89・閃光魔術
なにもないといいな。
そう思いながら駆け足でその何かあったような方向に向かう。
しかし反面思うのだ。ぜぇったいなにかあるよな、って。
果たして、その予想は的中した。
「お? おぉ……お?」
しばらく駆けてある程度まで行くと、今まで青白く輝いていた一帯の風景が、朱に染まり赤黒い光景へと変貌したのだ。
「……なんぞこれ」
つぶやき思わず空を見る。そこには煌々と輝く赤黒いお月様が、毒々しいまでに漆黒に染まった空へと浮かんでいた。
……逢魔ヶ時ってレベルじゃねぇな。
これ明らかにやばい奴だ。魔術的なにがしについてまったく無知な自分でもわかる。コレは異常だ。
こりゃあ原因云々は置いといて、ひとまずはこの事態を仲間と相談する必要があるべな。
自分じゃ原因がわからんが、彼らなら何か知ってるかもしれん。
そして何より、みんなが心配だ。
そう思い、身を翻して今きた道を戻るべく一歩歩みを進めたとこでだ。
世界が再び青く染まった。まるでトンネルを抜けたかのように、急にはっきりと景色が変わったのだ。
空は先程までと同じ美しい星空と青白いお月様に戻っており、先程の不吉の前兆染みたものとは明らかに違う。
……なんぞこれ。勘違い、ってわけではないべな。
さっきまでの光景は、確かに現実にあったものだ。さすがにそこを間違うほどお間抜けではない。
はて、これはいったいどういう事か。わけがわからんぞ。
まさか異常事態から脱したことでさらに混乱が増すとは思わんぞ。
「……どういうこっちゃね、これ」
空を見上げてそう思わず呟くと同時、自分は無意識に一歩後ろに引き下がる。そのままバックする感じで。
「……おぉ」
するとどうだ、景色は朱に染まり、まるで滅びの前兆のような不吉な赤彩られたではないか。
……ここで一歩前に出る。
するとどうだ、世界は青白い夜の静寂に戻り、輝かしい星々が空で踊るように輝いて……。
……一歩下がる。赤い世界。
一歩踏み出す。青い世界。
一歩下がる。赤く染まる。
一歩踏み出す。青く染まる。
なるほど、ちょうどここが何かの境界か。
この自分が立ってる位置から向うが赤い変な世界で、逆にこっちが平常の世界。
ふーん……ろくでもない匂いがプンプンするでやんす。
……でもそれ以上にろくでもない自分は、なんというかこう、緊張感というものがないわけで、その、なんだ。思い付きで変なことをしちゃったりするのだよ。
具体的にはこんな状況を若干愉しみはじめ、あれだ。
「お、おぉ……へぇ、なるほろなるほろ。なかなか面白いじゃん」
ちょうどその境界のライン上で、3Dメガネよろしく右目で赤い世界、左目で青い世界を見れるように立ち位置を合わせて空を見ていたのだ。
いやね、これがなかなか面白いのよ。
なんというか、色が混ざる感じがね。うん。
……はい、緊張感というものをどこに忘れてきたのでしょうね。
で、だ。そんなことでうだうだ数十秒を費やしてる自分の右耳が、赤い世界に入ってる方の耳が妙な音をとらえたのだ。
それは人の、二人の男性の声と何かの雄たけび。そして地面が抉れるような豪快な音だ。
「ほらほら早く殺せ。殺さんと死ぬぞ」
「無茶言わないでくれ! こんなのどうやっ――」
ちょっと驚いて一歩下がり、青い世界に身体が戻る。
するとその切迫した声は聞こえず、ただ風の音が空気を震わすばかりである。
……いや、つい戻ってしまったが、これはさすがに無視するのはいかれないべ。
そう思い直し自分が再び赤い世界に足を踏み入れると、鼓膜が再び先程の音と声とを捉えたのだ。
よく見るとそこにはひとつの人影と、飛び跳ねている明らかに人のサイズより大きいなにかの影が見える。
目測は大体、100メートルないくらいか。
「あなたが勝てない相手に僕が勝てるわけないじゃないか!」
若い声が叫ぶ。そこに余裕の色は見えない。
「じゃあこのくたばり損ないと一緒にこいつの餌になるか?」
対してしわがれた声がそう答える。口調とは裏腹に声色には焦りが滲んでいるように聞こえる。
