60・お前にだけは言われたくない
自分は今、屋上で一人寂しくパンをかじっている。
目覚めて最初のごはんであるこのパンは、なんか涙の味がした。
というのもですよ、聞いてくださいよ。
あのね、ホントは自分も他の人と同じように食堂的なとこでご飯食べようと思ったのよ。だけどね、なんというかね、自分が行くとね、うん。
『おいおい、ホントに人間なんていたのかよ』
『ああ、しかも魔獣を一瞬で屠ってたぜ』
『恐ろしい。俺らみたいな魔族なら瞬殺じゃないか』
『おれあの人バジリスクって聞いてたぜ』
『俺はリッチとかジャバウォッカって色々聞いてたぞ』
『ジャバウォッカってお前、人間よりも信憑性あるけども……』
『でも本当にいたなんてとても……あ、こ、こっちくる』
という感じで正体ばれた自分はみんなに避けられ遠目で見られるようになったのだ。
ほんと、ガラスハートが砕けるぜ。
……はぁ、つらい。正体隠して過ごしなさいって言われた理由が今更ながらよくわかったよ。
つらいと言えば全くどうでもいい話だが、も一つ自分にとっては悲しいことがある。
自分が倒したあの魔獣とやらが自分の寝てる間に焼却処分されてたことだ。
なんでも残しておくといろいろ問題なそうで、速攻で死体を灰にしたのだとか。よくわからんけど。
あぁ、胸肉もも肉砂肝レバー、軟骨ささみにえんがわふりそで、手羽先手羽中皮ぼんじり。
もったいない、もったいない。確かに見た目はアレだったが、あのサイズの鶏なら希少部位も大量に取れるだろうに……はぁ。
「……はぁ」
……ごめん割とショックだわ。みんなに避けられると同じくらいショックだわ。
ネギと腹膜を塩コショウとニンニクとショウガで炒めて食べたい。
玉ねぎとぼんじりをみりんと酒と醤油で煮込んで鳥丼にしていただきたい。
砂肝を酒蒸しにしてレモン汁で食したい。
あぁ、お腹いっぱい焼き鳥が食べたい。
こうなればお城に一人で突入した時食べられそうな魔獣を見つけられることを期待しよう。うまくいけば新鮮なビュッフェだ。
いるかいないかわからんが待っててね鶏の魔獣ちゃん。手羽元をマーマレード煮込みにしてあげるからね。
「あ、先生。やっと見つけました」
「ん?」
自分が鶏肉に思いを馳せてると、後ろの方から声がした。
見るとそこには柔らかい笑顔をしたシルバちゃんが立っている。手にはバスケットをぶら下げて、いつものメイド服をなびかせながら。
「今から少しお話ししませんか?」
「別にいいけども」
ありがとうございます、と言いながら彼女は小走りでこちらに駆け寄り自分の隣へ腰かける。
そして自分との間にバスケットを置くと、まぁなんでしょう仄かな甘い香りが。
「にひひ、お菓子持ってきちゃいました」
いたずらっぽく笑う彼女……は、どうでもいい。お菓子とな?
バスケットの中を見ると、そこには黄金色の焼き色がついたクッキーのような焼き菓子。
やばい唾液がいっぱい出る。今自分が犬なら尻尾ぶんぶん振りまくってるぞ。
「お城から持ってきたの?」
「いえ、これは小麦粉と砂糖とバターがあれば簡単に作れるのでさっき作ってきました」
しかも女の子の手作りときたものだ。
……女の子の手作り。これは、期待できそうか?
今まで自分が味わってきた女子の手作りレシピで思い出されるのはあいつのせいでだいたいが炭の香りと焦げた苦味だからな。あと生焼け。強火教はもはや病気だと思う。あと湯煎くらい知ってろよ。
まぁなんだかんだ言って食べるけどね。
一つ持ち上げ口に入れる。うん、うん。
「あ、おいしい」
「えへへ」
ちょっと得意げにはにかむシルバちゃん。うん、いけるいける。
素朴で口当たりの良い砂糖とバターのシンプルな風味。口当たりの良い生地にサクサクの歯ごたえ。そして作り立てなのか仄かに感じる暖かさ。
うむ。いつかのバレンタインでどっかのバカが作った、バター大量投入して色々崩壊の上炭色に真っ黒っけっけになった中身生焼けのチョコクッキーとはえらい違いだ。
自分はまだ義理で少量だったからよいが、あれを全部食わされてた彼氏がかわいそうだったな。
「私いっつもお茶会とかではお菓子作っているので、こういうのは得意なんですよ」
「へぇ、すごいじゃん」
露骨な女子力アピール。あざとい。が、おいしいから許す。
あぁ、おいしい。サクサク。幸せ。
結構量あるし、これは鶏肉犠牲にして良かったかもしれないね。
……ん? これと鶏肉に因果関係はないか。
「それで先生。少し聞きたいことがあるのですが」
「うん、何でも聞いて」
今の自分は気分がいい。よほどでない限り何でも答えるよ。
とか思いながらクッキーをもう一枚サクッと――
「そうですか? では伺いますが……先生はどういった意図で姫様をお叱りになられたのですか?」
ポンと手を合わせ笑顔のままに彼女は言った。しかし、その可愛らしい瞳の奥には光がなく、なんか、なんというか、怒りとか狂気とか、えにも言われぬ負のなにか何かがぐるぐると……これあかんやつや。
確かに彼女は笑ってる。目もにこやかに弛んでる。しかしなんというか、感情がない。
ああそうか、彼女もやっぱりゼノアの妹だったんだな。ビビりすぎてクッキーこぼれたわ。
「……そうねぇ」
こぼれたクッキーを口に放り考える。
落ち着けー。これはなにが正解なのだ?
