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106・壁

「おちついた?」

「……はい。ご迷惑をおかけしました」

 目を泣きはらしながら彼女は深々とお辞儀をする。

 しかしその表情はどこかすっきりとしたものであり、充血した瞳も先程とは全く違う、生気宿った生き生きとしたものだ。

「君が元気になって何よりさ。で、さっそくで悪いが今後の方針についてのお話だ。君を今後どうするか、だけど単刀直入に言おう。お姫様のところに戻るのと、自分についてきて魔獣の群れの中突き進むの。どっちが最善だと思う?」

 切り替えは大事。一つの問題が解決したら次の問題だ。

 まぁこの様子ならもう切り替えても問題ないだろう。

「……先生と共にいる方がいいかと」

 ふむ。その心は?

「理由も聞こう」

「敵は今完全に私を姫様だと思っています。敵の視点から言えば司令塔がいなくなり混乱して然るべき状態、と思うでしょう。そこに私が戻ったら結果としてその敵の誤解は解消されてしまいます。やがて混乱が起きていないことに敵も気付くとは思いますが、それにしても敵を欺ける時間は長い方がいい。それに加えて言えば私が向うに戻ったところで、同じように攫われ先生のお手を煩わせる、最悪仲間たちにも被害が出るかもしれません。危険の伴う戦闘の可能性は、なるべく排除した方がいいかと」

 なるほどねぇ。確かにそれはもっともだ。

 となると次は自分についてくるという選択肢になるわけだが。

「しかしこっちも危険だけど、戦える?」

「はい。覚悟はしています」

 覚悟はいいがそれだけでは敵は倒せないのよお嬢ちゃん。

 ん? 人の事言えんか。

 むしろ自分にゃまともな戦闘経験なんて友達と殴り合いの喧嘩してKO敗けしたくらいしかない。

 ま、それはおいといて。

「武器とかある?」

「いえ、しかし剣はありませんが魔法は使えます。まったくの足手まといにはなりません」

 うーん。にしてもちょっと、心配だ。

 自分のイメージ、魔法だけに専念してたら接近されると割合悲惨な結果になる気がするんだよね。あくまで個人の偏見だが。

 とはいってもこの部屋に何か武器があるわけでもないし。

 最悪まず武器庫を探すところから始めなければならないかもわからん。

「それに徒手での戦闘も心得程度にはあります。姫様と共にみっちり扱かれましたから」

 ……いやでも素手は、というかお姫様格闘できるんか。しかし、うーん、中々自信ありげに言うしそれで任せても――うん?

 素手の戦闘? 格闘?

 あ、閃いたでやんす。

「シルバちゃん、これ使い」

「これは……」

 自分がポケットから出すのは片方だけのグローブ。

 紫を帯びた暗い赤色の、溶岩渦巻くプレートが付いたマジックアイテム『溶岩流のグローブ』である。

 ……そんな困ったような顔すんな。

「これは、先生がお使いください。私なんかよりも先生の方が格闘のスキルは高いので」

 まぁんなことだろうとは思ったよ。

 まぁ何と言おうと使ってもらうがな。

「そうもいかないさ。今君には武器がない。なら使える物を使ってもらった方がいい」

「しかし……」

「それに、自分にはこれがある」

 取り出したるは鈍色のスコップ。

 これで君の首を刎ねたのはもはや懐かしい思い出だ。

「何事もできることが多い方がいいんだ。魔法だけで挑もうという気概は買うが、こういう事態でそういう我儘はあんまり言ってほしくないな。自分のために用意してくれたところ悪いけどね」

 もうこれ以上の議論はしないよ、という言外の圧力。

 正直そろそろ時間かけすぎな気がするんでね。

「う~……わかりました。必ず、お返しいたします」

 どうやら彼女もわかってくれたようで、しっかりと右手にグローブを履いてベルトを締める。よかったよかった。

 そして装備で思い出した。自分今めっさ体液まみれだった。

 時間かけ過ぎとか言っておいてこの体たらくよ。

「さて、シルバちゃんも戦力が整ったところだし。ちょいと後ろ向いて、見張り頼んでもいい?」

 壁の方に近付きながらもっともらしい事を言う。

 しかし本音は女の子に女子に見られながらのお着替えは恥ずかしいからという理由である。つまりどっか向いててほしいのさ。

「え? あ、いいですけど、どうしたんですか?」

 ……君の汁に服がまみれたから、と言うのはさすがに酷だよねぇ。

 まぁ、適当ぶっこくか。

「ちょっち本気出す。まぁ真面目な衣裳に着替えるとでも思ってくれたらいいよ。さすがに君みたいなかわいい女の子護るなんて大役をこんな気の抜けた格好でやんのは締まらないからね」

 そう言いながら自分は着替えを……どうしよう。本当に適当ぶっこきすぎてアレだが、これ自分でハードル上げちゃったん違う?

