14・吸血鬼
近衛隊の『指南役』という実に名誉あるありがたーい役職に就いてからの数日間は、とても有意義な数日であったといえるだろう。
この世界の常識、エリザの扱い、作法礼儀になんやかんやとさまざまなことを学ぶ事ができたのだ。これはこの世界で生きていくうえで非常に大きい。
しかもこれが王族だとかその付き人だとかが直々に教えてくれたときたもので、どこに出しても問題のない完璧なマナーを見につけることに成功したはずだ。
割合スパルタだった気がしたが、そんなこんなで自分はこの数日を非常に有意義に過ごしていたのだ。
ちなみに指南役としての仕事はいまやまだやっていない。王様貴族様に会うんだからこの国の礼儀作法はしっかりと身につけておくようにとのことで、そこら辺を憶えるために時間を費やしているからである。
いつかいろいろやるんだって。こう、主に戦闘指南的な。
正直、化けの皮がはがれるまで時間ができて助かったよ。
この間にどうにかこうにか言い訳を考えよう。
そんなこんなをしているうちに一日二日と時間は着実に過ぎていき、とうとう本日はアレから十日目、つまりここから王都に旅立つ日になったのだ。
……が、だからといって自分は何か特別する事がある訳でもなく、割り当てられた部屋で今日も今日とて朝の惰眠を貪り、遅めの起床を果たしていた。
いやだって、自分はあれだ、仲間内で『眠れるナマケモノ』とか『目覚めぬ獅子』とか言われる位には睡眠に貪欲な人間なのだ。
そしてそれは異世界に来ても変わらず、さらにめでたく近衛隊指南役なるものになってしまった自分は前日のマナー講義のためいつもより深く夢の世界で戯れていたのだ。危機感なんてカケラもない。
そして自分は歯を磨き、着替えを済ませて一日の最初の楽しみである朝食を頂くために廊下を歩き……うん。さすがに自分はいろんなことに慣れてきたつもりではあったが、その、あれだ。
「うみゅう……」
「……シルバちゃんなにやってんの?」
さすがに廊下のど真ん中で行き倒れを発見するのは始めてである。しかも朝っぱらから。
まさか朝起きてごはんを食べるため食堂目指して歩いていたらこんな状況を発見するなんて予想だにしていなかったよ。
ぶっちゃけこの廊下は人が三人並んで歩いても大丈夫な位には広いが、いくらなんでもど真ん中は邪魔である。
というかどうしてこんな状態になった? というかなんで誰にも発見され……あーまぁお姫様の部屋の近くだから余計な人通りも少ないのか。いや、にしてもなにしてんのさ君は。
とか自分が考えていると、彼女の方から『ぐぎゅぅ……』という小気味のいい音が……まさか。
「……もしかしておなかすいてるの?」
とりあえず近くにしゃがみながら頭を小突いて再度話し掛けてみる。
「あぁ、先生……」
返事がある、ただ者でない屍のようだ。
ちなみに先生とは自分のことね。なんでも、教える立場になっちゃったからそう呼ばれなきゃならないらしい。いまだ一回も何も教えたことはないけども。
「……実は……お腹がすいて……しばらく血を吸っていないんです……」
あぁ、このコそういや吸血鬼だったっけか。
つか、やっぱりこの世界でも噛まれると吸血鬼にされんのかな?
「……なんで吸ってないん?」
とりあえず聞いてみた。
近衛隊の人たちならくれそうなもんなんだけどなぁ。
「……血は、生命力で……吸血鬼の魔力で……その魔族特有の力をもってて……下手に変な者から貰うと………無茶な見返りを求めてきますし……飲めない種族もいますし……近衛隊の皆も疲れてるし……市販の健康血液は……需要が無くてここらで売ってないし……お兄様は王都に行く準備が忙しくて会えないから分けて貰えないしで……もう二日飲んでません……ふぇぇ……やっぱり姫様に頼むしかないですかね……」
うぅむ。お姫様にか。
でもこの前の君をいたわる様子から、たぶん少しくらいなら普通に貰えるんでは――
「……でも頼んだら……また着せ替え人形は嫌です」
……あー、そういう。いやでも行き倒れるくらいなら素直に頼もうよ。
生き死にと天秤にかけるにはあまりにあんまりな内容だぞ?
