43・ブーメラン
実に楽しく欝々とした連休初日が過ぎ去り、雲一つない二日目がやって来た。
朝の陽光が顔を照らし、爽やかな風が肌を撫でる。頭の低い太陽と独特の空気から恐らく今はまだ朝も早い、6時とかそこらの時間だろう。夜中にやれる娯楽がないとここまで規則正しい生活ができるとはね。自分びっくり。
「おはようございます、先生」
そんでついでに自分に朝目覚めたら女の子が枕元に座っているという、恋愛ゲームよろしくなイベントが日常の中に組み込まれることになろうとは。あちらの世界にいた頃には考えられなかったというか、妄想の中にしかなかった世界だ。
という訳で朝も早よからベッドの縁に腰掛けるシルバちゃんがいるわけで。その理由は一つしかないわけで。
「さっそくで悪いですが、よろしいですか?」
「いいけど、よく飽きないわね」
朝起きると既に皿の上に盛り付けられたディナー状態というのももうだいぶ慣れた光景だ。というか朝と言わずほぼ毎日いかなる時でも自分は彼女の、もとい吸血鬼の非常食なのだ。もはや文句も言うまいて。
昨日なんてあれよ、廊下歩いてたらシルバちゃんにいきなり物陰に引っ張られて『ごめんなさい、先生のを、いただけますか?』って上目遣いで言われた後に吸われたからね。自分が壁を背にして、傍から見ると壁を殴らない方の壁ドンである。どこか官能的だった。
対してゼノアは色々ひどかった。昨日あの後、部屋を出てしばらくしたらいきなり物陰に引っ張られて『すまん、やはりもう、辛抱できん』とかまっすぐ目を見られながら言われたときにはどこか危機を感じたからね。息荒いし、何より壁に押さえつけられたし。傍から見ると男同士の壁ドンである。腐った人が見たらどこか官能的だったかもわからん。
めっさ怖かった。顔面的な意味と貞操的な意味の両方で。
……しかしこの二人、行動もそうだが物陰に隠れる理由が揃って『人の邪魔になるから』っていう理由だからやっぱり兄妹なんだろうね。人を思いやることはできるが、目撃されたらどう思われるのか考えていないあたり特に。
まぁとにかく、何がいいのかようけわからんが自分の血は吸血鬼にとってとてもおいしいものだというこった。
「ふふふ。飽きるなんてとんでもない、すごくおいしいんですから」
「そりゃどうも」
非常食冥利に尽きるよ。
「では、いただきます」
その一言と共に寝転がる自分の頬と肩に彼女の手が触れ、暖かな吐息と湿った舌、そして柔らかな唇が首筋を撫でる。
そしてその次の瞬間には硬く鋭い牙がチクリと肌を刺す刺激と、少しずつ自分の命を吸いだされる独特の感覚が感じられる。さすがにもうだいぶ慣れた。
慣れたが、うん。毎回思うが一度寝汗くらいどうにかさせてほしいんだよね。臭くないんか?
……まぁベッドの上で風呂上がりの男に女の子が抱き付く形で密着するとか、割と色々アウトな絵面だと思うけどさ。
とか思ってるうちに彼女はその食事を終え、少し荒い息を吐きながら首筋から離れていく。舌なめずりをする口から血と唾液の混じった液体が糸を引く姿はどこか艶やかで、妖しい美しさが……ねぇよ。おいこら君は最近いっつもいっつも食後に口から血ぃ流してからに、子供じゃないんだから。
「君は毎回毎回……服に付くベさ。ほら、拭いたるから動くなよ」
言いながらハンケチを取り出し彼女の口を拭ってやる。
あぁ、赤くなってしまった。ちりかみにしておくんだった。
「ん、ありがとうございます」
なぜ満足そうな顔をする。
「なーに喜んでんだ君は」
「あたっ」
軽く頭にチョップする。しかしその表情筋はどう頑張っても嬉しそうだ。なんなんだろうね。
「気ぃ付けなさいよ」
「はぁい」
とりあえずそれだけ言って自分は彼女の頭を撫でながらベッドから立ち上がり――なにやっとんの自分。女子の頭をそうやって撫でるって、セクハラだべさ。
いや、うん。彼女が何も言わないならいい――
「……あの、先生」
「は、はい?」
な、なんでござんでしょうか?
