立てる階段を、さも問題なさそうに、足を踏み外さないように一段一段しっかりと踏んでいく。
部屋に着く頃には、ちょうど八雲が追いついてきていた。
表情を見るに、随分心配してくれているようだ。
どこか戸惑っているようにも感じられたが、この状態だ、自分の気のせいかも知れない、と冬夜は戒める。
弱っているときに頭を使いすぎると逆効果な事も多い。
八雲は見かけ通りの若さではないし、頭が回らない訳でもない。今は気にするだけ無駄だ。
「ん? 白湯をもらってきたのか」
八雲が、両手に一つずつ水差しを持っているのに気がついた。
片方からは白い湯気が立っていることから、白湯だろう。
「はい、後ろ向いて」
言われるがままに冬夜が背を向けると、八雲は冬夜の腰帯を解いて着流しを脱がせる。
「よいせっ」
八雲のかけ声と同時に、勢いよく白いものに包まれた。
「!?」
気を取り直すと、それは蒸し暑い何かだった。
大量の湯気だ。
湯気が、冬夜の体にまとわりつき、すさまじい対流で冬夜を包んでいる。
息が少し苦しくなる頃には、湯気は冬夜から離れて行った。
八雲の方を向くと、八雲の手に持った片方の水差しを逆さまにしていて、その上には茶色い玉が浮かんでいた。
「簡易蒸し風呂。気持ちよかったでしょ」
「……ああ、そうか、あそこで倒れてたら俺は泥だらけだったんだよな」
「そんな状態で布団に入る訳にもいかないし、あたしは直接暖める術は苦手だからね」
白湯を全て湯気に分解して、それを対象に襲わせた後、水の玉に戻す。
八雲は自分の不得手を補うために、水ではなく白湯を持ってきたのだ。
「助かるよ。今日は徹頭徹尾世話を焼いてもらって済まないな」
「楽しい会話のお礼よ」
冬夜が浴衣に着替えながら礼を言うと、八雲は布団を広げながら微笑んでそう返した。
「もう暫く楽しい会話がおあずけになることを先に謝っておくよ」
「ええ。今はゆっくり休みなさい」
何故かにこにこしている八雲に疑問が浮かぶが、そんなことよりもう一度眠りたくて仕方が無い。
冬夜は誘われるまま、最高に脱力した、気持ちの良い昼寝に就いたのだった。
霊術説明回。
昔、全く違う小説を書いているときに、「人物や事物の説明が長すぎて設定帳っぽくなってる」と指摘を受けたことがあります。
第一話とこの話は何度書き直してもその事を思い出してしまいますね。
個人的には説明回大好きなのが原因だと思います。反省できません。