今彼女は自分がエリザ姫様を泣かしたがゆえにキレている。だからクッキーまで用意してここにやってきたのだ。
ね。しかも自分が全面的に悪いからタチが悪い。
ではどうすれば彼女を鎮めることができるか。どうすれば自分はこの娘に許してもらえるか。
……いや、うん。やめよう。
「言い訳はせん、お姫様に言った通りだよ。自分はただ八つ当たりにみたいなもので彼女を怒鳴り散らした、それだけよ。反省はしている」
下手なことを言うよりここはおとなしく認めよう。それが誠意だ。後から後から言い訳つなげるよりもこっちの方が精神衛生的にも世間体的にも断然いい。
「それは姫様が先生の怒りに触れることをしたから、という解釈でよろしいですか? 先生の憤怒の感情故のものと」
「……そうね。その時の気分も状況もタイミングも何もかもが悪い方にかみ合った結果だね。だから誰が悪いかと言われたらそれを制御できんかった自分だろう。いっくら追いつめられていたとはいえ、己を見失ってはいけないね」
「……そう、ですか」
フッと彼女は目を閉じる。そして再び開かれた時、その瞳にはいつもの柔らかな光が戻り、狂気の渦はどこかに消えた。
どうやら選んだ選択肢は正しかったようだ。あー、冷汗がやばい。
「すいませんでした、妙なことを聞いて」
「え、あ、いや。別にいいよ」
あはははは、と笑いながらクッキーを齧る。どうやら自分は正解を引き当てたようだ。なんで許されたかはわからないけど。
でもなんにせよこれでようやく――
「……失礼ついでに礼もう一つお伺いしたいことがあります」
「……うん?」
いつになくまっすぐな瞳で自分を見据えて彼女は言う。何かを決意したような、重大な決心をしたような声で。
え? なにまだなんかあんの? そろそろ穏やかにクッキー食わせてほしいんだが。
「私はあの場にはいませんでしたが、姫様から大体の事は伺いました。それを踏まえて先生の過去に何があったか、お話ししてはいただけませんか? 言えない、と言うならそれ以上は聞きません」
あー、うん。誰かから来るとは思ったがここで来るか。
うーん、自分が昔何があったかねぇ。ぶっちゃけ言った所で大して面白い話じゃあないのだよ。
一人のバカが生まれて育って友達つくって野原雪原駈けずりめぐり、遊びにバイトに部活にと精を出しながら生きていただけだからね。
平凡っちゃ平凡さ。ただここ数か月で自称神様に別世界に飛ばされたり猪に追いかけ回されたり盗賊倒したり国家元首にお会いしたり戦争の最前線に送られたりとしっちゃかめっちゃかしてるだけだ。
……そうね、神様ね。うん。
自分が彼女らにここに来た理由を正直に言えない理由はまさにそれなのよねぇ。
もしマジモンにこの世界で信仰されてる神様だとしたら、下手打ったら取り返しのつかないことになりかねないからね。
そうじゃ無かったとしてもだ、お姫様に自称女神云々の情報渡して宗教戦争の引き金引きましたったら洒落にならん。
政治と宗教とスポーツは慎重に慎重を重ねないといけない。最悪村八にされるからね村八に。
……そしてこの世界の文化をまだ完全にラーニングしていない自分にとって、最も地雷率と威力の高い宗教関連は非常に扱いにくいものでして。せっかくの味方が一瞬で敵に回る可能性を内に秘めた話なわけで。
……まぁ、あの女神かっこ笑いについてはぐらかしゃいいっちゃいいんだが、自分がここに来た根本的な事件なだけあって絶対どこかでボロが出るしそもそも話さないとお話が進まない。
なら公認で隠しておいた方がいいだろうなぁ。
「……ごめんね。今はまだ言えそうにないわ」
「構いません」
にこりと笑って答えるシルバちゃんの姿に、ちょっと心が痛くなる気がしないでもない。
「……まぁ、言い訳になるが別に君らを信用してないとか問題があるとかではなく、こっち側の問題だから気にしないでね。あ、自分が悪い事して島流しにされたとかでもないからね。そこら辺は安心してね」
「ふふふ。わかってますよ」
