第四幕の一 初仕事
八雲は宿の主人に携帯食を作ってもらうと、朝早くに宿を出た。
昨夜、大規模な窃盗があったらしく、八雲はそれを追跡、逮捕する仕事を請けたらしい。
初仕事の時点で、冬夜には想像も出来ないほどの大きな仕事である。
自分がやっても返り討ちに遭うだけだ。
裾もからげない、いつもの藍染めの紬姿で出て行ったが、八雲の能力なら大して問題ではないだろう。
他人がその姿を見て、これから盗賊狩りに行きます、と言っても大抵の人は信じないだろうが。
能力的にも生きてきた時間的にも仕方ないとはいえ、冬夜としては見た目が十も下の娘に格好がつかないのはもどかしかった。
唯一体裁と保てるとすれば、今の自分の能力より良い結果を残すだけだ。
「大体どのように逃げたか察しがつくけど、時間が経ってるから追いつくのは少しかかりそうねえ」
八雲がそんなことを言っていたことを思い出す。
ならば、ある程度の収入を昼過ぎまでに稼げれば自分なりの矜持は保てる。
とは言っても、初日だけならば特に難しいわけではない。
仲介所から仲介所へ移動する際、冬夜はただ単に歩いている訳ではない。
食事の煮炊き中など暇を見つけては、茸や木の実の収集を試みることがある。
食料の調達という面もあるが、仲介所の依頼にあるような代物も少なくない。
例えば火を熾すときに燃料が必要な様に、霊術を行使するときに霊力を必要とする。
しかし、霊力は術者の体内だけではなく、とある空間の一点に自然と集積される場合がある。また、特定の茸や木の実に集積される場合もある。
うまくやれば意図的に集積させることもでき、それを保存しておくことが可能なため、術士が何かあった場合の予備に持っておくことが多いらしい。
霊術に縁の無かった冬夜には霊力の存在は感じることが出来ず、目に見えない。
だが、その特定の茸や木の実自体は集められるため、それらを収集して仲介所に持って行き、売ることで臨時収入を得ることができる。
勿論自分には価値の分からないものを売っているのでそこまで高くはないのだが、差はあれど必ず売れるのが金銭的に助かる。
独自に店に売るよりは安いだろうが、仲介所の保証もなく売ると、却って安く買い叩かれない。
今回は森にも入ったので、それなりの数がある。
冬夜はそれらの入った麻袋を持つと、仲介所に向かった。
「あ、望月さんおはようございます」
仲介所に入ると、さわやかな声が聞こえた。昨日、受付にいた女性だった。
依頼が書かれた紙を掲示する作業を始めていたのだろう、まとまった紙をとんとんと机の上でそろえていた。
「昨日の彼女、すごかったですねー」
受付の女性はにこーとした顔で笑った。
「私は霊術と縁が無いもので、全く判りませんが、そんなに有望でしたか」
連れを褒められてうれしく無いわけがない。
だからお世辞だと思い受け答えした。
「ええ、とても。試験と言われた割に余裕があった様ですし。敢えて全力を出さないのが信条なのかもしれませんけど」
彼女も、八雲が全力を出していないことを薄々気づいていたようだ。
階級が低い分には八雲が損をするだけなので、仲介所としては特に気にするところではない。
ただ、彼女としては個人的にもったいないと思っているようだ。
「あれであまり上に立つことを良しとしませんから。いっそのこと偉そうにしていてくれれば私も気が楽なのですが」
相手を上だと認めることは悔しくもあるが、認められないほど子供でもない。
八雲が尊大でないのは、もしかしたら気を遣われてるのかもしれないと冬夜は少し思ってしまったりもするのだが、それは思い込みが激しすぎるだろう。
「望月さんもそんな人に見初められたんですから、頑張らなくてはなりませんね」
「不肖ながら、全力を尽くすのみです」
冬夜が苦笑いをすると、彼女はその意図をくんでくれたようだ。
業務的に食事も酒も出すので、酒場の看板娘の役割もあるのかもしれない。
そう考えると、頭の巡りが良いのも頷けた。
「それで、今日はどんなご用件ですか? 確か彼女は盗賊征伐に行きましたよね?」
