78・白い歯と長い舌
*out side*
「皆に集まってもらったのはほかでもない。ナルミについてだ」
ナルミが眠ってちょうど丸一日経った頃。
バリスの馬車の中でエリザはそう高らかに宣言するのであった。
彼女が言うようにここにはエリザとバリス、そして一部を除いた各近衛とゼノアが肩を並べて集まっていた。
そんな光景を一瞥しながら、この馬車の主たるバリスはため息交じりに口を開く。
「……当のナルミはどうした?」
「私の馬車の中で転がしてます。スゥとテトラがいるし大丈夫でしょう」
「顔料で落書きされないか、それ」
彼はそう言い、胡乱とした目で妹を見る。
「スゥ、いや、今はシャドが御者ですのでその心配はないはずです。さすがにそんな事をする暇はないでしょう」
対してエリザはというと兄のベッドに腰かけながら得意げな顔をしてそう返す。
なお彼女の横には髪をおもちゃにされてるシルバがいるが、本人含め誰も気にした様子はない。
きっといつもの事なのだろう。
「じゃあほとんどナルミは一人で転がってるのか……それはそれで問題あるんじゃないか?」
今度はゼノアが声を出す。そこにはどこか呆れにも似た色があった。
「……きっとテトラが面倒みてくれます」
「ちょっと出たらこんなに人がいる状況で、あいつが屋根裏から出ると思うか?」
ゼノアの言葉に目をそらすエリザ。
周りからは『だよなー』とか『あれはもう病気だから』といった声が聞こえてくる。
「……まぁ、ナルミなら大丈夫でしょう。頑丈だし」
「もうちょっといたわってやれよ」
憐れみと非難の目が兄から妹へ向けられる。
「うるさい! そんなことよりナルミについてです!」
微妙な空気から気を取り直してエリザが声を張るが、どうにも緊張感はやってこない。
「でも転がして置いてくることはないだろう」
「毛布はかけましたよ?」
「いやお嬢、そういうことじゃなくてだな」
「枕は置いてきたか? 床に直寝だと首を痛めることがあるぞ」
「あ……いえ、忘れていました」
「だからゼノアもそう言う事じゃなくて……なんでこの兄妹は戦闘以外だとこうなんだよ」
バリスとシルバ、そしてゼノアの三人がそんな頓珍漢な話をしているのを、呆れたようにエリザは見つめる。
どうにも彼女が思ってるほど周りの者たちは真剣に考えていないようだ。
「……今回の件について、事と内容によってはナルミに聞かれるとまずい可能性があることと話し合う人数はなるだけ多くしたかったため、最低限の人員だけ置いてきたのです」
ため息交じりにエリザが言う。
すると少しは雰囲気を察したのか、どこか空気が張り詰めたものになる。
「どういう内容だ?」
最初に口を開いたのはゼノアである。
彼はエリザに促すように手を動かし、彼女の言葉を待っている。
「……今回は、『ナルミの正体』はなにかについて、皆に意見を聞きたく集まってもらった」
「人間だろ?」
エリザの言葉の直後、バリスが間髪入れずに口を開く。
が、彼女はそれを無視して話を続ける。
「正直私はナルミを侮っていた。伝説の種族、とはいえ人類だ。せいぜい常識の範囲内の存在だと思っていたが、先の二回の魔獣との戦闘、あれはもはや常軌を逸している。最初の一回はまだわかる。確かに魔獣を一撃で屠る所詮神器と呼ばれる武具は存在しているからだ。コスト、デメリット、あらゆるものを無視したら無理やりではあるが説明はつく。その後の獅子奮迅も、可能性としてはできないわけではない」
そこまで言うともはや誰も口を開くことはなく、エリザの独壇場と化していた。
皆が彼女の言葉を真剣に聞き、理解しているのだ。
彼女が言わんとしているそれは、ここにいる全員が心に抱いた共通の疑問であるからだ。
