39・取引成立
「『恋』とは、いわば芽吹き。最初は小さな、誰も気にもしない弱くかすかな小さな芽。些細なことで命を宿したそれはしかし気づかぬうちに陽を湛え、命を燃やし天へ向かって優雅に、美しく育っていく。そしてやがては大輪の雄大な華を咲かせる。芽吹きに気付かなかった者たちの心にその存在を刻むように。それが『恋』というものなのです」
「まぁ、それもあの本の?」
「ええ。『雪原に咲く華』の185ページ、第4章『涙の結晶』から引用しました」
「あなたも好きですね」
「あの方の本は乙女の聖典、これくらい嗜みですわ」
「あら、そう」
「そしてその小さな芽吹きを起こす聖水を作るには、その月光花の蜜がどうしても必要なのです。で、シャドさん。そんな訳なので月光花の蜜を――」
「できませんわ」
「シャドさん!」
……なんというかなんというか。これはいったいどうゆうこった。
とりあえずシスターが電波を吐き散らしてるのに対して、シャドさんが慣れた様子で受け流しているのがよくわかる。
シスターの主張をどストレートに要約すると『月光の花の蜜で惚れ薬と媚薬作りたいからよこせ』ということらしい。ほんとこいつろくでもないな。
「最近の若い娘ってのは大変だねぇ」
そして後ろではそれを他人事のように見ながらものを片す婆様がひとり。実際他人事だからいいけどさぁ。
「……あれ、代用品とかないん?」
「あぁ、普通の素材ならそこらの素材屋とか薬屋にいけばあるだろうさ。ただあれはそこらの店には置いていない強力なものだ。だからああなってる」
「じゃあもうワンランク低いような――」
「ないね。あたしゃ薬屋じゃない。あるものを売るだけの行商人、ただの露天商さ」
そうですか。どうしようもねぇな。
「そもそも媚薬惚れ薬の類で異性を射止めようなんて浅はかな考え、やめた方がいいと思いますわ」
「いいえ、違います。先程も申しました通り恋とは大輪の花の小さな芽。わたくしは聖水でもってその小さな芽吹きをすこしだけ力押ししたいだけですわ」
「本来ある筈のないところに芽が出るのであれば、それはとてもおかしなことだと私は思うのですが」
「前提が間違っています。本来あるはずのないところ、ではなくあるべきところへ芽を出させるのがわたくしのやり方ですわ」
……このシスター本当に大丈夫なんだろうか? なんというか、頭おかしいんじゃないか?
「……ふぅん」
「そういう訳で聖水を作るにはあの蜜が必要なのです。譲っていただけますね?」
「……で、いざ男性に言い寄られたら逃げ出す癖は治ったの?」
「シャドさん!」
「なんでしたっけ、前にそう、あなたが理想と言っていたシチュエーションで男性にキスを迫られたとき……」
「ちょ! 待ってなんで知ってるんですか!?」
「恥ずかしさあまって全力の頭突きをくらわして鼻の骨を圧し折ったんでしたっけ?」
「あー! 違う! ちーがーう!」
「違うんですか?」
「そう、そう違うんです!」
「あの後思い出してはいつものシェリオさんの様子からは想像できないくらい顔を真っ赤にして恥かしがってたのも、違うんですか?」
「違います! あれは、ああいう女の子の気持ちを考えない強姦魔には当然の制裁です!!」
「……実際それであの方は捕まったからもう何も言えませんね」
「でしょう? わたくしは間違っていないのです!」
「でもそれなら惚れ薬なんて異性の気持ちを考えないものを使うのは、強姦魔と同じではなくて?」
「そ、それは……とにかくください! 必要なんです!!」
傍目から見ると面白いな、これ。
とりあえずわかったことは、シスターはただの耳年増だってことだ。
多分惚れ薬作ってもそれを使用することはできないだろうなぁ。
「止めないのかい?」
そう婆様が言ってきたが……うーん、なんというか、もうあれほっといてもいいんじゃないかな?
