82・やっぱり違うなぁ
と、とりあえずだ、こう、あの、こういう行きずりのってのはいろいろ問題があるので丁重にお断り申したてまつって――
「カノン様」
「きゃん」
混乱してる自分と獲物を狩る目をしたカノンさんの間に、一人の人影が割って入る。アニスさんがカノンさんを乱暴に押しのけたのだ。
「そう言うのは自重してください」
お、おぉ。君はまともだ。いや良かったよかっ――
「でもぉ、命をかけて助けてもらっておきながら、感謝の言葉だけと言うのもどうかと思うの。やっぱり言葉だけでなくもぉっと満たされるお礼をする必要があると思うのぉ」
いやいや、いらんから。
あと今気づいた。お姫様良くシルバちゃん止めたな。
グッジョブだ。そのまま羽交い絞めにしとけ。
「品位を損ねるだけです。もっと自重をしてください」
お、アニスさんもっと言ったれ。
「……品位を?」
「そうですよ。確かに言いたいことはわかりますが、仮にも四将の一人なのですから、そういうことは大っぴらにやらないでください」
そうだそうだ。それにお礼なら適当に薬量産するだけで事足りるから。
だから変なこと考えるなって。
「せめて人の目につかないところでやってください」
……あれぇ?
おっかしいなぁ、止めてると思ったらシチュエーションに文句言ってるだけで推進派だぞこいつ。
ここに味方はいないのか?
「……でも、今のあたしにできることって、この身体を差し出すことくらいじゃない?」
あ、若干声トーンが落ちた。
よしよし。そのまま意気消沈しておとなしくなってくれよ。
ああいうイベントは、元の世界に戻ってから起きるようにしてくれ。
「そんなことないでしょう」
「でも……」
「いいから、己を大切にしてください」
「……そんなもの、大切にするものなんてあたしにはもうないわよ」
そう自分が心のなかで不安な気持ちになっている時である。不意に地の底から這いあがるような声が聞こえてきたのは。
それは先程自分がカノンさんに『裏切らないよね』と聞いた時と同じ暗く淀んだ……もしかしてこれ地雷踏んだん違う?
「品位も、誇りも、たいせつなひとも、ぜぇんぶ投げ出して、全てを壊したあたしに一体なにが残っているというの?」
ゆっくりとこちらに向くその顔に感情はなく、ドロドロと濁り光沢の消えたうつろな瞳がこちらをじぃっと見つめてくる。
これヤバいやつだ。
「過去は戻らないのよ? あたしが壊したものも、あたしが奪った命も、あたしが裏切った人の心も、なぁんも元には戻らないの。そしてあたしに残ったのは背中にのしかかる罪の重さとこの穢され汚れた身体だけ。そんなあたしが、この腐りきった身体を捧げる以外に何ができるの? ねぇ? こんなあたしを受け入れてくれる人がほかにいるの? ねぇ!? 答えてよ!」
「ちょ! 落ち着いてください!!」
死んだ瞳で涙を流しながらアニスさんに詰め寄るカノンさん。
後悔と怒りと、そして何よりの悲しみとで彼女の表情は歪み、感情が溢れていく。
「あなたはいいわよねぇ? たいせつなひとがみぃんな生きてて。なぁんの罪も背負わなくて」
涙を流し泣き笑いする彼女はどうにも感情の制御ができていないようだ。
自分もわかるよ。こういう感情になった時って、己が何言ってるかわからないんだよね。
「あたしにお花をくれたあの子の笑顔はあたしが壊した! あの子のお母さんを目の前で溶かしてゴミのように投げ捨てて! あたしを慕ってくれた人たちにあたしは種を寄生させて生きたまま魔獣の餌にした! いつもあたしの隣にいたあの人を、あたしは、あたしは……あたしは、笑いながら絞め殺した。そんな、穢れたあたしには、何の価値もない……ただのバケモノよ」
……そうか、なかなか飄々としていたが彼女もつらかったんだろうな。
でもそれは、悪い奴に変なことされたからじゃないの? 君の本意じゃないんでしょ?
