90・ジジイの歯型
「ふむ。他に敵はおらんの?」
自分が少年に再び向き直りそう問いかける。しかし彼は先程と同様ポカンとした顔で自分を見つめるだけである。
「……倒し、たのか?」
「え? うん」
「この場で魔獣をああもやすやすと……信じられん。そんなことができる生き物がいるなんて。僕は気が狂ったのか?」
……それ本人目の前で言うかね。
と言うかやっぱり魔獣だったか、これ。
「少年」
「あ、な、なんでしょう」
そんなビビんなって。
「他に敵はいないの?」
「え、っと、それは――」
「いや、いまんとこ警戒すべきはそいつだけだ」
そんな声と共にのっそりと草むらから人の姿が現れる。
それは皺の多い老人であり、胡乱気に細めた紫の瞳とぼさぼさにはねてる黄緑の髪、そして手入れのされていない半端な髭からなんというか、その……小汚い印象が。
服もボロボロで、洗濯されてる様子もないし……よく見れば少年の方も似たような格好だ。
ただ彼については、まぁ服装もまだ選択できてないだけと言い張れそうな感じで決してみずほらしいわけでもないし、その翠の髪も最低限の手入れはしてるようだし、まだ、まだなんとか。
眼だってこっちは澄んでる。翠の宝石みたいな瞳はいまだきらきらと輝きをはなっており、決してどこかの紫に濁った目ン玉とは比べ物にならない。
……正直顔面の造形って重要なんだね。汚れ度合いは双方同じくらいなのに少年の方は見た目がいいからまだ『薄幸の美少年』とかいえるけど、ご老人の方はどうしても、どうしても……マ、マイルドに、その、表現すると『住所不定無職』と言いますかなんといいますか。
「ありがとうよ坊主。おかげで死なずに済んだ」
にやりと笑うご老人。
あ、なんかごめんなさいその、見た目でいろいろ、頭の中で悪口言ってしまって。
「い、いえ。それよりお身体は大丈夫ですか? どこか怪我とかは」
「怪我? そうだな、しいて言えば死にかけてるな」
そう言って彼が小汚い服を捲るとそこには深い爪痕が……んっ、んー。
「ちょ!? 大丈夫ですか!? 今すぐ手当をしなきゃ――」
「大丈夫だ。治療はしてある」
どこが大丈夫だ! 包帯の一つもせんと己は!
「坊主が膝蹴りを決めたあたりでポーションを飲ませてもらったからな。併せて回復魔法も使った。時間はかかるが死にはせん」
彼は言いながら小瓶をフラフラと見せつける。
そ、それならいいんだけども……。
「儂の心配もいいけどよ坊主。そんなことより妙だと思わねぇか?」
……え? なにが?
「あいつを斃したのに未だ結界が解けていねぇ……」
結界? 結界って……あぁ、結界ね。なるほどこの赤い世界は結界の中だったという事か。
「……どういうことだ?」
少年が問う。
すると老人は真剣そうに濁った瞳でバケモノの方を睨むと、静かに一言呟くのだ。
「そいつがまだ生きてるってことだ」
そら自分いまだ『不殺』の属性はつけっぱだからね。だって食べる以外の目的で殺したりとかあまりしたくないし、なによりもしこれがまた魔獣だったらもととなる人がいつ訳で。
と、自分が思うのと同時。人の言葉がわかるのだろうか、化け猫はその言葉の直後ゆっくりと起き上がると、先程よりも強く敵意と殺意を込めた瞳で自分たちを、いや、自分をキッと睨むのだ。なるほど狸寝入りか。
……野生生物にここまで憎悪もたれたことないから正直怖い。
と言うか考えてみたら一撃目から『昏睡』とか適当な属性つけておけばよかったのに。
自分のおバカ。
「やっぱりな。バケモンが人の真似事してもバレバレだぜ。脳みその出来が違うんだ」
おいオッサンあまり挑発するな。
こういう奴って大体――
「ギ、グ……シャアアアアアア!」
化け猫がそう大きく空気を震わすと同時、奴の背中から腕が4本生えてきた。
つまりは6本腕。そして額には第三の瞳がギョロっと生えてきて……ほらぁ! 第二形態突入しちゃったじゃないですかぁ!
「ククク……身体の出来はそっちの方が上等かよ」
速攻で後悔すんなら余計なことすんなよジジイ!