「……こっちに矛先向けたくないんで」
「……そうかい」
そう呆れたように言わないで頂きたい。正直自分も関わりたくないんだ。
しかしそうなるとすごく暇な訳で……あー。そういやこの婆様って商人だったよね。
「お姉さんお姉さん。なんか面白いアイテムとか置いてないの?」
「……お前は私が片付けをしているのがわからないのか」
……いや、確かに今まさに店じまいしようとしている風にも見えるが、というかそうとしか見えないが、うん。
「こんな時間にもう店じまい?」
「目玉商品が売れたからな」
とはいえまだまだ商品はあるじゃん。それに……あ、そうだ。
「そういえば、鍋とか包丁とか置いてない?」
「あんたは本当にあたしをなんだと思ってるんだ?」
「ない?」
「ないよ」
そっか、残念。
「今あたしが売ってんのはこういう薬や素材、あとは装飾の類だ」
言いながら婆様は再び商品を広げだす。それはいろんな色の液体が入った小瓶や粉、鉱物、植物、ネックレスやら髪飾りなどなど割ととりとめのない内容のラインナップだ。
「なんなら少し見ていくかい? あんたの連れに似合う装飾があるかもしれない」
あれにプレゼントとか、ないです。
「あいつは自分の趣味じゃないからなぁ」
「……そうかい」
そういう微妙な声色って不安になるからやめてほしい。
「……あ、そうだコレ――」
「うまい素材はここにはない」
……そうかい。
自分そんな腹ペコキャラとは違うんだが……ん?
自分がざっと商品を見た中に、一つ目を引くものがあった。
それは青い花の髪飾り。ヘアピン型のそれはあまり派手ではないがどこか上品で、一つだけ小さく謙虚に輝く赤い宝石が何とも素敵。
「これ……」
「あら、氷花の髪飾りですね。氷の魔法の威力向上が見込めますわ。そして赤眼石がはめ込まれているものは炎の魔法に対する耐性が上昇します」
「……」
横を見るとそこには、さも当然のように自分の持つ髪飾りを間近で眺めるシスターの姿が。
なぜいる。
「単純ながら悪くない装備ですね。女性用なので見た目はともかく、ムーさんに装備させれば安定すると思いますわ」
こっちみんな。ウインクすんな。近寄んな。
そんな言葉をぐっと飲み込み後ろを見ると、そこではシャドさんがニコニコ顔で手を振っていた。
お前後で没収な。
「でもお師匠様、女性にプレゼントなさるならこれはやめた方がいいですわ。女性への贈り物としてはこういう攻撃的なものよりもっと防御的な、もっと守りを高めるものの方がよろしいですわ。そう、愛を込め、大切な人を護る。そんな装備が」
なんか語りだしたこの人。
「女性はそのアクセサリーを身に着けることで常に愛する男性を想い、感じ、そしてぬくもりを得る。その場にいなくとも常に自身を見守り護ってくれる。『愛』を込めた守りのアクセサーは、正しくそういうものなのです。逆に攻撃的なアクセサリーはとても否定的に考えると『手を汚し敵を屠れ』とも感じられます。そう考えればどちらがいいかは明白でしょう」
おいシャドさん、どうすんだこいつ。いや『やれやれ』じゃなく。ほんと。おい。
「ですので攻撃能力を高めるこれは、決して悪い訳ではありませんが女心としてはもっと常に愛を感じ、包み込むように護ってくれるような装備こそが受け入れられるのです。わかりましたか?」
あ、はい。
「あー、うん、はい。これはだめね、うん」
「ふつうの装備としてならありですが、女性への贈り物としてはイマイチ、という話です」
しらんがな。
「そもそもからして贈る相手おらんし」
「あら、そうなのですか」
「そうなのです」
そう、まず自分の周りの女子ったら既婚者にお姫様にお嬢様でしょ? どれも恋愛対象としたら論外じゃないか。
ギリギリ言い訳できるのがお嬢様、まぁシルバちゃんだが、彼女は自分を歩く食糧庫としか見てないし、年齢的にも危ないしねぇ。
それに贈る理由も……あー、いや、彼女なんかこの前危なかったよな。こう、『すべてライフで受ける』を地で行く感じで。
……彼女のお兄さんの戦闘スタイル、回復魔法を使うお姫様の存在、そして超攻撃力。なんだろう、『防御や回避を捨てて死ぬ前に一発で敵を葬る』とか、そういう島津式の戦闘スタイルしてそう。
なにより近衛隊としての立場から、お姫様護るために自ら攻撃を受けに行くとかやりそう。
……なんか、アクセサリの一つでも贈って防御力上げてもらった方が自分の精神衛生的には良いのかもしれない。
無論、似たり寄ったりな理由で兄貴の方にも、だが。
「あら? どうかなさりましたか?」
「……いや」
「ちなみにわたくしは愛が籠っていたらどのようなプレゼントでも、むしろプレゼントよりも二人きりで愛を語り合う時間が欲しいというタイプですわ」
なぜ自分がお前の事をこうやって見るときは心の底から嫌な顔しながら見つめているのかわかるだろうな?