「しかし、今回の件に関してはもはや説明がつかん。どこの世界にあそこまで魔獣の猛攻を真正面から受け止めたうえで笑いながらねじ伏せる生物がいる? それも己の肉体一つで。波桁外れた防御力、理不尽なほどの攻撃能力、そして何より本来生命としてあり得ない魔力のない存在。どう考えても通常の生物であるとは思えない。人間とは何か、それの片鱗さえ私たちは理解しているとは思えない。さらに言えば、私たちはナルミの過去をまったくと知らないのだ。それらを皆と、話し合いたい」
しばしの沈黙。
最初にそれを破ったのはゼノアであった。
「……本人に聞けばいいんじゃないか?」
「すでにシルバがした」
「え? 私そのこと話しましたっけ?」
素っ頓狂な声が響く。どうやら名前を呼ばれた本人は本気で驚いたようだ。
「いや、スゥからの報告があった。ついでにお前が私が怒られているときに隠れてみていたのもな」
その言葉に、シルバは非常にバツが悪そうな顔をする。
「あの、それは別に隠れてたわけでは。ただ、その、余計なことをして油を注ぐことになるかと思って……その、さすがにあの空気で血を拝借しに来ましたとは、ちょっと……」
「別に責めているわけではない。あれはお前が出てこれないのも仕方がないとも思う。すべては私がナルミを酷使しすぎたが故のことだ。飲まず食わずの不眠不休で活動させるなど、罰を受けて当然だ。すっごく怖かったけど」
「……そんなに怖かったのか?」
不思議そうにバリスが問う。
するとエリザは視線を逸らしながら、ゆっくりと語りだすのだ。
「なんというか、感情の奔流といいますか、言葉ではむつかしいですが、人間が涙を流しながら目は笑い、声で確実に怒りを表しつつ嗚咽を漏らし口は白い歯を見せながら悔しさに歯を食いしばるさまは中々に狂気的でした。あれはただの私への怒りではない。あれはすべてを失ったものの己への後悔と無力感、そして何より絶望が入り混じったものです。虚無から出でる純粋な憎悪と狂気。これほど怖いモノはないですよ」
そう言って彼女はシルバを手繰り寄せ、後ろから抱きしめながらしみじみと呟く。
「あと、ナルミって口が大きいじゃないですか」
「……そうだな。俺の口の大きさにさらに半分足したくらい大きいな」
「で、すごい歯が白くて、歯並びがきれいじゃないですか」
「まぁ、そうだな」
「あと舌が長い」
「……そうなのか?」
「……食べられるかと思った」
「は?」
「あのきらつく白い歯と長い舌が目の前で蠢いて……その奥にまっくらな黒い穴が広がってて、生暖かい息が……あれ、絶対別の世界へ繋がってる。あの中に入ったら二度と戻れなくなる……こわい」
プルプルと、涙目でシルバを抱きしめながら思い出し怖がりをするエリザ。
対してバリスとゼノアはこのとき『あ、かわいい』とか馬鹿なことを思っていたそうだ。
ちなみに余談だが当のナルミは歯並びと白さについては好きなキャラクタの影響か、非常にこだわりを持って毎日徹底した歯磨きと歯間ブラシを忘れないというこだわりを持っている。
曰く趣味の一つらしいが、最近目下歯間ブラシが補充できず目減りしているのが悩みだとか。
さて、それは置いといて。そんな中ボソリと、今まで壁にもたれて沈黙を貫いていたフィーぽろっと心の内をがつぶやいた。
「……食べると言えばいくら勇者様とはいえ、不眠不休って常識の範囲内の存在へ対する扱いだったのかしら?」
その言葉に先程まで震えていたエリザは一転、間髪入れずにまるで言い訳をする子供のように早口でまくしたてるのだった。
「それはゼノアが『人間は4日くらいなら不眠不休の飲まず食わずで活動できると書物に書いてあった』と言ったのを真に受けてしまっただけで、そこに私がナルミをいじめようと――」
「セタは酒があれば4日間ほとんど寝ずに宴を開くほどに酒好きだ、たという記述があったとは言ったが、不眠不休とは言っていないぞ。飲まず食わずではない。逆に飲んで食っての徹夜だ」