「くっ……今まで逃げきれていたのにこんなところで死にたくない!」
「じゃあ戦え。何のために剣を教わってきたんだ?」
「少なくともあなたを護るためではない!」
「はっはっは。痛いところを突く」
会話の内容だけ見ると割合余裕そうではあるね。
が、その実口調やバックに聞こえる破壊音から、結構危ない状況だということがうかがい知れる。
「シャアアアアアア!」
あと明らかな怪物の咆哮からも、絶対ろくでもないことになってルナという事が想像できない方がおかしいだろう。
……状況はわからんがこれは助勢に行った方がよさそうだね。
「誰かが何かと交戦中! これより助勢に向かう! 敵の姿の確認はよくできていないけど人より大きいバケモノの影を確認! 警戒しておいてください!」
聞こえるかどうかはわからん。
が、一応スゥ君の耳を信じて青い世界に向かってそう言い残し、自分は赤い世界へと駆け出した。
そして近づいて見えるのはぼろっちい身なりの剣を構えた少年と、それに対する手足の長い、猫のような怪物だ。
黄色一色の目玉と猫の顔面を携えた、二足歩行の人型のバケモノ。
猫背ゆえかゴリラのナックルウォーキングのような動作で移動する縞模様のそいつは、鋭い牙と鋭利な爪でまさしく今少年に襲い掛かろうと飛び跳ねたところだ。
「くっ!」
それを見て少年は横に跳んで逃げる。
が、着地ざまに振るわれた爪は的確に彼を追い、咄嗟に防御に使った剣を弾き飛ばし、無防備な身体を晒してしまう。
「あっ!」
そして、そのチャンスを作り出したバケモノがそれをみすみす逃すはずもなく、にやけるように猫顔を歪めて爪でもって彼の身体を狙うのだ。
「シャア!」
少年の胴体目がけて伸びる爪。このまま行ったら串刺しだろう。
が、さすがにそれはやらせんよ。
「ていや!」
「オギャ!?」
跳躍からの延髄斬り。それが綺麗に首に決まってバケモノは横へ吹っ飛んだ。練習した甲斐があったってもんだ。
……しかしさすがに飛び過ぎと違うか? と言うかバウンドしたぞ。
ちょっと焦って力を入れすぎたかな? 人を相手にした時はこうならないよう気をつけよう。
ととと、あぶねぇ余計なこと考えすぎてこけるとこだった。さすがに着地失敗したら格好がつかん。
「大丈夫?」
とりあえずバランスを取り直して少年に向き直る。
すると彼は狐につままれたような、ポカンとした顔で……なした?
「おーい」
顔の前で手をひらひら。
すると彼はようやく魂が戻ったのか、気を取り直して背筋を伸ばす。
「え? あ、あぁ……すまない、助かった」
「まだ助かってないぞ」
少年の言葉を遮るように、しわがれた声が響く。
あれ? そう言えば人影は彼一人しか見えないのに、さっきから聞こえる声はどこから――
「どう言う意味だ?」
「あれ見てみろ」
少年の言葉に応え、近くの草むらから腕が伸びて指をさす。
あ、そこに隠れてたのね。
で、その指の方向を見ると、なるほどさっきの猫がふらつきながらも立ち上がり、こちらを敵意のこもった眼でこちらを睨む。
なるほど。確かに危機は去っていなさそうだ。
「……少年。下がっていなさい」
かっこつけながら一歩前に出る。
さて、この状態ならあいつはどう動くか。
まっすぐとびかかって爪でひっかくか牙で噛みつくか。まぁスタンダードなのはそこらへんだろう。
その場合狙われるなら、おそらく首を狙って噛みついてくるのが一番目が高いだろう。近所の野良猫もよく鳥類の首咥えてたし、ネイチャー番組でもネコ科が首に噛みつく姿をよく見かける。
たぶん猫なんてそういうものだろう。
あと考えられるのは、そうだ。もしあの猫が魔法を使って来たらどうしよう。
正直魔術的な云々は自分全く無勉強だから真っ正面からゴリ押す他に手が思いつかない。
まぁシルバちゃんの魔法も耐えられたことだし、自分だけなら何とかなるかもしれんが……なるようになるとしか言えんか。
あれ? そう考えると自分、あれが魔獣であっても魔物野生動物の類だったとしても、結構危ない奴に喧嘩売ってるんと違うか?