そのいたずらっぽい笑みは、言うなら親に全幅の信頼を置いた子供のそれのようなそれである。
「先生は悪い人じゃないって、ちゃんとわかってます」
「そう? ありがと」
そうは言うても結構利己的よ自分。空気読んでそんな事言わないけど。
「それに強くてまた教養もありますし、私は先生のこと信頼しています」
「ははは、お上手なことで」
「本心からです」
まっすぐな瞳がこちらを見る。
その紅く輝く瞳は自分の目を射抜きながら、内に秘めたる確かな気持ちを伝えてくれる。
「先生が人間だから、ではなく先生が先生だから私は先生を信頼しているんです。先生が今まで私にしてくれたこと、伝えてくれたことがあるから信頼しているんです。それは、先生自身が人間だからではなく、先生が先生だからやってくれた行為でありそれこそが先生の悩み、その答えなのではないですか? しかし同時に先生が人間であるという事もまた事実であり、それも含めて先生なんです。『人間』が『先生』ではないんです。『先生』が『人間』という属性を内包しているだけなんです。私はそれを含めて、先生を信頼しています」
その眼はこちらを真摯に見つめ、確かな自信と彼女の思いを――あー、うん、その、情熱は伝わったが、その、なんだ。
自分いつ君に何かしたり伝えたりしたかな? 本格的に心当たりないんだが。
えっと、その言い切った感満載のドヤ顔のまま待っててねちょっと思い出す。
あー……ほんとにどこだ? 自分に夢遊病の気はないし、あれか? よくある無意識フラグ建設とか……だったら食料として見られてねーよ。
あとは、なんか、その……どう考えても自分はこっちに来てからその日その日をのんべんだらりと生きていただけだと思うんだが。まったく心当たりが思い浮かばん。
「……先生?」
「ん? あぁ、そうね、うん。そう言ってくれると助かるよ。ありがとう」
危ない危ない、つい彼女のドヤ顔が真顔になるくらい考え込んでしまった。
しかしねぇ……考えてみたらこういう多種多様な種族がいる世界において、色眼鏡付けるなって方が無茶な話だよね。
自分だってお姫様はお姫様として見てるし、スゥ君はウサギとして見てるし、シルバちゃんは腹ペコ吸血鬼として見てる。種族や立場ごとに特性があるのなら、それを加味してみるのは人の性よな。
……そう考えると一番自分を色眼鏡で見てたのは自分自身かもわからんね。『どうせ自分の事人間としか見てないんだろー。住所不定無職にはそこしか価値を見出せないんだろー』って。
うむ。どう考えても一番価値を見いだせていなかったのは自分だね。
と、いう事はだ。自分はこれじゃあ最低の八つ当たり野郎でしょや死のう。
「えっと……私、その、もしかしてなにか、変なこと言いましたか?」
あぁ、自分が悩み自己嫌悪してる間の沈黙に耐えられずシルバちゃんが赤くなっていく。
そうだね、素面で言うには恥ずかしいセリフの後の沈黙って、遅効性の羞恥心がすごい勢いで攻めてくるよね。
自分も経験――あー、思い出したらより一層死にたくなってきた。
……あと、多分だけどもこれってさ。
「……シルバちゃん」
「は、はい……」
「さっきのセリフ用意するのにどれだけ時間掛かった?」
「ふぇ!?」
「クッキー寝かすのと焼き時間合わせたくらいかな?」
「え、あ、う、その、えっと……その、きの、あ、け、今朝から、です」
そう言って真っ赤になり俯き、恥ずかしそうに前髪の髪飾りを撫でるシルバちゃん。そうか、昨日からか。うん、ごめん。
正直この混沌とした気持ちをどっかへ投げるために軽くからかっただけのつもりだったが、こりゃだめだ悲劇しか産まねぇ。
というかわざわざ心配してきてくれた子にする仕打ちかよ。ほんと死ねよ。
「まぁ、その、からかう様なこと言ってごめんね。うん、あー、なんだ、自分の為にそんなに悩んでくれて、ありがとね」
とりあえず笑顔と共にとってつけたような言葉を向けてみる。
自分が逆の立場なら無言で去ってるかケンカ買うかのどっちか……うん? なーんで君はそんな嬉しそうな顔するのかな?
