51・姫騎士
……あー、うん。飛龍っていうのはあれだ、要はドラゴンの親戚みたいなものだ。
ただ扱いが魔族としてのドラゴンでなく、魔物としての飛龍。人間でいうところのチンパンジーと同じような関係だ。
そんな飛龍は大きく賢く、空まで飛べてそして強い。野生の飛龍はそれ単体で災害に匹敵するものもあるが、反面飼いならすことができれば非常に強力かつ優秀な戦力になる。
たとえば最前線で敵と戦うだとか、人や物を高速で輸送するだとか……輸送、うん。
ここで問題だ。ジェットコースターみたいなスピードでなおかつ揺れまくる乗り物に大体四時間乗ってたらどうなるでしょう? うっぷ。
「うっぷ……おえっぇぇぇ」
「大丈夫ですか?」
「だいじょうぶじゃない……おふっ」
正解はこうなる。
……もう、恥も何もなくただただ自分は到着した砦の近くで吐いたり悶えたりしているのだ。
隅っこで隠れるように胃酸を撒き散らす様はなんと滑稽な事か。
いいこと教えてやろう。自分は揺れる乗り物と海が嫌いだ。
正直、シルバちゃんの優しさが痛い。なんかごめんね自分ダメな人間で。
「……ナルミ、お前はもうそこで休んどれ。そして明日から働け。シルバ、介抱してやれ」
「あ! はい!!」
「……そうする……ふっぷ」」
そしてありがとうお姫様。あなたのご厚意に感謝します。
「全く、人間の癖に変なところに弱いなお前は。そういう所で人らしさをアピールしなくていいんだぞ」
撤回。感謝なんかしねぇ。それどころかはっきり言って八つ当たりだが一言だけ言わしてもらおう。
よくもあんなものに乗せたなチクショウ。
こうして、自分は一人さっさとログアウトする事になったのであった。
……あ、ちなみに王子様もこちらに付いて来ようとしていたが、顔面に王妃様のストレートがめり込み不参加となったようだ。
さすがに王族二人も最前線に放り込みは……おえぇ。
あーもうだめ。お家帰る。
*out side*
「飛龍から見ていて思ったが、やはりひどいな」
目的地に付いて、酔ったナルミを休ませてからエリザがまず最初に見たのは変わり果てた大地の姿だった。
山が、一部消し飛んでいるのだ。見事に、丸く切り取られるように。
同時に人的被害も聞いていたよりさらにひどい。
全体の二割はひどい負傷をしている。ほとんど壊滅的だ。
情報の錯誤と予想以上の被害に頭を抱える。もうちょっと正確に情報を伝えられなかったのか、と。
これは報告よりも、明らかに酷い状況である。
「何があった?」
とりあえず近寄ってきた砦の責任者である大男、牛鬼のダリに説明を求める。
他の兵と同じように彼もまた、疲労の色を隠せないでいる。
そして、彼は信じられない事を言った。
「……魔獣です」
「本気か?」
「奴らは、魔獣を召喚して襲って来ました。それも二体も、いきなりポンと。一体は空を飛び魔法を操る後衛のもで、もう一体は地上を歩き直接攻撃をしてくる前衛のものです」
彼はそう平然というが、それに対してエリザは困惑した顔をする。
「……よく生きていたな」
「運がよかっただけです。誤射かなにかはわかりませんが山を消すのに力を使っていたのでなんとかなりましたが、次に来たら俺達だけではもう持ちこたえられませんでした。あと同時に出てこなかったのも幸いでしたね」
信じられない、エリザはそう思いながら頭を捻る。
魔獣とは、何者かの手によって造られた魔物と、突然変異等で魔物が変化したものの二種類ある。
そしてだいたいが自然に存在する魔物とは違い異形の形をしていて、並外れた力とおかしな魔力を持ってるのだ。
しかし、だ。
「……奴らに、魔獣を召喚するだけの力があるのか? あんな化け物をを、しかも二体も操れるなんて規格外もいいところだぞ」
そう、召喚をするには呼び出した者の魔力が呼び出された方の魔力より大きくなければいけない。
さらに操るなら、召喚に使った魔力以外に、残りの魔力で呼び出した魔物なり魔獣なりを押さえ付けて従えなければいけないのだ。
実際に必要な魔力は呼び出す方の魔力の三倍が必要なのだ。
並の魔族では出来るはずが無いのだ。
「一体どうやって……」
あちら側に最上級の魔獣を呼び出す事が出来る魔術師がいるという情報なんて聞いていない。
そう思い思案していると後ろから――
「複数の魔術師が共同で召喚した可能性は?」
そう、ゼノアの声が聞こえてきた。
いつの間にか壁にもたれながら話しを聞いていたようだ。
「普通の魔法ならともかく、召喚魔法はそう簡単にはいかないはずだ。それに魔獣ともなれば数百単位の数の魔術師を扱わなければならんし、集めてもそれぞれの魔力の波長が会わなければ不可能だ。世界中捜しても、共同で召喚魔法を使えるほど数の波長が合う魔術師はそういはしないだろう。というかこんなことお前もわかっているだろう?」