「……そうか、まんまとこの魔力制限と弱体化の結界に閉じ込められた時点で頭もあっちが上か」
余裕そうだな。
「お、おいこれはどうすれば――」
「やるっきゃないでしょ。下がってて」
すがる少年の腕を払い前に出る。
それと同時に化け猫も一歩前に出て自分に近付く。
しかしそれ猫はまったく動かず自分の様子を舐めるように観察するばかりである。隙を伺い姿勢を低くするその様は、まさしくネコ科のそれである。
対して自分はと言うと、これはどうしたらいいかと試案を巡らせているのであった。
いや、だって六本腕ってお前、いくら何でも予想外すぎるというか、これどうしたらいいんだよ。
単純に考えてこの状況って近接戦闘をしたら明らかに手数で負けるし、さっきみたいに腕一本弾いただけでは他の腕でカバーされるしで絶対的に不利なんじゃ……。
そんなことを考えていると、猫が再び動き出した。
ただ愚直に自分へと襲い掛かってきた先程とは違い、自分へ向かってはいるがまっすぐではなく、左右に動いて攪乱しようとしていることだ。
……ぶっちゃけまだ目で追える速さだが。
というかずっと目が合ってる。
……で、三回くらい奴が無意味な反復横跳びをしたあたりで一転、今度は勢いよく自分へ向かって飛び跳ねる。だから目が合ってるって。
いや、んな焦ったような顔されても困る。
そしてそこで猫は左右六本の腕とそこから生える鋭い爪でもって自分を切り裂こうと……はい。
顔面がら空きですよ?
「ほい」
「ギョッ!?」
目の前に見える顔面の顎目がけて、自分は掌底打ちを叩きこむ。
するとどうだ、予想外のカウンターを食らった猫はその場で静かに崩れ落ちる。しかしギリギリで踏みとどまったのか完全に落ちる直前に体制を立て直し、片膝をついて……あ、デジャヴ。
……。
「えい」
F12『一週間昏睡するシャイニングウィザード』
猫の顔面に吸い込まれるように、自分の膝が、閃光魔術がめり込んだ。
すると奴は悲鳴も上げず地面に後ろへ吹き飛びワンバンツーバン……三バウンドしてしばらく地面を転がったところでやっと止まった。
……ち、ちょっとさっきまでより力入れすぎたか?
延髄のあたりで力入れ過ぎたと反省し、その次は抜きすぎたかなと思ったから今回もまた気持ち強めにいったんだけど……加減ってむつかしい。
というかシャイニングウィザードであそこまで飛ぶって、どういうベクトルで力入ったんだろう。もしくは物理演算がおかしいのかな?
……し、しかしまぁそれでも倒したことは倒したようで、猫が動かなくなってから数秒後、まるで溶けるように空の赤が消えて行き、元の静かな夜の世界が帰ってきた。
やったぜ。
「……すごい」
そう褒めるな、少年。
これ自分の力じゃないから。生き残るためには使うけどさ。
「なるほど、たいしたものだ。弱体化の結界の中であれだけの動きをできるとはな」
ご老人も一緒になってもう。褒めても何も出ません――
「だが粗いな。力、速さは申し分ないが技がついていけていない。膝蹴りなど修練を積んだ形跡のあるものもあるがそれもまだまだだ。そもそも基本的な動きがなっていない。雑の一言に尽きる」
……はい、精進します。
「お、おい。何も今言わなくてもいいじゃないか」
少年はいい子だなぁ。
「……そうだな、すまなかった」
ご老人がそう言って素直に頭を下げる。日本に多い頑固なおじさんとは違い、危機は気配いタイプのようだ。
ま、そんなことは今はどうでもいい。
目下の危機が去ったなら、次にやることは怪我人の手当てだ。
「いえ、大丈夫です。それよりも本当にお身体は本当に大丈夫なのですか? 少年、君もどこか怪我はないかい?」
と、ここではたと気が付いた。
そういやうちのお姫様回復魔法のプロだったわ。
「そうだ、一応うちの仲間に回復魔法使える人がいるので、一度きてください。少なくともポーションを飲むだけよりは幾分かましなはずです」
「そりゃぁ癒し手のお姫様の事かい?」
え? あ、うん確か。そういやあのお姫様そんな二つ名持ってたね。
「ええ。一応は自分の主、と言うことになるのかな?」
「なるほどな……」
そう呟いて老人は目を細め、じぃっと自分の目を見つめる。
な、なんぞ?
「癒し手、というとやはりあなた達はトゥインバルの……」
少年は少年で、若干顔を青くする。
だからなんぞ?