「そ、そんな、えっと、えへへ」
……自分やっぱりこの娘に食料としてではなく男性として好かれてるのかな?
なんかそう思ってしまうような屈託のない笑顔で彼女は――
「だって、先生はいっつも私のこと心配してくれますし、気にかけてくれますし、やっぱり、その、血を分けてくれますし、だからその、心配で……えへへ」
あ、はい吸血鬼様の非常食ごときがよからぬ妄想を抱いて申し訳ありませんでしたちくしょうめ。
だから女子って嫌い。いや女の子好きだけどさ。
……どこまで行ってもこの娘はぶれないというか変わらないというか。もうここまで一貫して食料扱いされるとむしろ清々しい。そういうの好きよ。
なんかもう悩むのが馬鹿らしくなってきた。適度に力抜けたというか、ドレインされたというか。
……まぁ、これに関しては問題解決を後回しにしてもいいだろう。というかそうそう解答が出るもんでもないしね。
なにはともあれ、彼女のおかげで少し軽くなった気が……うーん、まぁ、そういう事にしとこう。若干別の釈然としないものが残ってるが。
そう、彼女のおかげさ。すべてシルバちゃんの功績。考えるの面倒。
「そっか、あんがとね。なんつーか、言葉が浮かばんけども、うん。ありがとう、心配してくれて」
「いえ、私は、そんな……で、でも! 今度からなにかあったら言ってくださいよ! 一人で抱え込んだら体に悪いんですから! 私たちは仲間なんです! もっと頼ってくれれもいいんですよ!!」
あーぶれない。そうだね、ストレスは内臓とかに影響するからねー。内臓機能は血液の成分に直結するからねー。
しかしまぁ、そういう本音もひっくるめて全部本心なんだろうなぁ。これが嘘だったら自分人間不信に陥るわ。
……ん? でもこの場合相手が人間じゃないから――なに不信になるんだ?
そうこうするうちにクッキーもなくなり、さぁもう帰るべと自分とシルバちゃんは笑顔で室内へ戻るのであったー。
と、それで終わればすべてが平和、まんまるに収まる素敵な未来だったのだがねぇ。
「……どう思う?」
「最初から最後まで演技臭くて逆に変には見えませんね」
「胡散臭いのは最初会った時からだけどねぇ。特にあの笑顔。……さて、そんなナルミ君はいったい敵か味方か」
「あの人自身は敵ではない、と思いたいですけどね。正直僕は疑っています。タイミングが良すぎる。今回の戦争もそうですけど、昨今の世界で起こる妙な事件。果ては教会の予言者の予言。何か、あるような気がします」
「それについては同意だね」
「はっきり言って一人で敵地に送るのは反対です。目の届く範囲にいてほしい。もしも彼が敵だとしたら、僕たちを陥れる何かだとしたら……」
「そう? 僕はそうは思わないな……後ろに何が潜んでいるかはわからないけど」
「後ろがどうか、目的が何か。それを見極めないままに送るのが怖いんです……最悪、裏切られるかもしれない」
「でもナルミ君を送らないと、恐らく敗ける。よしんば勝てたとして、何人死ぬかはわからない。敵の戦力が未知数なんだ。まぁなんにせよ今は様子見しかできないし、ここでナルミ君と表だって敵対するわけにもいかない。いつも通りにするしかないだろうね。ただしいつも以上に観察しながら」
「……本当に味方なら心強いんですけどね」
「本当に、ねぇ」
スゥ君、リム副隊長。人間の聴力なめたらいかんぜ。
いくら隠れていたとして、自分が扉の向うに消えたとして、そういう話はもっと警戒してからしてくれなきゃ。
正直最初の声がたまたま耳に入らなかったら気付きもしなかっただろうけどね。多分聞き耳クリッたんだろう。
とりあえず、あの二人の行動がお姫様の命にせよ独断にせよ、その判断は正しいと思うよ。
自分もバイト先に住所不定無職を通り越して国籍不明パスポートなし入国ルート一切不明の不審者が来たら警戒するわ。
が、実際疑われるとキツイものがあるね。というか知りたくなかった。
あと予言ってなんね。意味深な。
「……先生? どうしました?」
「んにゃあ、心配してもらえるって幸せだなって思ってね」
「え? あ、いや、そんな……」
さてさてそうしたもんか。
本当に今後の身の振り方を考えんとねぇ。
……しっかし自分ってそんな胡散臭いか? 今までそんなこと言われたことがないんだが。
というかリム副隊長、お前にだけは言われたくない。