 あそこまで行っといてまた綿パンセーターとかのお家感満載なの着たら、さすがにあれだよね。

「か、かわいいなんて、その、こ、これは、姫様の格好だからでその……」

 しかもこっちもか弱いお姫様スイッチはいっちゃってるし。

「……まぁ、なんでもいいけど見張り、ね?」

 とりあえず目は逸らさそ。

「あ! え、はい!」

 さて、彼女がちゃんと扉と窓の方を向いたのを確認して自分はポケットの影から……なに着よう。

 ジーパンにTシャツに、いや、かっこつかんしなぁ。

 まぁこの際格好なんて気にしてらんないかもしれないけども、さすがになにか……詰め襟? 結局いつもの詰め襟になるの?

 ……まぁなんだかんだでこの世界でも受け入れられるそれがいいのかなぁ。

 そんなわけで詰め襟を取り出し、パーカーを脱ぎワイシャツを……ちらちらこっち見てやがるあの娘。

 そういうのは、普通逆でしょうに。まったくもう。

 ……そういえば、シルバちゃんって今ドレス姿、もっと言えばかつら被って羽の作り物背負ってる状態だけど、大丈夫なんだろうか?

 だいぶ動きにくそうな格好よねそれ。

「なんなら君もその格好が動きづらいならあとで着替えるかい?」

「あはは……着替え持っていなくって」

 そらそうか。

 じゃあそのドレスのまんま動き回るのね。

 でも羽や髪は……あ、外したら偽物だってばれるか。

「それに確かに動きにくそうに見えますがこれでも戦闘用の様々な能力が付いたドレスですので、下手に着替えるよりはいいかと思います。さすがに影とはいえ、姫様を騙るならそれなりの装備をしなければいけませんので。それにスカートの丈だっていつものメイド服と同じくらいですので」

 そうか。ならいいんだが。

 ……ん? でも君、お姫様の影武者やっとったんよね?

 まさか、ね。

「ちなみに聞くがまさかそれ、敵に狙われやすくなる能力とかついとらんよね。囮とか、そういうの」

「……」

 目を逸らすな。白状してるようなもんだぞ。

「先生に、隠し事はできませんね」

 やっぱりか。

「『注意集中』のスキルがついており、これは敵対意思を持つ者は無意識に私への攻撃を行う割合が増える能力です。影は狙われてなんぼですから」

 いいたいことはわかる。が、しかしだ。

「……あまり、いい気はしないがね」

 そしてお姫様がそう言う事をシルバちゃんに――

「あ、一応誤解無きようお伝えいたしますが、このスキルは姫様がつけるよう命じたわけではなく、これを作成するときに私からつけるよう仕立て屋にたのんだものです。むしろあの子はそんなのつけたなんて知ったら、文句言うんじゃないかしら」

 ……ごめん。

 ま、まぁそんな会話をしているうちに着替えも終わりましたとさ。

「うっし。準備できた」

「もう後ろ向いていいですか?」

 そう言うが君、会話しながらちょくちょく向いてたべさ。

 さっきなんておもいっきり目が合ったし。

「いいよ」

 しかしそんな気持ちを表に出さない自分紳士。

 そんな自分の言葉に彼女はすぐに振り向いてまじまじと自分の格好を見るのである。

 いやそこまで舐めるように見なくても。

「……黄色い上着と防塵鏡がない格好は、なんか新鮮ですね。でも、かっこいいです」

 まぁお上手。

 まぁったく。こんなことならワイシャツにもパリッと糊を効かせておきたかったぜ。

 でも腰に折り畳みスコップ入れるポーチぶら下げて、片手にそのスコップ抱えてるあたり糊効かせていようがいまいが締まらなさはかわらないか。

 さて、そんなわけで準備は整った。さぁ、行こうか。

「そんじゃあ準備もできたことだし――次はどこへ、何しに行こうか」

 ごめん、行き先、いや何やるかまだ決めてなかった。

 ごめんねシルバちゃん。自分ポンコツで。

「話を聞く限り、この国の要人は皆彼らに捕らわれてるとみていいでしょう。そうなれば、なるべく彼らを、特にこの国の魔王を救出することが先決かと思われます。何かあったとき彼らを盾にされては面倒です」