……やばいそう考えると少しビビってきた。
まぁ何にせよ今更逃げるわけにもいかれないので、戦う以外に選択肢はないのだがね。
とりあえず今必要なのは奴の攻撃に反応できる反射神経だ。
魔法にしろ物理攻撃にしろ、それに反応できなきゃ意味がない。
そんなわけでF12『動体視力強化』っと。
そう思案を巡らせ能力を使用しているうちに怪物が勢いよく、まっすぐ自分目がけて飛び跳ねた。
狙うのはそのコース的に、おそらく自分であるとみて間違いないだろう。
「シャアアアアアアア!」
それは右腕を大きく振りかぶり、自分を切り裂こうとその爪を喉元目がけて走らせる。
そしてその顔面は、いまにも自分に食らいつこうと涎を垂らして牙を光らせ近付いてくる。
……でも、悲しいことに動きがまっすぐなのよね。
まっすぐ、的確に自分の顔面を切り裂こうと爪を振るう。
予想とはちょっと外れたが、はっきり言ってこの攻撃は――
「これは想定内、よっ!」
「ギ!?」
爪が当たるその直前、自分は左から迫るそれの手のひら、肉球のところに手の甲を当て払いのける。
想定外の力で弾かれた腕に引っ張られるように、猫は態勢を崩し、大きな隙を晒すことになった。
ふはははは。どうだこれが動体視力を手にして人間性を失ったものの力よ。
さぁて後はおなかに一発ブローを叩きこんで気絶させれば……あ。
こいつ猫背で長身だから顔面の近さに反して腹部までがすごく遠い。腕が届かない。
あ、あれ、えっと、これどうしよ……そ、そうだ! 顎だ!
「はっ!」
「ギョッ!?」
目の前に見える顔面の顎目がけて、自分は咄嗟に掌底打ちを叩きこむ。
いや、別に拳でもよかったんだけどね? でもなんか、考える前に身体が動いてた。
たぶん掌底打ちであることに別段意味はない。
で、バランスを崩したところでさらに重たい一撃を急所にくらった猫はその場で静かに崩れ落ちる。しかしギリギリで踏みとどまったのか完全に落ちる直前に体制を立て直し、片膝をついて――それは練習したぞ。
「寝てろ」
立てた膝を踏み台に、顔面目がけて跳び膝蹴り。
これぞ必殺シャイニングウィザード。別名閃光魔術である。
いやぁ、綺麗に入った。生き物に放ったのは初めてだがなかなかうまくいくもんだな。
ゴキッ! とかいう何かが折れたような音が聞こえたきがするが……気にしてはいけない。
ちなみにすっごくどうでもいいけど椅子を使って練習するのはやめた方がいいぞ。椅子が動いたら頭から落ちる。
さて、そんな必殺技を食らった化け猫は悲鳴も上げず背中から倒れ、そしてそのまま動かなくなった。
手足を投げ出し口から下を出して涎を垂らすその様は、まさしく気絶している生き物のそれだろう。
……念のため足でつついてみる。反応はない。
ならとりあえずは一安心、かな。