「可能性の話だ」
おどけたようにゼノアが肩を竦めるのを見て、エリザはため息をつきながら口を尖らす。
「らしくないな。お前はいつもこういうそうありえない話は大体最初に考えから排除していたのに」
「そうやってて何度も痛い目を見てきたからな。さすがに学習した」
そう言いながらゼノアは鼻を鳴らし、少し遠くを見るような目をしながら言葉を続ける。
「あと最近ありえない非常識の塊みたいな奴と知り合った」
「あぁ……」
エリザは呟きながら、黒髪のにやけ面を思い出す。なじみ過ぎて忘れていたが、生きているのか死んでいるのかも分からない存在がそう言えばいたな、と。
「一つ、悪い知らせがある」
「なんだ?」
「飛竜で探せる範囲では敵の野営地が見当たらない。どこかに隠れているかはたまた魔獣だけで来るか」
「……動向が全くわからないな」
そう呟くとエリザは再び思案を始める。
そして考えるポーズのまま、ダリへと指示を飛ばすために口を開ける。
「……とりあえず、不安要素はあるが召喚魔法相手ならある程度対処は知っている」
「身を持ってな」
「うるさい」
茶々を入れるゼノアを睨みながら、エリザは言葉を続けた。
「ダリ、これから言う事を今動ける兵士達にやらせてくれ。魔獣二体もの魔力を回復するのに一日二日で出来るとは思わんが、魔獣を二体召喚という非常識なことをしたのだ。すぐに何か、それこそまた魔獣を召喚するとかやって来ないとも言い切れん。なるべく早くたのむ。あと重傷者について、この後回復を行うから混乱が起きないよう順番をあらかじめ決めておいてくれ。腕くらいならくっつく」
「わかりました。いやしかし姫殿下はさすが心強い。魔獣召還の対策まで知っているとは、感服いたします」
恭しく、頭を下げながら言うダリを忌々しげに見つめるエリザ。
そこには彼に対する不信や不満ではなく、もっと別の物へ向けられた感情が渦巻いていた。
「ふん、褒めても何も出んぞ」
「いえいえそんな、ただ『机上の姫騎士』様が直接指揮を執っていただけるとなると、兵の安心感も違いましょう。もっと言えばかつて魔獣を退け、国を、世界を救った知略の姫。これほど心強いことも他にありますまい」
「……だといいがな」
エリザはどこか不服そうにそう答えると、ダリに今後の指示を出して行動に移させる。
そして彼がいなくなったのを見届けると、近くにいるゼノアの元へとフラフラと近寄ってそのままポフリと背中を預けるのである。
「……『机上の姫騎士』か、忌々しい」
ゼノアに頭を撫でられながら、彼女は憎々し気な声を上げる。
机上の姫騎士。それは『癒し手』とは別のエリザの二つ名である。
膨大な知識と優秀な知恵を用いて敵と退治する事なく勝利を収める。かつて三度の争いにおいてその知恵と策略でいくつもの勝利を勝ち取ったた功績を称え、そして二度魔獣による災厄を教会から聖騎士の称号と共に与えられた名である。
そして彼女はそれを呼ばれるのを良しとしないのだ。
「そういうな。一応、名誉なことだろう?」
「むぅ……教会は嫌いだ。あれほど内情がドロドロしたところと関わりたくない。今もいいうわさは聞かないしな。あと経緯も嫌。なにが悲しくて他国の戦争に巻き込まれた時の二つ名が広まっているのだ」
「……確かになぁ。確か7歳との時だったな。あ、シルバも一緒にいたはずだ」
「ああ。両方外交の勉強のためお前のお父上についていった時だ」
「……大変だったなあの時は。お前とシルバがその国の姫と共に誘拐されたり」
「で、お前が単身潜入して助け出したりな。あれはお前が優秀すぎたのか相手が愚かだったのか……いや、ランドルフ家が優秀すぎたんだな。シルバもあの時大人相手に大立ち回りして無傷で勝利してたし」
「……まぁ相手国だけではなく他の国の姫を誘拐して敵を追加するあたりあまり賢い連中じゃぁなかったとは思うがな。だがむしろ俺は脱出する直前まで冷静に情報を集めていたお前のほうが優秀だと思うぞ」
「よしよし、もっと褒めろ」
「じゃあその情報を分析して先手先手を打てる策を出せたお前のほうが優秀だと思うぞ」
「ふふん」
「その結果机上の姫騎士だもんな」
「……言うな。それになんだかんだ言っても実際はたまたま情報が揃ってただけだ。というかよくあの国は他国の姫、それも子供の言葉を信じ込んだんだろうな」
「さあ? バカだったんじゃないか? 内情がわからないから何ともいえないが」
「そうだな、そう思っておこう」