 うん、うん。ほんとごめんね自分ポンコツで。

「それに奴は王権をいまだ完全に掌握しきれていない様子ですので、少なくとも奪還をすることができれば敵に揺さぶりをかけられるはずです。それにこれはあくまで可能性ですが、王族の誰かをこちらに引き入れればその者の一言でこの国の兵をこちら側に寝返らせることも可能かもしれません」

「そうだね、その通りだ」

 なかなかいい着眼点をお持ち……あり?

「王権とかの話出てきたのって君まだ魔法かけられていた時なんじゃない?」

「え? ええ。しかし聞こえてはいました。そのときは認識はできていませんでしたが、魔法を解いていただいた後なら何をどんな会話をしていたかは思い出せます」

 あー。そうなんだ。

「ですので、先生が一回で私を私だと見抜いて呼びかけてくださったことも、しっかり認識できてますよ」

 ……いや、笑顔で言うとるが結構迷ったからな?

 ま、いいや。彼女が満足ならそれでいいだろう。

 それよりも、えっと、あとやることは、あの玉座の人の持つ魔石の破壊か。

 確かにこの二択ならまずそっちを片付けた方がいいな。正直人質助けるのはシルバちゃんだけで十分だ。

 でもこのことは言葉でしっかり共有しておこう。どういう認識で互いにいるのかというのを理解しあうのは大切だ。

「あと、そのあとでいいがあの偉そうなオッサンをどうにかしたい。というよりも奴の持つ魔石を破壊したい」

「あぁ、あの私を妃にとか言ってた……キモチワルイ」

 まぁそこは、乙女的には大切なところかもですけどね?

「しかし、そうですね。あれを破壊することができれば今回の戦いの根本的な脅威を取り除くことができますものね。では、奴らに出会ったらあの者を優先で狙うようにしましょう」

 そうそう。

 ……ん? いや待てや何前線に出る気でいるんよ。

「君は自己防衛に専念してなさい」

「いざとなったら、の話です」

 ほんとう?

「あんなのに拳で触りたくありませんし、先生のグローブが穢れます。やるなら剣を手にしてからです」

 ……うん。ま、いいか。

 それよりもそろそろ動こう。話すことも話し切ったし、何よりここに留まりすぎた。

 自分らが見つかっていなかったとしても、時間をかければその分前線に負担がかかるんだ。ちゃっちゃか終わらせよう。

「まぁ、そんなわけでそろそろ出よう。準備はいい?」

「はい。いつでも行けます」

 そう言いながら拳を鳴らすシルバちゃん。

 そいつは頼もしい。出番は作ってやらんつもりだが、いざとなったら頼りにしてるよ。

 そんなわけでいざ、部屋を出ようと自分は扉のノブに手をかけ回……回す……回れぇ!

「ど、どうかしました?」

「や、あの、ドアノブが……あ」

 ドアノブが回らない。そらそうだ。だって今このドアはドアではない。

 何も動かずどっしりとそこへ腰を落ち着ける『強固な壁』なのだ。自分で名前つけといて忘れてたよ。

「……防御用に扉強化しといて忘れてた」

「あー……よくやります。私も自分で仕掛けたトラップに引っかかったことが何回かありますので、お気持ちはよくわかります」

 やっぱりどこの世界でもあるのねこういうミス。

 はぁ、とりあえず解除解除、と。

 あとそう。窓も今は『壁』って名前を付けて……。

 F12『くっそ頑丈で堅牢な壁』

「シルバちゃん。落ち着いてきいて」

「はい? どうかいたしましたか?」

「どうやら長居し過ぎたみたいだ」

「え? それはどういう――」

「窓、見てみ」

「まど? ……いっ!?」

 彼女が窓に顔を向ける。するとそこにはガラスの下半分を埋め尽くす大量のカニがうぞうぞとうごめき、ひしめき合って窓を破壊しようとしている姿があった。

 ……窓でこの状況だ。ならば恐らく廊下も似たような、いや、もっとひどいかもしれない。

 ほぼ確実に囲まれたといっていいだろう。


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