心底から嫌だからだ。
「……あっちいってなさい」
そう言って小バエを追い払うように手をひらひらさせてシスターさんを追い払う。お願いだから女装野郎のところで遊んでてください。
「そうはいきません。わたくしには目的がありますので」
……あ、読めた。
「シャドさんから伺いました。お師匠様がご購入なされたんですってね、月光花の蜜」
わぁい。さっきまで自分の事空気って言ってたやつ出て来い。おもっくそ巻き込まれたじゃねぇか。
とりあえずチラリと後ろにいるス……シャドさんを見ると、彼女はまだニコニコしながら手を振っていた。
お前ホント後で没収な。それがいやなら何とかしろ。助けろ。
と、目で訴えていた、その時である。
「譲っていただけませんか?」
ずずいっとシスターが寄って来たのは。
彼女はその腕を自分の腕に絡みつかせて、その決して慎ましくはない胸を押し当てる。
瞳は潤み、吐息のかかりそうな位置にある唇はどこか煽情的なものがある。
……普通ならドキッとしてコロッと落とされそうな場面なんだがなぁ。何分この展開は予想できた。
という事で自分は一本の小瓶をとりだし彼女の目の前でゆらゆら揺らす。
「これ?」
「そう! それですわ!!」
叫ぶようにしながらシスターは小瓶につかみかかるが、自分はそれをひらりと避ける。
そうやすやすと渡すか。
「タダで渡す、というのはどうにも乗り気にならない」
「なら、こういうのはどうでしょう。わたくしがそれをいったんすべて預かります」
なんねそれ。
「そして持ち逃げとか?」
「しません! しばらく時間を頂ければわたくしがそれを使って聖水を精製いたしますわ。そして精製の対価として聖水を一部頂く。無論お師匠様は蜜を譲っていただくだけで、他の素材はわたくしが用意いたしますわ。いかがでしょう?」
……それだとホットケーキにかける分がなくなるじゃないか。
「却下」
「……どんな女性も恋に導く、強力な聖水ですわよ? わたくしに任せていただければ、普通に生成するよりも蜜の効果を高め、より効果の高いものを作れますわ」
……女の子を虜にできる、と考えればとてもいい提案なのだろうが、生憎とそういう無責任は世間体にも精神衛生的にも悪い。
そして何より、自分はこの世界でそういう特別な関係を持ちたくはない。下手をこいたら戻るに戻れなくなる。
「残念ながら自分は恋とかそういうのいらない」
「……枯れてますわね」
喧嘩売ってんのか?