「やっぱりあそこで野営していた一団はトゥインバルの先兵隊、ってことか。しかも机上の姫騎士様まで一緒とは……ククク、どうやらとうとうこの国も終わりらしいな」
……あ、そうか敵国かここ。
そー言えば忘れてたけど、そうか何も情報持ってない人たちからしたら自分らは侵略者か。
「あんな大軍隊を帝都の目の前まで持ってこられちゃもう防ぐ手段もないわな。お前らも物好きだな、こんな魔獣に穢された国が欲しいなんてよ」
いや、宣戦布告そっちかららしたんでしょうが。
「そんな、ここまで、なのか? 僕たちの国は、もう……」
少年も少年で絶望しない。もう。
「言っとくけど自分ら侵略する気サラサラないですよ?」
「じゃあなんでこんなところまでいるんだ?」
「経緯を話すと長くなるけど、自分たちは魔獣倒してこの国を取り戻そうと頑張ってるところです」
「信じると思うか?」
……まぁ逆の立場なら信じないかもしれないし、そこは何も言わん。
「信じるかは任せます。が、こちらとしてはそうやって動くし、そのためにあなた方の国の人も味方になってくれています」
「ほう。誰だ?」
あ、さすがにこれには反応するか。
「えっと、確かカノンさんと――」
「おい待て! カノンって、錬金術師のか!?」
え、えぇ?
「は、はいたしか」
「あの女まだ生きてたのか!?」
く、喰いつきっぷりがすごいんですが。
「い、一応……救出して、その、味方やってくれています」
「……なるほどな」
なにがなるほどなんでしょう?
「他には?」
「え?」
「ほかに坊主らの味方をしてるやつらだよ」
「あ、えー、っと……アニスさんとその仲間たち――」
「アニスが!?」
少年!?
「アニスって、あの、コーデァ殿のご息女の、乳のでかいあの娘か!?」
乳っておまえ。
「ええ、まぁ……」
「そうか……そう、か」
なんか二人の間になにかありそうだね。
でも首突っ込むとろくでもなさそうだしやめとこ。
「……腹減った」
……は?
「坊主、悪いが何か食いもんねぇか? いまの俺らは残念ながら貧乏でな、おまけにあの魔獣に狙われていて最近まともな食事が取れてねぇんだ」
あの、おっさん、その……脈絡。
まったくもう。食べ物、食べ物ねぇ……夕食で残った誰も手を付けず捨てられる予定だったパンと、あとは……昨日の残りの串焼きのお肉。
……。
「パンでいいですか?」
パンを四個取り出し、二個を彼に、残りを少年に差し出す。
「おう、すまねぇな」
ご老人はそう言うと、まったく遠慮なくパンを手にして口に運ぶ。
対して少年は謙虚そのものだ。
「いいんですか?」
遠慮がちにそう言って、本当に受け取っていいか迷ってるようだ。
「うん。気にしないでお食――」
「いらねぇんなら儂がもらうわ」
……言葉の途中でジジイに奪われた。
あ、の、ねぇ。
「……なんだその目は」
「さすがにねぇよ」
「……わかったよ」
彼はそう言ってしぶしぶと食べかけのパンを少年に渡して……おい。
「そっちじゃないでしょ」
「だめか?」
だめに決まって……あ、もうそっちのパンも齧ってやがる。
「そう見つめるな」
睨んでんだよ。
「まったく、ほら」
ため息と共に老人は手に持ったパンをすべて少年に押し付けると、そのまま地面に横になった。
「儂はもういい。あとは喰っとけ」
「え、っと……」
大丈夫。君は悪くない。
「新しいの、いる?」
「い、いえ。これで大丈夫です」
なら止めはしないけど、小汚いジジイの歯型のついたパンでホントにいいの? 無事なの一個もないよ? 全部食べさしよ?
それそこに転がってるのに押し付けて新しいのだしてもいいんだよ?
「ほんとに?」
「は、はい。でも、ほんとに頂いていいいのですか? 僕たちは何も、今はお返しができません」
……いい子だなぁ。
「うん、大丈夫さ。別に見返りなんて求めてない。お腹いっぱい食べなさい」
自分の言葉に彼は表情をパァッと明るくさせた。
あぁ、かわいそうに。若いのにそんなに飢えていたなんて。
「それでは、ありがとうございます」
そう言って彼もまた地面に座り、手に持った四つのパンにかじりついた。
……ほんとにかわいそうに。戦争って悲惨だ。
いや、この場合戦争と言うより魔獣か。やっぱりこの国の為にも、こういう子をこれ以上苦しめないためにも魔獣は倒さなきゃならないね。
……正直怖いけどな。
と、こんなことをやっているとだ。
「先生!」
「ご無事ですか!」
遠くから何かが駆けてくる音と、自分を心配し呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。
振り向き見ると自分たちが野営をしている方向から、二つの人影が近づいているのが目に見えた。
一つは剣を背負ってメイド服を着た小さな少女。
一つは槍を手にした執事服の翼の生えた青年。
シルバちゃんとムー君が、こちらに向かって走ってきているのだ。