そこまで会話をして、エリザが急に息を吐く。
そしてそのまま不安げな声で言うのである。
「……今回の戦争、大丈夫かな?」
「なんだ柄にもな――」
ゼノアの言葉を遮るように、エリザはその場で振り向き顔を埋めるようにゼノアに抱きつく。
「……正直、怖い。魔獣が来るとは思わなかった。あいつらを二体も同時には、さすがの私も不安になる。あんなもの、もう二度と相手にしたくない。あんな光景、もう見たくない。というかそれを相手にここを防衛したあの責任者に全権委ねた方がいいのではないかと思ってしまう」
珍しいエリザの泣き言に目を見開くバリスだが、すぐにその心情を察し彼女の頭を優しく撫でる。
「確かに面倒な相手だからな。なにせ人の心に直接悪影響を及ぼす。しかもそれが二体同時と来たものだ。そんな規格外を相手にするとなれば、お前が不安になって当然だ」
魔獣の持つ魔力は歪んだ魔力。
そんな魔獣から漏れ出す魔力は人が持つ魔力にも干渉し、不快感や怖れなどの負の感情を少なからず呼び起こす性質を持っているのだ。さらに強力な個体ともなると、その影響はより強いものとなる。
「……うん」
「しかし、魔獣となるとバリスの奴を呼び寄せるのが一番じゃないか? あいつの精霊は、魔獣に対して有効だ」
魔獣に対する数少ない対抗策の一つである『精霊』。歪な魔力を正常なものへと変えることができる『生きた魔力』である彼らは、魔獣と対にある存在とされ、最も効果的な対策であると言われている。
そしてバリスはそんな精霊たちを操ることができる『精霊使い』であり、こういう場には真っ先に呼ばれるのが常であった。
が、エリザは小さく首を振ってその案を否定する。
「それはダメだ。何が起こるかわからない状態で兄様を呼んでやられでもしたら、本格的に国を護る手段がなくなる。もっと言えば相手は転移魔法もつかえるのだ。最悪の最悪、直接王都に魔獣が襲って来る場合も考えられる。兄様を呼ぶのは事態の把握ができてから。今はとにかく、情報が足りないんだ。切り札はここぞというときに使わないとな」
「なるほどな……」
「まぁ、その切り札もどこまで通用するかわからないがな」
彼女の顔に影が差す。様々な思いを巡らし、マイナスの方向へ考えが傾いている顔だ。
そんな彼女に、ゼノアは励ますように声をかけた。
「しかしお前はそんな魔獣を過去、二回も打ち破った――」
「あんなの、打ち破ったなんて言わない!」
エリザが声を荒げ、顔を伏せる。
「あんなの、あんな犠牲を払ったもの、勝利なんて言わない! 死んだ森、腐った大地、千切れた兵に狂った人々! 怨嗟と憎悪の炎に包まれた戦場に、残ったものなんて、何もないじゃないか! あんな、あんな恐ろしいもの、もう、二度と――」
その表情は恐怖で引き攣り、肩を小さく震わせている。
そんな彼女の姿を見て、ゼノアは優しく頭を撫でながら声をかけた。
「でも忘れてるようだがこちらにも充分規格外はいるぞ?」
彼のおかげで幾分か落ち着いたのか、エリザは先程より幾分か落ち着いた声で彼に応える。
「……ナルミの事か? いくら人間とて複数の魔獣相手にはどうすることもできまい。魔獣は一体に一軍隊を当てるべきものだ。まぁそれでも一体は任せることになりそうだがな」
「そうか? 俺は案外両方いけると思うぞ?」
「ふん、気休めはよせ」
そう言いながらエリザはゼノアへと深く体重を預け、頭を撫でる彼の手を取りその手を重ねる。
「……あの時から、ずいぶん経つなな。私たちがこういうことに巻き込まれるようになってから」
「エリザ……」
「さて、と」
彼女はそういうとゼノアから離れて伸びをする。
その表情はいくつかすっきりしたようにも見える。
「ま、話して少しすっきりした。私の裁量に国の未来が掛かっているのだ。やるしかあるまい。なぁに魔獣の一匹や二匹私に掛かれば案外なんとかなるさ。それに最悪、お前とムーと、あと複数人実際に魔獣を討伐した実績があるものもいる。うまく嵌ればいけるだろう。兄様の精霊もいることだしな。『劇団』を舐めるな。今度の舞台もしのぎ切ってやる」
しかしその声は明らかな空元気であり、少し気を抜けば再び不安に押し流されそうな脆いものであった。
「エリ――」
「ま、そんなわけだからゼノア、何かあったときは期待しているぞ。じゃあ私はもう行く。そろそろ重傷者の手当てをしなければならないからな」
そして、エリザの声を聞いたゼノアが声をかけようとした所で、それより先に彼女はそう告げて逃げるよう駆けて行く。
後には、エリザを心配する一人の男が残されるだけであった。
そしてそのまま着実に作戦の準備を進め、その日一日は過ぎていった。