「突然ですが今日、お暇ですか?」
え? あ、今日? あ、うん、そうね。
「正直何にもやることないです」
最悪一日寝てるだけとかになってたレベルでなにもない。ほんと、娯楽がないって寂しいね。
「そうですか。実は私、色々必要なものがあり街の魔道具店を巡ろうかと思っているのですが、一緒に行きませんか?」
「魔道具店?」
つまりそれって、あれか、あのよくある――
「魔術に関係する道具を置いているお店です。色々と面白いものがあるんですよ」
そう、きっとあれだろ。よくあるRPGの杖とかそういうのが置いてるところだろ? やっぱファンタジーしてるよねこの世界。すごく興味ある。
「あ、あとお昼はとてもおいしいミートパイを出すお店があるので、そこに行きましょう」
「いく」
パイは何より大事。
「わかりました。それでは……そうだ、時間も時間ですし、朝ごはんもどこかに食べに行きませんか? もちろんお金は私が持ちます」
「いく」
美味しい朝ごはんはもっとも大事。タダ飯大好き。
「それじゃあ早速行きましょう」
そう言いながらシルバちゃんはすくっと立ち上がり、自分の手を引いてってこらこらこら。
「ちょっち待ちぃや。まだ自分寝巻から着替えとらんべさ」
さすがに甚平で外歩くのはないです。
「そうですか……わかりました、ではお着替えが終わるまで待ってます」
そうそう、それでいいん――おい、なーに君は当然のようにベッドへ腰かけとるんかな。
「……なにしとるか」
「え? お着替えが終わるのを待っています」
「自分が脱ぐのを見たいと申すか」
「私は気にしませ――」
「てい」
「あたっ!」
そのきれいなドヤ顔へとチョップがを落ちる。ついでにベッドからも落ちる。コントか。
「出ていきなさい」
「はーい」
自分の命令に従い、彼女は若干むくれながらトコトコと部屋から出ていく。まったく、どういう教育しとるん――
「おかしいなぁ。お兄様は私や姫様がいても平気で着替えるのに……」
おい。それはいったいどうなんだ。
……ま、とりあえず、だ。
いつも通りそろそろクリーニングに出したい詰襟へと着替え、雨合羽と帽子とゴーグルを装備して部屋を出る。
ちなみに別にオフの日くらい普通の格好すりゃいいじゃんって思うかもしれないが、一応言うとあれよ。視点の問題よ。
要はコスプレの集団からしたら街中でジーンズとパーカー着込む野郎がいたら浮く。そういう事だ。
これでも十分浮きまくりですがねー。慣れの問題ですねー。なお昨日買った服についてはこの時すっかり忘れてた。
そんな訳で着替えを済ませ、お腹がすいたと思いながら意気揚々と部屋を出た。
するとそこには当然シルバちゃんが……シルバちゃんが、すっごい嫌そうな顔しながらこっち見てた。
これは断言できるが、別に自分が嫌いだからとかの嫌な顔ではない。恐らく、いや絶対に原因は彼女の後ろの、うん……うん。
「私も行く」
そこにはシルバちゃんを後ろから抱えるように立っている緑髪したメイド服の女性がいた。
それは、誰だっけ、見たことあるような気が、えっと、そう、王子様の近衛の、あれだ。フィーさんとかいうエルフ耳がいい顔をしながらメイド服着こんで立っていた。なぜだ。
「私も行く」
そうシルバちゃんを捕捉しながら主張する彼女の腰には二振りの剣がクロスさせるように装備されており、身体を揺らすたびに小さく金属が擦れる音が響く。結構装飾の利いた鞘から、多分良い装備なんだろうと思うんだが、こうやって擦れるような扱いでいいんだろうか。
で、そんなメイド剣士のフィーさんが、いかにもそういうゲームで次のシーンではオークとかにいじめられそうな自信に満ちた顔をしながらシルバちゃんを――
「私も行く」
わぁったから。しつこい。
全くもう。さてしかしこいつどうすんべ。とか自分が考えてると、抱えられたまま身動き取れないシルバちゃんが小声でボソッと呟くのである。
「こんな早朝から先生のところに押しかけてきて……非常識じゃないですか」
気持ちはわかるがねシルバちゃん、頭にでっかいブーメラン突き刺さってんぞ。