が、ゼノアに待ったをかけられる。
「もっと言えばセタは飯と睡眠はしっかりとらないといけないと言っていたとの記述があるため、まったく真逆だな。待ってろ、今ちょうど読みかけの資料にそこら辺の記述があったはずだからを持ってくる」
「待てゼノア。セタよりまずナルミだ。な?」
立ち上がろうとするゼノアを必死に抑えるバリス。
ここで止まらなかったら都合二時間は拘束されるため、仕方がないといえば仕方がないことだ。
「ま、まぁともかく、それについては完全に私の勘違いからくる落ち度であり、弁明のしようもない」
「そうだな、うん。その通りだ」
必死に話を歴史関連から逸らそうとする兄妹。
そんな彼らに感じるものがあったのか、ゼノアはおとなしく腰を下ろして口を閉じるのであった。
「……で、そう、ナルミの過去だ」
内心で『なぜここまで話が逸れたのか』と毒づきながら、エリザは続けて口を開く。
「あいつの過去、そしてなぜここにいるのか。好奇心もないとは言えない。が、私たちは知らなければいけないと思う。あれだけの強大な力を持ち、人としての教養も知識も持ちながらなぜあいつは一人さまよっていたのかを」
その言葉に間髪入れず、シルバが少々興奮気味に声を上げた。
「しかし、先生は『悪いことして島流しにされたわけではない』と仰っていました。そのときの先生には、嘘をついている様子はありませんでしたし、無理に詮索する必要はないかと思います」
「ああ、そうだ。確かに私も、いや、ここにいる皆があいつが罪人であるとは思っていないだろう。しかし、だからといってそこで考えを止められるほど話は簡単じゃないんだ」
「それはどういう――」
「お前もあの場にいたなら聞いただろう? ナルミの言葉を」
エリザの言葉にシルバはグッと口をつぐむ。
思い当たる節があるのだろう、鳴海の過去へ触れなければならない理由に。また、その言葉に。
「仔細は違うが、あの時ナルミはこう叫んだんだ。『家族も友も、己の人生も何もかもを奪われてなかったことにさせられた。自分の価値とは何なのか、自分の居場所とはどこなのか』と。つまりあいつは過去に何かがあった結果、ここにいる。そしてそれはあいつでさえどうにもならなかったほどの、大きな何かであることは間違いない」
「……しかし、それは先生の問題です。私たちが無駄に詮索をして傷を抉るようなことはしてはいけないと思います。仲間とはいえ、踏み越えてはいけないところはあるのですから」
「それがナルミ一人で収まる問題ならな。しかし私はどうにもあいつ一人で解決できるとは思えない。それにそれを手伝うのもまた、仲間というものだろ?」
いかにもいい事を言った、とでも言いたげにウインクするエリザに対し、シルバは実に冷ややかな目をしている。
「……好奇心はあるけど怖いから聞けない、ってだけじゃないの?」
「……ないとは言わん」
図星のようだ。
そのまま沈黙が数秒流れるも、やがてじっとりと張り付くようなシルバの視線に耐えかね少しむくれすねるようにエリザが言い訳がましく口を開く。
「だって! こういう話ってどこでマチガイが起きるかわからないじゃん! お姉ちゃんはあいつに齧られそうになったことないからそう言う事言えるんだ!」
「最初っから踏み込まなければいいのに」
「でも気になるでしょ?」
「……それはそうだけども」
「ほらやっぱり」
先程までの真剣な空気はどこかへ霧散し、再び気の抜けた雰囲気があたりを覆う。
「ナルミが何者か、ねぇ……」
そんな空気の中、バリスはぼうっと天井を眺めながらひとり呟く。
そして次の瞬間には、思い出したように全員へ向けて口を開いた。
「とりあえず今わかってることをまとめてから話さないか?」