「ええ、私は私で稼がなければ、立つ瀬がありませんからね。まずは、これを」
冬夜が手渡した麻袋を開くと、彼女は合点がいったようで、「目利きをお呼びしますね」と裏方に下がっていった。
その間に、冬夜は掲示されている依頼に目を通す。
大抵、階級が低いほど、受付台の近くに掲示されている。それだけ仕事を探す人も多く、回転率も高いためだ。
一通り目を通し、仕事の難度と報酬を照らし合わせて自分の苦労に見合うか検討していく。
人には得手不得手というものがあり、報酬が割に合うかどうかは人による。
報酬は依頼人から支払われることになるが、ある程度仲介所の方で割に合うかどうかは事前に確認されている。
ただ、それは最大公約数的なもので、人によっては割に合わない。
いかに効率よく稼ぐかということは、翻すと自分の休む時間を作れるということだ。
八雲は即決で選択可能な報酬の高いものを選んでいたが、あれは例外で、普通複数人で請けるようなものだ。
冬夜がざっと目を通したところで、受付の女性が戻ってきた。
どの仕事にするか思案しながら、冬夜は踵を受付台の方に向けたのだった。
結局冬夜が選んだのは、運搬の仕事だった。
普段は数日かかるような仕事も選択するが、今回は昼過ぎまでに終わらせたかったので、終わる時刻に見通しがつく、それも軽めの仕事を選んだのだ。
それでも昼までに終わらせるのはかなりきつく、非効率な体力の使い方までして一気に終わらせた。
若い頃はそんな働き方をしてよく体を壊したものだが、まさか今更そんなことをするとは思いもしなかった。
明日は筋肉痛かもしれない、と思いながら、冬夜は仲介所に備え付けられているいすに腰掛け、机に膝をつき頬杖をつきながら連れを待っていた。
結果的には、最初の売却も含めてそれなりの金額になった。
これで、一週間ほどは旅に暮らせる。
冬夜の階級で半日まともに働くと、一日から一日半の生活費に値する。
常に自分の得意分野で、自分に見合う仕事があるわけではないため、町から町へ旅をするのだ。
この生活は、不意の事故や病、そして不運に非常に弱い。
冬夜が先日熊の討伐を請けたのは、まさに旅費が工面できなかったからだ。
冬夜もこの生活を始めて久しい。
本来ならそんな事態が発生しない様にするのだが、それはもう致命的に仕事運がなかった。
一連の出来事は、運に振り回される生活であることと、自分が非力であることを突きつけられた出来事だった。
運といえば、先の茸や木の実である。
空中に集積される霊力――御珠を視認できれば、もっと売却益を上げられるのにな、と冬夜は思う。
術具が自分にも使えるかもしれないと思ったとき、冬夜の「大人の部分」はその利益の大きさに目を輝かせていた。
以前八雲が言っていたように、冬夜には霊術の何たるかを知らない。
それどころか、知覚すら出来ない。
知識として知っていれば良いわけではなく、その隔たりは海よりも大きい。
百聞は一見にしかず、ということである。
逆に言えば、冬夜が術具の力を借りてでも霊術を行使することができれば、御珠も視認できるかもしれない。
そんな皮算用を没頭しているとき、不意に声をかけられた。
「なに、変な顔してるの?」
声のした方を見やると、まず腰まで届くほどの艶やかな黒い髪が目に入った。
塗笠を手にした八雲の姿を認識したのは、その数瞬後だった。
「意外と早かったな」
「とりあえず警察機関に引き渡してきたんだけれど、これだけ渡されてどうしようかと」
八雲が取り出したのは、逮捕協力証明書だった。
仲介所に盗賊だのなんだのを連れて来られると困るので、一旦しかるべき場所へ引き渡すことになっている。
それと引き替えに必要な仕事をこなした証明書をもらえるので、それを受付へと渡すことで、全員が円滑に仕事を進めることができるのだ。
「そのまま依頼票と一緒に持って行けばお金がもらえる。そういった結果を積み重ねることで昇級もできる」