「しかしそれはカノン様の意思ではなく――」
「だから何だっていうの? それでもあたしがみんなを殺した過去は変わらない。あたしは『バケモノ』なのよ? 国をめちゃくちゃにして、大切なものを奪って人々を殺した狂った魔獣。だれが、あたしを赦してくれるの? あたしの人生は、いったいなんだったの? 裏切り者に加担して、自由気ままに殺しまわって、挙句被害者面しながら生き残って。国を救う? みんなを助ける? ははははは、ぜぇんぶあたし自身が壊したものじゃない! あたしは、本当に生きていていいの? ねぇなんであたしは生きているの? あたしの価値っていったい何なの? ねぇ……答えてよ!」
そう言って崩れ落ちるカノンさん。あとは嗚咽と、鼻をすする音が響くだけだ。
……ごめん。さっき疑ってほんとごめん。
「ははは……罪を犯して、惨めに命を救われて……せめて、国を救ってくれる英雄さんの慰みにでもなれば、少しはあたしの罪も雪げるよね? 今のあたしにも、それくらいの価値はあるわよね?」
その慰みはホント入らない。
いくら悲惨な心情を吐露されようと、そこに付け込んでそう言うことするのは人としてどうかと思う。
「カノン、様」
こいつはどう収拾つけんべか。
と、内心で思いながらふと横を見ると、胸に手をあて真面目な顔をしているシルバちゃんとその横で眉をひそめて嫌そうな顔しながらイライラしているお姫様が……うん?
なぁ、どったんお姫様。
そう聞こうと一瞬口を開いたのと同時に、彼女はツカツカとカノンさんの方へと歩いて行った。
そして、その後お姫様は無理やりカノンさんの胸倉を掴んで――
「……おいカノン。あんまりふざけたこと言うなよ」
いつものお姫様より数オクターブ低い声でガンをつける。
……え?
これっていったいどういう事?
というか泣いてるお姉さんの襟首掴んでガンつけるちっさい女の子という構図はなかなか特殊よな。
「なぜ生きてるか? 生きてていいか? ふざけるな!」
それは普段の彼女とはまるで違う、力強く気迫に満ちた大きな怒声。
お姫様はカノンさんを締め上げつつ、なおも隠すことのない怒りの声を吐き出し続ける。
「生きていいかじゃないんだ、生きなきゃいけないんだ。死んでいった者たちの分まで私たちは生きなきゃいけないんだ。それをなんだ、おまえは。罪がどうだとか言いながら、結局本質から目を背け逃げてるだけじゃないか!」
「そ、そんなことな――」
「いいやある。お前は恐れているんだ。このまま帝都にいき己の所業を目の当たりにすることを、今まで護って来た者たちから侮蔑の目で見られることを。……そして何より、魔獣と出会ってしまう事をだ」
しばしの沈黙と、張りつめた緊張感が流れる。
「ふんっ」
「きゃ!?」
しかしやがてお姫様はペイッと乱暴にカノンさんを放す。
そしてそのまま冷たい瞳で、尻もちをつき悲鳴をあげる彼女を見下ろすのだ。
「お前の悲しみも、怒りも、恐怖も痛いほどによくわかる。逃げ出したい気持ちもな。だがしかしだ、だからと言って……ナルミが、私の仲間が命を張って救った命を『価値のないモノ』だという者を、あたしは絶対に許さないからな」
それだけ言うとくるりと身を翻すとのっしのっしと大股でそのままこちらの方へ歩みを進める。
「逃げ出したいなら逃げても構わん。むしろ戦場で邪魔になるくらいなら今ここでいなくなってくれた方がありがたい。女王の名において、決して責めることがないという事もここに誓おう。だがしかし、これだけは忘れるな。そのお前が味わった苦しみを今まさに受けている者がいるんだ。お前とは違い、いまだ救われず助けを求めているものがこの先に」
そしてシルバちゃんの近くまでやってくると、お姫様は彼女の後ろに回ってぎゅっとその小さな背中を抱きしめる。
「……そして私は信じている。私たちは今苦しんでいる彼らを助けるためにここにいると。そう言う運命の為にここに私たちが立っていると。それは私であり、シルバやナルミでもあり、そしてお前たちもだということを」
シルバちゃんの肩越しに、先程の冷たいモノとは違う、暖かく真剣なまっすぐな瞳がカノンさんを射抜く。
そこには強い意志と、確かな信念を感じる気がする。
「……それは、卑怯よ」
数旬の沈黙の後、先に声を上げたのはカノンさんだった。
彼女は立ち上がり、尻についた土を払うとゆっくりと口を開く。
「そんな事言われたらぁ、お姉さん、頑張らなくちゃってなっちゃうじゃない」
どうやらいつもの調子が少し戻ったようで、彼女の飄々とした雰囲気も戻って来た。
「頑張ればいい。もともとお前に罪はないんだ。しかしそれでも罪を感じるというのなら、敵を打ち倒し、虐げられてる民を救う事こそが、今お前ができる一番の贖罪となるだろう」
お姫様の言葉を聞くと、彼女は涙で濡らし赤くなった目を細め、遠くを見るように空
を仰ぐ。
「そら、キレイねぇ」
ん? あぁ、まぁ確かにね。
見事な快晴だ。真っ青な空が清々しい。
「全く、あたしを誑かす人がいる日は決まってこういうお天気なのよねぇ。呪いかしら?」
クスクス笑いながら、彼女は顔をまっすぐ向ける。
そこには迷いも悲しみもない。ただしっかりと決意を抱いたのだなという表情だ。
「誑かすとは心外だ」
彼女の表情を見て安心したのか、お姫様もご機嫌な猫のような顔をしながら少しおどけた声そうで答える。
ついでにシルバちゃんの肩に顎を置いてリラックスする。
おい。それはさすがに急にだらけ過ぎと違うか?