とか考えてると再び『ぐぎゅるるる』といった音が聞こえてきた。
「はぅう……」
……なんというか、こういう言動一つ一つが幼いと言うか、あざといねこの子。
そして、うん。かわいいね。
弱ってる女の子がかわいいと思ってしまう自分は鬼畜なんだろうか?
……しかしいくらこの状態が可愛らしいとは言え放っておくわけにも行きますまい。いたしかがない。
「……自分の、飲む? 別に見返りとかはいらんから」
見殺しにはできないしね。あと女の子に齧られるって……あ、いやこれ以上株を暴落させるのはやめよう。
するとシルバちゃんは 目を輝かして
「いいんですか!?」
と言いながらガバッと顔をこちらに向ける。
……なんかいきなり元気になったな。気持ちはわかるが。
自分も疲れてお腹すいて死にそうになった時にラーメン屋さんを見つけた時はこんくらい元気になったもんだ。
え? 何でそんな事になってたかって?
友達とサイクリング行って山道で迷ったんだよ。
ま、それは置いといて。とりあえず自分は頷いて、左腕をまくって彼女の目の前にぐいっと出す。
たぶんだが、吸血鬼にはならんだろう。もしなるんだったらネズミ算式に吸血鬼が大量発生して今頃この世界は吸血鬼に埋め尽くされているだろうし、そもそもお姫様が吸血鬼になってしまってるはずだ。吸血鬼にあんな翼は生えていない。
……あれ、そういやお姫様って種族結局なんなのだろう? 堕天使とかダークヴァルキリーとかかな?
「ありがとうございます! では、いただきます!!」
かぷっ、という音が自分の首筋から聞こえた気がした。
……左腕無視っすか。
まぁしかし……一瞬チクッとした痛みがあっったがそこまでではなかったかな。
なんか感じとしては、猫に甘噛みされながら注射で血を抜かれていく感じ。
というか必死にちうちう吸ってるちびっ子の真剣な顔が何となく癒される。
まぁ、もう少しくらいなら、このままでもいいかな。あったかいしいいにおいするし。
……。
…………。
………………と思っていた時期が自分にもありました。
すいません、シルバさん、もう、やめて。これ以上は血が、無くなる。
「……ちょっ、シルバちゃ、ん、もうそろやめ」
しかし、そこは久しぶりのお食事のシルバ嬢。
全く気付く気配すらありません。前述の通り人通りもありません。
ちなみにこのままむりくり力づくで引き離すという事も考えましたが、
しぬ、誰か自分にレバーを! 血を早急に作らねば!
あぁ、誰か、誰か助けて!
「死ぬ、か、ら、やめて、もう」
と、ここでやっとこさシルバの娘さんが気付き、慌て離れる。
……ちょいと名残惜しい、が命には代えられない。
「あ、う、す、スイマセン。あの、久しぶりでおいしくて、つい……」
……くそっ、かわいいじゃないか。
涙目の上目使いなんて、しかももじもじしながら申し訳なさ気に謝るとは、まるで自分が苛めてるみたいではないか。あざとい。
確かにあざといが嫌いじゃないよそう言うの。というか、うん、きっと自分はそういうのが好きなんだ。そういう趣味だ。絶対どうにか改善してやる。
「……いや、だい、しょうぶ、だ……ヨ?」
あぁ、あれ? なんか視界が霞む……。
「え? せ、先生!? せんせー!!」
……心配してくれるのはいいが、口拭こうな? 血が凄い垂れてるよ。