「じゃあこの二枚をあなたに渡せば昇格できるってこと?」
二枚の紙をひらひらさせながら八雲が言う。
確かにこの仕事は冬夜でも参加できるため、冬夜も参加したことにすれば昇級への足がかりになるし、それで昇級して冬夜と八雲の階級が近くなれば、一緒に仕事を請けやすくなり便利になるだろう。
だが。
「人の成績で評価されても困る」
冬夜の言葉に無言の笑顔で返すと、八雲は機嫌良さそうに受付台の方へ向かっていった。
仕事の都合上、様々な人と出会い、会話したことがあるが、どうも八雲の行動の意図がつかめない。
まるで池に石を落として反応を見ているかのようだった。
いや、初対面の相手に対して探りを入れるような会話はよくあることなのだが。
「そういや、仕事でも女と会話したことはないか」
幾度となく覚える違和感を、その言葉で締めくくった。
視線の先には、報酬の入った麻袋を手に自慢げに歩いてくる八雲の姿があった。
「結構稼いできたみたいだな」
「いやー、九人は流石に面倒だったわ。特に連れ帰るときは」
「生け捕り、という条件がついてた奴か。確かに生死問わずより賞金は高くなるが、結構面倒だっただろう?」
通常ならば手を縛り数珠つなぎにし、歩かせて帰ってくれば良いのだが、この国では若干事情が違う。
霊術を行使する際、特に身振りなどが必要な訳ではないが、「感覚的に習得する」事情のため、何らかの身振りが伴う場合も少なくない。
つまり、相手が自由に動けるその分だけ、単純に相手の反撃の機会が増える可能性がある。
制圧時は何ら問題なくても帰りに苦労したり、返り討ちに遭うこともよく聞く話だ。
「あたしは、この賞金がどれくらい割に合ってるかは知らないけれど、あなたが言うなら結構な稼ぎなんでしょう?」
この場ではお互い口には出さない。周りの目があるからだ。
ちなみに八雲が稼いできた額は、冬夜が今日稼いだ額の四倍から五倍である。
かなり長い間暴れていたことと、単純に命がかかった仕事のため、賞金は大きい。
「持つ者と持たざる者の隔たりは大きいな」
「持つ者だって、無尽蔵にそれを振り回すことはできないわよ」
術士は霊術を行使できるが、それはいつでもどこでも好きなだけ出来るわけではない。
体内に自然に蓄積される霊力か、もしくは御珠を消費しなければならない。
霊力の自然生成量やその最大蓄積量、最大出力も個々人によって異なり、術者の中においても格差はあるのだった。
「ま、俺の稼ぎだけでも一応食っていける。無事に再会できたことを祝して、飯に行こう」
「きつねうどんがいいわ。油揚げにちゃんと味が染み込んでいるやつ」
「お前、うどん好きだな」
「ざっと見たところで、費用対効果が高そうなものを選んでるだけよ」
この町は、今となっては材木が川上から流れてくるだけが取り柄で、その他は鉄道によって奪われてしまった。
材木を供給する山の森も大分少なくなり、現在は材木の伐採も鈍化している。
若者は仕事を求めて、なけなしの金で鉄道に乗って外へ。
この町は、昔ながらの方法では立ち行かなくなり、変革を求められているのだった。
そんな町が豊かな食生活を維持できる訳もなく、そもそも選ぶ程種類がないのが実情だった。
冬夜の記憶の中で、この町に活気が一番あったのは鉄道の建設中だったことを思い出した。
あの頃は肉体労働の仕事が大量にあり、それを支える飲食や服飾、娯楽など、付随した産業も栄えていた。
材木を伐採しなくても良かった唯一の時代かもしれない。
それが、鉄道が出来てからは肉体労働が一気に減り、巨大化しすぎた付随産業を支えるために材木の伐採が多くなり、材木に出来る森が減り。
悠久の平和とは中々難しいものだ。
「うどんは腹持ちが悪いのが難点だが。まあ、いいかな」
「でしょう?」
二人は刹那的な満腹のために、うどん屋へ向かったのだった。
一つのエピソードでもっと沢山書けないと小説としては説明不足なんだろうか、それとも冗長なのだろうか、と考えていたらとても短くなってしまった。
きっととても説明不足だと思います。