「ふふふ。そうかしらぁ? 敵国のお姫様にそそのかされて仲間になるのよ? じゅぅぶん誑かされてるわぁ」
「ふむ……そう言われたらそうだな」
はっはっはと二人そろって笑いだす。なかなか仲のいいことだ。
そしてひとしきり笑った後、カノンさんはお姫様に近づいてスッと足元に跪いた。
「あたしはカノン・エヴィ・アルディノ・ジャコランタ。エンダルシア帝国の四将が一人“蕩け窯”のカノン。今このときよりあたしはあなたの窯となりましょう。エリザ・ルル・トゥインバル姫の名もとで魔と深淵の叡智を振るう事を誓いますわ」
茶化しちゃいかれんのはわかるが『窯となりましょう』というフレーズが個人的に謎ずぎて……。
あとこのままの構図だったらシルバちゃんに跪いてるように見えるのがなぁ。
「ふふん、期待しているぞ」
「必ずや、ご期待に応えて見せますわ」
……どうやら、なんか解決したっぽい。
なにがどうしてなんでこうなったのかはわからんが、うん。もういいや。
でもねでもね、これだけはどうしても言わせて。
話の論点変わりすぎやね。最初自分に身体で云々とか言う話と違うんかったんか。
いやいいんだけど。手を下すことなく勝手にはぐらかされるのは実に良い事なのだけど、なんというかこう、釈然としない。
感情が先行するとこうやって最初のお題を忘れた結論に行き着くことはままあるのはわかってるけどさぁ。
あと拒否っておいてなんだが、ちょっと自分の中にいる最低な男の子の部分ががっかりしてることに自己嫌悪。
「しかし、やぁっぱりトゥインバルのお姫様は噂に聞いていた通り美人さんねぇ……従者の歌姫ちゃんも、かわい」
「うむ。もっと褒めていいんだぞ」
……まぁ、とりあえず彼女が問題なく自分らの仲間になってくれるようで、うん。いいんじゃない?
「ぬわー! はなせー!」
「ふふふ……小さいとやっぱり抱き心地がいいわね」
でもお姫様の背中に抱き付くのは打ち解け過ぎだと自分思うんだ。
「くっ……お、おもっ、つっ」
そして二人の全体重がかかるシルバちゃんが苦し気な顔を……やめい。
「ほら、シルバちゃんがかわいそうでしょう? やめたりなさい」
「きゃっ」
「ぬおっ!?」
二人を猫のように後ろ襟を掴みひっぺかす。まことに色気のない光景だ。
さすがに地に足つくくらいには調整しますがな。
しっかしこいつらは、少しは考えなさいよ。
「シルバちゃん苦しがってたでしょ。気ぃ付けなさい」
「はぁい」
「むぅ……すまんな、シルバ」
素直でよろしい。
「ふぅ……あ、その、ありがとうございます」
「うむ」
そしてお礼をちゃんと言える人は好きだよ自分。
「……やっぱり違うなぁ」
そう思いながらちょっとだけ満足げに頷いていると、不意にそんな声が聞こえてきた。
声のする方向を見ると、それは今まで静かに傍観の姿勢を取っていたアニスさんの……ごめん。素で存在忘れてた。
で、何を忘れてたの?
「ハセガワ様」
うん? 自分?
「はいはい。なんでしょ」
「その、こういうのを聞くのも変ですが、今の状態がハセガワ様の『普通』の状態ですか?」
……うん?