「では、どのようにすれば譲っていただけますか?」
……いや、こういう取引ごとで真っ先に思いつく対価ってないの? もっとど真ん中どストレートな対価。
そう、お金ですよ。
「そうむつかしく考えんでも、普通に――」
「……まさか、わたくしの身体を?」
……。
「売らんぞ」
「あぁん。そう言わずに」
そう言いながらシスターはしなだれてきて……寄るな。
「全く……金貨3枚だ。それで1本だけ売ってやる」
ちなみに枯れてるとか身体云々とかの発言がなければ金貨2枚で譲るつもりでした。
「え? 3枚?」
「うん、3枚」
ふはは、一気に3倍に値上げしてやったぜ。
金貨1枚でうんうん唸ってたウサギがいるんだ。この値段ならそうやすやすとは――
「本当に3枚でいいんですの?」
「え? あ、うん」
「ちょっと待ってください。いち、に……はい、これで3枚です」
……え? ちょ、待て。こんなにあっさり出すとか予想外なんだが。
というかもしかしてこれって……。
「……お前、やっぱりモノを見る目がないな」
そんな自分のうろたえを感じたのか、婆様が憐れんだように口を開く。
「それ、一本で適正価格いくらだと思ってるんだ?」
「え? えっと……金貨2枚?」
「5枚」
……は?
「本来はそれくらいする代物だ」
ちょっと待て、意味わかんない。
「待ち待ち待ち。ならなんで金貨1枚で売ったの。いくらなんでも値引きすぎでしょや。なんか変なもん入ってたりしないわよね?」
「あたしゃモノを見る目がある奴が大好きだ。そしてお前のツレはそれの正体を看過した。だから安く売ったんだ。そういうやつは次もまたいい値段で買ってくれるからね」
婆様が得意げに口元を歪める。いや、うん。うん。
「……さいですか」
「それよりどうした? 取引は成立したんだろう?」
そう婆様に促されてみると、そこにはニコニコ顔で金貨片手に手を伸ばすシスターが。
「……ちゃんとまともに使えよ?」
「もちろんですわ! こちらはいつか、まだ見ぬ運命の男性へと出会った時に、その方と愛を育むために使わせていただきますわ。あぁ……待っていてくださいね、運命のお方」
「この国にゃまともな奴はいないのかい」
……婆様の意見は至極ごもっともですわ。
「……ハセガワ様、少々よろしいですか?」
そんなこんなしてるうちに、いつの間にかシャドさんが近くへ寄ってきていた。
お前、自分を生贄に捧げていつの間にか安全圏で空気になってたな。憶えとけよ。
「……なんね。自分にこいつを押し付けてガン無視決め込んだシャドさん」
嫌味満載で言うと彼は露骨に目を逸らす。
「……後で埋め合わせはします」
「カッターぼっしゅ」
「それ以外で」
……声の力の入り具合から、よっぽど返したくないことがよくわかる。そんなに気に行ってもらって自分は不安だよ。ほんとにあれは武器じゃないからな。
「で、なのですが……彼女に蜜をあげて本当によかったのですか?」
「ダメだと思うならこちらに押し付けず止めればよかったのに」
「……まぁ、そうですが、被害にあうのは私じゃないので」
うわ、ゲスい。でも同意。
自分が被害にあうなら絶対渡さん。
「それに、惚れ薬作ったとしても、言うてこいつは実際行動に移せるかと言ったら多分移せないタイプだと思うよ。予想だけど」
「あぁ、まさにその通りです。彼女は私の知る限り8回、いい感じだった男性との関係をぶち壊しています」
「あー……フラグブレイカーか」
「ちなみにムーは11回です」
「……あの人は」
「これでモテないモテない騒いでるんだから世話ないですよね」
そんな会話をしていた、その時である。
「そうですわ!」
シスターがなんか叫びだしたのは。
「お師匠様は今お買い物中なのですよね!?」
「え? うん、まぁ」
「そして恐らくですがこの町の地理にもそんなに明るくない。違いますか?」
「あー、まぁ確かに」
そのためにシャドさん改めスゥ君を連れているんだからね。
「そしてこんな貴重なものを安く譲っていただいたからにはわたくしもその恩をお返ししなければなりません!」
えっと……文章の繋がりがよくわからん。
「だから今日一日、わたくしもそのお買い物のお手伝いいたしますわ!」
……うん?




