◇金欠って大変だ◆
「金が無ぇ~…はぁ」
どこにでもありそうなアパートの一室。畳に大の字に転がり、一人の男が預金通帳の数字を見て呟いた。
少し長めの黒髪に切れ長の黒目。背は高く中々の筋肉質である。服装は近くの百貨店で買ったセールもののTシャツと短パンだ。
「これだと今月乗り切れるかどうか……はあ」
またため息を吐き、預金通帳を机の上に置く。現在時刻は15時の1分前。長針が一周すると、ポーンと16時を知らせる音が鳴った。
「よし。とりあえずバイトでがっつり稼ぐか」
男はバイトに必要な荷物をバッグに詰めて部屋から出た。そこでポストに入っている封筒に気が付き封を開けると、ガス代の請求書が入っていた。それを見てまたため息を吐く。
「元の姿に戻れりゃ、ガス代なんか気にしなくていいのにな…」
男は重い足取りで階段を降りていった。
“獄炎精霊イフリート”の名を知らない者は【精霊界】にはいないだろう。四大精霊と詠われる彼の力は、巨大な大陸を一晩で焼き尽くすことが出来る程だ。しかし性格は外交的で人間とも仲良くしていた。階級など上下関係が苦手で下位の精霊にタメ語で構わないと言っているが、恐れ多すぎるとの事だ。そんな彼も、“堕精霊”との戦いの際には本気を入れた。あらゆる業火を操り“堕精霊”に挑んだ。他の四大精霊である、
“暴風精霊シルフィ”。
“静水精霊ウンディーネ”。
“堅土精霊ノーム”。
と協力して、やっとの思いで“堕精霊”を封印したが、突然次元に穴が開きそれに吸い込まれて来た世界は、精霊等が架空と呼ばれる【地球】。しかも世界の影響かイフリートは本来の姿から人間へと変わってしまった。炎も操れずしばらく過ごし、日雇いのバイトで金銭を稼いだ。身体能力は普通の人間よりもあるらしく、工事現場や引っ越しのバイトでそこそこ稼いだ。口座も作り、部屋も借りれた。そこを拠点とし、【精霊界】に帰る方法を考える日々が続いていた。
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【ファミリーレストラン・スマイリー】。現在イフリートがバイトしているファミレスである。時給も良くバイト先の知り合いも良い人が多い。ちなみにイフリートはフロアチーフを任されるほどになっていて信頼も厚い。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「はい、Aセットを1つ。Bセットを1つですね。かしこまりました。少々お待ちください」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
【スマイリー】の制服の赤いポロシャツと黒いズボンを着用して胸に“威風”と刻まれたプレートを着けたイフリートがハキハキと働いていた。その働きぶりは本店の方でも噂になっているほどだ。
「休憩入ります」
「はーい。威風さん」
休憩の確認を取り、イフリートは休憩室に入る。ここではイフリートの名は使えないため、偽名として“威風李斗”(いふうりと)と名乗っていた。椅子に腰掛けてお茶を飲んでいると、
「あ、李斗さん。休憩ですか?」
1人の女子が入ってきた。李斗と同じポロシャツにスカートを着ている。髪を後ろで一つ結びにして活発そうな印象を受ける。
「おう、朱鳥ちゃん。そっちも休憩?」
「はい。今休憩取ってきました」
この女子は伊島朱鳥。近くの大学の1年生であり、【スマイリー】での李斗の後輩だ。
「それにしても李斗さん、相変わらずすごい働きっぷりですね」
「まあ、もう5ヶ月は働いてるからな。慣れだよ慣れ」
「そんなこと無いですよ。李斗さんもうフロアチーフを任されるまでになってるじゃないですか。同期の人は羨ましいって言ってましたよ」
「あはは……まあ、給料も上がるからな」
李斗は頭をかるく掻く。
「あ、そう言えば知ってますか李斗さん。最近この辺りで頻繁に火事が起こってるらしいんですよ」
「火事………?」
「はい。しかも普通と違って、前ぶれなく突然火柱に包まれて燃えてるらしいんですって」
「突然火柱にねぇ…」
李斗は顎に指を当てて状況を想像した。まあ人間には無理だろう。だが、精霊なら……。
「怖いですよね。突然火柱に包まれちゃうんですから、逃げ遅れないように気を付けないと」
「そうだな。お互い気を付けようか」
そうこう話しているうちに休憩時間が終わったので、李斗と朱鳥はフロアへと戻って仕事に取り掛かった。それから夜9時まで仕事をして終業となった。
「じゃあ、お疲れさまでした」
「お疲れさま。明日もよろしくねー」
「了解っす」
【スマイリー】の服装から着替えた李斗はバッグを肩に掛けて店から出る。
すると、店の前で朱鳥が1人立っていた。そして李斗が出てきたのを見て、パタパタとこちらにやって来た。
「お疲れさまです李斗さん」
「お疲れさま、朱鳥ちゃん。どうかしたの?」
「いや、その……さ、最近物騒な世の中なので、よければ一緒に……帰ってくれませんか?」
朱鳥は弱冠口ごもりながら見上げるように頼んできた。まあ確かに、さっきも火事だのなんだのって話していたから不安になるのも無理は無いだろう。李斗は断る理由も無いので了承した。
「いいよ。物騒なのは本当だしね。家はどっちだっけ?」
「あ、えっと……大学から近所です」
「それなら一緒の方向だな。行こうか」
「はい……!」
朱鳥の顔が赤くなっているのは気のせいだろうか。
李斗は首を傾げながら朱鳥と共に家へと向かった。
「あの~李斗さん」
「ん?どうかした?」
「李斗さんって一人暮らしですよね?」
「ああ、そうだよ」
「ご飯とかは作ってるんですか?」
「あ~、まあ多少は自炊してるけど、最近インスタントに頼りがちだな」
【精霊界】時代は飯は配下の精霊が作ってくれてたが、こっちではなあ…
「それなら、時々ご飯作りに行きましょうか?」
「え……?マジで!?」
あまりの嬉しい報告に李斗は思わず声のボリュームを上げてしまう。それに驚いた朱鳥がまたワタワタしていた。
「あ、すいません!!迷惑ですか…?」
「いやいや迷惑なんてとんでもない!!むしろ嬉しいよ。俺肉料理好きなんだよな~」
「そ、そうなんですか。よかった。じゃあ今度、美味しい肉料理、作りに行きますね」
「おう。楽しみにし…」
そこまで言いかけた時、
ボオンッッッ!!!!!
突然の爆発音と共に前方のビルが火柱に包まれた。
悲鳴と怒号が飛び交い始める。煙がこちらまで届いてきた。
「まさか、本当に火柱に包まれてやがる…」
「す、凄い……」
辺りがパニックになり始めてきた。李斗は朱鳥を連れてその場から離れた。
「朱鳥ちゃん。家はあとどれくらいで着く?」
「え、もうあそこです」
「よし。朱鳥ちゃん、家まで全力で走れ。いいね」
「え、あ……はい」
李斗の真剣な表情を見た朱鳥は素直に従い、家まで全力で走って行った。李斗はその場に残り火柱に包まれたビルに視線を送る。
「まさかとは思うが、精霊の仕業か?」
李斗は無いとは言えない可能性を考えながら自分のアパートへ向かった。